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学園1年生編

sideオーバン

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 それからも俺達は、何度も彼女に会いに行った。
 だがバティストは大体店に着いた直後か直前に…「腹が痛い」とか「妹が呼んでるから帰る」「あそこに可愛い子がいた!」とか適当ぶっこいて消える。お前妹いないだろうが!


 そんな風に、俺はイェシカと2人で会う事が多かった。
 勇気を振り絞ってまたデートに誘ってみたら…笑顔で快諾してくれて、それだけで嬉しかった。




 彼女と出会ってから数ヶ月経ったとある日。バティストに「そろそろ告白しろや」などと言われるようになった頃。
 この頃から俺は、最初からバティスト抜きで会いに行くようになっていた。
 告白か…でも彼女は、俺が平民だと思ってるよな…。貴族どころか皇族だなんて知ったら…離れて行ってしまうんじゃないか…?

 そういった思いもあり、俺は告白まで踏み切れずにいた。




「はあぁ…こんにちは」

「いらっしゃいませ。おや、貴方は…」

 あれ。今日の店番は男性だ。何度か話した事がある、ここの店主。
 でもイェシカは、仕事の休みは不定期だけど水曜日は必ずいるって聞いてたのに…風邪か?


「……はい。実は彼女は少々病弱で…一度体調を崩すと中々治らないのです」

「え。風邪…です、よね?」

「はい…。しかし、完全に治るまで油断はできません」

 
 俺はこの時、初めて彼女の身体が弱い事を知った。
 確かに今までのデートは、イェシカの希望があり短時間で済ませていた。俺は門限でも厳しいのかな?くらいにしか考えていなかったが…。


 俺は店主より、色々な話を聞けた。

 イェシカは店主の姪で、両親はイェシカが幼い頃すでに他界しているらしい。
 彼女は生来病弱で…成長するにつれ、体調を崩す事も増えたと言う。

 医者の見立てでは。永くて…頑張っても、30歳は越えられない、と…。
 彼女は今18歳、急に悪化する恐れもある…。

 だから店番も短時間で、本来なら外出もあまりさせたくないらしいのだが…



「イェシカがですね、水曜日と夕方の時間帯はどうしても店に立ちたいと言うのです。今日だって無理矢理起きあがろうとして…なんとか止めましたが。
 それに…貴方には言わないよう念を押されていましたが…外出後は毎回、熱を出して次の日に寝込むのです…。
 それでも…貴方に誘われると毎回本当に嬉しそうで。私も妻も、あの子の笑顔を見ていると…強く止める事が出来ないのです。
 イェシカの両親、私の妹夫婦が他界してからはずっと、あのように楽しげな笑顔を見る事もなくなってしまいましたから」
 

「……………わかり、ました。お話ありがとうございます…また来ます」


 俺は、呆然としたまま店を出た。

 今まで…かなり、無理をさせていた…?
 毎回倒れてまで…俺とのデートを、楽しんでくれていた?俺は気の利いた会話も出来ないような男なのに…?



 その日俺は飯も食わず…自室で泣いた。俺に、何が出来る…?
 彼女の負担にならないよう、会わない事…?でも俺は…俺は…!!





「よー、何なっさけない顔してんだ?オメー昨日は飯も食わねーで部屋引っ込んだんだってな!
 どした、イェシカちゃんに振られちゃった?っておい!?」

 次の日はなんとか登校し…バティストの首根っこを掴んで連行した。
 向かった先は屋上へと続く階段。ここならあまり人もいないしな。


「(まさか、本当に振られた…?いやでもあたしから見た限り、イェシカちゃんの気持ちも間違いねえと思うけどな。それとも、身分でも明かしちまった?)
 なんだよー、一限目っからサボる気かー?」

「…バティスト。俺はどうするべきだと思う?」

「…は?」


 俺は、自分の想いを全てぶちまけた。


 イェシカが好きだ。そして彼女も俺との時間を楽しみにしてくれている。
 だが彼女の負担を考えると…もう、会う事はやめるべきなのかもしれない。
 でも俺は…ずっと彼女と一緒にいたい。でもその為に、俺の身分が邪魔をする…!!


「俺は、ただ彼女の側にいたい、それだけ、なんだ…!どうすればいい?
 身分を明かしたら、彼女は俺から離れて行くだろう?自分では釣り合わないと、言うに違いない…!
 俺は、イェシカが好きなのに…!俺の地位目当てに近付いてくる令嬢じゃ、なくって。彼女が、好きなのに…!!
 俺の、つまらない話も、笑って聞いてくれる彼女が。たまにツボに入って、腹を抱えて大笑いするような、彼女が、いいのに…!」

「…………」


 俺は情けなくも…しゃくり上げながら語った。
 バティストは何も言わず、黙って聞いていた。


 そして少し考え…口を開いた。


「……あたしはな。お前が望むなら…彼女をファルギエール家に養女として迎えようと思っていた」

「…は?」

「父上も、人間不信の皇子様に特別な人が出来た事を喜んでくれていた。だからあたしの提案にも乗ってくれた。
 もちろんイェシカちゃん本人とご両親の了解を得てからな。ご両親がすでにいないとは知らなかったが…。
 辺境伯の令嬢なら、皇子妃となっても誰も文句は言うまい?まあでも…お前が皇族を抜けるのが現実的かなとは思っていたがよ。

 それでも平民だった彼女が貴族の夫人っつーのは厳しいかもしれない。だから…あたしがお前に仕えて、彼女をサポートしようかと思っていた」

「……はああ?」
 
「お前が公爵あたりになったとして。彼女が公爵夫人はちとキツいだろうよ。
 だからお前が側にいられない時はあたしが側にいて、手助けすればいいと思ってたんだよ!
 そんでお前らの子供が成長したら…とっとと爵位を譲っちまって、その後2人で静かに暮らしゃいいだろう。
 お前は元々贅沢を好まないし、慎ましい生活でも充分だろ?あたしもその後、第二の人生を楽しもうと思ってな!

 とまあ…この辺りが正攻法だな。他はまあ、色々考えちゃあいた。
 言っとくけど。お前の身分についてとかもちゃーんと考えた上で平民の子紹介してんだっての。あたしそこまで考え無しじゃねーし。
 
 …でも、そうか。あまり時間はねえんだな…」


 そう言ってバティストは、ゆっくりと立ち上がった。
 まだ座り込む俺を見下ろし、手を差し出す。


「お前の人生だ、お前が決めろ。あたしは…お前が決めた道を全力で応援する。あたしが力になれる事なら、なんでもしてやる。
 どうすればいい?じゃねーよ。お前がどうしたいんだよ?オーバン・グランツ第二皇子殿下」
 

 俺、は…!


 その手をガシッと掴み、俺は立ち上がった。


「俺は…彼女とずっと一緒にいたい!彼女が上流階級の生活に馴染めなければ、俺が平民になりゃいいだろう!?
 協力しろ、ジャン=バティスト・ファルギエール!!これは皇子の命令じゃねえ、友人としての頼みだ!」

「おっけい!!!」



 こうして俺は平民になる事を決意し…彼女に想いを伝えに行った…!!







 数日後。彼女が元気な姿で店番をしているのを確認し…俺達は乗り込んだ!


「え…」

「だか、ら…!俺は、お前が好きだ…!」

 しかし俺は告白なんぞした事は無い。
 ムードも何もありゃしねえ、洒落た言い回しも出来ねえ。それでも…ひたすらに、俺の気持ちを告げた。
 他の客や店主はバティストが遠ざけてくれている。今のうちに…!

 俺の言葉にイェシカは頬を染め、本当に嬉しそうな顔をしてくれた。だがそれも一瞬で…すぐに、暗い顔になった…?


「でも…貴方は、皇子殿下…で、いらっしゃいますよね…?」

「え………バレて、た…?」

「はい…恐らく伯父は気付いてはいませんが」

 嘘だろ…?俺はお忍び中は、いつもの茶髪を赤に染めている。俺の顔を知っていようと…バレはしないと思っていたが…?


「何年か前の建国祭で…皇宮のバルコニーより手を振るお姿を拝見した事がございます。
 しかし貴方は他の方と違い…ぎこちなく笑い、控えめに手を振っていらっしゃいました。
 失礼ながら、今にも逃げ出したいのを堪えていらっしゃったように見えて。そのお姿に…何故か、目を奪われました。
 建国祭の日になると、「今年もぎこちなく手を振っているのかしら?」と考えるようになりました。
 もう一度お姿を見たいけれど…人の多い場所は危険なので…それ以来行っていないのです」


 …驚いた。あんな遠くに立っていた俺の姿を見て、覚えていてくれたんだ…。
 

「そうして数ヶ月前…貴方はこの店に来てくださいましたね。髪を染めていらしても、すぐに分かりました。
 わたしは天にも昇る気持ちだったんですよ?憧れの方が、目の前にいらっしゃったのですから…。

 しかも貴方とジェイドさん…も、きっと偽名ですよね?貴方方は親しげにわたしに話し掛けてくださって。
 このお店に通ってくださるようになって…お茶に、誘ってくださって。わたしは、夢を見ているようでした。

 ですが…夢はいつか醒めるもの。…伯父から、聞いたのですよね?わたしの事…」



 彼女ははにかみながら語ってくれたが…最後は、泣きそうな顔でぎこちなく笑った。


「ありがとうございます。わたしのような者を好きになってくださって。
 ですがわたしは平民です。貴方とは釣り合わない…何より、わたしは永くありません。

 ですのでどうか…このまま最期まで。幸せな夢を見ていたいのです」



 ついにイェシカは涙を流し…深く頭を下げ、俺に背中を向けた。そのまま裏の部屋に行こうと…させるか!

 彼女の腕を掴むと、驚きに目を見開き振り向いてくれた。


「まだ俺は、告白の答えを聞いていない!!」

「え、えええ!!?」


 俺は思わず大声を出した。他の人間がいようと知った事か!!!


「互いの身分とか、そういうのを抜きにして!!お前は俺をどう思っているんだ!?
 残された時間が少ないとか、関係無い!!!お前の答えを聞かせてくれ!」

「わたし、は…!」


 他の客が俺らの姿に注目している。店主は複雑な表情で、バティストは拳を握り笑顔で見守っている。


「ですから、わたしは、わたし…!」

「イェシカが懸念しているのは身分と寿命だろう?それ以外に、俺を否定する理由が無いのなら…!」


 彼女は涙を流しながら顔を赤く染め、視線を泳がせた。どうか、頷いてくれ…!


「…っ、わたしは!腹筋が30個くらいにバッキバキに割れてる人が好きなんです!!!!
 なのでごめんなさいいい!!!」

「「「ええぇええええぇーーー!!!!?」」」


 彼女はそう叫び…俺の手を振り解き…裏に消えた…。
 ちなみに今の絶叫はバティストと客のカップルのものだ。俺はというと。


「………………」
 

 振り解かれた反動で、仰向けで床に倒れていた…。

 

 まるで動けず…そんな俺にバティストが近付いて来る。


「……分かってるとは思うけど。彼女もお前の事好きだと思うぞ…。
 その上でお前に無理難題を言って、諦めようとしているだけだから…」

 バティストに引き摺られ…俺は放心状態のまま店を出た…。途中、カップルの男のほうが…「諦めんなよぉ!!」と檄をくれた。



 ……諦めてたまるか!!!


「バティスト!!腹筋割るぞ!!!」

「まじでえ!!?」

 マジだよ!!!そう決意した俺は…走って皇宮まで帰った。後ろからバティストが懸命に追い掛けてくる。悪いが付き合ってもらうぞ!!!


 …とまあ。俺はフラれたショックで正気じゃ無かったな。腹筋が30に割れる訳ねーだろ。若さって怖い。

 しかしイェシカよ。咄嗟とはいえ…もう少しマシな嘘は無かったのか?






 それでも俺は、自分を鍛えた。腹筋は抜きにしても…彼女をこの手で守れる男になりたかった。
 騎士団の鍛錬に混じったり、自主的にトレーニングしたり。

 そうやって鍛えた身体が、養護教諭をやっている今は…クソガキ共を締め上げるのに役立っている。
 ちなみにラブレーの頭は非常に掴みやすかった。機会があればまた持ち上げてみようと、密かに企んでいたりする。




 トレーニングと並行して…俺は、皇族を抜ける為の準備もしていた。ただ抜けるだけではない、平民になる為に。
 

「……駄目だ」

「何故ですか!?」


 ただし、両親は認めてくれなかった。そりゃ簡単にはいかないか…。

 問題は色々あるが、一番は…やはり継承権だろう。
 兄貴は今結婚はしているが、子供は皇女しかいない。つまり現在継承権1位が兄貴、次に俺。そんな奴が平民になれるかい。
 兄貴に息子がいれば、俺は下がっていくのだが…兄貴を巻き込みたくないので、それは触れないでおこう。
 俺は時間を掛けて、両親を説得した。バティストも色々考えてくれて、一緒に計画した。

 その間も俺は、イェシカに会いに行っていた。正確にはまだ会う訳にはいかない、と思い…クリスマスとか誕生日とか、プレゼントだけ渡しに行っていた。




 そして俺は、アカデミーの卒業を迎える。
 その年にはルキウスが生まれ、翌年にはルクトルも生まれた。少しだけ自由になれた俺は…ずっと計画していた話を両親に言った。


 俺に爵位をくれるのはありがたいが、今は保留とさせて欲しい。
 俺の結婚したい相手は…根っからの平民だから。すぐに貴族の夫人になるのは難しいから。
 彼女が教育を終えたら、バティストの計画通り辺境伯の養女に迎え。その時正式に俺に爵位をくれ、と。
 それまでは俺は、彼女の姓を名乗りたい。そう言ったのだ。


 かなり強引な話だったが…兄貴も「社会勉強に良いのでは?オーバンが市井の生活に触れる事で、私の力になってくれるかもしれませんし」と、後押しをしてくれたのだ。
 更に俺は自立できると証明する為、養護教諭の資格を取った。ちょうどその先生が高齢のため引退しようとしていたからな。
 普通に学科の教師でも良かったが…正直、生徒との触れ合いは少ないほうが助かる。
 そういった事は、バティストも協力してくれた。
 
 と言うか奴も「家出ちゃったー!」と、首都に移り住んでいた。便利屋をするらしい、自由すぎる…。



 そうしてついに俺は、両親の許可をもぎ取った!

 ただ…彼女の教育を終えてから、結婚すればいいじゃないかと言われた。イェシカの身体の事は、バティストと兄貴にしか告げていないからな…。
 なので両親の言葉は無視して、俺は宮を飛び出そうとした。だがその前に…兄貴に呼び止められる。



「…オーバン。酷な事を言うが…彼女はもう、永くないのだろう?」

「…そうだ。バティストに定期的に様子を見に行ってもらっているが…最近は、寝込む事も増えている。
 今から俺が一緒に過ごせる時間は短い、かもしれない…。
 でも、だからこそ。最期の刻を、一緒に過ごしたい…」

「どうして夫婦という形に拘る?…看取るだけならば、恋人でもいいんじゃないか?」

 それは…俺は…


「イェシカが生きていた証を…残したかった。俺の人生に…戸籍に、彼女の名前を残したかった。
 夫として側にいたかった。それだけだ…」

「……そうか」


 兄貴は最後に「頑張れよ」と言い…俺に背中を向けた。

 よし…!





 ちなみに腹筋は6つが限界だった。


「もう描こうぜ」とバティストが言い、ペンで俺の腹に腹筋を30個描くことに。
 線を描き込みすぎて…なんかよく分からんモノになってしまったが。まあいいだろう。
 


 俺達は久し振りに香水店に乗り込んだ。
 と言っても伯父夫妻には全て話してあるので…彼女の部屋に直接通してもらった。
 今日も体調が悪く、寝ているらしい。女性の寝室に入るのは気が引けるが…大事な話だ!!

 その際伯父に「…ありがとうございます」と言われた。
 だが俺は、礼を言われるような事は何もしていない。自分のやりたい事をやってきただけだ。



「イェシカ、俺だ!」

「!?で、殿下!?」


 初めて入った彼女の部屋。じっくり観察したい所だが…後回しだ!

 俺は腹筋を見せ、「30個に割って来たぞ!俺と結婚してくれ!!」と言った。本当、若さって怖いわ。


 イェシカは急に服を捲った俺の行動に顔を赤くしたが…腹を見た瞬間。


「……ふ、ボファアッ!!?…ひ、…ぃ、……!!んっ、ふ……ぐっ、うぇ…、……!!!」


 ベッドに蹲る彼女は…表情は見えないが体をプルプル震わせている。どうやら声にならない程ツボに入ってしまったようだ…。落ち着くまで待つか。

 次第に震えは止まってきたが…いつまで経っても顔を上げてくれない。


「……ずっ、」


 …泣いているのか…?


「……なんですか、なんなんですか…!!どうしてそこまでして…わたしの、事を…!
 結婚てなんですか、そんなの許される訳ないじゃないですか…!!」

「……許されるなら、してくれるのか?」

「ええ、もちろんですよ…!わたしだってっ、貴方が好き、なんですから!
 あの日、貴方に告白された時。どれだけわたしが嬉しかったか、知らないでしょう!?」

 彼女は顔を上げた。大量の涙を流し…堰を切ったように話し出した。


「元々素敵だなーと思っていた方とお話出来て、一緒にお茶までしちゃって!告白されて…「もう死んでも良い」とすら思いましたよ!!
 でも、断腸の思いでお断りしたのに…!毎回プレゼントを持って来てくださって、どれだけ…嬉しくて、泣いた事か!

 ですが…本当に、わたしはもう永くないんです…!!貴方はまだ20歳を過ぎたばかりでしょう?まだまだ、人生これからじゃないですか!
 わたしなんかに囚われないで、自由に生きてください!」

「…そうだ、俺は自由に生きる。その為に皇族も抜けて来た。
 もう俺を縛るものは何も無い。イェシカとの結婚も、皇帝の許可を得て来た」

「…………え?皇族を、抜けたって…まさか、わたしの、せいで…?」

「違う。自分の為だ」


 俺はイェシカと出会い、同じ時間を過ごし。もっとずっと一緒にいたいと願った。
 その為に俺の身分は邪魔だった。だから強引に保留という形をとり、抜け出した。


「俺は、イェシカに出会えて良かった。それこそ神に感謝したい程に。
 後悔した事なんて一度もない。むしろこうやって行動しなければ…後で死ぬ程悔やむだろう」

 この言葉は彼女だけではなく…俺の後ろにいる、バティストにも向けたものだ。
 こいつは俺とイェシカを引き合わせた事を…悔やんでいる節があったから。俺はこんなにも、2人に感謝しているのだと…伝えたかった。
 
 後ろにいるからバティストの顔は見えないが…きっと、伝わったと思う。鼻を啜る音が聞こえたから。


「だから…お前に残された時間を全部俺にくれ。
 イェシカ・ゲルシェ様。俺ことオーバン・グランツの求婚を…受けてくださいますか?」

「…………はい…喜ん、で…!」
 

 彼女の答えを聞いた俺は…静かに、その体を抱き締めた。
 




 その後は婚姻届を提出し、用意しておいた家に移り、俺は仕事を始めた。
 慣れないうちは大変だったが…家に帰ればイェシカがいる。そう思えばなんだって頑張れた。


 使用人もシェフもいないから、全て自分達でこなす。俺は自分の部屋は自分で掃除していたけど…やはり家事は大変だ…。
 あまりイェシカに負担を掛けたくないから、俺は積極的に家事を手伝った。ただし…料理だけは無理だったわ…。

 たまにイェシカの伯母が手伝いに来てくれた。バティストも、しょっ中遊びに来やがった。
 そして…俺の兄貴と、両親もお忍びで来た。イェシカはもの凄く恐縮していたが…互いに家族として受け入れてくれた、と思う。
 
 大変な事も多いけれど、楽しい日々を過ごす。こんな日がずっと続けばいいと…願いながら。





 だが…俺達が結婚して約3年後。ついに、別れの刻を迎えた。



「…イェシカ…」

「………え、ぇ…」

 彼女は数日前に風邪を引いてしまい…悪化し、肺炎を患ってしまった。今はもう、意識も朦朧としている。
 バティストが腕の良い医者を連れて来てくれたが…医者は、静かに首を横に振る。

 そのまま医者は寝室を出て行った。バティストは涙を流しながらイェシカの手を取り、甲にキスをして…部屋を出る。


 俺は…窶れた彼女の頬を撫で、髪に触れ…そっと口付けをした。


「ありがとう、イェシカ。俺と出会ってくれて…今まで、共に過ごしてくれて」

 俺の言葉が届いているのかも分からないが…伝えたい。


「俺は、幸せだった。お前は常々、自分の死後は再婚しろって言っていたが…。
 俺の妻はお前だけだ。他の女性など…考えられない」

 イェシカの手を、強く握った。その手の上に涙が落ちる。気付かないうちに俺は、泣いていたようだ…。
 

 俺はお前を、幸せに出来ただろうか?答えを聞く事は出来ないが…。


「愛してる…イェシカ、俺に幸せをくれて、ありがとう…!!」

 俺の言葉に…僅かにイェシカは、微笑んでくれた気がした。



 そして…俺の腕の中で、静かに息を引き取った。
 俺達が初めて出会った時から、丁度10年後の春だった。






 

 その後も俺は皇族に戻る事せず、気ままに暮らしていた。

 両親は早過ぎるイェシカの死を悼んでくれた。そして…保留にしたままの話を、誰も切り出す事はしなかった。

 俺もこのまま、曖昧なままで済ませようと思っていた。

 兄貴にはルシアンも生まれたし…俺に継承権が回ってくる事はないだろう。俺の動向は皇室でも把握しているし、好き勝手に生きても構うまい。


 今まで通り、必要以上に他者と関わる事はせず。仕事も淡々とこなそう。
 彼女の後を追おうとは思わないが…俺はあと何年経ったら、彼女の元に行けるんだ?とはよく考えていた。

 人生の目的も無く、これといった趣味も無くなんとなく生きている毎日。




 そんな風に日々を過ごしていたが…ある年。
  
 セレスタンが入学して来た年…それが、俺の転機となった。
 
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