エリュシオンでささやいて

奏多

文字の大きさ
115 / 153
第10章 Darkness Voice

 9.

しおりを挟む
 最初、なにを言われたのかわからなかった。
 だけどようやく記憶を辿り、内調の棗くんが追っているという、世界規模で記憶を失わせる柘榴の香り……その匂いだと言っているのだと思い至った。

 やがて棗くんは歩き出し、女帝の肩を叩いて訊く。

「あの部屋の匂い、襲撃受けた次の日の木場の喫茶店に漂っていたのと同じ香り?」

 すると女帝は怪訝な顔をしていたが、急に手を叩いた。

「そうか、それか。なにかどこかで嗅いだことがあると思った」

「AOPだとしたら、なぜ……」

「待って棗くん。AOPの匂いを知っている棗くんや、さっき部屋の中の匂いを皆で嗅いだのに、どうして記憶が奪われていないの?」

「私が嗅いだことがあるのは、なんの害もないただのサンプルのような匂いよ。それと皆で嗅いでも記憶に影響がないのは、あんな程度の空気に溶けたような香りでは無害だということかしらね。事件が起きて漂う匂いはかなりのもので、嗅覚がいいひとは倒れるほどのレベルだと聞いているし、前にも言ったけど、記憶が失った後の記憶の合成方法もよくわかっていない」

 確かによくわかっていたら、棗くんが秘密裏には動かないよね。

「ちょっと待ってよ。遥の担当はなんでここのナースじゃないのさ!」

 先に行った裕貴くんの怒鳴り声が聞こえる。

「容態が急変してから担当ナースと医師が数名つくことになったのよ。とても腕のいい医者達だから……」

「さっき、血しぶきが透明なカーテンにかかってたぞ!? あれのどこが腕がいいんだよ、治療でなんであんなに血が飛ぶんだよ!!」

「血しぶき? え……採血でも失敗したのかしら」

「ありえないだろう、採血に失敗してどうしてあんなに血が飛ぶんだよ!」

 地団駄を踏む裕貴くんに、さすがの看護師さんもなにかあったのではないかと不安になってきたようだ。

「ちょっと見てみるわ」

 そう、ナースステーションから赴くと、自動ドアが開いた。
 あたし達を追い出したいけすかない白衣の男性だけではなく、他の医師や看護師もいて、合計で五名だ。


「遥をどうしたんだよ!」

 裕貴くんが胸ぐらを掴むから、あたしと女帝は慌てて引き剥がす。

「治療です。見てわかりませんでしたか?」

 大して若くもない医師が、すーちゃんと口にして足を踏み入れてきた棗くんと女帝を見て、剣呑に目を細めた。

「治療に、なんであんなに血が飛び散るんだよ!!」

「あれは、切開治療です。良性腫瘍に膿が溜まっていましたから。よくあることです」

「あんなに血が出て平気なわけねぇだろ!?」

 須王がすっと足を進めて言った。

「見せて貰えないでしょうか。万が一の医療ミスもありえますので」

「時間の無駄です」

「医者は患者の家族の質問に答える義務があります」

 するとその医師は大仰なため息をつくと、他の者達を先に行かせた。
 誰もが仮面を被っているように無表情で、不気味だ。

「そこまでお疑いになられるのなら、どうぞ。きみも来い」

 医師は白衣を翻して、狼狽する看護師さんにも同席を許可して、遥くんの病室に戻っていく。

「――っ!?」

 ドアを開けた部屋には、カーテンも機械もなにもなかった。
 あの物々しい風景は、夢でも見ていたかのようにどこかへと消え去り、ベッドには点滴をつけた少年と思われる若者が眠っていた。

 これは――。

「遥、大丈夫か!?」

「こら、きみっ」

 裕貴くんは病室に飛び込んで、目を瞑っている少年を揺さぶると、少年はうっすらと目を開いた。
 まるで眠りの美女のような美しい目覚め方は、どう見ても天使がその場にいるようで泣きたくなってくる。
 天使と同じ顔が、目の前にある――。


「裕貴……。夢かな、きみとまた会えるなんて……」

 その声は、声変わりをした……上野公園でのあの少年と同じもので、美少女だった女の子の天使が持ち得ない声色だ。

 ベッドから出したその手は病衣が捲れて、縫われたのか、紫色に変色している引き攣れた傷が無数に見えた。

「夢じゃないよ、現実だよ!」

「もういいだろう。出て行きなさい」

「もう少し! 遥、具合はどう?」

「ん……ぼちぼちだよ」

 そう笑う顔は痛々しいくらいに具合悪そうで。

 ……違う。
 HARUKAじゃない。
 HARUKAは元気そうだったもの。
 だけど顔は同じだ。
 ただそこにある溌剌とした生気があるかないかだけの違いで。

「ほら、出なさいっ」

 医師に無理矢理裕貴くんは引き摺られた。
 顔を捻るようにして遥くんの名前を呼んでいたけど、あたし達も含めてまた追い出されてしまった。今度はナースステーションの看護師さんも、追い出す側に回られてしまった。

 天使は置いておいて、少なくとも遥くんがHARUKAだというのなら、抜け出るだけの体力が必要だ。

 HARUKAと瓜二つの顔だけれど、あんな状態なら外を出歩けない。
 大体抜け出したことを、病院側が知らないはずはないだろう。
 ……だから遥くんは、天使でもあの子でもない。
 あたしの思考がそう結論づけた。
 あの顔は天使でもHARUKAでもないと言えるだけの違いは、あたしには見いだせなかったのだ。他人の客観的な判断を重んじれば、寝たきりの美少年がこの病院に囚われていると思う方が、よほど現実的だ。

 それにほら、あたしと目が合っても遥くんはなにも言わない。
 わからないから、言わないんだ――。

 だが、ドアがしまる直前に、鼻歌が聞こえた。

 それは、上野公園でギミックの頭が歌っていたのと同じ旋律。

「瞋恚」

 須王の目がぎんと細められる。


 そして続けて、こう聞こえたんだ。

「……またね、お姉サン。次は思い出してね」
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...