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47:フリオ

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フリオは4歳になる妹トリッシュと手を繋いで、土の聖地神殿の中庭を歩いていた。
かなり久しぶりに産まれた兄妹なうえに、初めての妹だ。フリオはトリッシュが可愛くて堪らず、今日も仕事を少々サボるもとい自主休暇にして、ちゃっかりトリッシュに会いに来ていた。
クラウディオは春から育児休暇が終わり、仕事に復帰している。ジャンが殆んど昼間は面倒を見ているのだが、もう5日以上モルガと飛んでいないらしく、今日は少し疲れたげっそりした顔をしていたので、少し飛んでこいとフリオが言って現在はジャンはモルガと飛行中である。母は相変わらず神子の務めで飛び回っている。サンガレアのマーサ様の家にはトリッシュが一緒に遊べる同じ年頃の子供が何人もいるし、クラウディオとジャンがいるから、母が常に不在でもトリッシュは特に寂しくはないようだ。フリオもそうだったが、母はいないのが普通だからだろう。


「フリオあにうえー」

「ん?」

「なんか歌ってー」

「……俺は歌は知らないから、トリッシュが歌って教えてくれないか?」

「いいよー」


トリッシュがフリオと繋いだ手をご機嫌に振りながら歌いだした。フリオが初めて耳にする歌である。そもそもフリオは歌とは縁がなかった。子供の頃に聖歌を教えられたが、興味がまるでなかったので今となっては完全に忘れている。
トリッシュの可愛らしい歌声を聞きながら、たくさんの花に溢れる中庭をのんびり歩いていると、ピアノの音色と共に歌が聞こえてきた。


「トリッシュ。誰かが歌ってるぞ」

「……?聞こえないよ?」

「ちょっと行ってみようか」

「うん!」


トリッシュと2人で歌が聞こえる神殿の中へと入った。少し低めの、耳に心地よい歌声だ。明るくて、優しい感じがする。歌の聞こえてくる方へと歩いていると、少し狭めの部屋についた。半分開いている扉から覗きこむと神殿警備隊の制服を着た背中が見えた。こちらに背を向けているので顔は見えないが、楽しそうに1人でピアノを弾きながら歌っている。トリッシュに無言で静かにするように唇に立てた人差し指をあてると、トリッシュもフリオを見上げて同じ仕草をした。可愛らしくて思わず頬が弛む。フリオはトリッシュと共に、歌が終わるまで静かに歌声に聞き入っていた。








ーーーーーー
フリオは生まれつき聴覚が非常に優れていた。
意識せずとも城中の話し声や物音が全て聴こえる程で、それが異常ともいえると気づいたのはある程度成長してからだった。城中の多くの人々の小さな囁き声さえ聴こえるのが普通だった。フリオは基本的に全て聞き流していたので、自分の聴覚について悩んだりしたことはない。意識して聞き取ろうとしていたのは、兄と9歳の時に産まれた弟の声だけだ。あとは単なる気にする価値もない雑音だ。父王や父王の側室の子供達が話す母や兄弟の悪口も、父王から存在を無視されている兄弟に対する城の者達の同情の声もどうでもよかった。
母は殆んど帰ってこないから、フリオの世界は兄と弟が中心だった。他の人間は、飛竜の乗り方を教えてくれたジャンや飛竜部隊の者達、何かと小言を言いながら構ってくる兄の教育係くらいにしか興味がなかった。
膨大な魔力を有する神子の血を引くフリオは持っている魔力が桁外れに多い。小さい頃からなんとなく興味があった魔術に、成長するにつれどんどんハマっていった。産まれた弟の世話は兄と2人でしていたので、弟の世話の合間に他の勉強などせず魔術書ばかりを読んでいた。フリオのことを精一杯愛して構ってくれる兄が大好きだった。新しく産まれた弟も可愛くて堪らなかった。断腸の思いで弟を城から出した後は、寝る間も惜しんで魔術の修行に明け暮れた。いずれ兄は王になる。その兄を少しでも助けたいが為に必死だった。可愛い弟も安心して城に帰ってこられるようにしたかった。フリオは力を欲した。ひたすら努力をして、実力で魔術師長の座を勝ち取ってやった。
弟が水の神子の内縁の夫になると同時に兄が即位した。これで煩わしく忌まわしい父王や側室の子供達は静かになる。兄の為に頑張れば、弟もまた城へと帰ってきやすくなる。フリオの全ての原動力は兄と弟の存在だった。
兄が結婚した義姉とはあまり話したことがない。有力貴族の令嬢で、いつでも兄の苦手な香水の匂いをさせており、正直気にくわなかった。兄が義姉を大切そうに接するので、何も言わなかったが内心不満だった。
甥が産まれて、その時は初めて義姉に感謝した。産まれてきた甥は兄によく似ていて、とても可愛かった。兄にも、叔父になるフリオにもとても懐いてくれた。ただ、甥も兄と同じく香水の匂いが苦手なようで義姉には近づこうともしなかった。義姉は兄がやんわり香水をやめるよう言っても聞かなかった。義姉は最初のうちは懐かない甥のことを悩んでいたようだが、そのうち甥に関心を持たなくなった。甥を産んだ1年程後には、義姉は昼間に自分の寝室へ護衛の男を招き入れるようになった。気にくわない相手だが、一応義兄弟になるので義姉の声にも注意を払っていた。だからすぐに分かった。すぐに兄に言おうと思ったが、甥のことが気がかりで中々言い出せなかった。王妃の不義密通は重罪である。懐いていないとはいえ、幼い甥から母親を取り上げることになるのは避けたかった。どうしようかとぐるぐる1人で悩んでいたが、そのうち義姉が再び懐妊した。フリオは魔力や魂などで血の繋がりを判断できるらしい母の眷属に頼み、義姉の腹に宿る命が誰との間のものなのか視てもらった。結果は兄の子供ではなかった。気にくわないどころでない。フリオはもはや義姉の存在が許せなかった。
だから義姉が1人の時に、義姉に言ったのだ。
『知っているぞ』と。
義姉は何のことかすぐに察したのだろう。フリオの発言の直後に顔を真っ青にした。それから2週間もしないうちに義姉は相手の男と心中した。兄を裏切った義姉がいなくなったのはフリオ的には嬉しかったが、兄の落胆ぶりは計算外だった。気のきいた慰めも言えない自分に腹が立って仕方がなかったが、フリオにはどうすることもできなかった。ただ黙って見守ることしかできなかった。
義姉が死んで1年程経ったあと、母が兄に夏休みをとらせてサンガレアへ連れていくという企みを持ちかけてきた。兄が無理をしているのは側にいるフリオだって分かっている。少しでも兄の気が紛れればと、母の企みに全面協力した。
結果、晴れやかな顔で兄はサンガレアから戻ってきた。こっそりマーサ様の秘密の嫁になったことを教えられた時は本当に驚いたが、兄が久々に楽しそうに穏やかに笑っていたので、まぁいいかと思い、祝福した。マーサ様には何度か会ったことがある。母も信頼しているようだし、弟の親友でもある。きっと悪いようにはならないだろう。甥もマーサ様にすっかり懐いたようで、サンガレアでの写真を見ながら何度も思い出話をしてくれた。
それからクラウディオがフリオ達の父親になり、暫くするとジャンも父親になった。2人ともフリオ達兄弟に優しく、子供の頃から知っているジャンもだが、クラウディオともすぐに一緒にいても気が楽な関係になった。今ではすっかり信用している。
久しぶりに母が懐妊した時は心から大喜びした。愛おしい家族が増える。家族が1番大切なフリオにとっては嬉しいの一言につきた。






ーーーーーー
数年前に産まれた可愛い可愛い妹と手を繋いだまま、フリオはピアノを奏でる男の歌声にひたすら聞き入っている。今まで家族以外で好ましいと思う声には中々遭遇したことがない。甥とクラウディオに連れていかれた花街の、初めての相手である男娼の声はほんのりごくわずかに気に入っていたが、セックスも含めてわざわざ自分から花街に行こうと思うほどではなかった。
しかし、この歌声には不思議と惹かれる。明るくて、優しくて、どこか情熱的な雰囲気を持つ声の主の顔が見たかった。誰かにそんなことを思うのは初めてだった。
歌とピアノの音が止んだ。トリッシュがパチパチと拍手をすると、男が振り返った。明るい茶髪のキレイで優しげな顔立ちの男である。フリオとトリッシュの存在に今気がついたようで、少し驚いた顔をしたあと、照れ臭そうに笑った。笑うと右の頬に笑窪ができた。


「お歌上手ね」

「ありがとうございます。トリッシュ様」

「他にも歌える?」

「あ、はい」

「歌ってー。フリオあにうえも聞きたいでしょ?」

「ん、あ、あぁ」

「……では、少しだけ」


男が照れたように少し頬を赤らめながら笑い、再びフリオ達に背を向けてピアノを弾き始めた。先ほどとは違う歌を歌い出す。耳に心地よく、何故かしっくりくる声がとても気持ちがいい。
男は別の神殿警備隊の者が呼びにくるまで、トリッシュがねだるままに何曲も歌い、フリオ達は静かにずっと男の歌声を聴いていた。
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