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第35話 勇者、日常に戻る

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 オルトー連合国とディス・マウトの国境に勇者を配備して、その勇者が死んだ。
 当然、誰もがディス・マウトが殺したと考える。極度に閉鎖的な国だ。勝手に他国の戦力を押し付けられて、ありがた迷惑この上ない。
 常識のある諸外国なら国交に影響が無い程度に丁寧に断って返品するが、邪魔だから殺そうと決定して、そのまま実行する国だ。
 そして、面倒ごとを避けるために、ちょうど国境を挟んだ所にあったオルトー連合国がやったことにした。
 世界中のどの国も信じなくても、ディス・マウトがそうだと言うのならそれが真実になる。この世界はそういう理で動いている。
 そして、それを聞いたヴィルドルクは、そうですかと終わらせることはできない。
 勇者を殺された国の面子以前の問題で、オルトー連合国に何も報復をしなければディス・マウトの言葉を信じていないのかと世界中が敵になる。
 最悪の場合、ディス・マウトに逆らったと大義名分を得たアムジュネマニスがその他の国を率いて攻撃を仕掛けてくる。そうなった場合、滅んでいたのはヴィルドルクの方だった。
 だから、ディス・マウトの言う事を従順に信じて、オルトー連合国を亡きものにした。この世界はある意味とてもシンプルに出来ている。

 しかし、あの殺伐とした親子を見ていると、俺に家族がいなくてよかったと心から思える。数少ない貴重な機会だ。
 もしも俺に親がいたら、と甘えた事を妄想することもあるが、何万分の一の確率でああいう一触即発の核兵器みたいな家庭に生まれる可能性もあるわけだし、そう思うと独り身が気楽で一番いい。
 他人の家庭事情はおいておいて、俺は養成校に来たら寄らなくてはならない場所があった。
 校舎の奥に進み、隠し扉のような入口を進んで階段を下りて地下に下りる。薄暗い廊下を進んで重そうな鉄の扉の呼び鈴を押すと、すぐに鍵が開いて部屋の主が顔を出した。

「あぁ!!ホーリア様、お久しぶりです!」

 分厚い眼鏡をかけてよろよろと出て来たトルヴァルは、相変わらず風呂も食事もしていなさそうな風貌だった。
 養成校の食堂の余りしか準備できなかったが、差し入れにと渡すとトルヴァルは礼もそこそこに無意識のままパンを食べ始める。

 前に来た時、トルヴァルのために用意されたそれなりに広い部屋には寝床や調理場など生活に必要な設備が一通り揃っていた。しかし、今はトルヴァルの研究所というか工房に成り代わっている。
 天井を擦るほど巨大な織り機が中央に置かれ、部屋の至る所で紡がれている糸がそのに向かって伸びている。
 巨大な蜘蛛の巣に迷い込んだような状況で、下手に歩くと手足や首に糸が絡まって一生出られなくなりそうだから入口の付近から動かないでおいた。
 トルヴァルはひょいひょいと糸を避けて部屋を進み、薄いタオルケットのような布を奥から取って来て俺に渡した。

「ちょうどいい所に来てくれました!試作品が出来上がったのでどうぞ使ってください!!以前から熱魔術の織り込み技術は周囲の繊維が耐えられない点と火傷の危険性からキャンプの発火装置程度にしか使用されていませんでしたが、配列を533に見直したのと、熱魔術と同時に冷却の術式も同時に織り込むことで解決できました。当然、相反する術式の同時発動に疑問を持たれるでしょうが、実は自然界の植物にヒントがありまして」

「ありがとう。使わせてもらう。ところで、この前の戦争で怪我はしなかったか?」

 トルヴァルの話が終わるのを待っていると日付を跨いでしまうから、俺は礼のついでに本題に入った。
 俺が防御魔術を緩めたせいで養成校が被弾した。
 外壁が少し崩れたくらいだし、前から話は付いていたからトルヴァルが危険な所にいるはずないと信じていたが、トルヴァルは他の職員と違って養成校の外に避難できないから一歩間違えれば最悪の事態だってあり得た。
 その罪悪感を消そうと思って来たが、トルヴァルは俺が渡した食料をもりもりと食べながら事も無げに頷く。

「ええ、全く。ここに居れば安全でした」

「よかった。それで、大丈夫か?」

 俺が続けて尋ねると、トルヴァルは今度は気を抜いたら泣きそうな顔で「あんまり」と答えた。

「外に出るなと言われました。仕方ないことです」

 トルヴァルは織り機を動かしながら、気にしていない素振りをしようとしていた。
 結果的に勇者が3人、退魔の子の罠で死んだ。
 ヴィルドルクでは勇者は退魔の子を殺さないことになっている。しかし、目の前で仲間を殺されたトラウマで、退魔の子を見ると反射的に攻撃してしまう勇者が出て来る。そんな事情がある場合は、退魔の子を殺しても罰は免れる。
 お咎めが無いとわかると馬鹿な事をする奴がどこにでもいるものだし、そこまで愚かな奴ではないにしても勇者が殺されたことで退魔の子に対する憎しみは国中で一時的に増していた。
 俺としても、ニーアがいる前でクラウィスが帰って来た時にどうやって迎えようかと悩んでいるところだ。

「勇者様、退魔の子はあの国はたくさんいるんです。僕はその中でも一番運がいい」

 トルヴァルは明るい声でそう言った。
 ギコン、バコンと大きな音を立てながら織り機が動いて、部屋中に張り巡らされた糸が少しずつ織り機に飲み込まれて行く。重そうな手動の織り機だったが、トルヴァルは慣れた慣れた動きで足と手を同時に動かしていた。

「普通ならコンテナに詰め込まれて一箱いくらで売られるところなのに、優しい親の元に生まれたから国立研究所に売られて、そのお蔭で勇者様に守られながらこうして研究を続けられる。本当に感謝しています」

「売られたのか?国立研究所の研究員だったんだろう?」

「元々は被検体でした。我々のような者が生まれないようにするにも、研究が必要ですから」

 あの国にはたくさん退魔の子がいる、という言葉が引っかかった。
 アムジュネマニスでは、退魔の子はいないことになっている。確立から考えて生まれていないわけがないが、魔術大国の威厳に関わるから生まれたらすぐに処分しているはずだ。
 それなのに、国立研究所で研究をする程なら、国の課題として取り上げるくらい数が多いということだ。

「同じ環境下で育成してサンプルを増やして1人ずつ研究に使っていくんです。1番の子が死んだら2番の子へ。僕は1つ前の子が頑張ってくれたので長生き出来て、実験に使われる傍ら研究ができました」

 トルヴァルは誇ることもなく、淡々と続ける。
 しかし、売られた被検体でまともな教育も受けられないだろう。
 優しい親が運良く国立研究所に売ってくれて、地頭の良さだけで研究員になって、ノーラに見初められて、ヴィルドルクに亡命して、何とか隠れて生きている。
 ハードな人生だと同情したが、そうではないことに気付いた。ノーラに見初められただけでは駄目だった。トルヴァルの前に一人死んで、これでは駄目だとノーラがオグオンに護衛を頼んだ。それでようやくトルヴァルは生き延びられたんだった。

「ロイスは、結果的にコルベリア家に殺されましたが、被検体として長く使われていましたから、どちらにしてもそれほど生きられなかったはずです」

 殺された、とトルヴァルははっきり言ったが、その言葉には怨みも悲しみも込められていなかった。
 そういう風に決まっていたことがそうなった、とでもいうような諦めとも違って乾ききって温度の無い言葉だった。
 退魔の子だからか、それともアムジュネマニスに生まれた退魔の子だからか。クラウィスは違うのだろうかと考えていると、トルヴァルが大きな声で叫んだ。

「ほ、ホーリア様!先程お渡しした防寒布ですが問題点が解決できました!実は使用者の体温が一定以上になると冷却魔術の発動が妨げられて熱魔術の暴走の危険性があったのですが、今の織り方を変えて術式の接点をあえて増やすことで解決できるかもしれません!そうなると、いくらでも大きくすることが可能です。つまり、論理的には例えば家を包むことも、更に街ごと包むことも可能になるわけです!」

 俺は途中で理解できなくなって諦めたが、何か大きな発見があったらしい。怒涛の解説をそうかそうか、と聞きながら、話が途切れた隙を狙って尋ねた。

「楽しいか?」

「はい!とっても!」

 トルヴァルは輝くような笑顔でそう言うと、また知識の滝のような話が再開される。
 楽しいならよかったと思いつつ、俺はトルヴァルの言葉をそうかそうかと聞き流していた。
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