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高校編

不健康女子の高一・清明 入学式①

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 楽しい時はあっという間に過ぎるもので、春休みがもう終わってしまいましたよ。
 無責任に気楽に、何の心配もせずにたぁくんや知世ちゃんと遊んでいられた、特別で幸福な、宝物みたいな時間だった。

 知世ちゃんとはまたお泊まり会をして、いろんなことをたくさん話した。ふたり別々な場所に身を置くまでの猶予を惜しむように、昔の思い出話は尽きることはなくて。
 全て口にしなくても気持ちが伝わる特別な相手がいることが、どれほど得がたいことなのかを改めて感じた。
 やっぱり、私は、知世ちゃんが大好きです。

 たぁくんとは約束していた映画デートをした。ミュージカル風のコメディ洋画だったけれど、中身はさっぱり覚えていない。
 薄暗い中ペアシートに座ったたぁくんがキス魔になってしまって、指先や手の甲から頬、鼻、まぶた、額に頭に耳に唇、いろんなところへちゅっちゅちゅっちゅされてもう映画を見るどころではなかったのだ。
 たぁくんがここまでキス魔になってしまったのは、ペアシート周辺に他のお客がいなかったせいかもしれない。ひと前で何をするんだと動揺していたのははじめだけ、2時間の間、たっぷりめろめろの骨抜きにされてしまいました。不覚。

 その他にも、たぁくんのご近所の農家さんで満開になっていた梅の花や岩並家の桃の花を見に行ったり、雛祭りの時に薔薇を譲ってくれた花卉農家さんのビニールハウスを見学させてもらったりと、彼と一緒に春の花を満喫した。

 そうして桜も満開になった今日、私たちは入学式を迎える。
 保護者は集合時間が新入生とずいぶん違うため、今回は別行動だ。

 早めに行ったはずなのに、たぁくんはすでに駅前で待っていてくれた。
 余計なものをそぎ落としボタンすらない黒い学ランの、禁欲的な雰囲気が実直な彼によく似合う。キス魔なのに。
 整った精悍な顔立ちや、大柄ながら運動でしぼられた逆三角形の上半身、長い手足が、凛々しい中に色気をはらんでひとの視線を釘付けにする。

 ただでさえイケメンなのに、制服で2割増しどころか3割増しのブーストかけたらもう向かうところ敵なしである。
 私なんか髪を短くしたせいで、ベレー帽の位置を間違うとカッパになっちゃうというのに。
 イケメンずるい。

「おはよう、たぁくん!」
「おはようイコ」

 彼の紅茶色の目は例によって、はちみつのとろけた甘い眼差しをこちらへ向けてくる。嬉しさを隠さず舌にのせ、手の甲で私の頬をなでる。
 ああもう。
 朝から甘々すぎてどうしよう。大事な初日なのに頭が回らなくなりそうだ。

 たぁくんの色気に当てられつつ改札を通り抜け、ホームで手をつなぎながら電車を待つ。これが毎朝のことになるのかと思えば、むずむずと幸福で、くすぐったくて顔がゆるんでしまう。

 予定より何本か早めの電車はすいていて、ふたり並んで座ることができた。
 座席に座ってひと息つけば、考えるのはクラスのこと。

「ああ……。選抜2組とか気が重すぎる、1組になりたいひとと進学クラスに落ちたくないひとでギスギスしてたらどうしよう怖いよう」
「まだそうと限った訳じゃないだろう」
「私なんかきっと崖の先っぽに指一本で引っかかってるような成績なのに、選抜クラスでやっていくとか無理ゲーではなかろうか、がんばってなんとかなるものなのですか怖い、ぼっち怖い」
「大丈夫だイコ」

 がんばってみる、とたぁくんと約束したものの怖いものは怖いのだ。不安のあまりかくかくと縦揺れし始めた私の頬を、彼は手の甲で優しくなで、甘く目を細める。

「イコはいい子だから大丈夫だ。もしイコの良さがわからない奴ばかりだとしたら、そんな人間たちを大事にしてやることなんかない。無視して休み時間は1組で過ごせばいい。俺はいつでも待ってる」
「たぁくんそれ恋は盲目とかいいませんかね」
「塾の最後の日、イコと普段親しくしていなかった女子たちも、イコと別れを惜しんでくれたろう? 一緒に過ごしてイコがいい子だってわかっていたからだ。塾で嫌な思いをさせられたりしなかっただろう」
「うん……」

 たぁくんの言うとおり、塾の最終日、あまり話したこともない女子たちが別れを惜しんでくれた。巻添さんなんて、ふくよかなお胸に私をぎゅうっと抱きしめてくれたのだ。「もうほんとごちそうさま!」なんて言ってたけどなんのことだろう。

「イコがちゃんとわかるまで、俺は何度でもイコが好きだって言うぞ」
「えっ」
「小さくてか弱い体で一生懸命がんばっているところがけなげだ。世の中の面白いことや変わったところを見つけ出して楽しむ感性がすごいと思う。相手の言葉を素直に信じられる真っ直ぐなところや、変に格好付けたりしないところも好きだ。自分へ甘くすることに罪悪感を感じるストイックな部分は、真面目さのせいだと思うけど、ちょっと心配になる」

 淡々と、その静かな低い声で口にしてから、彼は私をのぞき込む。

「もっと言おうか?」
「いえ! もう十分ですお腹いっぱい!」

 褒めちぎられて恥ずかしくて顔が熱い。そんな私の顔をまたなでて、彼は笑いながら手を降ろした。

 たぁくん。そんなに私、いい子なのかな。褒めすぎじゃない?
 自分じゃそんなの、わかんないよ……。


 ◇


 学舎の最寄り駅へ降りれば、時間が早いためそれほど混雑していなかった。改札を出て、階段とは反対方向のエレベーターへふたりで向かう。出口まで遠回りになるせいか、エレベーター付近まで行くとひと気が全くなくなった。

 学舎が近づくにつれやっぱり緊張してきて、どうしても口数が減ってしまう。たぁくんはそんな私を先にエレベーターへ乗り込ませ、自分はあとから乗って『閉』のボタンを押した。そうして、すぐ後ろにいる私を振り返る。

 たぁくんそれじゃ動かない。行き先ボタン、『地上』ボタンを押さないとエレベーターは動きはじめないのだ。ボタン忘れてるよ、と口にしようとしたとき、たぁくんは私の頭近くの壁へ、とん、と指先をついた。
 どうしたんだろうと顔をあげると同時、思い切りかがんだ彼に、柔らかい唇で唇を塞がれる。

 びっくりしたのは一瞬。
 触れ合うだけの優しい、甘いくちづけに頭が真っ白になる。

 彼は唇を離し身を起こすと、私の側にある車椅子のひとが操作しやすい、低いところにあるボタンへ手を伸ばして『地上』を押した。エレベーターがゆっくり動き始める。

「たぁ、くん……?」
「緊張、ほぐれたか?」

 至近距離で優しくささやかれ、一気にかっと血がのぼる。ええ吹っ飛びましたよ吹っ飛びました、緊張なんて吹っ飛びましたよ! びっくりして!
 これ、これって、身長差ありすぎてすぐに気付かなかったけど『壁ドン』だ!

「きッ」
「き?」
「緊張はほぐれたけど、別な理由で心臓がばくばくしてるー!」
「そうか」

 チン、とベルが鳴ってドアが開いた。彼は外の方を向いて歩き出し、顔だけこちらを振り返っていたずらっぽく言う。

「一緒の時くらい、頭の中は俺のことでいっぱいにしておいてくれ」
「こッ」
「こ?」
「このっ、たぁくんのナチュラルボーンタラシッ!」

 うっかり油断していると、こんなふうに彼にすぐめろめろにされてしまうのだ。

 ああもう。
 たぁくんが、大好き。

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