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第11話 大丈夫! 主任のアリバイ証明は完璧です(中)
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しかし、それから何かが変わったのか、聡介はまほろと一緒に過ごすたびに、やたらと写真を撮るようになった。それもスマートフォンの内臓カメラではなく、インスタントカメラでだ。そしてそれをせっせと印刷しては、丁寧にファイリングしている。細やかで、若干収集癖のある聡介らしい新たな趣味かとも思ったが、「これでいつでもまほろを愛でられる気がします」と言ってうっとりと笑うところに、まほろは少しばかり怖さを覚えてしまった。
けれども、唯依佳と会ったあとでもまったく変わらない聡介のその怖いくらいの愛情深さは、やはりまほろを安心させる。聡介が、元カレの大翔のように自分を裏切って唯依佳を選ぶようなことは絶対にしないと、まほろはそう信じられた。
そうして月日は過ぎて、まほろは初めての年度末をむかえた。駈け込むように次から次へと来る膨大な受注データを処理しててんやわんやになりつつも、まほろは一年前よりも少しだけ心を強くしていられた。
そして春になり、まほろは社会人二年目をスタートさせた。明美とのメンター・メンティ関係は解消され、二年目らしく、以前よりも率先して自分から動くことが求められていく。
聡介との付き合いも変わらず、出かけられる時は外でデートをして、そして彼の家に行けばこれでもかと時間をかけてたっぷりと甘やかなセックスをする。何事も順風満帆で問題はない――そう思っていた。
――ピロリロリン、ピロリロリン。
しかし、そう思っていた四月の下旬頃。夜の九時過ぎにまほろのスマホが鳴った。ちょうど夕飯の片付けを終えたところだったまほろはスマホを手に取る。着信相手は実家の母で、あまりいい予感はしなかったがまほろはひとまず通話に出た。
「はい……」
『ああ、ちょっと、まほろ! あのね、お姉ちゃんがたいへんなのよ』
「え?」
挨拶などほぼない母の声には、どこかとげとげしい剣幕があった。
『あなた、知ってるの? どういうことなのよ!』
「え、な、何のこと……」
『あのね、あなたの会社の人に襲われて、お姉ちゃん、赤ちゃんができちゃったのよ』
「え……ええぇっ!?」
衝撃の内容に、まほろは大きく目を見開いた。
『相手はあなたの職場の人だって……もしかして、あなたの彼氏とかなの?』
「え、そ、そんな……知らないよ」
確かに唯依佳は約三カ月前、まほろの会社にやって来た。だが聡介がうまく唯依佳をあしらってくれて、何事もなかったはずだ。まさかそのあと、まほろの知らないところで何かがあったのだろうか。
『まほろなら知ってるって、お姉ちゃんは言うのよ。まほろ、あなた、相手のことを知ってるんでしょう! その人を連れて次の土曜日にうちに来なさい! お父さんも一緒に話を聞かせてちょうだいよ!』
「そんなこと……言われても」
『いいから来なさい! 本当にその人なんだとしたら、責任はとってもらわなくちゃいけないんだからね! まったく、お姉ちゃんがかわいそうでしょ!』
(どこが……?)
――プツッ。
母はまほろの返事を聞くこともなく、鼻息を荒くしたまま一方的に通話を切った。
姉の唯依佳は、正直に言ってだらしない。それは生活面や生き方だけでなく、異性関係もだ。まほろの彼氏であった大翔とはセックスもするお友達関係にあったし、同じようにセックスをするだけの関係の男友達は何人もいる。それを自ら豪語して、自分のモテっぷりを常に自慢しているような女性だ。
そんな姉が、今まで妊娠しないでいられたことの方が不思議だ。ふしだらな性的関係をあちこちにいくつも持っていた唯依佳が今さら妊娠したところで、自業自得にしか思えない。いったい彼女のどこをどんな風にかわいそうに思えばいいのだろうか。
(それより……お姉ちゃんの言ってる人って、まさか聡介さんのこと?)
聡介が姉を襲った? 合意のもとではなく、聡介が唯依佳を一方的に?
あり得ない。そんなこと、絶対にあり得ない。この世界が裏返ってもあり得るはずがない。まほろは心の底から強くそう信じられた。
けれども、唯依佳が接点を持ったと思われる「まほろの会社の男性」は、まほろが知る限りでは聡介か前園くらいしかいないはずだ。前園の可能性もあるかもしれないが、あの日の唯依佳のターゲットにされた聡介の方が、可能性としては高いだろう。
(ど、どうしよう……でも、とりあえず言わなきゃ……)
まほろは震える手でスマホを操作し、聡介に通話をかけた。五回呼び出し音が鳴ったあとで、聡介が電話に出てくれる。
『こんばんは、まほろ。珍しいですね、君からかけてくれるなんて』
「あ、あのっ、そ、聡介っ……さんっ……」
まだ何も知らない聡介のいつも通りの声に安心しつつも、まほろはパニックになりながら告げた。
「ど、どうしよう……っ」
『ん? 何かあったんですか』
「あ、あのっ……いま、母から電話があって……あ、姉が……妊娠したって……そ、聡介さんに……あ、いえ、私の会社の人に……襲われたって……でも、でも違う……聡介さんはそんなことしない……でも、母が怒って……聡介さんをうちに連れて……きなさいって……」
聡介ではないはずなのに。
まるで聡介が唯依佳を襲って妊娠させた体で話が進んでしまう。そんなことはないのに、そんな話はしたくないのに。まほろは、自分の気持ちとはまったく違う言葉を聡介に告げなければならないことをはがゆく悲しく思った。
「違う……のに……何が……どうしてっ……」
『ああ、まほろ、大丈夫です。大丈夫ですよ、落ち着いてください』
「でもっ……お姉ちゃん……何が……なんでっ……」
『大丈夫です。まほろ、絶対に大丈夫です。落ち着いて、ゆっくり息をしましょう』
電話口の聡介は、いつになくゆっくりとまほろに話しかけた。
まほろはできている気がしなかったが、ひとまずどうにか落ち着こうと、深く息を吸い込んでみる。
『大丈夫です。俺は君のお姉さんに指一本もふれていません。完全な冤罪です』
「でも……じゃあ、妊娠って……」
『君のお姉さんの妊娠の真偽を確かめる術は、俺たちにはありません。そこはあまり気にしなくていいでしょう。ですが、俺の潔白は証明しないといけませんね。いいですよ、まほろの実家にうかがいます。でも準備が必要なので、一週間は時間が欲しい……来週の土曜日なら行けるのですが、ご実家とそう調整できますか?』
「来週……」
今は週の半ばだ。母は土曜日に来いと言ったが、それを一週間伸ばしてもらう形になる。
「し、します……っ」
聡介は無実だ。聡介を実家の母と姉から守るために、日時の調整くらい自分がしっかりせねば。まほろはそう思い、自分なりに力強い声で頷いた。
『よかった、お願いします。まほろ、本当に、本当に大丈夫ですよ。俺はお姉さんに何もしていない。俺が好きなのはまほろだけです。結婚して子供を作りたいと思うのもまほろだけです』
「なっ……いま、そんな……っ」
『大事なことですよ? それだけ俺は本気でまほろが好きなんですから、そんな俺がわざわざ性悪お姉さんに手を出すはずがない、と主張できるでしょう』
「でも……」
その主張を、あの母とあの姉が信じるだろうか。あの二人は、まほろよりも姉の唯依佳の方が異性にモテると信じている。事実そうだったし、そんな唯依佳のことを母も唯依佳自身も誇らしく思っているので、「お姉さんよりもまほろの方が好きです」という聡介の主張などあり得ないと一蹴する気がした。
『大丈夫です。まほろはとにかく、俺を信じてください』
「聡介さん……」
『残念ですが準備があるので、今週はおうちデートの予定でしたがキャンセルさせてください。申し訳ありません』
「あ、いえ……そんな……全然……」
『俺はまほろだけを愛していますからね。大丈夫ですよ』
繰り返される、聡介の「大丈夫」。それを何度も聞いているうちにまほろの心拍数は下がってきた。
「じゃ、じゃあ……あの……また、何かあったらすぐに連絡します。時間とか……」
『そうですね。お願いします』
「はい……おやすみなさい」
『おやすみ、まほろ。いい夢を』
そう別れの言葉を交わして、二人は通話を切った。
次の日の夜、まほろは母に電話をかけた。次の土曜日は無理だが、来週の土曜日には実家に行くことを伝え、なんとか納得してもらった。
約束の土曜日がくるまで、まほろは気が気ではなかった。出社しても集中できないことが多かったが、しかし何かしら業務があることで、少なからず実家や姉のことを忘れられる時間を持てたのはありがたかった。
そうして、約束の土曜日。まほろはまず聡介と待ち合わせて、それから一緒に実家の最寄り駅に電車で向かった。
聡介はクリーニングしたてと思われるスーツと新品のワイシャツを着ており、手土産の菓子折りも持っていた。とても丁寧にまほろの実家を訪ねるつもりでいることがよくわかる。しかし不思議なのは、やけにパンパンにふくらんだビジネスバッグも持っていることだ。まほろは中身が気になって尋ねたが、聡介は「俺の無実の証拠です」としか教えてくれなかった。
「まほろ、ひとつだけ注意です。俺が許可するまで、俺の名前は呼ばないでください。伊達主任、という呼び方なら構いません」
「は、はい……」
それは何のための作戦なのか、まほろにはわからなかった。しかし聡介はきっと一手も二手も先を読んで、そう求めてきたのだろう。ならば、彼の作戦にしっかりと協力しよう。そう思った。
「た……ただいま……」
そして、まほろは聡介を連れて実家のマンションの玄関ドアを開けた。いつものように誰一人玄関まで来ないかと思ったが、さすがに母が出迎えに来た。
「はあっ、やっと来た!」
「あ、あの……」
「そちらの方ね?」
「初めまして、伊達と申します」
「どうぞ上がってください。それで、しっかりと話を聞かせてくださいね!」
母の目に聡介は「かわいい娘を無理やり襲って妊娠させた無責任な男」に見えているらしく、決して丁寧とは言えない態度に終始していた。まほろはそのことを聡介に申し訳なく思いながらも、聡介を奥へと案内する。
「伊達さんは唯依佳の隣にどうぞ!」
「えっ……」
ダイニングテーブルは四人掛けだが、すでに唯依佳と父が座っている。そこに母と聡介が座るとなると、まほろの座る場所がない。
「まほろはソファの方でいいでしょ。唯依佳と伊達さんの話なんだから」
(なん、で……っ)
いとも簡単にまほろを疎外する母に、まほろは悔しさに似た怒りを覚えた。けれどもその怒りを表出することは我慢して、「伊達主任、どうぞそちらに」と言って聡介にダイニングテーブルの方の椅子に座ってもらうと、自分はテレビの前のソファの方に腰を下ろす。聡介と唯依佳は隣り合って並んでいたが、ちらりとまほろを見た唯依佳の表情は心なしか、勝ち誇っているように見えた。
けれども、唯依佳と会ったあとでもまったく変わらない聡介のその怖いくらいの愛情深さは、やはりまほろを安心させる。聡介が、元カレの大翔のように自分を裏切って唯依佳を選ぶようなことは絶対にしないと、まほろはそう信じられた。
そうして月日は過ぎて、まほろは初めての年度末をむかえた。駈け込むように次から次へと来る膨大な受注データを処理しててんやわんやになりつつも、まほろは一年前よりも少しだけ心を強くしていられた。
そして春になり、まほろは社会人二年目をスタートさせた。明美とのメンター・メンティ関係は解消され、二年目らしく、以前よりも率先して自分から動くことが求められていく。
聡介との付き合いも変わらず、出かけられる時は外でデートをして、そして彼の家に行けばこれでもかと時間をかけてたっぷりと甘やかなセックスをする。何事も順風満帆で問題はない――そう思っていた。
――ピロリロリン、ピロリロリン。
しかし、そう思っていた四月の下旬頃。夜の九時過ぎにまほろのスマホが鳴った。ちょうど夕飯の片付けを終えたところだったまほろはスマホを手に取る。着信相手は実家の母で、あまりいい予感はしなかったがまほろはひとまず通話に出た。
「はい……」
『ああ、ちょっと、まほろ! あのね、お姉ちゃんがたいへんなのよ』
「え?」
挨拶などほぼない母の声には、どこかとげとげしい剣幕があった。
『あなた、知ってるの? どういうことなのよ!』
「え、な、何のこと……」
『あのね、あなたの会社の人に襲われて、お姉ちゃん、赤ちゃんができちゃったのよ』
「え……ええぇっ!?」
衝撃の内容に、まほろは大きく目を見開いた。
『相手はあなたの職場の人だって……もしかして、あなたの彼氏とかなの?』
「え、そ、そんな……知らないよ」
確かに唯依佳は約三カ月前、まほろの会社にやって来た。だが聡介がうまく唯依佳をあしらってくれて、何事もなかったはずだ。まさかそのあと、まほろの知らないところで何かがあったのだろうか。
『まほろなら知ってるって、お姉ちゃんは言うのよ。まほろ、あなた、相手のことを知ってるんでしょう! その人を連れて次の土曜日にうちに来なさい! お父さんも一緒に話を聞かせてちょうだいよ!』
「そんなこと……言われても」
『いいから来なさい! 本当にその人なんだとしたら、責任はとってもらわなくちゃいけないんだからね! まったく、お姉ちゃんがかわいそうでしょ!』
(どこが……?)
――プツッ。
母はまほろの返事を聞くこともなく、鼻息を荒くしたまま一方的に通話を切った。
姉の唯依佳は、正直に言ってだらしない。それは生活面や生き方だけでなく、異性関係もだ。まほろの彼氏であった大翔とはセックスもするお友達関係にあったし、同じようにセックスをするだけの関係の男友達は何人もいる。それを自ら豪語して、自分のモテっぷりを常に自慢しているような女性だ。
そんな姉が、今まで妊娠しないでいられたことの方が不思議だ。ふしだらな性的関係をあちこちにいくつも持っていた唯依佳が今さら妊娠したところで、自業自得にしか思えない。いったい彼女のどこをどんな風にかわいそうに思えばいいのだろうか。
(それより……お姉ちゃんの言ってる人って、まさか聡介さんのこと?)
聡介が姉を襲った? 合意のもとではなく、聡介が唯依佳を一方的に?
あり得ない。そんなこと、絶対にあり得ない。この世界が裏返ってもあり得るはずがない。まほろは心の底から強くそう信じられた。
けれども、唯依佳が接点を持ったと思われる「まほろの会社の男性」は、まほろが知る限りでは聡介か前園くらいしかいないはずだ。前園の可能性もあるかもしれないが、あの日の唯依佳のターゲットにされた聡介の方が、可能性としては高いだろう。
(ど、どうしよう……でも、とりあえず言わなきゃ……)
まほろは震える手でスマホを操作し、聡介に通話をかけた。五回呼び出し音が鳴ったあとで、聡介が電話に出てくれる。
『こんばんは、まほろ。珍しいですね、君からかけてくれるなんて』
「あ、あのっ、そ、聡介っ……さんっ……」
まだ何も知らない聡介のいつも通りの声に安心しつつも、まほろはパニックになりながら告げた。
「ど、どうしよう……っ」
『ん? 何かあったんですか』
「あ、あのっ……いま、母から電話があって……あ、姉が……妊娠したって……そ、聡介さんに……あ、いえ、私の会社の人に……襲われたって……でも、でも違う……聡介さんはそんなことしない……でも、母が怒って……聡介さんをうちに連れて……きなさいって……」
聡介ではないはずなのに。
まるで聡介が唯依佳を襲って妊娠させた体で話が進んでしまう。そんなことはないのに、そんな話はしたくないのに。まほろは、自分の気持ちとはまったく違う言葉を聡介に告げなければならないことをはがゆく悲しく思った。
「違う……のに……何が……どうしてっ……」
『ああ、まほろ、大丈夫です。大丈夫ですよ、落ち着いてください』
「でもっ……お姉ちゃん……何が……なんでっ……」
『大丈夫です。まほろ、絶対に大丈夫です。落ち着いて、ゆっくり息をしましょう』
電話口の聡介は、いつになくゆっくりとまほろに話しかけた。
まほろはできている気がしなかったが、ひとまずどうにか落ち着こうと、深く息を吸い込んでみる。
『大丈夫です。俺は君のお姉さんに指一本もふれていません。完全な冤罪です』
「でも……じゃあ、妊娠って……」
『君のお姉さんの妊娠の真偽を確かめる術は、俺たちにはありません。そこはあまり気にしなくていいでしょう。ですが、俺の潔白は証明しないといけませんね。いいですよ、まほろの実家にうかがいます。でも準備が必要なので、一週間は時間が欲しい……来週の土曜日なら行けるのですが、ご実家とそう調整できますか?』
「来週……」
今は週の半ばだ。母は土曜日に来いと言ったが、それを一週間伸ばしてもらう形になる。
「し、します……っ」
聡介は無実だ。聡介を実家の母と姉から守るために、日時の調整くらい自分がしっかりせねば。まほろはそう思い、自分なりに力強い声で頷いた。
『よかった、お願いします。まほろ、本当に、本当に大丈夫ですよ。俺はお姉さんに何もしていない。俺が好きなのはまほろだけです。結婚して子供を作りたいと思うのもまほろだけです』
「なっ……いま、そんな……っ」
『大事なことですよ? それだけ俺は本気でまほろが好きなんですから、そんな俺がわざわざ性悪お姉さんに手を出すはずがない、と主張できるでしょう』
「でも……」
その主張を、あの母とあの姉が信じるだろうか。あの二人は、まほろよりも姉の唯依佳の方が異性にモテると信じている。事実そうだったし、そんな唯依佳のことを母も唯依佳自身も誇らしく思っているので、「お姉さんよりもまほろの方が好きです」という聡介の主張などあり得ないと一蹴する気がした。
『大丈夫です。まほろはとにかく、俺を信じてください』
「聡介さん……」
『残念ですが準備があるので、今週はおうちデートの予定でしたがキャンセルさせてください。申し訳ありません』
「あ、いえ……そんな……全然……」
『俺はまほろだけを愛していますからね。大丈夫ですよ』
繰り返される、聡介の「大丈夫」。それを何度も聞いているうちにまほろの心拍数は下がってきた。
「じゃ、じゃあ……あの……また、何かあったらすぐに連絡します。時間とか……」
『そうですね。お願いします』
「はい……おやすみなさい」
『おやすみ、まほろ。いい夢を』
そう別れの言葉を交わして、二人は通話を切った。
次の日の夜、まほろは母に電話をかけた。次の土曜日は無理だが、来週の土曜日には実家に行くことを伝え、なんとか納得してもらった。
約束の土曜日がくるまで、まほろは気が気ではなかった。出社しても集中できないことが多かったが、しかし何かしら業務があることで、少なからず実家や姉のことを忘れられる時間を持てたのはありがたかった。
そうして、約束の土曜日。まほろはまず聡介と待ち合わせて、それから一緒に実家の最寄り駅に電車で向かった。
聡介はクリーニングしたてと思われるスーツと新品のワイシャツを着ており、手土産の菓子折りも持っていた。とても丁寧にまほろの実家を訪ねるつもりでいることがよくわかる。しかし不思議なのは、やけにパンパンにふくらんだビジネスバッグも持っていることだ。まほろは中身が気になって尋ねたが、聡介は「俺の無実の証拠です」としか教えてくれなかった。
「まほろ、ひとつだけ注意です。俺が許可するまで、俺の名前は呼ばないでください。伊達主任、という呼び方なら構いません」
「は、はい……」
それは何のための作戦なのか、まほろにはわからなかった。しかし聡介はきっと一手も二手も先を読んで、そう求めてきたのだろう。ならば、彼の作戦にしっかりと協力しよう。そう思った。
「た……ただいま……」
そして、まほろは聡介を連れて実家のマンションの玄関ドアを開けた。いつものように誰一人玄関まで来ないかと思ったが、さすがに母が出迎えに来た。
「はあっ、やっと来た!」
「あ、あの……」
「そちらの方ね?」
「初めまして、伊達と申します」
「どうぞ上がってください。それで、しっかりと話を聞かせてくださいね!」
母の目に聡介は「かわいい娘を無理やり襲って妊娠させた無責任な男」に見えているらしく、決して丁寧とは言えない態度に終始していた。まほろはそのことを聡介に申し訳なく思いながらも、聡介を奥へと案内する。
「伊達さんは唯依佳の隣にどうぞ!」
「えっ……」
ダイニングテーブルは四人掛けだが、すでに唯依佳と父が座っている。そこに母と聡介が座るとなると、まほろの座る場所がない。
「まほろはソファの方でいいでしょ。唯依佳と伊達さんの話なんだから」
(なん、で……っ)
いとも簡単にまほろを疎外する母に、まほろは悔しさに似た怒りを覚えた。けれどもその怒りを表出することは我慢して、「伊達主任、どうぞそちらに」と言って聡介にダイニングテーブルの方の椅子に座ってもらうと、自分はテレビの前のソファの方に腰を下ろす。聡介と唯依佳は隣り合って並んでいたが、ちらりとまほろを見た唯依佳の表情は心なしか、勝ち誇っているように見えた。
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