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婚約破棄とその気持ちの名前 1 ※ジェラルド視点

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 ────気がつくのが遅すぎた。いや、それすらも精霊の導きか。

 この国で『運命』と同義の『精霊の導き』という言葉。しかし、この状況でのんびりとあくびをしている精霊が、何かを導くとは考えにくい。
 それは、あまりに私と精霊という存在が、仲間のように近すぎるからなのだろう。

 ときに、その力を借りて戦場を駆け抜け、ときにのんびり日光浴をする。
 精霊であるルルードは、何を考えているかわかりにくい。
 力を貸してほしいと私が願ったときには貸してくれるが、普段は感情を持っているのかいないのか、フワフワと淡い青色の光を多揺らせているだけだ。

 ぼんやりと珍しく姿を現わしているルルードの淡い青色の光を見つめながら、次の戦局を考える。
 そして、無意識に取り出したのは、首に提げている明らかに子どもが作ったとわかるお守りだ。

 十年近く肌身離さず持っているなんて、自分でもどうかしていると思わないでもないが、このお守りを持ってから怪我をすることが明らかに減った。
 実際に、ルルードがこのお守りに執着していて、以前よりも多くの力を貸してくれるようになったのは、気のせいではないだろう……。

 精霊に愛される加護。それを持つ人間自身には、大きな恩恵はないが、精霊の加護を受けている人間にとっては、その力を増大させる得がたい力となる。
 王太子であるフェンディルも、この王国で三番目の精霊から加護を受けている。

「──彼女が王妃になれば、この国は末永く……」

 なぜか少し痛んだ胸に気がつかない振りをして、ただこの国の王妃の盾となろうと誓う。

 こんなにも年が離れていても、なぜかいつだってステラ嬢は、私にとっての心の支えだった。
 ふわり、と戦場に似合わない風が吹く。
 それは、彼女のバニラティーのような甘い香りに似ている。

 ただ、戦場に赴いて、国への忠義だけを胸に生きていこうと思っていた。
 そんな日々を繰り返すだけだと思っていたのに……。

 幼かった少女は、いつの間にか結婚を控え、王太子妃になろうとしている。
 きっと、今までのように刹那であっても、気安く声をかけるなんてできないのだろう。
 それでも、ただ庇護対象でしかなかった彼女は、日々強く、誰よりも可憐に成長し、いつしか私にとって……。

 ふと、顎に手を添えれば、剃ることのできなかった髭がチクチクと触れる。

「──いや。……この先彼女は、仕えるべき主でしかない」

 そのときだった。彼女がくれたお守りの紐が唐突にプツンと切れたのは……。

「……え?」
『ヒヒィイイン!!』

 そして、いつもは大人しいルルードが、この場所にいる騎士たちが、天幕から飛び出してくるほどの大音量でいなないた。

「ルルード?」

 急に巨大な炎のように立ち上った淡い青色の光に、視界が遮られる。
 上も下もわからなくなるようなその光景に呆然とした私の耳にステラの掠れた声が聞こえる。

『──ジェラルド様に、もう一度だけお会いしたかった』
「ステラ嬢……?」

 感情を殺して生きていこうと決めていたはずの心が、ゴトリと音を立てる。
 透明な青い光のカーテンの向こう、青く染められたその場所で、ステラは髪に挿していた簪を抜き去った。
 ツヤツヤと美しい茶色の髪が、バサリとほどければ、作り上げていた大人の印象が、あっという間に少女のように可憐なものへと変わる。

 ステラは、自室でベッドに座り、俯いたまま、細工されている簪の宝石をカチリと外した。
 その簪が、王家から与えられたものであることに気がついて、必死に手を伸ばす。
 しかし、淡い光はただその光景を映し出すだけで、声の限りに叫んでも、手を伸ばしても、彼女にそれらが届くことはないようだ。

「ステラ嬢……!!」
『ジェラルド様、私、ジェラルド様のことが……』
「やめてくれ、ステラ嬢!! ……ステラ!!」

 一瞬だけ、声が届いたかのようにステラが顔を上げて、こちらに向かって微笑んだ気がした。
 その丸薬は、王家に嫁ぐことに決まった女性に、秘密と貞操を守るために与えられる。
 眠るように彼女は、帰らぬ人になるだろう。

「っ、ステラ!!」
「おい、どうしたんだ!?」

 汗が地面に流れ落ちて、色を変えるほどだ。
 心臓が苦しくなるほど早鐘を打っている。

 顔を上げると、先ほどのルルードのいななきと、私の異変に気がついて走ってきたのだろう、息を切らせたバルドが私の肩を掴んで揺さぶっていた。
 ドカンッと背中に体当たりしてくる感覚に振り返れば、いつもと違って慌てた様子のルルードが視線を向けていた。

「……ステラ」
「なあ、どうしたんだ。お前らしくもない」
「そんなの、許せるはずがない」
「……本当にどうしたんだ、ジェラルド」

 握りしめたこぶしが傷ついて、血がしたたり落ちる。
 ギリリと怒りのあまりに噛みしめた歯が、音を立てる。
 この怒りは、いったいどこに向けられたものなのか。

 精霊はときに、気まぐれに人生の先を教えてくれる。
 難局にあっても生き延びることができたのは、その力があったからだ。

 気がつかない振りをして、人生を終えようと決めていたのに。
 この国のという言葉を言い訳に、ただ彼女の剣として、盾として生きていこうと誓っていたのに。

「バルト、すまないがこの場の全権を任されてくれ」
「……は?」

 王族を現わす紋章が彫り込まれたマントの留め具を押しつける。

「これは命令ではない、一生に一度の願いだ。頼む……!!」

 膝をついて頭を垂れる。王族として生まれた故に、父と兄と、王太子である甥の前以外で膝をつくのは初めてのことだ。
 それくらいですむのなら、いくらでもしただろう。
 あとで首を差し出せと言われたなら、間違いなく差し出すほど私は必死だった。

「──はあ、何やっているんだよお前」
「……何でもする。お前にしか頼めないんだ!」
「さっさと立ち上がって、目的の場所に走れ!」
「バルト……?」
「一刻を争うんじゃないのか? 失敗したら、この国を滅ぼしそうな目をしているぞ。だからさっさと走れよ、ジェラルド」

 その言葉に、弾かれたように立ち上がり、ルルードにまたがる。
 精霊が、人間を背中に乗せるなんて許すはずないのに、ルルードは拒否しなかった。
 本来であればこんな行動、敵前逃亡と言われて、軍法会議にかけられることだ、と理解していた。

 しかし、そのときは、それでも全く構わない、ステラを助け出す。ただ、それしか考えられなかった。
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