その男、幽霊なり

オトバタケ

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お花見デート

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 朝食を終えキッチンを出ると、寝室の前でマネキンのように立っていた紀藤の姿はなくなっていた。

「帰ったようですね」

 玄関に俺のスニーカーしかないのを確認した雅臣が、ほっとした様子で言う。

「すぐ着替えて来ますね」
「あぁ」

 寝室のドアノブを握る雅臣。まだ千鶴さんが籠城していたら着替えはどうするつもりだったんだろう、と疑問を抱きながら頷く。

「着替えの手伝いをしてくれるんですか?」

 ドアノブを握ったままで動こうとしない雅臣が、ニヤリと口の端を上げて聞いてくる。

「は? なんでだよ」
「熱い視線でじっと見つめているから、着替えさせてくれるのかと思ったんです」
「なっ、着替えくらい一人でしろ!」

 ベッドの上での脱がし合いっこを思い返してしまい顔を赤く染めて叫ぶ俺の頭を、フフフと楽しそうに笑いながらひと撫でした雅臣が寝室に入っていく。
 雅臣の掌の感触の残る髪に触れる。すると、千鶴さんの正体が分かり安心して、疑って悪かったという気持ちを込めて交わしたキスの感触を思い出してしまった。
 唇が熱くなってきた。鎮まれ、と言い聞かすように噛み締め、寝室の扉が開くのを待つ。

「お待たせしました」

 扉から出てきた雅臣は、清潔感の溢れる白いシャツにベージュのスラックスを履き、空色のジャケットを羽織っていた。まるでファッション雑誌から抜け出してきたモデルのようだ。

「どうしました?」
「なんでもない。さぁ行くぞ」

 見惚れてしまっていたのに気付いたのだろう。意地悪く口角を上げて聞いてくる雅臣から慌てて目を逸らし、玄関へ向かう。キッチンに寄り弁当を取ってきた雅臣が、クスクス笑いながら俺の後に続く。

「どこ行く気だ?」

 並んで乗り込んだエレベーターを降りて玄関に向かおうとしたら、腕を掴まれて駐車場用の出入口の方に連れていかれた。来れば分かるとでも言うように、ニコニコ笑っている雅臣を怪訝に思いながら後に付いていく。

「これで出掛けましょう」
「え、これ?」

 止めてある車の後ろを何台か通り過ぎて現れた、漆黒のスポーツカーの前で足を止めた雅臣。
 運転手付きでデートするつもりなのか? でも、この車は運転席と助手席だけで後部座席はない。
 わけが分からず呆然とスポーツカーを見つめていると、雅臣は助手席のドアを開けて、どうぞと乗車を促してきた。王子様のようなエスコートに、頬が火照ってくる。

「どうぞって誰が運転するんだよ。ってか、これは誰の車なんだ?」

 格好いいエスコートに頬が染まってしまったのを、わけの分からない行動に怒っているためだと思わせるように、突っ慳貪に言い放つ。

「僕の車で、僕が運転します」
「アンタが運転って、免許持ってるのか?」
「えぇ。この車は免許取得祝いと誕生日プレゼントを兼ねて、祖父がプレゼントしてくれたんです」
「へぇ。アンタってこういう車の趣味なんだ」

 俺より少しだけ早く十八歳になっているし、留年していなければ大学生になっているのだから、免許を持っているのも不思議ではない。免許に関しては納得しつつも、雅臣のイメージに似つかわしくない走り屋っぽいスポーツカーを眺める。

「僕の趣味ではないですよ。初心者ということで小さな傷を付ける可能性もあるだろうからと、祖父のコレクションからプレゼントされたんです」
「爺さんの趣味……」

 苦笑して説明してくれる雅臣を見て、一条の屋敷の車庫の予想がついた。乗り心地より走りを重視した車が並んでいるのだろう。いつかは顔を合わせるのだろう一条総帥を思い浮かべて、開けられたドアから助手席に座る。
 パタンとドアを閉めてくれた雅臣が、運転席に乗り込む。イメージとは違うと思っていたのに、シートに収まった雅臣は近未来的な車内にハマっていて、ワイルドさがアップしたようで胸がときめいてしまう。

「さぁ出発しますよ。シートベルトは締めましたか?」
「え? あぁ、今締める」

 ぼうっと雅臣に見惚れていて嵌め忘れていたシートベルトを手に取る。だが、初めてのシチュエーションに変に焦ってしまい、上手く嵌まらない。

「貸してください」

 締めていた自分のシートベルトを外した雅臣が、俺に覆い被さるように身を乗り出してきて、シートベルトを嵌めてくれる。
 狭い車内での密着に、緊張と興奮で鼓動が息苦しいほどに早くなる。

「今から出発なんですから興奮しないでください」

 シートベルトが嵌まっても離れようとしない雅臣が、溜め息混じりに呟く。

「興奮なんてしてない」
「僕は、してしまいました」

 暴れ続ける心臓のせいで喉が渇いて掠れた声で否定する俺に、雅臣は甘ったるい声で囁きながら、欲情に濡れた顔を近付けてくる。
 言葉で否定しても、自分が興奮しているのは痛いほど分かっている。抵抗などできるはずもなく、雅臣の唇を受け入れる。

「さぁ、出掛けましょう」

 クチュクチュと淫らな水音を立て絡み付いていた舌が離れていくと、唾液の糸で繋がった先の雅臣が、満足気な顔をして告げてきた。
 薄暗い地下駐車場の狭い車内に二人きりという状況の中で異様に興奮し、違うと否定しながら雅臣以上に激しく舌を絡めて応えてしまった自分にはっとなり、顔を背けて沸き上がってきた羞恥心に耐える。
 俺の態度など気にしていないのか、気を遣って触れないでいてくれるのか、雅臣はカチャッとシートベルトを締めてエンジンを掛け、車を発進させた。カタカタとシフトチェンジする音が聞こえ、横目でこっそり覗き見ると、シフトバーを握る大きな掌に血管が浮き上がっていた。それがセクシーで、トクンと胸が高鳴ってしまう。
 視線を上げると、前方を真剣に見つめてハンドルを握る横顔がある。逆光で陰の出来た顔は愁いを帯びているように見え、抱き締めて優しく包んでやりたい、と母性本能のような気持ちが沸き上がってきた。
 無意識にシフトバーを握る掌に伸びそうになった手を、はっとして膝に引き寄せる。滑るように走る車から運転慣れしていると勘違いしそうだが、つい最近十八歳になった雅臣は、免許取り立てのピカピカの若葉マークだ。運転中に触れるなんて、危険極まりない。
 手を握ろうとしたのを誤魔化すように、車窓の外の流れゆく景色に目を奪われている振りをしながら、チラチラといつも以上に大人っぽくてセクシーさの増している気がする運転姿を盗み見る。

「一年も経っていないのに懐かしい気がしますね」
「へ、何がだ?」
「電車の車窓からこの景色を見たでしょ?」

 言われた言葉で、雅臣しか映っていなかった瞳が初めて外の景色を認識する。
 雅臣の後ろの土手には電車の線路が走っていて、白に青のラインの入った車両がちょうど通り過ぎていった。あの電車は、夏休みの終わりに山に出掛けた時に乗ったものだ。
 左手を見ると、昭和初期にタイムスリップしたような町並みが広がっていた。廃れた商店街を復活させるためマイナス要素だった古臭さをプラスにして町作りをして成功した、と山に行った後ニュースで取り上げられているのを見て知った、最近人気の観光スポットらしい。まだ生まれていない時代の風景なのに何故か懐かしい気がする、と行きの電車の窓から見える景色に呟いたのを思い出した。
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