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第一章
3.道徳を説く
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中央政府。
王都に位置する政治と行政の中心部であり、そこでは数多の人間やエルフが働いている。
非常な大きな権力を持つゆえに清廉潔白でなければいけないというのに、数年前まで多くの者たちが汚職に手を染めていた。国庫から大量の金が流出し、その行き先は殆ど分からず終いだった。現国王は威信を取り戻す為に、汚職追放を叫んだ。
国の仕事に携わる者は末端に至るまで、金の流れを把握し報告することが求められた。視察のために多くの役人たちが地方へと駆り出され、自警団が役場の仕事を兼ねているような小さな小さなはずれの村も、その対象からは外されなかった。
基本的に自給自足で暮らす住民が多いはずれの村でも入り物はある。作物を貯蔵するための倉庫はいくつも作る必要があったので、金銭と引き換えに近隣の町から煉瓦や石、鉄を取り寄せることがあった。また、正当な理由を添えれば、国から幾ばくかの金銭を受け取ることもできた。村の帳簿には、資金がいつ何に使われたのか、覚え書きとともに漏れなく記載がされている。
リアとマルティンはその帳簿を、毎週始めに中央政府の役人であるゼルドリックとアンジェロに見せ、不審な金の動きがないことを報告した。そして帳簿に対する説明を求められれば都度答える形で、はずれの村の視察は進んだ。
それは今週も変わりない。マルティンが帳簿に記載された事柄について逐一説明をする。ゼルドリックは目を閉じ、腕組みをしながらその説明を聞き、何か気になることがあればすぐさま口を挟むのだった。
「仕入れてきた鉄は本当にこれだけか? 新しく作られた農具の数と比べてあまりにも少ないように思える」
「本当にそれだけです。おおよその鉄は村の西にある鉱山から掘り出しましたので」
「であれば、この村で調達したという鉄の量はかなりのものになるな。短期間でどうやってこの量を揃えた?」
ゼルドリックはマルティンを見た。特別睨んでいる訳ではないのだろうが、野性的なゼルドリックの顔は他者に対して強い威圧感を与える。マルティンは緊張と恐怖から口をもごもごと動かした。そんなマルティンを見かねてリアは口を開いた。
「鉄は私が用意しました」
ゼルドリックの視線がリアに向けられる。リアは強さのある視線を受けまた胸が落ち着かなくなったが、息を吸って言葉を紡いだ。
「先程も申し上げましたが、今は住民総出で新たな農地を開拓しているため、必要とされる農具の数が増えております。そのため私が急いで鉱山から鉄を掘り出して精錬をし、必要な分の農具を作成いたしました」
リアの説明を聞きながら、ゼルドリックが口の端を歪めていく。リアはそれを見て嫌な予感がしたが、平静を心がけて続けた。
「すべての鉄をこの村で賄うこともできたのでしょうが、鉱山から鉄を急激に掘り出すと落盤の危険があると判断したため、足りない分は隣村に鉄の取引をお願いした次第でございます。その取引分がここに記載されています」
「ほう? また君かリローラン!」
腕を組むのを止め、ゼルドリックが狭い机の上に身を乗り出した。目がかち合い、顔の近さにリアは思わず後ろに下がった。
「帳簿のおかしな点はいつも君が原因だ。屋根に壁に、農具から何から何まで……毎週毎週よく働き、よく作るものだ。短期間で鉱山からこれだけの鉄を掘り出すなどただの人間には到底無理な話。強靭な肉体を持つドワーフの成せる業だな。尤も、君は人間との混ざり血だが……」
大仰にゼルドリックは手を叩いてみせ、口の端を歪めた。リアはゼルドリックのこの口の端を片方だけ歪めるような笑みを警戒した。ゼルドリックがこの特徴的な笑みを浮かべる時は、大抵リアに何か言ってやろうと考えている時だった。
「前は何だった? 貯蔵庫の屋根だったか。雨で屋根が大きく崩れ大量の粘土が入用になると聞けば、翌週にはすっかり直っている。それなのに入用のものを取引した形跡がない。実に怪しい。聞けば、君が粘土の用意から修理まですべて一人で行ったと言う。この村はいつもそうだ。普通では考えられないようなことが君ひとりの手で引き起こされている」
ゼルドリックは愉快そうに続ける。
「低い背に短い手足、度を越して頑固で愚鈍だとドワーフはよく言われるが、その手先の器用さと仕事に対する従順さは目を見張るものがあるな。リローラン、君は随分とドワーフの血を色濃く受け継いだようだ。君の手で作れないものなど、ありはしないのだろうな……」
ゼルドリックの言葉には何やら裏があるように感じ、単純な褒め言葉と捉えられないのはなぜだろうかとリアは思った。
「して……君ひとりでこの仕事をこなした訳ではあるまい?」
リアは顔を強張らせた。ここで素直に仕事を一人でこなしたと答えてしまえば、また面倒なことになると思った。しかしゼルドリックはリアの小さな変化を見逃さず、小さく溜息を吐くと呆れたように言った。
「……ふむ。言わずともよい。君のその様子を見て分かった」
ゼルドリックはやれやれと首を横に振った。
「君ひとりだけがこの仕事をこなした。鉄の切り出しも、鍬だの鋤だのの用意も、村の人間に当然手伝わせるべきだというのに。はずれの村の人間は、相変わらず哀れな混ざり血の女を随分とこき使っているようだ。……なあ? ベアクロー」
リアと話している時とは打って変わってゼルドリックは唸るような低い声を出した。いきなり姓を呼ばれたマルティンはびくりと肩を震わせた。
(まずいわ……マルが攻撃の対象になってしまう)
「いえ、私ひとりだけで鉄の切り出しから農具の用意までした訳ではありません。マルは仕事に充分協力してくれました」
ゼルドリックの視線がマルティンから外され、リアはほっとした。
「だがそれ以外の住民は? 農地の開拓に忙しくて君が持つ仕事を手伝えなかったとでも言うつもりか」
リアは再びぎくりとした。嘘の苦手なリアにとっては、ここで事実と異なることを言ったとしても、その後のゼルドリックの追及から逃れられる気がしなかった。自分の声が小さいことは承知で、ばつが悪そうにリアは答えた。
「……私が受け持つ仕事に、これ以上人を割けないのは仕方ないのです。農地の拡大は、自給自足で暮らしているこの村の最優先事項ですし。若者の少ない村ですから、石の切り出しなどの力仕事は私とマルの二人で頑張っていかなければ。大変ですが私たちなら十分にこなせる仕事の量です」
「はあ……。そんなことだろうと思った。この村の人間どもにはまた、道徳を説く必要があるらしい」
ゼルドリックは眉をひそめた。
「君は働きすぎだ。そしてはずれの村の人間は君を働かせ過ぎだ。聞けば、君はろくに金を受け取ることもなく、作物だの魚だのを対価に、朝から晩まで働いているそうだな。野菜など貰わなくとも君も育てているのだろう? 大した対価も受け取らぬままそこまで熱心に働くのは、村の人間共に弱みでも握られているからか? それともドワーフという種の習性か? それとも君が度を越してお人好しなのか……。そんなに働くことが好きなら、私の屋敷の世話でも君に任せてみようか。私の屋敷は王都の一等地にあって、とてもとても広くてな。実に手入れが大変なのだ……」
ゼルドリックは粘っこくリアに話しかけ、腕を伸ばして長い人差し指でリアの顔をなぞりあげた。
「私の屋敷で暮らせば、田舎者の君が経験したことのないような贅沢をさせてやれるぞ。こんな辺鄙な村で暮らしていくよりは良いだろう? ……どうだ? 私なら、君にそれなりの給金を出してやれる。リア=リローラン。私に飼われたらどうだ?」
どうもこのダークエルフの役人は過剰に接触してくるきらいがある。リアは頬の線を確かめるように緩やかに動く指の感触と、野性的で強さのあるゼルドリックの目を見て急いで顔を離した。
「ありがたい申し出ですが……私は、今の生活で充分満足しております」
リアは落ち着かない気持ちを必死に押さえつけ、情けなく目を逸らし小さな声で呟くのが精一杯だった。自分から離れていったリアを不服そうに見つめ、ゼルドリックはふん、と鼻を鳴らした。
「……まあよい。この村で暮らすのが嫌になった時は、このゼルドリック=ブラッドスターにいつでも言うことだ。屋敷の世話係は、働き者の君のために空けておくからな……」
ゼルドリックはリアを見つめてまた意地悪く口角を上げた。そしてマルティンの方に向き直ると、短くぴしゃりと言い放つのであった。
「ベアクロー。帳簿を見るのは飽いた。村を案内しろ」
――――――――――
おおよその住民が農業で生計を立てているため、はずれの村には農地ばかりが広がっている。
中央政府の役人がはずれの村を訪れた際は、村の中心にある自警団の事務所を出て、広大な農地、湖畔、村の西にある鉱山、そして高台を順に案内するのが常であった。ゼルドリックとアンジェロを連れ、リアとマルティンはまず農地をひとつひとつ巡り歩いた。
暑い真夏日の昼下がり。青々とした天気と美しい緑、咲き誇る向日葵。明るく長閑な風景とは裏腹に、リアは心の中で何度も溜息を吐いた。リアはこの、ゼルドリックを連れて農地を巡り歩く時間が特に嫌だった。ゼルドリックが村人へ取る態度は、決して友好的とはいえないものだった。
毎週、ゼルドリックは道徳を説くという名目で、村の住民を捕まえてはリアの仕事量について口にし、住民に対して執拗に口撃をした。
ゼルドリックは捕まえた住人に対して挨拶も交わさず、いきなりリア一人を働かせすぎるなだの、仕事の対価は野菜ではなく金で払えだの、この村は混ざり血をこき使っているだの、非常に威圧的な態度で相手を脅した。リアはゼルドリックの機嫌を損ねない程度に優しく窘めた。
果ては、足を悪くしあまり出歩くことのない村長の家を急に訪ねては、リアの給金を上げろだの、朽ちかけた自警団の事務所をすぐ建て直せだの無茶を言うので、ここでもゼルドリックを止めるのに体力が要った。
心根が優しく、足腰の悪い痩せた老人が縮こまり、横も縦も大きいゼルドリックの叱責を受けているのを見るのは、心優しいリアにとってあまりにも耐え難いことだった。リアは、村長は体調が悪そうだと適当な言い訳をゼルドリックにして、急いで村長の家を去った。
当初、中央政府の役人たちを物珍しげに見ていたはずれの村の住民たちは、こぞってゼルドリックとアンジェロの後を付いて回ったり、積極的に視察の案内を申し出たりした。しかし、ゼルドリックがリアの名を出して、会う人間会う人間を威圧し始めると、あっという間に彼らに近づく住民はいなくなった。
そして、やらなければならない作業が山程あるにも拘らず、視察のある日はゼルドリックに会うことを恐れて、住民たちがあまり外に出歩かなくなってしまった。自警団の中でも、ゼルドリックに会いたくないと言い出す人間が出て、いつの間にか役人の応対はリアとマルティンの二人だけが担うことになった。
リアは小さく溜息を吐いた。
(……確かに働きすぎているという自覚はある。本当はもっと早く仕事を切り上げたいし、もっと休みたい。でも、この村には私の力を必要とする仕事は幾らでもあって、道具はたくさん作らなければいけないし、夜になれば危険な害獣が森から出てくる。若い子だって殆ど居ない。私の力の強さは頼りにされている。村の人達のことを考えたら、休みなんてとても取れない。この村は裕福じゃない。皆暮らしていくのに必死なのよ。……お金がないって頻繁に聞こえてくるのに、貰い辛いわ……)
リア自身は、仕事の対価として魚や野菜を受け取ることに特段不満はなかった。自警団員として最低限の給金は貰っていたし、たくさん食べるハーフドワーフのリアにとって食料はいくら貰ってもありがたいものだった。
また金を貰っても、週に一度やってくる行商人から鉱物を買い、適当な装身具を作る趣味以外にはそれほど金を使わなかった。だから今まで通りで構わないとリアは思っていた。
しかし最近は、ゼルドリックに脅された住民たちが僅かな金を持って、とても申し訳なさそうな顔をしてリアに頼み事を持ってくるようになった。皆、ゼルドリックだけではなく、ゼルドリックの口から出るリアに対しても気を遣っているのを感じる。今まで気さくに接してきた住民との間に壁が生まれてしまった気がして、リアは少し寂しかった。
一度、なぜそんなにも自分の仕事量を気にするのかと、リアはゼルドリックに訊ねたことがある。その時、ゼルドリックは意地悪く微笑み、何やら難しい訳を言った。
――はずれの村は私の管轄だ。この村が混ざり血をこき使って成り立っているのなら、それは当然、多種族差別解消法拾三条に則って是正されなければならない。特定の種に過度の労働をさせるのは厳禁なのだ。君の現在の処遇は中央政府の者として見過ごせぬ、だからあえて君の名を出している。
リアは法律のことはよく分からなかったが、中央政府の役人がそう言えばそうなのだろうと思った。しかし、この狭い村でずっと暮らしてきたリアにとっては非常にやり辛い。かと言って、法律に従って動く役人に対して何も言うことはできずに、リアはただ視察の度ゼルドリックをごく優しく窘め続けることしかできなかった。
王都に位置する政治と行政の中心部であり、そこでは数多の人間やエルフが働いている。
非常な大きな権力を持つゆえに清廉潔白でなければいけないというのに、数年前まで多くの者たちが汚職に手を染めていた。国庫から大量の金が流出し、その行き先は殆ど分からず終いだった。現国王は威信を取り戻す為に、汚職追放を叫んだ。
国の仕事に携わる者は末端に至るまで、金の流れを把握し報告することが求められた。視察のために多くの役人たちが地方へと駆り出され、自警団が役場の仕事を兼ねているような小さな小さなはずれの村も、その対象からは外されなかった。
基本的に自給自足で暮らす住民が多いはずれの村でも入り物はある。作物を貯蔵するための倉庫はいくつも作る必要があったので、金銭と引き換えに近隣の町から煉瓦や石、鉄を取り寄せることがあった。また、正当な理由を添えれば、国から幾ばくかの金銭を受け取ることもできた。村の帳簿には、資金がいつ何に使われたのか、覚え書きとともに漏れなく記載がされている。
リアとマルティンはその帳簿を、毎週始めに中央政府の役人であるゼルドリックとアンジェロに見せ、不審な金の動きがないことを報告した。そして帳簿に対する説明を求められれば都度答える形で、はずれの村の視察は進んだ。
それは今週も変わりない。マルティンが帳簿に記載された事柄について逐一説明をする。ゼルドリックは目を閉じ、腕組みをしながらその説明を聞き、何か気になることがあればすぐさま口を挟むのだった。
「仕入れてきた鉄は本当にこれだけか? 新しく作られた農具の数と比べてあまりにも少ないように思える」
「本当にそれだけです。おおよその鉄は村の西にある鉱山から掘り出しましたので」
「であれば、この村で調達したという鉄の量はかなりのものになるな。短期間でどうやってこの量を揃えた?」
ゼルドリックはマルティンを見た。特別睨んでいる訳ではないのだろうが、野性的なゼルドリックの顔は他者に対して強い威圧感を与える。マルティンは緊張と恐怖から口をもごもごと動かした。そんなマルティンを見かねてリアは口を開いた。
「鉄は私が用意しました」
ゼルドリックの視線がリアに向けられる。リアは強さのある視線を受けまた胸が落ち着かなくなったが、息を吸って言葉を紡いだ。
「先程も申し上げましたが、今は住民総出で新たな農地を開拓しているため、必要とされる農具の数が増えております。そのため私が急いで鉱山から鉄を掘り出して精錬をし、必要な分の農具を作成いたしました」
リアの説明を聞きながら、ゼルドリックが口の端を歪めていく。リアはそれを見て嫌な予感がしたが、平静を心がけて続けた。
「すべての鉄をこの村で賄うこともできたのでしょうが、鉱山から鉄を急激に掘り出すと落盤の危険があると判断したため、足りない分は隣村に鉄の取引をお願いした次第でございます。その取引分がここに記載されています」
「ほう? また君かリローラン!」
腕を組むのを止め、ゼルドリックが狭い机の上に身を乗り出した。目がかち合い、顔の近さにリアは思わず後ろに下がった。
「帳簿のおかしな点はいつも君が原因だ。屋根に壁に、農具から何から何まで……毎週毎週よく働き、よく作るものだ。短期間で鉱山からこれだけの鉄を掘り出すなどただの人間には到底無理な話。強靭な肉体を持つドワーフの成せる業だな。尤も、君は人間との混ざり血だが……」
大仰にゼルドリックは手を叩いてみせ、口の端を歪めた。リアはゼルドリックのこの口の端を片方だけ歪めるような笑みを警戒した。ゼルドリックがこの特徴的な笑みを浮かべる時は、大抵リアに何か言ってやろうと考えている時だった。
「前は何だった? 貯蔵庫の屋根だったか。雨で屋根が大きく崩れ大量の粘土が入用になると聞けば、翌週にはすっかり直っている。それなのに入用のものを取引した形跡がない。実に怪しい。聞けば、君が粘土の用意から修理まですべて一人で行ったと言う。この村はいつもそうだ。普通では考えられないようなことが君ひとりの手で引き起こされている」
ゼルドリックは愉快そうに続ける。
「低い背に短い手足、度を越して頑固で愚鈍だとドワーフはよく言われるが、その手先の器用さと仕事に対する従順さは目を見張るものがあるな。リローラン、君は随分とドワーフの血を色濃く受け継いだようだ。君の手で作れないものなど、ありはしないのだろうな……」
ゼルドリックの言葉には何やら裏があるように感じ、単純な褒め言葉と捉えられないのはなぜだろうかとリアは思った。
「して……君ひとりでこの仕事をこなした訳ではあるまい?」
リアは顔を強張らせた。ここで素直に仕事を一人でこなしたと答えてしまえば、また面倒なことになると思った。しかしゼルドリックはリアの小さな変化を見逃さず、小さく溜息を吐くと呆れたように言った。
「……ふむ。言わずともよい。君のその様子を見て分かった」
ゼルドリックはやれやれと首を横に振った。
「君ひとりだけがこの仕事をこなした。鉄の切り出しも、鍬だの鋤だのの用意も、村の人間に当然手伝わせるべきだというのに。はずれの村の人間は、相変わらず哀れな混ざり血の女を随分とこき使っているようだ。……なあ? ベアクロー」
リアと話している時とは打って変わってゼルドリックは唸るような低い声を出した。いきなり姓を呼ばれたマルティンはびくりと肩を震わせた。
(まずいわ……マルが攻撃の対象になってしまう)
「いえ、私ひとりだけで鉄の切り出しから農具の用意までした訳ではありません。マルは仕事に充分協力してくれました」
ゼルドリックの視線がマルティンから外され、リアはほっとした。
「だがそれ以外の住民は? 農地の開拓に忙しくて君が持つ仕事を手伝えなかったとでも言うつもりか」
リアは再びぎくりとした。嘘の苦手なリアにとっては、ここで事実と異なることを言ったとしても、その後のゼルドリックの追及から逃れられる気がしなかった。自分の声が小さいことは承知で、ばつが悪そうにリアは答えた。
「……私が受け持つ仕事に、これ以上人を割けないのは仕方ないのです。農地の拡大は、自給自足で暮らしているこの村の最優先事項ですし。若者の少ない村ですから、石の切り出しなどの力仕事は私とマルの二人で頑張っていかなければ。大変ですが私たちなら十分にこなせる仕事の量です」
「はあ……。そんなことだろうと思った。この村の人間どもにはまた、道徳を説く必要があるらしい」
ゼルドリックは眉をひそめた。
「君は働きすぎだ。そしてはずれの村の人間は君を働かせ過ぎだ。聞けば、君はろくに金を受け取ることもなく、作物だの魚だのを対価に、朝から晩まで働いているそうだな。野菜など貰わなくとも君も育てているのだろう? 大した対価も受け取らぬままそこまで熱心に働くのは、村の人間共に弱みでも握られているからか? それともドワーフという種の習性か? それとも君が度を越してお人好しなのか……。そんなに働くことが好きなら、私の屋敷の世話でも君に任せてみようか。私の屋敷は王都の一等地にあって、とてもとても広くてな。実に手入れが大変なのだ……」
ゼルドリックは粘っこくリアに話しかけ、腕を伸ばして長い人差し指でリアの顔をなぞりあげた。
「私の屋敷で暮らせば、田舎者の君が経験したことのないような贅沢をさせてやれるぞ。こんな辺鄙な村で暮らしていくよりは良いだろう? ……どうだ? 私なら、君にそれなりの給金を出してやれる。リア=リローラン。私に飼われたらどうだ?」
どうもこのダークエルフの役人は過剰に接触してくるきらいがある。リアは頬の線を確かめるように緩やかに動く指の感触と、野性的で強さのあるゼルドリックの目を見て急いで顔を離した。
「ありがたい申し出ですが……私は、今の生活で充分満足しております」
リアは落ち着かない気持ちを必死に押さえつけ、情けなく目を逸らし小さな声で呟くのが精一杯だった。自分から離れていったリアを不服そうに見つめ、ゼルドリックはふん、と鼻を鳴らした。
「……まあよい。この村で暮らすのが嫌になった時は、このゼルドリック=ブラッドスターにいつでも言うことだ。屋敷の世話係は、働き者の君のために空けておくからな……」
ゼルドリックはリアを見つめてまた意地悪く口角を上げた。そしてマルティンの方に向き直ると、短くぴしゃりと言い放つのであった。
「ベアクロー。帳簿を見るのは飽いた。村を案内しろ」
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おおよその住民が農業で生計を立てているため、はずれの村には農地ばかりが広がっている。
中央政府の役人がはずれの村を訪れた際は、村の中心にある自警団の事務所を出て、広大な農地、湖畔、村の西にある鉱山、そして高台を順に案内するのが常であった。ゼルドリックとアンジェロを連れ、リアとマルティンはまず農地をひとつひとつ巡り歩いた。
暑い真夏日の昼下がり。青々とした天気と美しい緑、咲き誇る向日葵。明るく長閑な風景とは裏腹に、リアは心の中で何度も溜息を吐いた。リアはこの、ゼルドリックを連れて農地を巡り歩く時間が特に嫌だった。ゼルドリックが村人へ取る態度は、決して友好的とはいえないものだった。
毎週、ゼルドリックは道徳を説くという名目で、村の住民を捕まえてはリアの仕事量について口にし、住民に対して執拗に口撃をした。
ゼルドリックは捕まえた住人に対して挨拶も交わさず、いきなりリア一人を働かせすぎるなだの、仕事の対価は野菜ではなく金で払えだの、この村は混ざり血をこき使っているだの、非常に威圧的な態度で相手を脅した。リアはゼルドリックの機嫌を損ねない程度に優しく窘めた。
果ては、足を悪くしあまり出歩くことのない村長の家を急に訪ねては、リアの給金を上げろだの、朽ちかけた自警団の事務所をすぐ建て直せだの無茶を言うので、ここでもゼルドリックを止めるのに体力が要った。
心根が優しく、足腰の悪い痩せた老人が縮こまり、横も縦も大きいゼルドリックの叱責を受けているのを見るのは、心優しいリアにとってあまりにも耐え難いことだった。リアは、村長は体調が悪そうだと適当な言い訳をゼルドリックにして、急いで村長の家を去った。
当初、中央政府の役人たちを物珍しげに見ていたはずれの村の住民たちは、こぞってゼルドリックとアンジェロの後を付いて回ったり、積極的に視察の案内を申し出たりした。しかし、ゼルドリックがリアの名を出して、会う人間会う人間を威圧し始めると、あっという間に彼らに近づく住民はいなくなった。
そして、やらなければならない作業が山程あるにも拘らず、視察のある日はゼルドリックに会うことを恐れて、住民たちがあまり外に出歩かなくなってしまった。自警団の中でも、ゼルドリックに会いたくないと言い出す人間が出て、いつの間にか役人の応対はリアとマルティンの二人だけが担うことになった。
リアは小さく溜息を吐いた。
(……確かに働きすぎているという自覚はある。本当はもっと早く仕事を切り上げたいし、もっと休みたい。でも、この村には私の力を必要とする仕事は幾らでもあって、道具はたくさん作らなければいけないし、夜になれば危険な害獣が森から出てくる。若い子だって殆ど居ない。私の力の強さは頼りにされている。村の人達のことを考えたら、休みなんてとても取れない。この村は裕福じゃない。皆暮らしていくのに必死なのよ。……お金がないって頻繁に聞こえてくるのに、貰い辛いわ……)
リア自身は、仕事の対価として魚や野菜を受け取ることに特段不満はなかった。自警団員として最低限の給金は貰っていたし、たくさん食べるハーフドワーフのリアにとって食料はいくら貰ってもありがたいものだった。
また金を貰っても、週に一度やってくる行商人から鉱物を買い、適当な装身具を作る趣味以外にはそれほど金を使わなかった。だから今まで通りで構わないとリアは思っていた。
しかし最近は、ゼルドリックに脅された住民たちが僅かな金を持って、とても申し訳なさそうな顔をしてリアに頼み事を持ってくるようになった。皆、ゼルドリックだけではなく、ゼルドリックの口から出るリアに対しても気を遣っているのを感じる。今まで気さくに接してきた住民との間に壁が生まれてしまった気がして、リアは少し寂しかった。
一度、なぜそんなにも自分の仕事量を気にするのかと、リアはゼルドリックに訊ねたことがある。その時、ゼルドリックは意地悪く微笑み、何やら難しい訳を言った。
――はずれの村は私の管轄だ。この村が混ざり血をこき使って成り立っているのなら、それは当然、多種族差別解消法拾三条に則って是正されなければならない。特定の種に過度の労働をさせるのは厳禁なのだ。君の現在の処遇は中央政府の者として見過ごせぬ、だからあえて君の名を出している。
リアは法律のことはよく分からなかったが、中央政府の役人がそう言えばそうなのだろうと思った。しかし、この狭い村でずっと暮らしてきたリアにとっては非常にやり辛い。かと言って、法律に従って動く役人に対して何も言うことはできずに、リアはただ視察の度ゼルドリックをごく優しく窘め続けることしかできなかった。
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苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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