愛執染着

鳫葉あん

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 二十年近く、雅は彼を一途に慕っていた。
 初めは兄のような存在への憧れ。思春期を迎える頃に彼を兄と求めているのではなく、彼を彼として求め、彼の側でずっと一緒にいたいと思った。変貌した感情を理解した時、叶うわけのない恋に涙した。
 だから初めから間違っていたのだと言い聞かせる。雅の恋は夢見る少女達の描いたような物語ではなく、大人の打算で築かれた掃き溜めだったのだ。
 彼が欲しかったのは佐倉雅という人間ではなく、好き勝手に扱える年若い玩具だった。それも飽きればすぐに捨ててしまえる程度でしかない。
 結局そういうことなのだ。だから雅は一人になれた。



 スマホのアラームが聞こえ、意識が覚醒した雅は慌てて音を止めた。篤史と暮らしたマンションでは階がまるごと篤史の部屋で、天井と床の防音設備がしっかりしており騒音に気を付ける必要がそれ程なかったが、今は違った。
 篤史に離婚を切り出してから滞りなく物事が進み、三月末には篤史の元を離れていた。四月から雅が働き始めた中小企業の近くに建つ、築数十年のアパートはお世辞にも綺麗とは言えないがその分家賃も安く、壁も薄い。
 入居時に挨拶した隣人は若い男性だった。本当に越してきた挨拶程度しかしていないが、大学生でも社会人でも朝の一分一秒は貴重だ。隣人のアラームで邪魔されるようなことがあってはならない。
 ベッドから起き上がった雅の視界に部屋が広がる。最低限の家具が置かれた狭いワンルームは、全て篤史が用意してくれた物だった。スマホは勿論、着ている衣服すら。
 雅が使う為に新しく買ってくれたシングルベッド。家を出る際に持ち出した数冊の本を収める為の小さな本棚には、篤史からの餞別もある。魚を模したデザインのルームランプやシンプルなデザインの小物入れが置かれていた。
 すっかり生活必需品となっているスマホも今年に入ってから機種変更をしたばかりの物で、購入した時の名義人は篤史だった。
 玄関付近に設けられた小さなキッチンコンロは下側が収納になっており、そこに入れておいた食パンを取るとトースターへ一枚入れる。焼いている間に顔を洗って、パンを食べたら身支度を整えて出社する。
 雅はすっかり社会人の一員になっていた。

 雅が入社したのは機械部品メーカーの総務だった。大卒の雅は当然ながら総務の経験はなく、毎日先輩達に仕事を教わり忙しく過ごす。朝早く起きて出社して、一日会社で働いて帰宅したら明日に備えて体を休める。社会の歯車となった雅はこの生活に馴染み、満足していた。
 忙しければ余計なことを考えなくて済む。疲れていれば体は勝手に休息し、朝になれば昨日と同じ一日を過ごす為に動き出す。
 特に趣味もない雅は平坦な日々を良しとした。一日、一週間、一ヶ月と変わらず過ごし、給料が入ったら篤史に世話になった分を返す。それを何年も続けて、静かに永い眠りにつけたらいい。
 雅の心はそう達観しているが、高校入学から今まで男を咥え込み遊ぶことを教え込まれた体が我慢の限界を迎えるのは仕方のないことだった。

 平日なら明日の仕事を考えて体が睡眠を求める。忙しく働き疲れた体は性欲を忘れてくれた。
 休日になるとやることのない、やりたいことのない雅は暇をもてあます。すると体は習慣を思い出してしまう。
 篤史に抱かれるようになってから、体を繋げない日の方が少なかった。男に抱かれ慣れた体は男から与えられる刺激を求める。

「……んっ、ふっ、ん、ん、ん……」

 休日の昼間から、ベッドに寝転んだ雅は着ているスウェットに手を突っ込み、自分の陰茎を扱き上げた。篤史と暮らしていた頃は自慰なんてする必要がなかった。暇がなかった。篤史は雅の尻を犯すのは勿論、雅の陰茎に触れるのも好み、性欲が溜まる前に篤史の手で吐き出されてしまっていた。

「……ひっ、なんでっ……なんでぇっ……」

 悶々とした気分のまま必死に性器を扱く。竿に指の輪をはめて擦る基本動作は微塵も感じない。亀頭を撫で、鈴口に爪を立てると気持ちはいいが物足りない。玉を揉むと我慢汁は垂れても射精まで昇り詰めることが出来ない。

「ふっ、う、あ。あっ」

 雅の目から涙が溢れていた。そうしないともうダメなのかと、自分はそうなってしまったのかと。認める為に泣き出した。
 何もしないよりはましだろうと、指を舐める。唾液を丹念にまぶした指はそろそろと後ろへ向かっていく。男を食い散らし、可愛がられる為の器官となった場所へ。尻の孔へと。

「あ。あ。あーーっ……あ……」

 最後に篤史を咥えたのはいつのことか。男を食い慣れた孔は若干の慎ましさを思い出すかのように、指の挿入を拒むように閉じていた。それでも雅の指が孔の縁をやわやわとつつき、皺をなぞるとゆっくりと指を受け入れていく。

「あ、はっ、ああ、あ、あっ」

 肉の隘路を、襞を擦りながら進む。もっと奥へ、奥へと求めてもそれ以上進まないことに気付く、指の付け根は既に尻についていた。

「たりないぃ……」

 少しでも入らないかと思いながら指を動かしてみるが、やはりそれ以上進むことはなかった。快感を得ようとしても、前を弄るだけよりは刺激がある気がするが満足には程遠い。
 指で尻を犯しながらちんぽを扱き、どうにか射精に至った雅だが中途半端に処理された性欲は燻り続けている。

「……おもちゃ」

 篤史との性行為の中で、玩具を使われることはあった。そういった物はネット通販で買えることも知っている。濡れた指先も気にせずスマホへ手を伸ばす雅だが、玩具の欠陥を思い出す。

「玩具は……中出ししてくれない。固くて冷たくて…………」

 指よりも奥深くを抉ることが出来ても、雅の性感を満たしてはくれない。
 長く続けた禁欲を破ったことで雅は我慢が出来なくなっていた。篤史に元に戻りたいと頭を下げることも考えたが、彼が雅をもう一度側に置いてくれるとは思えなかった。
 彼なら雅より若くて綺麗な存在を手元に置くくらいわけないのだ。雅なんて必要ない。
 そもそも雅と彼は既に他人で、頼っていい存在ではなくなってしまったのだ。
 ならば雅はどうしたらいいのか。玩具を買って性欲を誤魔化すしかないのだろうか。

「……あいて」

 篤史にとって価値のなくなった雅だけれど、そんな雅でも抱ける人間は探せば少しはいるのではないか。抵抗がないわけではないが、誰かに抱かれないと熱の冷めない体を言い訳にした。人恋しかった。篤史のいない現実から目を背けたかった。
 男を探すにはどうしたらいいのだろう。考えて、手の中の板へ疑問をぶつける。ウェブページを検索するとまず飛び込んできたのは発展場と呼ばれる性交を求める人々の集う場所だ。有料施設ならサウナ、無料――というか勝手に使われているものだと決まった公園のトイレなど。
 検索結果に戻るともう一つ、相手探しのツールが見つかる。スマホの普及により生活にアプリが大きく関わるようになった昨今、人の出会いもアプリが繋ぐようになった。

「マッチングアプリ……」

 一般的には男女の出会いのツールであるが、男同士専用のアプリもあるらしい。現代っ子の雅はよくわからない発展場へ行くよりは気軽に操作出来るアプリの方が抵抗感がなかった。
 マッチングアプリを紹介している記事に導かれるまま指を動かし、アプリストアへ飛び、インストールする。
 マッチングアプリは初めに簡単なプロフィールを作成する。どんな相手がいいか掲示し、条件に合う人を互いに探し合う為だ。
 雅の要望はメッセージ欄に詰め込んだ。

『好きな人と別れました。体が疼いて仕方ありません。抱いてくれる方と出会いたいです』

 身長、体重、居住地といった基礎情報を埋める。写真はアップロードせず、これだけの情報で誰からも声が掛からなければその時は発展場へ行くしかない。
 そう決めて、プロフィールの登録を済ませると大きなあくびが出てきた。久しぶりのオナニーは性欲の解消は微妙だが、体に疲れをもたらしてくれたらしい。

 うとうとと昼寝を始めた雅が起きたのは夕方のことだった。窓から見える空が暮れ始めており、時間を確かめようとスマホを手にした雅は見慣れぬアプリ名からのポップアップ、その内容に驚いた。

『新しいメッセージが届いています』
『マッチング申請依頼が届いています』
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