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落花流水
三十四
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見知った廊下はやけに長く感じられました。走っても走っても、永遠に辿り着かぬように思えたのです。やっとの思いで、どうにか書斎の扉を掴んだものの、内側から鍵でもかけられているのか、扉はぴくりとも動きません。
「直之様、お返事を」
扉を叩いても返事はありません。私は助走をつけて床を蹴り、肩から扉に体当たりを繰り返しました。
「弘くん、やめたまえ」
遠くから松本氏の制止が聞こえてきます。それでも、私は力を振り絞り、扉に体当たりしたのです。遂に扉は破られ、大きな音を立てて、私は扉ごと部屋の床に倒れ込みました。まるで煙幕のように埃が舞い上がります。薄暗い部屋は妙な臭気を含んだ湿気が充満しており、ねっとりと体に纏わり付くようでした。
空気を切り裂いたのは怒号です。顔を真っ赤にしたエバンス氏が、私に向かって何か喚き散らしたのです。スーツの下だけを下ろし、禍々しい陰茎をぶら下げた醜悪な獣の姿に、私は目の前が赤く染まり、訳も分からずに拳を振り上げていたのです。そうして、倒れ込んだ男の胸ぐらを掴み、何度も殴りつければ、鼻から血が吹き上がります。邦外人の血も赤いことに、やけに冷静な私は驚いておりました。
「やめてくれ、死んでしまう」
足にしがみついてくるのは、シャツだけを羽織った青年でした。整えていた髪は乱れ、濡れた瞳は震え、私にしがみつく腕は弱々しいものでした。そうして破れたシャツから露になっている肌は異様に火照り、ところどころ紅い痣ができていたのです。
見るに耐えない痛ましい姿に、私は上着を脱ぐと直之様の肩にかけて肌を隠して差し上げました。そうして、頬や唇に付着した白濁した粘液を袖で拭ったのです。それでも、こびりついた穢れは容易には落ちません。
「なんてことを。外交問題にでもなったら、どう責任を取るつもりなんだい」
書斎の前で松本氏は、険しい顔をしておられます。そうして、私が他に気を取られている隙に、暴漢は私たちを押し退けて松本氏の横を通り過ぎていきました。
「もうおしまいだ」
直之様は、ぽつりと呟かれました。それは私に対する恨みがましい言葉のようにも聞こえました。
「使用人の不始末は、主人の責任だと思うがね」
松本氏の言葉は冷たい棘を含んでおります。直之様は、血の気の引いた顔で呆然と松本氏を見上げておりました。一度、堰を切ってしまった私の憤激はおさまらず、思わず立ち上がりかければ、私の胸に、直之様は縋りついてきたのです。
「弘、どうか辛抱してくれ」
松本氏は呆れたように溜め息を吐いて、私たちを見比べます。
「ミスター・エバンスには僕から話をつけておくとしよう。直之くん、このようなうまい話はもうないと思いたまえ」
松本氏はこちらに背を向けられました。今度こそ、私たちは先生に見限られてしまったのでしょう。私の腕のなかには、青ざめた顔で気を失っている直之様の姿がありました。
「直之様、お返事を」
扉を叩いても返事はありません。私は助走をつけて床を蹴り、肩から扉に体当たりを繰り返しました。
「弘くん、やめたまえ」
遠くから松本氏の制止が聞こえてきます。それでも、私は力を振り絞り、扉に体当たりしたのです。遂に扉は破られ、大きな音を立てて、私は扉ごと部屋の床に倒れ込みました。まるで煙幕のように埃が舞い上がります。薄暗い部屋は妙な臭気を含んだ湿気が充満しており、ねっとりと体に纏わり付くようでした。
空気を切り裂いたのは怒号です。顔を真っ赤にしたエバンス氏が、私に向かって何か喚き散らしたのです。スーツの下だけを下ろし、禍々しい陰茎をぶら下げた醜悪な獣の姿に、私は目の前が赤く染まり、訳も分からずに拳を振り上げていたのです。そうして、倒れ込んだ男の胸ぐらを掴み、何度も殴りつければ、鼻から血が吹き上がります。邦外人の血も赤いことに、やけに冷静な私は驚いておりました。
「やめてくれ、死んでしまう」
足にしがみついてくるのは、シャツだけを羽織った青年でした。整えていた髪は乱れ、濡れた瞳は震え、私にしがみつく腕は弱々しいものでした。そうして破れたシャツから露になっている肌は異様に火照り、ところどころ紅い痣ができていたのです。
見るに耐えない痛ましい姿に、私は上着を脱ぐと直之様の肩にかけて肌を隠して差し上げました。そうして、頬や唇に付着した白濁した粘液を袖で拭ったのです。それでも、こびりついた穢れは容易には落ちません。
「なんてことを。外交問題にでもなったら、どう責任を取るつもりなんだい」
書斎の前で松本氏は、険しい顔をしておられます。そうして、私が他に気を取られている隙に、暴漢は私たちを押し退けて松本氏の横を通り過ぎていきました。
「もうおしまいだ」
直之様は、ぽつりと呟かれました。それは私に対する恨みがましい言葉のようにも聞こえました。
「使用人の不始末は、主人の責任だと思うがね」
松本氏の言葉は冷たい棘を含んでおります。直之様は、血の気の引いた顔で呆然と松本氏を見上げておりました。一度、堰を切ってしまった私の憤激はおさまらず、思わず立ち上がりかければ、私の胸に、直之様は縋りついてきたのです。
「弘、どうか辛抱してくれ」
松本氏は呆れたように溜め息を吐いて、私たちを見比べます。
「ミスター・エバンスには僕から話をつけておくとしよう。直之くん、このようなうまい話はもうないと思いたまえ」
松本氏はこちらに背を向けられました。今度こそ、私たちは先生に見限られてしまったのでしょう。私の腕のなかには、青ざめた顔で気を失っている直之様の姿がありました。
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