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第五章 パウルとパオラ

その31 老師

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「そうだ、この近くに一つ、《世界》のコレクションがあるんだ。ちょっとばかり要素が違うのだけれど、観測しに行ってみないかい?」

 並河香織さんは、ひとをからかうように軽やかに笑っているようでいて、けれどもその真摯な目は、少しも笑っていなかった。
 あたし、システム・イリスは、それにはきちんと向き合わなければと思う。

「ぜひご一緒させていただきたいですわ。ですが、世界の寵愛を一身に集めていらしゃるお方、確か、先ほどはこうおっしゃいました。我々は『外界』に出ることはできないと」

「ああ、きみは教え子として理想的だ。もしも、おれが教師なら、きみを一流の詐欺師にでも王侯貴族の子女にもふさわしく導いてあげると約束するのだが」

 本気なのか冗談なのか、判別しがたい、妖しい微笑み。

「きみはまだ、学ぶべきことがある。きみの体験したという10000年は、きみにヒトを観察する時間を与えたが、ヒトとしての体験はほとんどしていない。だから、きみは」

 同情するように、言った。

「まだ、子どもなんだよ」
 
 あたしは弾かれたように……けれど、納得して、膝を折る。

「その、とおりです。年ばかり重ねてきましたが、ついに『ヒト』の心というものを理解できないまま、うつろいゆくヒトの世界を外から眺めていただけでした。どうかご教示くださいますよう」
 うなだれた、あたし。
 頭上から、力強い声が、降ってきた。

「よかろう。では、おれを『老師』と呼ぶがいい。教師を差す言葉だ」

「老師さま?」
 あたしはほんの少しだけ首をかしげる。
 夢の中で、老師と呼ばれていたのは、別の人ではなかったろうか。
 あれは。
 日焼けした、白髪と白い髭の……壮年男性の姿が、ふと思い浮かぶ。
 どこまでが夢だったのか。
 どこからが、幼女に転生したアイリス・リデル・ティス・ラゼルの、本当の体験だのだろうか。

 その判別が、はっきりつかめないことが、もしかしたら、いまのあたし、システム・イリスの抱える問題ななおかもしれないと、思った。


「……これもただの、戯れ言さ。なにしろ、おれは、暇だし。退屈はきらいなんだ」

 香織老師は、くすりと笑って。
 あたしの手を握り、耳元に囁きかけた。

「今から、おれが直伝で『影』と『目』と『耳』の使い方を教えよう。将来、アイリス・リデル・ティス・ラゼルが君を必要としたときに役立つ。身につけなさい」

「はい、香織老師さま」

「さま、は、いらないよ」
 香織さんは言って、あたしをぎゅっと抱きしめた。
 うん、ハグです。

 そしてあたしは気づく。

 香織さんは、肉体を持っていない。または、ここにいるのは『本体』ではない。

        ※

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