トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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5章

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 途端に立ち上るぞくぞくとした感覚は、悪寒か、劣情か――。
 ぶるりと震える志貴にほくそ笑みながら、男が強く命じてくる。

「これまで紳士的過ぎたか? ――二度と俺の心を疑うな」

 傲慢で身勝手な言い草に、カッと頭に血が上った。

「誰が紳士だ、疑うのも信じるのも私の勝手だ。私のことは私が決める」
「『誠の恋をするものは、みな一目で恋をする』――そう言えば、信じられるか」

 男が繰り出した言葉――親しんだ台詞に、一種抵抗の手が弱まる。

「何を、言って…」
「一目惚れなんて、安直過ぎて信じてなかったんだがな。さすがにあの天気の悪い国の戯曲家だ、部屋に閉じこもって人生の深淵を覗き込む時間も長かったんだろう。――志貴が俺の『誠の恋』の相手だとわかった、あの初めて会った日に」

 『お気に召すまま』を引用して、男が狂おしく胸の内を曝け出す。
 その熱い言葉と、押し付けられた熱い体に混乱する。これではまるで、テオバルドは本当に恋に落ちているようではないか――標的にしている一等書記官ではなく、矢嶋志貴という人間に。

「確かにあんたを懐柔できればフェデリコは安心するだろうが、奴の安心なんぞ何の腹の足しにもならない。むしろ腹を壊しそうだ。俺はあんたの愛で満たされたいし、俺であんたを満たしたい」
「早急に諦めるんだな。親愛なるシェイクスピアも、君にとっては、私を陥れるための道具の一つに過ぎないのだろう。どんな名台詞もまったく響かない」
「……意外なところを根に持ってるな」

 早まる鼓動に気づかれないように口早に返したが、自身の言葉にはっとする。
 ストラトフォード=アポン=エイヴォンに足を運ぶほどの演劇好きであっても、人を陥れるのにシェイクスピアを利用することもためらわない男だ。触れ合う体の熱は本物でも、この男の言葉は恣意に溢れた借り物だ。
 信じろという方が無理な話だ。

「前にも言った。あんたが煽らない限り、俺は本気で口説かないと。今のは、理性を引きちぎるほど愛おしいことをした志貴が悪い。強靭な俺の忍耐力にも限界はある。あんまり調子に乗らないことだ」
「どうして被害者が責められなければならないんだっ」
「見解の相違だな。俺にしてみれば、あんたはいつだって加害者だ、志貴」

 言うに事欠いて、自らの欲望の捌け口にした相手を加害者呼ばわりするとは――。
 呆れ果てて開いた口が塞がらない志貴が絶句しているのをいいことに、図々しいラテン男は素早く鼻の頭に口づけると、名残惜しそうに腕の中の体を解放した。

「頼むから大人しく、お行儀よくしててくれ。志貴が可愛く拗ねたり笑ったりするたびに跳ね上がる、俺の心臓をぜひとも哀れだと労ってくれ。俺を生かすも殺すも、全部あんた次第なんだ」

 あくまで自分は従順な飼い犬だと言い張る駄犬は、その手綱を無理矢理志貴に握らせてくる。しかしその手綱で縛られるのは、志貴の方なのだ。
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