その男、幽霊なり

オトバタケ

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体育祭

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 保健室に辿り着くと、丸椅子に座らされた。雅臣は、保健医の椅子に座る。保健医が見当たらないので自分で処置をするつもりなのだろう。
 机の脇にある、脱脂綿やら消毒液やらの乗せられたワゴンを引っ張った雅臣は、見つけたピンセットの先を消毒する。一連の動作が様になっていて、体操服が白衣に変換されて見えてしまう。
 大人のお医者さんごっこをしているような気分になり、変な興奮を覚えている自分がいたたまれなくなって、雅臣から目を逸らす。

「抜きますね」
「あぁ」

 棘の刺さった手を取って机に乗せ、ピンセットを器用に操り棘を抜いていく雅臣。その姿を見たら変な気分になってしまうと分かっているのに、劣情の操り人形になったような筋肉が、自分の膝頭を睨み付けていた顔を勝手に雅臣に向けてしまう。
 難しい手術をしているかのような真剣な眼差し。禁欲的なその表情が、艶やかに濡れるのを知っている。荒ぶる熱に耐えきれず、野獣のように貪りついてくる熱情を知っている。
 柔和で紳士的な姿を一変させる鍵を、俺は持っているんだ。そう、俺だけが。

「綺麗に抜けましたよ」

 ほっと息を吐いた雅臣が、患部から顔を上げて固まった。状況を高速処理しているのだと思われる戸惑いがちの瞳が、徐々に欲情に濡れ始める。
 コトンとピンセットを机に置いた雅臣が、俺に向けて両手を伸ばしてくる。それが肩に乗ると、二人の間に距離など必要ないとばかりに引き寄せられる。
 そういや、ドアに鍵は掛けなかったよな。まだ昼休み中だから、誰かが入ってくるかもな。
 雅臣の膝に乗って互いの心音が重なる距離にいる今は、羞恥や理性がぶっ飛び、そんなことはどうでもいいと思ってしまえる。

「拓也……」

 このまま進んでいいのか、最後の確認をするように囁いてくる雅臣。そんな熱を孕んだ甘い声で名を呼ばれ、嫌だなんて言えないのを分かっているくせに。
 狡いぞ、とお仕置きするように、チロッと出した舌を自分の唇に這わせて煽ってやる。

「っ……」

 苦しそうに眉を寄せ、喉の奥を鳴らす雅臣。
 そもそも、煽ったのはアンタなんだからな。あんなにいやらしく巨峰を食べやがって。俺も食べろよ。

「んっ……」

 拗ねて尖らせた唇に、雅臣が貪りついてくる。抑えきれない熱情をぶつけられ、嫉妬は霧散していく。

「くっ……あぁっ」

 キスに酔いしれていると、突然室内に嬌声が響き渡った。雅臣も驚いたのか、舌を絡めあったまま硬直してしまう。
 声のした部屋の奥に視線を向けると、あの曰く付きのベッドの四方を囲む白いカーテンが、不自然に揺れていた。
 窓は開いていないので、風の仕業ではない。誰かがそこにいて、動いているという証拠だ。今の嬌声から考えると、まさか……

「やめっ、あぁぁっ」
「媚薬も使ってねぇのに、こんなにトロトロになってさ。もっとくれってねだってんのに、嘘はいけないなぁ、委員長さん」

 必死に抑えているのに漏れてしまったような嬌声と、わざとこちらに聞こえるように言っているのだと分かるふざけた声。聞き覚えのある二つの声に、一気に血の気が引いていく。
 雅臣も誰と誰がそこにいて、何をしている最中だと分かったのか、大丈夫だと宥めるように背中を撫でてくれる。

「なぁ委員長さんよ、すっげー締め付けだな。大好きな宇佐美が彼氏とイチャイチャしてる音を聞いて、興奮しちゃってるのか?」
「ふざける、なぁっ……あぁんっ」
「でも残念だな。抱かれすぎて雌になっちまった委員長さんじゃ、宇佐美は抱けねぇからな」
「はっ、ちがっ……あ、あ、あぁぁんっ」

 パンパンと肉がぶつかり合う音と、乱れた息遣いが耳に入り、吐き気が込み上げてくる。
 プルプルと震え始めた俺から唇を離した雅臣に、力の入らない体を支えられて保健室から出ていく。

「此処で少し休みましょう」

 人影のない渡り廊下の、日が当たらない場所に座る。

「大丈夫ですか?」
「あんまり……」

 物理的な吐き気は収まったが、心理的なモヤモヤで胃は重いままだ。
 隣に座った雅臣が、甲斐甲斐しく背中を摩り続けてくれる。そのお陰か、次第に気持ち悪さは薄らいでいく。

「あれ、柚木と佐久間だろ」
「そうでしょうね」

 保健室のベッドで恐らく、いや確実にセックスしていたのは、因縁のあるクラスメイトの二人だった。
 一年前の体育祭で、俺を襲ってきた柚木。霊体の雅臣が傍にいてくれたお陰で、毒牙からは逃れられた。だが佐久間が、そんな柚木を逆に襲った。
 二人がそういう関係なのではと薄々気付いてはいたが、やはりそうなんだと知らしめられ、罪悪感にも似た心苦しさで胸が痛い。俺にそんな意思はなくても、二人がそうなる切っ掛けは俺だったからだ。

「柚木にやられた行為は絶対に許せないけど、それが原因で今も凌辱され続けているのなら……」

 関係ないことだと笑い飛ばせればいいが、無理矢理体を支配される恐怖を知っているだけに、簡単に切り捨てられない。
 自分の体が意思を無視して浅ましく反応してしまった様を思い出し震え始めた体を、雅臣が掻き抱いてくる。唯一触れられて嬉しい幸せで満たされる熱のお陰で、恐怖の粒は弾けて消えていく。

「拓也が気に病む必要はありません。始めは加虐心からの行為だったのかもしれませんが、今は互いに求めあう愛の行為になっているんです。だから、苦しまないで」
「でも……」
「あれが彼らの愛し合い方なんですよ。プレイというやつです」
「まさか……」

 明らかに、佐久間に無理矢理犯されているようだったのに。糞真面目な柚木は、家族や学校にバラすとかなんとか脅されて、体を開かざるを得ないのではないのだろうか。
 肉体だけの関係は俺より豊富でも、愛は俺と同じ時期に知ったばかりの雅臣だ。奴等の愛を見誤っている可能性もある。

「まだ彼らのことを考えていますね。僕以外が拓也の脳内にいるなんて許せません」

 拗ねたように言った雅臣が、俺を抱く力を強める。骨がギシギシ鳴るほどの締め付けで、全細胞が雅臣で染まっていく。

「アンタ、本当にガキだな」
「えぇ。拓也の前では着飾る必要はないでしょ?」
「ずっと全裸じゃ困る」
「欲しくなってしまうから?」

 吐息混じりの声に耳許で囁かれて、背筋に甘い痺れが駆け抜ける。
 すると、昼休みを告げるチャイムが鳴った。戯れは終わりだとばかりに、あっさりと体を離してしまう雅臣。
 このまま、快楽の波に身を投げても構わなかったのに。燻り続けている劣情の炎を持て余し、雅臣を恨めしく見てしまう。

「そんな顔をしないでください」

 雅臣が、情けないくらいに眉を下げる。誘っているのだと分かりすぎる顔をしてしまっていたのだと気付き、羞恥でいたたまれなくなる。

「フフッ、帰ったら二人だけの体育祭をしましょうね」

 大人の組み立て体操をする図が脳裏に浮かび、一気に顔が紅潮してしまう。
 あたふたしている姿を雅臣に愛しそうに見つめられて、更に顔に血が昇る。

「さ、さっさと運動場に戻るぞ」

 逃げるように駆けだす。雅臣が追いかけてきた気配を感じ、走るスピードを上げる。
 二人だけの体育祭が楽しみで、弛む顔を見られないために。
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