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第35話 勇者、日常に戻る

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 勇者養成校は狭き門だが、それはニーアのように何も後ろ盾がない人間が志望したときだ。
 身内に勇者がいる時は入学は格段に楽になる。親が勇者の2世は筆記試験さえ通ればその後の口頭試験や面接は顔パスで、一族が代々勇者の3世ともなれば魔力さえ足りていれば他の試験は形だけで入学できる。
 正式に公表されている情報ではないが、勇者の噂に疎い俺が知っているということは国民全員知っているのだろう。
 ともかく、死んだ2人の勇者はそうやって入学してきた生徒だった。オグオンは以前からこの実質世襲制に反対していたから、これを契機に入学試験の見直しを計れるはずだ。
 少し苦しいけれどこの方向性で慰めようか、と考えつつオグオンがいる学長室に向かう。

「どういうつもりだ!」

 しかし、俺が部屋の扉を開けると同時に怒鳴り声が響いて、予定していたいい感じの慰めの言葉が全て吹き飛んだ。
 すぐに部屋を出るべきだったが、驚きのあまりそのまま部屋の中に入ってしまう。
 書類を広げて仕事をしているオグオンに向かって、室長が食って掛かっていた。
 室長はいつも冷静で大声など出した所を見た事がないのに、今は怒りと焦りと混乱で上司であるオグオンに対する態度を忘れていた。
 オグオンは書類に目を落としたまま、目の前にある室長の顔も見てもいない。

「あなたが進めた計画だ。新人の勇者ではなく自分で片付けてくれ」

「私は室長の立場にある。国外の、死の危険がある任務など出来るはずがない」

「記念碑はリュフィリスでいいか?」

 その一言で、オグオンが激怒していることが伝わって来た。
 俺は人並みに空気は読める方だけど、行動が伴わない所がある。部屋の扉を開けて出て行く勇気がなくて、2人の様子を見ていた。

「誰のためにやったと思ってるんだ……」

 室長の絞り出すような呟きに俺は思わず同情してしまったが、オグオンは室長を無視して次の書類を手に取る。
 室長は何を言っても無駄だとわかったらしい。デスクに背を向けて、扉の前で固まっている俺を邪魔そうに押し退けて部屋を出て行った。

「……」

 静まり返った部屋の空気に耐えられずに「そんなに怒らなくていいんじゃないか」とか俺が当り障りのない事を言おうとしたのに気付いて、オグオンは初めて顔を上げて俺を見た。
 戦争で落ち込んで寝起きの熊くらい大人しくなっているかと思ったら、怒り狂ったドラゴンが炎を吐いているところだった。
 こうなると俺もどうなるかわからないから、逆撫でしないように可能な限り距離を取る。

「わかっているのか。ディスマウトに行かされるのは、ホーリアだったかもしれない」

「……みたいだな」

 コルベリア家でディス・マウトへの異動の話をした時、オグオンには伝わっていなかった。
 室長が大臣に黙って勝手に計画を進めていたのなら、事務室の職員たちが妙に焦っていたのも腑に落ちる。今のトップは大臣であるオグオンだが、一介の職員が大御所の元勇者の室長に逆らうことはできない。

「奴は、祖の国に近付いたという名誉欲しさに勇者を勝手に送り出した。ホーリアも仲間も、全員殺されるところだったんだ」

「ああ、だから皆置いて行くつもりだった。家族がいる奴を危険なところに連れて行くわけにはいかない」

 俺の言葉が意外だったらしく、オグオンは驚きで一瞬怒りが薄れた様子だった。
 コルベリア家のパーティーで俺がオグオンに速攻でチクっていたら、俺の代わりにディス・マウトに行った勇者は死ななかったんじゃないかと考える。
 しかし、俺が話を濁したのに気付いてオグオンが即座に調査をしてこの結果だろうし、もしも室長の計画を話していたら室長を敵に回したことになり任務中の不慮の事故で処分されていただろう。
 どちらにせよ、大臣と室長の対立に巻き込まれた時点で、黙っている以外に俺が生き残る道はなかった。

「少なくとも俺は怒っていないし、その分くらいは許してあげてくれないか」

 オグオンと距離を維持したまま、俺は余計なことを言ってみる。
 本当にディス・マウトに勇者を配置できれば、この国にとって大きな成果だ。
 誰も踏み入れることができない祖の国を内側から守る役割を担えれば、あるいはその名目でディス・マウトに自国民を住まわせることができれば、世界中の全ての国の中で一歩リードすることができる。
 それで得られる名誉に比べれば、新人の勇者が1人や2人死んだとしても些細なことだ。この世界はそういう風に決まっている。

「戦争で死んだ3人は私の責任だから私が背負う。しかし、ディス・マウトで死んだあの子は誰が背負うんだ」

 オグオンが誰に言うでもなく呟いた。
 その子は、俺と同じように出世コースだと誘われて、意気揚々とディス・マウトに向かったのだろう。俺が面倒臭くて放棄した大量の書類も作成して、真面目な新人勇者だったに違いない。

「でも、せっかくの親子なんだから」

 俺が駄目押しに付け足すと、オグオンは不快そうに俺を睨み付けた。
 オグオンは親の話をされるのを嫌っているが、天涯孤独の俺にそれを言われると怒ることもできない。
 我ながら卑怯な言葉だと思うが、室長は代わりにディス・マウトに行くらしいし、どうやら生きて帰って来ることもなさそうだし、殺されかけたとはいえ室長が少し可哀想だった。

「……今生の別れだ。出立の際に見送りはしてやろう」

 厳格なオグオンにしては譲った方だ。
 穏やかな言葉に安心して、やっと動けるようになった俺はオグオンに礼を言って学長室を出た。
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