その男、幽霊なり

オトバタケ

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再会――その後

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 あの世でしか再会できないと諦めていた愛する男との邂逅を、羽のように包んでくれている背中に感じる温もりで、現実なんだと実感する。
 干からびるほど渇望していた男の腕の中にいる幸せを噛み締めながら、二人が出会った場所に咲いていた星の瞳のような花、オオイヌノフグリの青い絨毯を眺めていると、ぐうっと小さく腹が鳴った。
 昼前に学校が終わり、男――雅臣から逃げてここに来てから二時間くらいは経っているだろうか?

 雅臣が傍から消えてから、感じることのなくなった食欲。
 生命を維持するために、義務的に食物を摂取していた。
 だが、再び雅臣の隣に立てて失った人間らしさが正常に機能しだしたようで、栄養を寄越せ、と胃がうねりだしたのだ。

「腹減った」
「もう二時半ですね。何か食べに行きましょうか」

 腕に嵌めた高そうな時計に目を遣った雅臣が、俺の旋毛にチュッとキスを落としてきて、姫君を護る騎士のように立ち上がって掌を差し出してきた。
 女子だったら即行で恋に堕ちてしまうだろう笑顔を向けられて、トクンと胸が高鳴って一気に顔が火照っていく。

「一人で立てる」

 その手を取ることはせず、ぶっきらぼうに呟いて立ち上がり、手はこちらに使うのに必要だと言わんばかりに尻に付いた草を払う。
 雅臣を愛しているし、永久に共にいたいと本心から思っている。
 ただ、女子がするであろう反応を、男である自分がしてしまったのが恥ずかしかったのだ。
 先程は有り得ないと思っていた再会が嬉しすぎて、雅臣に甘えて自分からキスをするなんてことまでしてしまったが、雅臣にしていた素っ気ない態度を今更恋人モードのキャラメルみたいに甘いものに変えるのが酷く恥ずかしくて、幽霊との共同生活の時のような態度をとってしまう。

「拓也らしいと言えば拓也らしいですね」

 そう言って雅臣は、重ねて貰えなかった掌を口許に持っていき、クスクスと笑いを漏らした。
 優しく下がっている目尻を見て、恋人同士なのに釣れない態度をとる俺に呆れているわけではないのだと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。

 照れ臭くてベタベタくっつくとかは出来ないが、キスを求められたら応えたい。セックスだってしてもいい。
 挿れるのも気持ちよかったが、挿れられたらどうにかなってしまいそうなくらいに蕩けてしまった。
 体質だとしても快楽の為に他の男に挿れられるのは絶対嫌だが、雅臣となら女役でも構わないと思っている。

「何が食べたいですか?」
「そうだな、ハンバーガーがいいかな」

 草ソリ滑りのしがいがありそうな勾配を昇って土手を家の方向へと並んで歩きながら、遅くなった昼食のメニューの相談をする。
 胃が正常に動き始めたので、普段はあまり食べないジャンクフードを食べたくなったのだ。
 学校帰りの高校生が毎日通っても不思議ではないバーガーショップも、この街に越してきてからは一度も足を運んでいない。
 別にハンバーガーが嫌いな訳ではないが、一人で入店してまで食べようという気にならなかっただけだ。

 前に住んでいた街では、数少ない友人とたまに学校帰りにハンバーガーを食べて、友人の恋話を知らない国の言語のようだと思いながら聞いていたっけ。
 顔を上気させて懸命に片想いの相手との会話を語り、脈はあるだろうかと相談してきた奴の気持ちが今は痛いほど分かる。
 好きな相手の気持ちを知りたいと思う気持ち、好きな相手に好かれたいという気持ち。
 奴と違って既に両想いではあるが、俺も恋ってやつをしてるんだなと思ったら、何だか腰の辺りが擽ったくなって笑えてきてしまった。

「どうしました?」
「なんか、変な感じだなって思ったんだ」
「僕に学ランは似合いませんか?」

 自分の格好を俺が笑ったのだと思ったのか、カタログのモデルのように着こなしている学ランの裾を長い指で掴んで、目を伏せる雅臣。

「似合わないことはないから安心しろ。アンタとこうやって、同じ制服着て青春ドラマみたいに土手を歩いてるのが変な感じだなって思ったんだ」
「恋愛ドラマの間違いではないですか?」

 ニヤリと口角を上げた雅臣が、獲物を捕るカメレオンの舌のように素早く俺の手を掴み、強く握り締めてきた。

「なっ、離せよっ!」

 慌てて辺りを見渡すが、歩行者専用になっている土手にも河川敷にも人影はない。
 土手の下の道路は時折車が走り抜けていくが、車内からは数メートル高くなっている土手の上は見えないだろう。
 大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべて焦る俺を観察している雅臣は、周りに誰もいないことを知った上で仕掛けてきた確信犯なのだ。
 色んな意味で経験豊富な雅臣には勝てないのかと、いっぱいいっぱいの自分が虚しくなってくる。

「そんな顔をしないでください」
「アンタがさせたんだろっ!」

 きっと百年の恋も冷めるような醜い顔をしているのだろうそれを、雅臣に見られないように伏せる。
 すると、ふうっという溜め息と共に、固く握られていた掌が離れていった。
 やっと再会できたのに、互いの変わらぬ気持ちを確かめあったばかりなのに、馬鹿みたいな羞恥心のせいで何よりも大切な男を手離してしまうというのか?
 温もりがなくなり、愛する男を失うかもしれないという恐怖で血の気が引いて氷のように冷たくなった己の掌を握り締め、雅臣から発せられる次の言葉を待つ。

「もう、触れません」

 固い声色で放たれた言葉に、絶望で目の前が真っ暗になっていく。

「拓也のそんな艶やかな顔を見たら我慢できなくなる。その顔を見ていいのは僕だけです」
「何言って……」
「ほら、その顔です。誘っているんですか?」

 見当違いな発言に顔をあげると、雄の匂いを漂わせた雅臣が熱の篭った瞳で俺を見つめていた。
 その熱い眼差しで焼け焦げてしまいそうだ。ドクンドクンと全身が心臓になったように脈打つ。
 俺の変化に気付いたのだろう雅臣は艶やかな笑みを浮かべ、誘うように舌を唇にペロリと一周させた。
 瑞々しいゼリーのようなそれに、体が引き寄せられていく。

 チリンチリン

 突然甲高い音が響いて、甘い蜜の中に沈んでいた意識が浮上する。
 あと数センチで唇同士が触れ合う位置にいる雅臣の背後に、荷台の篭にチューリップの鉢植えを乗せたお婆さんが、のろのろと自転車を漕いで近付いてくるのが見てとれた。
 チリンチリンとベルを鳴らしながら、赤白黄色のチューリップの花をユラユラ揺らして、自転車は俺達の脇を通り過ぎていく。

 ベルの音が聞こえなくなり、金縛りにあったように固まっていた体の力が抜けた。
 ほっと息を吐くと、俺と同じように自転車を眺めていた青い瞳と目があい、慌てて瞳の主から距離をとる。

「もうアンタは幽霊じゃないんだ。誰にでも姿が見えるんだ。いいか、公共の場では盛るな!」

 恥ずかしさで混乱した頭のまま、雅臣に吠える。

「密室で二人きりならば、盛ってもいいんですね?」
「みっ……俺は腹が減ってるんだよ。早くハンバーガーを食いに行くぞ」

 ニヤリ、と笑う雅臣。
 密室で繰り広げられるだろう行為を想像して真っ赤に染まってしまった顔を見られないように、俺をこんな状態にした男を置いて足早に歩き出した。
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