この恋は始まらない

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第75.1話・その紅茶は、秋詰みのように。

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前回のこの恋。
なんやかんやあり。
我々人類は、決して生み出してはならぬ化物を、野に解き放ってしまった。
人間とは、社会のルールを与え、秩序正しく生きている間は協調性が高い知的生命体だが、社会という柵を外して自由にさせると化物になる。
理性とは人間である証だ。
この作品では、愛の怪物をママと称している。
そうして一人、化物が生まれたのだ。

高校三年生のクラスにママがいるのがおかしいやろ。
いや、今の時代なら、あるあるやわ。
麗奈は、周りの女子達から石を投げられていた。
理解の範囲を越えた化物だからって苛めるな。
ヒロインレースに不正行為をした犯罪者やけんなぁ。
王道ラブコメでチート行為しやがって。
恋愛小説の正統派ヒロインだけど、みんながやらない方法で主人公にアプローチしてチート無双する件。
やらないんじゃなくて、やれないんだよ。
恥を知れ、恥を。
お前の場合は、正統派ヒロインじゃなく、性統派ヒロインだろうが。
女の敵は女だ。
「ひいぃぃん」

王道ラブコメで石投げすんな。
石投げという名の、言葉責めの糾弾行為に男子は引いていた。
麗奈が怒られるのは仕方ないが、やり過ぎでもあった。
男の子なら引くよね。
運動部の男子は、ハジメに聞く。
「東山、お前ならもっと穏便な方法で纏められたんじゃないか?」
「そうかもな」
俺は、ぶっきらぼうに返事をした。
続けて言う。
「でも、あの時はアレが最善だったんだよ。……俺だって必死だったしな。だから、誰も間違っていたなんて思わないし、言わないさ」
「そうか。好きな人がいるってのも大変なんだな」
大変か。
まあ、そうとも言えるな。

「大体はお前のせいだろがッ!!」

お前のせい。
まあ、そうとも言えるな。

8︰2で俺が悪い。
車の衝突事故かな?

「東山、メンタル強すぎ」
メンタルが強いわけではないさ。
ただ、後悔していないだけだ。
秋月さんが何であれ、俺にとっては家族だから。
一人の人生に比べたら、俺への罵倒くらい何てことないさ。
アメリカに行っても、絶対に迎えに行っただろうが、俺からしたら好きな人とは一日だけであっても離れたくはない。
それほどに愛していた。
だから、後悔はしていない。
だが、みんなからの好感度が想定以上に下がっていた気がした。
流石に、クラスの良心である黒川さんや田中さんにまで、白い目で見られていると、心が堪えられる気がしなかった。
ふむ。
どうしたものかな。

「何か案でもあるのか?」
「フッ、何もない」
「東山って、そういうやつだったよな……」


みんな、麗奈を見詰めていた。
「あれ、何で私が正座しているの?」
正座する麗奈を見て、よんいち組が見下していた。
萌花だけは冷静だった。
「分かっているよな?」
「萌花、怒ってるよね??」
キレた萌花の恐ろしさを知る麗奈は、狼狽えていた。
「別にもえは怒ってない。だが、ふゆとれーなはどうかな?」
親友がこの世で最もアホな女である。
それを知っていた萌花は、風夏や冬華ほど怒っていなかった。
呆れていた。
というか、馬鹿過ぎて哀れんでいた。
同じ女だと思えない。
いや、同じ人類なのかすら怪しい。

麗奈は、一番きつい罰を受ける。
「わ~ん。私のたまごクラブひよこクラブこっこクラブ」
ベネッセに土下座しろ。
風夏と冬華により、赤ちゃん雑誌を取り上げられていた。
姑獲鳥か、こいつ。
赤ちゃんほしほしヒロイン。
エロゲ界の主人公一途系ヒロイン。
ラブコメ界のルールブレイカー。
やめろ、短期間でどんだけあだ名を増やすのだ。
「私の赤ちゃん~」
麗奈は泣きながら、取り上げられた、たまごクラブひよこクラブこっこクラブに手を伸ばす。
しかし、返してもらえるわけもない。
あと、サラッとトラウマレベルのセリフを吐くな。
みんなは、愛の怪物となった麗奈を正す。
「やめなさい! 赤ちゃん雑誌を見ても、赤ちゃんは出来ないでしょ!!」
「この人、想像妊娠くらい普通にしてそう……」
「お前、そんなことする暇があるなら、自分で金を稼げ。甘えんな」
「秋月さん、頼みますから、学校だけでは世間体とか気にしてください」
みんなから、タコ殴りである。
麗奈は反論する。
「みんな違うわ。愛より偉大なものはないわ!」
しぶといな、こいつ。
愛の前では、全てが小事。
女の幸せはどこまでいっても結婚だ。
好きな人と結婚して、幸せな家庭を築き、家族になり新しい命が生まれる。
そう、赤ちゃんだ。
たまごクラブひよこクラブこっこクラブ。
だから、ベネッセに謝れ。
「幸せのスパイラルじゃねぇか……」
麗奈には、ちゃんとしなさいと正したはずなのに、繰り返していた。
発作かよ。
麗奈ほどの可愛い女の子に迫られて嬉しくない男の子はいないが、こいつはやばい。
麗奈の目が座っていた。
深淵を覗いているような感覚である。
東山くん、こいつのどこが好きなの?
みんなは思っていた。
よんいち組の面々。
小日向さんや、白鷺さん。
子守さんは真面目な人だし、そもそも問題行動を起こしたことがない。
美人が故に、居るだけで存在感があるから目立つことは多いが、麗奈みたくゼクシィ持ってきたり、たまごクラブひよこクラブこっこクラブ持ってきたりしない。
学校にお湯ポットや、コーヒーメーカー。
カップラーメンなどを持ってくる馬鹿共と変わらない。
いや、全然違うよ。
狂気だよ。
萌花は、呆れながら麗奈に言う。
「そういうのは、十八歳になってから……。いや、二十歳になってからにしろよ」
「だって、制服が着れる間に色々したいでしょ」
……うん??
制服姿で色々したい??
萌花は、真顔で殴り飛ばした。
ああ、彼女の話を詳しく聞くと、制服デートをしたり、学生気分で恋愛が楽しめるのは今年で最後。
だからこそ、麗奈は悔いが残らないように学生のうちに色々やりたいらしい。
「えっ……、何で殴ったの??」
「いや、大切な部分に主語を付けないお前が悪い」
顔面殴るのは違くない?
女の子の顔に傷でも付いたら、結婚出来なくなる。
うん。
でも大丈夫よ。
私には東山くんがいるから~。
東山くんになら、顔に傷があっても気にしないわ。
逆に、傷物にされたい~。
サラッとDV化すんな。
メンタルが化物で草。
誰がコレを止められるんだよ。
ヒロインが暴走するにしても、限度があるだろうが。
如何にこの作品がぶっ飛んだ物語であっても、起承転結があり、志があり、作者にはそれを扱えるくらいの教養があるのだ。
ふざけんな、どれもないじゃないか。
好きな人に対して、そんな態度を取れるのは、神経が図太い麗奈だけだ。
まるで昆虫かよ。
常識人である風夏や冬華は、何だかんだでハジメちゃんには気を遣うから、麗奈の真似など出来ない。
麗奈と同じくらいハジメのことが好きだとはいえ、あくまで常識の範囲内での行動しか取れない。
家族と別れ、何も失うことがなくなった屋根裏のゴミとは違い、彼女達はファンへの期待を背負い、家名を背負い生きている。
自分自身の軽はずみな行動で、ハジメに迷惑が掛かることだけは避けたい。
多分、ハジメはどれだけわがままを言っても優しく許してくれるが、言った自分はずっと後悔するだろう。
普通の人間だからだ。
どれだけ失態しても、クラスのみんなに囲まれ、正座して怒られるくらいで済む秋月麗奈は、幸せ者なのだ。
麗奈は、よんいち組の他の子を羨んでいたが、彼女達も麗奈が羨ましかった。
どれだけ美人であり勉強が出来ても、人に愛されることは難しい。
怒られても嫌われない。
それでも大切な思い出になるほどの関係とは、簡単にはいかないものだ。
大切な人。
愛とは、どれだけ望み、努力をしても手に入らない。

品行方正で、美しく、クラスの顔である。
如何に美人な女の子だって、悩みは抱えているものだ。
誰よりも真面目で、ちゃんとして生きることが評価対象になる人間からしたら、生き方が適当で、どれだけ失敗しても愛されている人間の方が羨ましいのだ。

麗奈は、よんいち組の中では最下位の評価だ。
彼女自身もそう認識していたが、それが一概に悪いというわけでもない。
それ故に、好き勝手出来るのだ。
ハジメもまた、麗奈のそういう部分を許容していた。
秋月さんだから仕方がない。
そう言って、大抵のことは流すだろう。
まるで母親や妹のように許すだろう。
だが、それが風夏や冬華だった場合、怒りはしないが心配するだろう。
ちゃんとしなさいと、その甘えを正すかも知れない。
または、仕事のし過ぎか、精神的な負担が掛かっていると思い心配するはずだ。
麗奈とは違い、家族ではない。
全てを許されているわけではない。
好きな人は同じであっても、全てが同じというわけではなかった。
同じ人を好きになって、同じ表情をするのならば、よんいち組だって嫉妬などしない。

風夏は、麗奈の肩を掴む。
「麗奈?」
握力ゴリラだ。
嫉妬から、親友の肩を潰す。
「いだだだだ」
風夏ちゃんだって怒ることはある。
太陽に笑い、天使みたいな女の子でも、怒ったりはするのだ。
それは、秋月麗奈がふざけている時だ。
みんなの前では全く怒ったことがないからか、風夏ちゃんが怒ったのを初めて見た。
微笑んでいたが、冷ややかな目をしていた。
世界一怖い読者モデルだ。
ガチもんの激怒である。
あの風夏ちゃんが怒るとか、一生に一度あるかないかだ。
誰かが止めなければ、如何に秋月麗奈とはいえど、カタログスペック的にも風夏ちゃんには勝てない。
同じヒロインであっても性能差が大きい。
現実は非情である。
ぶりっ子では、本気になったヒロインに勝てるわけがないのだ。
インドマグロと日本マグロくらい違う。
流石に見兼ねたのか、白鷺冬華はもう片方の肩を掴み、事態を治めようとしていた。
「風夏は優しいからな。しかし、私は風夏ほど優しくないぞ?」
もう片方の肩もやられた。
肩甲骨クラッシャー白鳥冬華だ。
「ぎゃあ」
愛を知った天使は、両肩を粉砕される。
美しき両翼を失った。
それもう堕天使やんけえ。
いいぞ、もっとやれ。
前回までの物語のせいで崩れたよんいち組のパワーバランスをここで取り戻すのだ。

二人に追い詰められる。
風夏と冬華に勝てるわけがない。
「萌花助けてよ!」
「私がお前を助けて、なんの得がある?」
「ほんまぁぁぁ」
利益がないとしても、マジレスすんな。
親友って何なんだろう。
麗奈は家族だけでなく、親友まで失う。
全ての人に見捨てられていた。
私が何でこんな目に合わなければならないのか。
「いや、残当だろ……」
ほんま。
こんな茶番に付き合わされている他の女子達は思うのだった。
色々思ったが、東山くんって聖人なんじゃないの?
短期間でこんなに色々ありつつも、さほど気にした素振りもなく受け入れていた。
本人は、秋月さんが幸せならそれでいいというスタンスで構えているから、あの人は殴り飛ばしにくい。
覚悟を決めた主人公と、予防注射前の小さな子は煽りにくいのだった。
そもそも、たまごクラブひよこクラブこっこクラブ持ち出している人間の方がより邪悪な存在過ぎて、ハジメちゃんを批難するのはお門違いというか……。
あれを一年以上、普通の女の子として抑え付けてきたハジメに、死ねというのは可哀想だった。
ハジメちゃんを貶すことは、萌花ちゃんしか出来ない。
……作者は。
頑張って抑え付けてきた作者は?
俺のことは褒めてよ。
作者は死ね。
お前が始めた物語だろ。


一方その頃。
ハジメ達は、ブチ切れたクラスの女子に絡まれたくないので、お菓子を食べながら傍観していた。
男子達に紛れて。
中野ひふみ。
「何でワイは、こちら側にいるんや??」
女子だけで話し合っているのに、自然とひふみはハブかれていた。
コンプライアンスって知っている?
女子だけの秘密話だよと言っていたのに、普通に話すような馬鹿を混ぜてくれるわけがない。
このクラスの性別は、男子女子、中野に、東山ハジメだ。
馬鹿共を加えて、大切な話をするわけにはいかなかった。
「中野、くまさんグミ食べるか?」
クラスの男子は、何でか、ひふみに優しかった。
同じ女子として扱われていないのは、常日頃の行いを加味すれば正当な扱いだったが、それでも流石に可哀想だったのだ。
教室。
うまっー!!
みんなで食べるくまさんグミは美味しい。


後日。
学校の授業が終わった放課後。
教室では、メイド喫茶用の接客を教わっていた。
メイド喫茶・シルフィードのメイドさんであるダージリンさんは、接客や紅茶の淹れ方を教えてくれるために学校にやってきてくれた。
シルフィードのメイド服。
選ばれたメイドしか着れない正装。
ダージリンさんは、百七十センチ超えの高い身長。
流れるような黒い長髪。
とても整った大人の顔立ち。
凛とした視線。
誰がどう見ても一流のメイドさんであった。
メイド服ガンギメクソ野郎は、小声で話す。
「ダージリンさん、ダージリンさん。何でメイド服なんですか」
「メイド長が、メイド服を着ていけと言いましたが?」
「あの人が前回に来た時は、私服でしたけど……」
は?
ダージリンさんは、メイドさんに嵌められていた。
悪い大人である。
ダージリンさんは、秋葉原からメイド服のまま、JR中央線を通ってやってきた。
日頃からメイド服を着過ぎていて、自分がメイド服で街中を歩いても違和感を感じていなかったが、それはもう異常なのである。
ダージリンさんは何も悪くない。
なんなら、彼女とすれ違う男性は、綺麗なメイドさんを見れて幸せだったし、車を運転していた男性はダージリンさんに見惚れてしまい電柱にぶつかり車を大破したが、その後に修理会社の店員さんと運命的な恋に落ち、結婚した。
ダージリンさんのメイド服は、この世界に幸せしか生み出さなかったのだ。
メイド服を着た女神である。
悪いことなどない。
本人が嫌がっていること以外は。
そして、ダージリンさんという、メイドさんの綺麗さを初めて知ったクラスメートは、シルフィードの凄さを自覚したのだ。
こんな凄いお店から、私達は可愛いメイド服と最高級品の茶葉を提供してもらっている。
自分達より優秀な大人達が、高校生の文化祭だと馬鹿にせず、本気になってくれていた。
たった二日だけの文化祭に、かける情熱は計り知れない。
それと反比例し、ハジメの異常さが際立つのだった。
どうやってこんな凄い人に、話を着けてきたのだろうか。
誰よりも情熱を持った馬鹿に、主導権を握らせるのはやばい。
ダージリンさんは、口を開く。
「あまり時間もありませんし、話を進めましょう」
ダージリンは、男子には紅茶の淹れ方。女子には接客を端的に教えてくれた。
彼女の性格的に、口を開いて他人に何かを教えるのは向いていなかったが、メイドさんとしての所作に関しては完璧だった。
長年に渡り、染み付いた技術。
みんなにそれを見せ、真似させるだけでいい。
紅茶を美味しく淹れる所作だけでさえ、彼女は数百と繰り返してきた。
そこには一切の無駄などない。
意識せずとて、完璧な動きをしていた。
ダージリンは、付け加える。
「紅茶の葉を開き蒸らすことで、紅茶本来の香りと味がより深くなります。蒸らす時の匙加減は、使う品種により異なりますが、細かな違いは私よりも佐藤様の方が詳しいので、お聞きしながら練習してください」
ダージリンさんは、佐藤を立てながら説明をする。
元々、紅茶に関しては佐藤の一任で進めていた。
提供する茶葉を選んだのも彼であり、味も淹れ方も熟知している。
彼に教われば大体は解決する。
わざわざダージリンが淹れ方を教える必要さえない。
だが、人間には世間体が必要なのだ。
社会人であるダージリンが認めているという事実がある方が、これから先の仕事が上手く回せると考えたのである。
メイド喫茶のプロが淹れる紅茶と、佐藤が淹れる紅茶の味が同じであれば、それだけでクラスメートは信頼してくれるわけだ。
ダージリンさんは、その手の空気を読む能力に優れていた。
中間管理職は大変なのだ。
大人の理由はさておき。
ダージリンさんの紅茶を淹れる美しい所作を見れるだけで、かなりの勉強になる。
背筋を伸ばし、流れるように紅茶を淹れる無駄がない動きは、メイドと呼ぶに相応しい。
給仕をする姿は様になる。
シルフィードから彼女を派遣した理由がよく分かるものだ。
ダージリンさんの冷たい凛とした表情と姿勢は、少しばかし心の距離を感じさせるが、彼女が淹れた紅茶を飲むと優しい人なのだと知れる。
これだよこれ。
メイド喫茶は、こういうのでいいのだ。
メイドさんのあるべき姿だ。
陰に生きる人でいい。
メイド服を着た人間は、みんな頭がおかしくぶっ飛んでいる人達だったから忘れていたが、本来のメイドとは慎ましい女性を指す言葉なのだ。
我々が知る、メイド服を着た女性は、第三回メガニケ杯で尻相撲したり、明鏡止水を修得する為にギアナ高地で修行したりしないのだ。
リゼ
アナザーカラーver.gold
意味わかんねえよって思っていても、全部事実だから受け入れるしかない。
あれでも、メイド界隈では名の知れた存在だから性質が悪い。
そんな、メイド界隈の酷さを払拭する存在。
一般人としての良心を持つ、ダージリンさんの出番である。
無口のクーデレ属性のメイドさん。
いや、本人はデレてないが、真のメイド好きは、紅茶の美味しさで彼女のデレを感じるのだった。

ハジメは、深く同意をし、頷く。
「ダージリンさんのよさを理解出来るようになって、初めてご主人様と言えるな」
ダージリンさんは、いつもクールだがそれでいて完璧な給仕をしてくれるから、落ち着いて紅茶が飲める。
詩を嗜みながらゆっくりとティータイムをする。
リピートしたくなるよさなのだ。
「お前が一番、界隈を汚しているんじゃねえのかよ」
お前、どんだけ通ってんだよ。
お前はコーヒーしか飲まないだろう。
あと、お前の専属メイドはリゼさんだろうが。
大切にしろよ。
「うるせぇ! 俺は、ダージリンさんが良いんだよ。いつも周りがうるさいんだから、ダージリンさんみたいな静かな女性に癒やされたいの!!」
自分の彼女を否定するな。
いつもうるさいのではなく、ハジメのことが好きだから、好きな人に積極的に話し掛けているのだ。
それを見て、可愛い彼女とは思わないのか。
「四人いたら、四倍うるさいの! 四等分の花嫁じゃないの!!」
四股を舐めんな。
女など、一人だけでも面倒臭いのだ。
漫画やアニメの世界ではあるまいし。
現実の女の子は図々しいし、自分の意思を曲げないし、暇な時には相手にしてくれないのに、忙しい時に連絡をしてくる。
スマホを手放し、静かにコーヒーを飲みながら、漫画やゲームをする時間もない。
毎日が忙しい。
それが四人だ。
相手にしていたら、喜びも悲しみも四倍だ。
ハジメは、誰よりも苦労しているのだ。

てめえからの愛も四倍だろうが……。
苦労しているのは、こちらの方だ。
ハジメは、嫌われないように遠慮がちだった昔とは違い、最近は開き直り過ぎて、彼女への愛の出力が異常過ぎるんだよ。
受け継がれた愛。
ママ譲りの愛よ~。
血継限界かよ。
……ハジメは、好きなのを全く隠さない。
ただでさえ、四人も彼女がいるのだから、一人頭の時間はそんなに取れないのだ。
世界は何故、一日二十四時間しかないのか。
時間が足りな過ぎる。
悔しいが世界の理は変えられない。
なら、愛情くらいは人一倍与えてあげたい。
四等分にしろや。
ハジメママ由来の愛だから、一撃が重いのだ。
愛は世界を救う。
愛を物理攻撃に加算するスキル持ちかよ。
ハジメに引いていた。
しかも、なにサラッと両親とも仲良くしているんだよ。
愛の障害がない。
それはいいことなのだが、障害が無さすぎてやばいのだ。
四股クソ野郎だけれども、我々のことを愛している。
ハジメの性格がこれだから、周りの人間は仕方なく納得してくれているのもあり、恋愛要素には山も谷もない。
平凡な日常。
ラブコメとしては、逆境を乗り越えて、絆を深くした方がいいのではないか。
ハジメはキレる。
「ラブコメに、鬱要素は不要!!」
拳を握り締め、否定していた。
恋愛なのに、人の不幸話を聞いて何が楽しいのだ。
俺達だって頑張って生きているのだ。
人は誰しも幸せでありたい。
望んで不幸になんてなりたくない。
その分の時間を幸せに回し、イチャイチャしていた方がいい。
いや、それは違う。
彼女がいるなら、毎日が幸せや!
愛した人の為ならば、炎の中でも突き進める。
炎涼しい~。
学校でイカれた愛を語るな。
麗奈がぶっ壊れているのは、お前の責任でもあるんだよ。
東山家の血を舐めていた。

ハジメ、やめるんだ。
何も知らないダージリンさんにイカれた姿を見せてどうするのだ。
お前が好きなメイドさんに嫌われてしまうぞ。
「いえ、存じておりますので」
フォロワー数十万人が存じております。
東山ハジメ。
彼の奇行は、今に始まったことではない。
世界の恥晒し。
歩く風評被害。
読者モデルのイメージ粉砕器。
プラゴミ。
可愛い彼女全員にメイド服を着せたいから、四股している。
純愛(メイド属性)。
自分の部屋にメイド服を飾っている精神異常者。
駅前で、彼女と別れたくなくてずっと足にしがみついて引き摺られていた。
犬系男子。
渋谷の忠犬ハジ公。
お前のことは、全部ネットに上がっているのだぞ。
SNS情報社会を舐めんな。
ハジメはそれを聞き、眉一つ動かさず冷静に答える。
「俺は何もやっていない」
全部、事実だろうが。
なにサラッと否定しているんだよ。
他の女遊びしている男性モデルより、クズエピソードが多過ぎなんだよ。
毎日のように、SNSを炎上させるな。
クラスメート全員を引かせていた。

革命とは、破壊と創造だ。
ラブコメなのに変化を恐れ、ただ同じことの繰り返し。
ジャンルが活性化せずに停滞していたら、いつかは恋愛文学そのものが廃れて消えていく。
だから、色々なことに挑戦していく。
それは重要だ。
主人公に極振りすんなよ。
可愛い女の子を映せ。
クラスの女子が見たいのだ。
お前のイカれたエピソードなんて聞きとうないわ。
我々男子は、可愛い女の子が可愛いだけの物語。
まんがタイムきららを望んでいるのだ。
可愛い女の子だけを見ていたい。
「やめろ、そんなことをしたら、お前らまで消えるぞ。それでもいいのか?」
きらら時空に創り変える。
その中では、男は生きていられない。
俺達男は一人残らず死ぬだろう。
百合の世界において、男は咎人なのだ。
可愛い女の子同士が笑い合う、幸せな世界。
それを望んだとしても、俺達は可愛い女の子の姿は見られない。
いいんだ。
人類から消えてもいい。
可愛い女の子が静かに過ごしてくれたらそれでいい。


ふざけ過ぎ。
案の定、萌ちゃんに怒られる男子達であった。
変なことを言っている暇があったら、紅茶の淹れ方の勉強をしろ。
文化祭までの時間は少ないのだ。
こいつら、文化祭で最優秀賞を取りに行く人間の思考ではなかった。


男子はこのまま死んでいて構わない。
馬鹿は無視するとして、女子達はダージリンさんから引き続き接客を習っていた。
ダージリンさんの給仕や接客は、飲食店の接客と大して変わらないが、口調や仕草をメイドとして徹底していた。
コンセプトカフェといえばそれまでだが、メイドになりきって楽しむことが必要である。
結局、楽しんで給仕をしていれば、それが喜ばれるものであり、メイドらしく見えるのだ。
御主人様に仕える喜びを糧に頑張るのが可愛らしく見え、それを見るためにメイドが好きな人達はあしげなく通ってくれる。
……ダージリンさん喜んでいるの?
無である。
「いえ、私の顔はあまり変わりませんので」
表情筋が死んでいた。
ダージリンさん本人は、親切丁寧にみんなに教えてくれているが、楽しそうなのか分からない。
「シルフィードの代表という大役を任され、不安ですが楽しいものですね」
ででーん。
どこが??
なにそのテロップ。
無である。
無の中の無。
貴方のその表情と擬音が似つかわないのだ。
感覚が死んでいるのか。
黒川さんは言う。
「いやでも、西野さんよりマシ……」
マジかよ、やりがった。
親友を売り払いやがったッッ。
黒川さんのダークサイドが垣間見えるのであった。
しかしながら、黒川さんの言っていることは間違いではなく、ダージリンさんの性格やタイプは西野さんに似ている。
双方共に、美人であり無口であり、何が好きで人生を生きているか分からないところも似ている。
美少女ラブコメに出てくるキャラクターなのに、目にハイライトがない。
目も何か小さくてモブいやつだ。
この世界で命を授かった時から、惰性で生きている。
赤ちゃんの時に、ガラガラでまったく笑わないタイプだ。
……この人達、精子の競争でよく勝てたな。
受精する前に彼女達が敗北しなかったのは奇跡だろうか。
それくらい闘争心がない。
ボノボかな。
「そういえば、ダージリンさんは何でメイドさんを始めたんですか?」
明日香ちゃん、ナイス。
橘さんは、訳分からない話を上手く逸らしてくれた。
何度もシルフィードに通っているだけあり、ダージリンさんと打ち解けていた。
「私は、ずっと前にメイド長に拾われたのです。そう、それは数年前……」
彼女は、自分の過去を話してくれた。
ダージリンのように、表情からの意思疎通が難しく、無口のアルバイトを雇ってくれる奇特な人は早々いない。
しかし、メイド長であるリゼは、ダージリンの見た目に惚れたのだ。
女の子なんて、可愛ければ全然オッケー。

まるっとおまかせ。
シルフィード。

……数年前から、あの人の性格は変わらなかった。
これ誰も得をしない話??
世間では、美人なだけでは仕事は出来ないと否定するものだが、リゼはそれだけで十二分に価値があると言ってくれた。
無口ならば、クーデレってことにして、無理して話す必要はない。
そういうメイド属性を付けとけばいい。
必要以上話さない方向でキャラ付けしとけ。
秋葉原のメイド喫茶に来る御主人様なんて、典型的なオタクだ。
女の子とあんまり話したことがないはずだ。
童貞臭いオタクからしたら、メイドさんに話を振り、話題を提供するのは難しい。
その手の方々には、喋らない女の子の方が重宝されるだろう。
そう言ってくれたのだ。
メイドさん、なにもしない。
ででどん。
リゼの言い分は間違っていなかったが、ダージリンが努力をしていないわけではない。
彼女ほどの人間は、無口であろうとも、それ以外の仕事は卒なくこなす真人間であり、自分を偽れない人である。
それは、淹れてくれた紅茶の味で理解出来る。
大人からしたら、高校生の目線で教えるのでさえ、かなり難しいのに、嫌がることなく努力をしていた。
年下の高校生とはいえ、他人の悪意は感じ取れる。
人としての道理が通っていない者は、瞬時に分かるものだ。
高校生だろうが、対等に接してくれる。
ダージリンが慕われるのは、彼女の人徳故だ。
「……メイド喫茶で働き始めた理由は大したものではありません。しかし、それでもいいと言ってくれる人がいるから続けられたと言ったところでしょうか?」
大人~。
クラスの女子達は感心していた。
理由は何であれ、大切な場所ならば誰しもその場所を守りたいと思うのは当然だ。
ダージリンは、その為に頑張っている。

その人を尊敬しているのですね。
誰かがそう聞いてきた。
「えっ、いえ……」
尊敬。
メイド長とは、対極の存在である。
あの人は、可愛い後輩を騙して、メイド服を着せて秋葉原から電車経由で高校まで行かせる畜生だ。
今こうしてメイド服を着ているのだっておかしいのだ。
十七歳が集まる羊の群れに、二十○歳がメイド服を着て放り込まれていた。
尊敬など出来るわけがない。
リゼは、イカれた人だが、脳みそ以外は優秀だから、まるで駄目というわけではない。
「うちのれーなと一緒だな」
もえちゃん?!
それは言い過ぎである。
十八禁と同じにしたら可哀想だ。
あいつ、ヒロインの座から降りねえかな。
それはみんな思っているかも。
秋月麗奈。
当の本人は、リゼと同じく頭以外は優秀なので、給仕の練習もそつなくこなすのであった。
流石は、紅茶の名を持つ女の子だ。
ギャル。
頭がな。
こんなやばいやつを表に出して紅茶を運ばせるのは嫌だったが、他のクラスへの面だけはいいのでメイド喫茶では稼ぎ頭だ。
最近ずっと、溢れ出る彼ピへの愛に脳がやられ、あへあへしているけど、まあ腐ってもよんいち組の一員だから、他クラスのみんなからの人気はある。
麗奈の得意なところは、みんなへの顔が広い。
本人は自分の性格が性悪だと思っているが、まあそれでも麗奈は他人の陰口を叩くタイプではないし、性格が悪いクズとはいえ、それは普通の女の子の思考だ。
他人は他人。
麗奈は、他人に対して明確な線引きをしていたから、発言一つで嫌われるような人間関係が発生しなかった。
それはそれで好かれるだろう。
他人はそう評価していたが。
麗奈は、ハジメ以外の人間に興味がないだけだった。
他のクラスの男子など、猿にしか見えない。

麗奈は思い出す。
「そういえば、文化祭でクラス委員をして最優秀賞を取った二人は、カップルになるんだって」
昔から伝わる初台高校のジンクスだ。
いや、そもそも去年取っているし、付き合っているし。
文化祭で、クラス委員をして最優秀賞取れるくらい頑張っている時点で、二人は相思相愛だからな?
あと、佐藤と橘さんも付き合っているからあまり関係ない。
みんな否定的であった。
「いいじゃない。文化祭だし、そういうので盛り上がりたいでしょ」
体育館の壇上で、みんなから拍手されながら金色のトロフィーをもらえるのだ。
去年のも合わせて、二つ取りたいと思う気持ちはみんな持っている。
ダージリンさんは、昔を思い出す。
「いいですね。私の文化祭では壇上でキスしていましたよ」
昔のテレビでは青春番組が多く、高校生はウェイウェイやっていたものだ。
その影響か、桜の木の下で告白したり、文化祭でキスする人もいた。
若気の至りであっても、それが青春だ。
学生時代のダージリンは無だったが。
それが羨ましいと思ったことくらいはある。

………………
…………
……
「明日香、最優秀賞取ったらキスしてや」
ひふみ、死ぬ気か。
隣りにいた橘明日香にそう投げかける。
「そんな理由でキスなんて出来ないわよ」
その場の学生のノリではなく、ロマンティックな雰囲気の中でキスをしたいのが乙女心だ。
橘さんはこう見えても女の子である。
クラスで一番奥手だった。
………………
…………
……
「……じゃあ、最優秀賞取ったらキスしてや」
話聞いてる??
グチグチ言ってんなや。
いいからキスくらいしろや。
ファーストキス如きで、高望みすんな。
佐藤だぞ。
紅茶しか興味ないあいつがするイベントなのだから、まあまあ雰囲気あるやろが。
橘さんは、それでも文句を言うのであった。

初台高校の文化祭の出し物は、一年から三年のクラス数と部活数を合わせるとかなりの数になる。
その中で一位を取り、彼女の為に頑張ってくれたなら、キスくらいしてやってもいいだろう。
橘明日香は否定的だが、佐藤は十分に頑張っている。
毎日毎晩紅茶の練習をしているし、紅茶の仕入れや、ティーカップも彼が用意してくれていた。
紅茶にしか興味がない馬鹿ではあるが、こと文化祭には欠かせない人員だ。
ひふみは、そんな人間の晴れ舞台を応援したいわけだ。
別に明日香のキスを見たいという気持ちもあったがな。
些細なことだ。

風夏は、今までの話を聞いて驚いていた。
「えっ、文化祭って、そんなジンクスあるの!?」
去年は??
桜の木の下で告白もされたいのに!!
いや、桜の木の下やキスは、他の学校にそういうジンクスがあるだけであり、ウチの高校にはないよ。

世界一可愛い読者モデル。
風夏ちゃんとしては、ウェイウェイしたいお年頃だ。
好きな人と、壇上でキスをする。
そんな運命的な恋愛をしたい。
世界一可愛いヒロインをしたいのだ。
それが嫌いな女の子などいないのだ。
好きな人に抱き締められてキスをする。
素敵だよ。
風夏ちゃんの言い分はごもっともだ。
う~ん。
しかし、もしもそうだったとしても。
相手があのアホだから、それは無理だと思うが。
クソ童貞野郎は、女の子が持つ乙女心などは察してくれないだろう。
だから童貞なのだ。
あいつに男としてのやる気があったのなら、去年の文化祭で付き合っとるわ。
そう考えると、ハジメは一年経っても大して成長してない。
成長度Eだ。
「え~、やっぱりクラス委員になりたかった~」
風夏ちゃんは、嘆いていた。
「今から譲りましょうか?」
キスを逃れたいが故に、クラス委員を譲ろうとする橘さんである。
しかし、萌花からしたら、あんなやばいやつを文化祭という表舞台に出したくはなかった。
「あいつ、壇上に上げていい人間じゃないから、今年は佐藤と明日香でよかったんじゃね?」
「東っち、評価低すぎぃ!」
中野、煩すぎぃ。
今日くらいは静かにしてくれ。
主役はダージリンさんなのだ。
中野は、相変わらず自由過ぎるのだった。


ちなみに。
男子達は紅茶のポットに温度計を入れて計っていた。
「紅茶を淹れる温度は95℃」
「ヨシッ!」
温度、ヨシッ!
香り、ヨシッ!
旨味、ヨシッ!
現場猫かよ。
猫、多過ぎぃ。
男子も男子で、楽しそうに紅茶の温度を確認していた。
自分達だけ楽しくすんな。
死ねや。
女子達は、ダージリンさんがいる手前か、いつもなら罵倒していた苛つきを見事に隠していた。
紅茶の旨味を最大限に引き出すには、高温で淹れて、少し温度を冷まして提供すると一番いい味を楽しめる。
紅茶の味は、温度によって異なる。
味覚は温度に左右されやすいから、徹底した温度管理をしたい。
真剣に紅茶を淹れていた。
あいつら、馬鹿かよ。

こちとら、本気で最優秀賞を取りにいくんだよ。
橘さんのキス顔を見たいんや。
……死ね。
違う。
お客様に喜んでほしいのだ。
千円近い高い紅茶を出す以上、それ相応のものをお客様に提供するのがプロである。
文化祭とはいえど、理由を付けて手を抜くなど、生粋の日本人の俺達に出来るわけがあるまい。
飲み物を提供し、一円でも高いと思われたら、それは恥ずべきことである。
女子達が目を離した束の間。
男子達は、いつの間にか紅茶を淹れるプロになっていた。
訓練された兵士の顔をしている。
馬鹿が取り柄な男子だったが、カッコいいところもあった。
……いや、これは。
大人の女性。
綺麗なメイドさん。
ダージリンさんがこの場に居るからだろう。
美人が見ているだけで、場が引き締まる。
年上のお姉さんに好かれたい。
男子とは単純な生物だ。
クラスの男子達は、ダージリンさんに真面目なところを見せたいだけだった。
男子高校生は、大人の女性の魅力に弱いのである。
如何によんいち組や他の女の子達が美人や美少女だとしても、ダージリンさんが見せる大人の落ち着きと比べたら、ガキみたいに見えてくるものだ。
月下美人。
まるでそれは、月夜に咲く華の美しさだ。
白鷺冬華ほどの女性であっても、ダージリンさんの美しさに勝てるかは微妙なところである。
年齢は月日の積み重ねだ。
年下が敵うものなど、若さによる無謀さくらいであろう。
同じメイド服を着ていても、彼女のように美しくはなれない。
シルフィードのメイド服は、彼女にとって特別なものなのだ。

メイド服がよく似合う。
その姿を見ていると、メイドさんへの憧れと、私もああなりたいと思う。
去年と変わらぬ。
同じ文化祭でも、みんなの気持ちは違ってくる。
全ての者は、参加する側から、作り出す側に回っていたのだ。
去年の文化祭があったから。
仲良くなれた人。
好きになった人。
好きなものを見付けた人。
色々な人の助けを得て、より高みへと目指すことが出来る。
私達は幸せだ。
この学校で出逢えたものが多過ぎる。
最後の文化祭。
最高のかたちで、終わらせたい。
それが、我々を助けてくれた人達への恩返しである。
みんな、各々の気持ちと向き合い、頑張って努力をしていた。
ずっと前からメイド服を用意し。
数百種類から一番美味しい紅茶の茶葉を厳選し。
放課後に残ってでも接客を習い、教室全てを綺麗に装飾して。
真剣に紅茶を入れている。
何も知らない大人からしたら、無駄に思える努力だろう。
だが、大人になるには必要な努力だった。
大人になっても、あの時の思い出を振り返り、頑張ることが出来る。
二日だけのメイド喫茶。
だとしても、その価値は一生の思い出だ。
我々は、死ぬまでそれを抱き締め死んでいくのだろう。
今この瞬間は、それほど大切なものだった。
文化祭が近付くに連れて、気持ちが高鳴るのだった。


おまけ。
ハジメサイド。
日曜日の渋谷。
まるで関係ないのに、俺は渋谷の駅前に駆り出されていた。
ジュリねえ。
如月樹莉亜。
三十○歳の元モデル。
今となってはスカウトの仕事をしているが、年齢を重ねても衰えぬ美貌の持ち主だ。
行き交う人々は、誰もが彼女を見ていた。
我が尊敬すべき先輩であり、意気消沈している負け組だ。
「はぁ……」
ため息を吐く。
ずっと呪術廻戦に魂を引っ張られていた。
悟……。
いや、もう自分の心の中で決着を付けてほしいものだ。
ジュリねえは、ため息を吐きながら、駅前でスカウトの仕事をしていた。
「はぁ、テンション低過ぎて、ナンパとか出来ないわぁ」
「スカウトをナンパ言うな」
ほんま、この女は言葉を選んでくれ。
ヒヤヒヤするんだよ。
俺達が定期的にスカウトをするには理由がある。
俺達の事務所に在籍する読者モデルはかなり多いが、みんながみんな、モデルとして長続きするわけではない。
家庭の事情や、方針の違いから読者モデルからモデルになったり、アイドルになる人は多い。
ファッションとは、華々しい世界ではあるが、それだけ華が枯れるのも早いのだ。
人が多いからといえ、それに甘え、新しい人材発掘するのをやめるわけにはいかないのだ。
特に、高校卒業と同時に、結婚してモデルを卒業する人もいる。
……小日向は辞めないよな?
ふとそう思ってしまったが、首を横に振る。
読者モデルはあいつの天職だ。
小日向の性格からして、あれ以外の仕事が出来るとは到底思えない。
あいつが読者モデルを辞めると言ったら、首根っこ掴まえて戻してやるさ。
「あ~可愛い子いないかなぁ」
ジュリねえは、渋谷の駅前から出てくる女の子を見ながらそう言っていた。
いや、通り過ぎる女の子は、渋谷に来るだけあり、可愛い女の子ばかりだ。
しかし、俺達は一流の読者モデルを探しているのだ。
ただただ可愛い女の子じゃない。
女の子の皮を被った化物だ。
ネクスト小日向。
読者モデルの世界を蹂躙する暴君を探している。
新しい女の子を探すとなると、小日向風夏を越えるような存在感を持つ女の子じゃないといけない。
ジュリねえ達、スカウトする人間が見ているのは、顔とか見た目だけではない。
オーラや雰囲気。
カリスマ性も重要である。
今の女の子は、動画配信をする場合があるから、人気声優みたいな可愛い声である必要もある。
人間性も重要か。
胸だけで見たら、みんな小日向には勝っているんだが、ぶっ殺されるからそれはチェックポイントにしていない。
「あの子はどう?」
ジュリねえは、指差す。
ちまちま。
中学生じゃねぇかよ。
可愛いワンピース姿。
初めて渋谷にやってきたじゅじゅ女子や。
鞄にはキーホルダーを付けていた。
いやまあ、純粋無垢な感じは可愛いけれどさ。
中学生らしい地味めな洋服。
ダイヤの原石や。
この人、相手がじゅじゅ女子だから反応したんじゃないか?
いやでも、流石のジュリねえでもモデルとしての見る目はあるわけだし、猛禽類みたいな目をしていたからには真剣に取り組んでいるはずだ。
「呪術廻戦の成分が足りん。一緒に聖地巡りをしよう」
「……目的変わってんじゃねえかよ」
こうなってしまったからには、これ以上続けても収穫はないだろう。
仕事を切り上げて遊ぶのは構わないが、白鳥さんにバレたら怒られるのはジュリねえだからな。
「白鳥とか知らね」
帰ったら知ることになるんだよ。
覚えておけ。
その身を以てな。
ジュリねえは、中学生の女の子に近付く。
「ねぇ、お嬢様、私とお茶しないかい?」
「ふぁ」
ダッシュして、蹴りを入れる。
なにやってんだよ。
ナンパすんな、スカウトしろよ。
目を輝かせて、綺羅星を出すな。
中学生相手に不祥事を起こして捕まりたいのか。
中学生から育てれば立派な読者モデルになってくれるだろう。
いや、アンタが育てたら、承認欲求つよつよのやべーやつになるだけだろう。
俺のファンみたいな、人生の落伍者になるはずだ。
「自分のファンをそういうのは可哀想じゃない?」
「事実だからな」
「ハジメちゃんが育てる?」
「なお悪いわ!」
妹見てみろ。
土日ずっと家に居て、ファッション雑誌を見ながらゴロゴロしているぞ。
育て方、絶対に間違えたわ。
ジュリねえに任せると埒が明かないので、自分の名刺を取り出し、自己紹介をする。
彼女の名前は、有栖川アイちゃん。
どこにでもいるような、普通の中学生だ。
俺達みたいな渋谷のアンダーグラウンドで生きている人間とはまったく違う人種である。
可愛いかも知れないが、渋谷に遊びに来たり、読者モデルになるような人間ではない。
平和な世界に生きている。
人を殺したことのない表情だった。
そんな子を、読者モデルの世界に招き入れていいのか。
「呪術廻戦好きだし、ありやろ」
二人でユーチューブするのもつらくなってきたし、新しいメンバーを探していた。
漫画の話題が出来る人材は、それだけで有り難い。
なんでこいつは即戦力を求めているんだよ。
普通の家庭に生まれ、真っ直ぐに育った中学生を、あんな汚い配信に出すな。
ジュリねえを取り押さえる。
「馬鹿な大人がすみません。こいつは俺が抑えておくから、渋谷の聖地巡り楽しんできて」
「は、はい。ありがとうございます」
何に対してのありがとうございますなのかは分からなかったが、アイちゃんはスマホ片手に地図を開いて歩き出す。
とてとてとて。
アイちゃんは、どんどん渋谷のセンター街から離れていく。
渋谷の入口なのに、何で!?
遠ざかるのだ。
入ってよ。
「ちょっと待って?!」
俺とジュリねえは、アイちゃんを引き止める。

「わ、わたし方向音痴らしくて……」
だとしても、入口に入らないのはおかしくない??
目の前に109もTSUTAYAもあるのに、今さっきガン無視してたよね??
渋谷の人気スポットを目視確認したのに、何で行かないのよ。
ジュリねえは、険しい顔をして腕組みをしていた。
「……ハジメちゃん、これでアイちゃんが渋谷で迷子になったら、私達の責任だよな」
「まあ、そうっすね」
渋谷で一人の中学生が行方不明。
最後に彼女と話をしたのは、メイドガンギメのクソガキと、行き遅れの底辺元モデルのユチューバーだった。
何で、例え話で俺達二人で互いに互いを殴り合うの。
「私はまだ、行き遅れじゃない!」
いや、事実だから。
アンタ、三十○歳だぞ。


それはさておき。
しかし、日曜日の渋谷で、何も知らない中学生をこのまま放置するわけにはいかない。
日本の治安ならば、昼間から犯罪に遭遇することはないが、この子の場合は本当に迷子になってしまいそうだった。
アイちゃんをこのまま放置したら、何事もなかったとしても、関係者各位に怒られるだろう。
ファンや学校を巻き込み。
全ては俺の責任になり、大炎上だ。
ジュリねえはアホだ。
人としての責任能力が欠如している。
ずっと結婚出来なかった理由はそれであろうか。
確実に、俺が責任を取らされる立場になってしまう。
「……アイちゃん、もしよかったら俺達も聖地巡りをしたいから、一緒に回らないか?」
色々あり過ぎて、仕事する気持ちも吹き飛んでしまった。
まあ、アイちゃんを放っておけないし、付き合うのも悪くないだろう。
「え、これが、俗に言う。……な、ナンパってやつですかっ」
今更??
野郎と女性がかりで、中学生にナンパなんてしないだろうに。
渋谷だぞ。
あと、背が低い中学生をナンパしている高校三年生という絵面は、普通にきついっすわ。
俺はロリコンじゃない。
「お父さんが、可愛い女の子は渋谷に行くとナンパされるって言ってました。私って可愛いらしいので、これはナンパなんですよね?」
この娘も尖ってんな。
流石、この恋。
闇が深いクレイジーさを、たった数分で引き出してくる。
アイちゃんの真顔で言い切る度胸に、俺達は引いていた。
この時期に新キャラ追加を果たしただけあり、思考回路がぶっ飛んでいやがるぜ。
これほど図々しい性格をしていたら、逆に読者モデルの素質あるんじゃね?
ジュリねえは、小声で話す。
「自分のこと可愛いって言っているけどこの子大丈夫かな?」
「いや、世界一可愛いとかほざいている人間が身近にいるんで。あいつよりはマシですね」
「ヒュウ」
じゃねえよ。
お前も大概、自分のこと美人とか、めちゃくちゃモテるとか言ってんだからな。
超絶美人だったら、それ相応の立ち振る舞いをしろ。
俺は、何とかフォローをする。
「アイちゃんは、お父さんに愛されているんだね」
「わたしの名前は、アイドルみたいに可愛いからアイと名付けたらしいので……」
赤ちゃんの時から??
まさかのDQNネーム。
名前の由来が、愛ちゃんではなく、アイドルちゃん????
伏線回収をするのも早過ぎる。
「ヨアソビやんけぇ。やだぁ。この子、私よりキャラが濃いぃ~」
個性を取られたからって泣いてんじゃねえよ。
どこまでいっても、如月樹莉亜よりマシだからな。
何なんだよ、お前ェ。
変な名前してんじゃねえよ。
一人だけ、漫画みてえな印象深い名前付けてんなよ。
しかも、アンタだって四月から参加してきた新キャラなのに、メイン面するな。
どんだけ人の人生に関与すんだよ。
寄生虫めが。
俺が居なかったら、数回以上野垂れ死んでいたはずだ。
「ハジメちゃん、助けてよ。セカンドパートナーやんけぇ」
「中学生が居るって言ってんだろがッ!」
ユーチューブのことをセカンドパートナー言うな。
本来の意味は、あまりよろしくない言葉なのだ。
軽々しく使わないでくれ。
小さな子供も見ているかも知れないのだ。
こんな作品を、学生が見ていたら人生を疑うけどな。
セカンドパートナー。
私の人生を豊かにしてくれる人。
……金銭的な意味で、だろ。
ユーチューブの副収入で、豪遊しているのを知っているんだからな。
ハジメちゃんは、異性として好きな人ではないけど、優しくてオタ活に付き合ってくれるし、一緒に回ると楽しいし。
すまん、いい加減、一時間で疲れるのやめてや。
数時間、遊びに行って、休憩を三回も挟むのジュリねえだけだぞ。
「戦争な」
「休戦協定を結びます」
正面からジュリねえと戦って、まともに勝てるわけがない。
身体能力だけでみても、モデルなのだ。
平謝りをするしかない。
「しゃあない。コラボジュースくらい奢らせるつもりだったけど、領収証で落としてやるよ」
何でもかんでも事務所の経費で落とそうとするなよ。
まあ、コラボカフェに行ったり、聖地巡りをした動画を上げれば、使った分の経費は回収出来るが、領収証を切った後の事後報告だと白鳥さんがブチ切れる。
社会人になると、報連相は重要だ。
緑黄色社会だ。
今日一日は、元々スカウト目的で仕事をしているわけだから、予定が変わったことを白鳥さんに言っておいた方がいい。
しゃあない。
俺が白鳥さんに連絡をしておく。
動画用に仕事をすると言っておけば、怒られることはないだろう。
「アイちゃん、お姉さんが奢ってあげる」
「ありがとうございます」
アイちゃんは、目を輝かせていた。
渋谷には遊びに来たが、お小遣いが少なかったからか、コラボカフェに行くのは断念していた。
しかし、ジュリねえが出してくれるお金(事務所の金)により、コラボカフェの中に入って撮影したり、コースターがもらえる。
優しいお姉さん。
同じ作品が好きだから、私に優しくしてくれるのだろうか。
アイちゃんはそう思っているようだったが。
いや、それはない。
ジュリねえには人が持つような優しさなどない。
悪逆無道。
モデル界の邪神像だぞ。
芸歴が長い大人のモデルが、ジュリねえを見たら走って逃げ出す。
そんな人間が優しいわけがない。
それだけはないのだ。

ジュリねえからしたら、コラボカフェは三人で回った方が効率がいいと思っているだけだ。
俺は甘いものが嫌いだから、ドリンクを頼んでの手伝いは出来ない。
その点、中学生のアイちゃんならば
、俺達よりも食べ盛だから、フードメニューやドリンクメニューの注文数を稼げる。
そう考えているだけだ。
金を持っている大人ほど汚い生き物はいない。
この人は、自分の推しを自引きするまで、駄々こねるぞ。
推しは、交換じゃなくて自引きしたい。
そんなポリシーは知らんよ。
頭おかしいけど、黙っていれば美人だ。
何も知らないジュリねえは、口を閉ざし澄ました顔をしているが、ふざけんなよ。
「なんかようかい?」
「いえ」
まあ、このままぐだぐだ話していても仕方がないので、アイちゃんの周りたいルートで渋谷巡りをする。


それから数時間。
聖地巡りや、カフェに通い。
夕方になる前まで楽しんだ。
「また遊びに来ますね~」
駅前に戻り、アイちゃんと別れた。
一段落するまでの間。
……通算十回以上、アイちゃんは迷子になっていた。
何でなん??
三人で行動しているのに何で??
普通に真っ直ぐ歩いて目的地に行くまでが大変だったのだ。
何だか、妹の陽菜の幼いときを見ているようなヒヤヒヤさがあった。
幼稚園の時のな。

アイちゃんを改札まで見送り、手を振り終えた。
「ハジメちゃん。次来た時は、幼児用GPS付けとく?」
「いや、流石に中学生だし……」
幼稚園児オマモリーヨ。
俺だって、そんなもん中学生の鞄に付けたくはない。
アイちゃんだって、自分一人になり、見知らぬ場所に行ってしまったら電話をしてくれるだろう。
普通の場所で迷子になるくらいにクレイジーだが、一応、人間としての常識はあるからさ。
うん……。
まあ、迷子用アプリをスマホに入れておくくらいでいいんじゃないかな。
毎回渋谷に来て、迷子になられると困るからな。
そもそも、アイちゃんは事務所の人間じゃないから、正式に色々するのは契約してからになる。
「中学生に、如何わしいことをしているみたいだな」
「あんただけだよ」
こちらは、男として普通に心配しているのだ。
俺を巻き込むな。
ジュリねえは、アイちゃんに読者モデルをやって欲しいと思っているのか、事務所に立ち寄り、楽しい仕事場だと案内したり、パンフレットまで渡していた。
アイちゃんを事務所に案内していたから大丈夫だったが、遊呆けていたから白鳥さんが怒りのデスロードだ。
あと少し、運命が違っていたら、怒りで人を殺していたところだった。
白鳥さんの怒りを帳消しにする為にも、ジュリねえはアイちゃんを絶対に勧誘したい。
仕事をしない人間は死ね。
勧誘するのにも必死だった。
ジュリねえは、頑張ってアイちゃんを説得していたのだ。
カメラの前で二十分、みんなと楽しいお話をするだけで、月に数十万円稼げる健全なお仕事。
そんなもん、健全じゃねえよ。
どこをどう捉えても、警察を呼ばれるわ。
ちゃんとアイちゃんのご両親に挨拶をして、経緯を話して納得してもらってくれ。
「え~、ハジメちゃんがやってよ。そういうの説明得意だし、大人に好かれやすいじゃん」
「……最後くらいちゃんと仕事をしてくださいよ」
文化祭の準備があるから、平日は仕事を休むことになっている。
明日からは、ジュリねえの手伝いを出来ないのだ。
「私、人見知りなんだよな~」
じゃあなんでスカウトしているんだよ。
大丈夫か、この人。
生まれた時から、大丈夫じゃないな。
後日。

有栖川アイちゃんが仲間になった。


おまけおまけおまけ。

事務所内は妙に静かだった。
その理由は、ハジメや風夏ちゃん達が文化祭の為に長期休暇を取っていたからである。
居る時は騒がしいくらいだったが、居ないと寂しいものだ。
みんな、高校生から元気を貰っていた。
二十代後半ばかりの事務所は、とても詰まらない。
見栄を張ってインスタ映えするお店に行ったという話しかしない。
女だけの世界だ。
辛気臭い昔に戻った気がした。
「ウロロロ、通常業務が回らないよぉぉぉ」
「あぽかり~」
終末の事務所。
ハジメが不在になり。
大慌てであった。
優秀な雄が居ないと、我々雌は堕落するものらしい。
あれだけ頑張って毎日化粧をして、可愛く着飾っていた女性達は、もう居なかった。
ある者は、業務内容に滞りが生じ。
ある者は、ハロウィンの写真編集をしながら、ハロウィンハロウィン呟いていた。
先日まで夏休み編で、水着や浴衣。海と言っていたのも束の間、今度はハロウィンとクリスマス。
正月の振り袖。
ファッション業界のデスマーチが始まっていた。
昼飯は、デスマ飯だ。
肉とご飯。
野菜は要らぬ。
インスタ映えでは栄養が足りない。
身体はカロリーを欲しているのだ。
デスワーク。
訓練された者は、今の時期からクリスマスソングが聞こえてくる。
白目を向いていて、かなりの重症だ。
しかも、中学生や高校生を生業とする事務所故に、九月を過ぎると文化祭やクリスマス。大学受験という、読者モデルが軒並み休みを頂く時期でもある。
圧倒的に人手が足りない。
……死ぬ。
ハロウィン、クリスマス。
正月に彼氏の実家に行き。
私の幸せな結婚。
三ヶ日は寝正月とか言っている場合ではない。
カップルが好き好むイベント全てが我々に牙を剥き、物理的に殺しにかかってくるのだ。
たまにはデートをしたい。
忙しい時期に連絡してくる彼氏は死ね。
我々に必要な人は、なんの役にも立たない彼氏より、私の事務仕事を手伝ってくれるハジメちゃんだ。
ハジメちゃん、戻ってきて~。
今の彼は、事務所の中枢を担っていた。
大切な人が居なくなって、初めてその大切さに気付くものだ。
忙しい仕事の合間に淹れてくれるコーヒーの美味しさ。
笑顔で労ってくれる人。
自分は食べないのに、疲れた私達の為に、甘いものまで用意してくれていた。
こんなにいい人なら、誰だって好きになってしまう。
最初は、四股クソ野郎と馬鹿にしていたが、競争率が高いのも頷ける。
風夏ちゃんには悪いが、私が付き合いたかった。
結婚したいぃぃ。
赤ちゃん欲しいぃぃ。
何でこの事務所には出会いがないのよ!
事務所で働いている男の子は、ハジメちゃんだけだ。
もっと男の子を増やしてよ。
会社なんだから、私達に出逢いを提供してほしい。
出来るわけがない。
何でよ!?
学生メインの読者モデルの事務所だからだよ。
未成年に手を出すつもりなのか。
野郎がいるわけがないだろうが。
嘆きが溜まっていた。
女の子としての幸せを手放し、夢を追い掛けた代償か。
孤独だった。
後悔はしていない。
それでも、普通の女の子に憧れる。
ハロウィンを楽しみ、クリスマスのイルミネーションを観て、正月には振り袖を着て、福袋を買いたい。
好きな人が隣に居て、普通の女の子で居たかった。
純白の花嫁衣装を着た、綺麗な景色を観たかった。
それはもう、叶わぬ夢。


ジュリねえは、休憩を終えて立ち上がり、凛々しい顔をしていた。
我々がどんなに望んでも、ハジメちゃんはもう居ない。
だけど、悲しんでいても仕方がないのだ。
ハジメちゃんがみんなの幸せを願っているように、我々も彼の幸せを願ってあげたい。
居ない人間の分まで戦うのが、本当の意味での仲間だ。
樹莉亜は、スーツの上着を肩に背負い、事務所の出口まで行く。
「……」
彼女が見詰める先。
そこには、モデル達のポスターがたくさん飾られていて、目に入るようにしてある。
可愛い可愛い後輩だ。
私達が頑張っただけ、読者モデル達は人気になり、夢に向かって羽ばたいてくれる。
夢は、受け継がれていく。
私達が夢見た愛を、モデル達は背負っているのだ。
だからこそ、毎日辛い仕事でも頑張れる。
如月樹莉亜は、仕事に出掛ける前にいつもそう思っていた。
自分の潰えた夢を、彼なら叶えてくれるやも知れないと。
女装したハジメちゃん。
その姿を見て、静かに微笑する。
メイド姿の彼女の尻を叩く。
パァン。
「ハジメちゃんの分まで仕事するぞ」
「いこうぜ。後半戦だ!!」

皆、顔を合わせ。
パァンパァン。
ハジメの尻を叩くのだった。

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