リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第二章

16.王都への招待

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 空が白み始め、美しい鳥のさえずりが聞こえ始める頃。
 アンジェロは寮の自室で気持ち良く眠っていたところを、己の上司に叩き起こされた。

「起きろ! アンジェロ!」

 優美なエルフ様式の家具に装われた部屋にまるで相応しくない、ゼルドリックの威圧的な声が響き渡る。アンジェロはそのまましばらく眠ったふりをしてやり過ごそうとしたが、何度も呼びかけるゼルドリックの大声に耐えかね、非常に面倒な様子で目を開けた。

「……ゼルドリック様。なぜ私の部屋に?」

「リアを迎えに行く! 速やかに準備しろ!」

 ゼルドリックは機嫌の良さそうな声で部下に命じた。彼は中央政府の制服を皺なく着て、髪もしっかりと撫で付けている。出発する準備は万端な様だった。アンジェロは上体を起こし窓を見た。まだ陽が登っていない。寝起きのぼやけた目で時計を見ると、まだ朝の四時半だった。

「今、何時だと思っているのですか」

「朝の四時半だ。それがどうした? リアはいつも朝四時に起きている!」

 ゼルドリックはアンジェロのローブの端を引っ張り、早く準備するように急かした。アンジェロは上司の監視の元、仕方なくベッドを降りて自分の準備を整えていく。なぜ彼女の起床時間を知っているのかと思ったが、深くは聞かないことにした。

「リアを王都に連れて行き、ファティアナ様が身に付ける装飾品を作ってもらう。これは王女の望みだからな。この国に忠誠を誓う中央政府の者として、何としても達成しなければならない任務だ! ゆえに、速やかに村へ向かう必要がある。分かるな? 俺はもう朝食も済ませたぞ!」

 ゼルドリックはアンジェロお気に入りの椅子に勝手に腰掛け、上機嫌にはずれの村へ向かう目的を言った。

「転移門を使って王都から湖畔の街に向かい、それからはずれの村に向かっても良いがな。舟であの湖を往復するのは面倒だし、道中、リアを危険な目に晒す訳にはいかない……」

 ゼルドリックがぱちりと指を鳴らすと、アンジェロの部屋の中心に黒い渦のようなものが出現した。

「ゆえに、俺の転移魔法ではずれの村に直接向かう。この魔力の渦を通った先は、リアの家の前だ!」

 早くリアに会いたいといった様子で、ゼルドリックは椅子から立ち上がり、忙しなく部屋の中を歩き回った。アンジェロは着替えの途中であったが、ゼルドリックの発言に思わず手を止めた。

「ゼルドリック様。転移魔法は高等魔術にあたるゆえに、転移先に自らの魔力の塊が存在しないと使えないはずです」

「心配ない。はずれの村には俺が創った魔力の鷹が飛んでいるのでな。鷹を目印として転移することは可能だ。この俺に抜かりはない」

 ゼルドリックは長い人差し指で自らの頭をとんとんと叩き、口の端をくいっと曲げた。

「お聞きしますが。なぜはずれの村に鷹を放たれているのですか」

「村の様子を確かめるためだ。村の人間共が本当にリアをこき使っていないか確認する必要があるからな」

 ゼルドリックは如何にもそれが正しいという風に胸を張った。アンジェロは無表情な顔に隠しながらも、内心溜息を吐いた。

「あなたの行状を告発したくなってきました」

「ふん、俺とリアが心を通い合わせてからにしろ。もう着替え終わったか? 用意が済んだのなら行くぞ」

 アンジェロはまだ朝食を食べていないと言おうとしたが、返事を待たずにゼルドリックは勢いよく魔力の渦の中に飛び込んだ。


 ――――――――――


 リアの朝は早い。
 早朝の静かな冴え渡る空気が好きで、いつも朝の四時に起きると決めていた。早く起きては畑の野菜に水をやったり、温かい茶を飲みながら本を読んだ。規則正しく起き、朝に決まったことをすることこそ、穏やかに過ごしていく秘訣だとリアは知っていた。

(昨日は弛んでしまった)

 リアは自戒した。ゼルドリックともう会えない寂しさのあまり、昨日一日は何もせず、マルティンに取り留めのない話をし続けてしまった。

(今日からしっかりいつも通り過ごすのよ。何かしていれば、寂しい気持ちはいつか消えるのだから)

 そう思いながら、リアは編みかごを持って玄関に向かった。畑の世話をした後は森にブラックベリーを摘みに行き、菓子を焼いてマルティンに持っていこうと考えていた。

(今日は、どんな一日になるかしらね)

 鼻歌を歌いながら、玄関の扉を開く。
 そこにはゼルドリックが立っていた。

(え!? ブラッドスター様!? なんで!?)

 驚いたリアは情けない声を上げ、腰を抜かして床に座り込みそうになったが、リアが尻餅をつく前にゼルドリックが柔らかくリアの身体を抱き留めた。

「可愛らしい鼻歌だなあ、リローラン。随分とご機嫌じゃないか?」

 ゼルドリックは口の端をくいっと曲げ、リアに挨拶をした。

「なっ……な、な、なんでっ、なんでここに……!?」

 吃るリアに落ちつけと声をかけ、ゼルドリックはリアの小さな身体を抱き留めたまま、一歩前に進んだ。

「お早う、リローラン。早起きな君に話があるのだ。ここでは何だから、我々を家に上げてくれないか?」

 ゼルドリックはリアに顔を近づけ許可を求めた。彼の瞳は強くリアの顔を見据え、大きな身体は有無を言わさずというように、ぐいぐいとリアの身体に押し付けられている。リアは混乱と緊張のあまり、早く身体を離してほしくて、思わず首を縦に振ってしまった。

「物分かりが良いな。こちらとしても仕事がやりやすくて実に助かる。それでは失礼するぞ」

(え、え……え? どういうこと……? 寂しいとは思ってたけど、こんな再会は想像してなかったわ……)

 困惑するリアをよそに、二人のエルフの役人はリアのログハウスにずかずかと足を踏み入れた。


 ――――――――――


「早朝の訪問失礼する。だが、どうしても君に話さなければならないことがあってきたのだ。許せよ」

 ゼルドリックは全く申し訳ないと思っていない声音で、リアに切り出した。

「ふむ、この椅子は中々に使い心地が良さそうだ。あの自警団の虫が巣食っていそうな朽ちた椅子とは違い、私の腰に優しい」

「……ありがとうございます」

 リアは茶を淹れながら難しい顔をした。

 リアの家は玄関の扉を開ければすぐ台所に繋がる。二人のエルフの役人は、部屋の中心に置かれた大テーブルへ一直線に向かい、許可もなく椅子に座り込んだ。玄関と続く台所は便利で、いつでも気の安らげる場所であったはずなのに、リアはこの間取りで家を建てたことを後悔した。あの二人が一体何をしにきたかは分からないが、あんな風に座り込まれ茶を出すしかない状況になってしまったら、当分帰らなさそうな気がした。

 ゼルドリックは忙しなくリアの台所を見渡した。その動きにリアは嫌な予感がした。何か言ってやろうと考えているのではないかとリアは思った。

「ほう、ほう……。なるほど……。ハーフドワーフというから無骨な部屋に住んでいるのかと思ったが……。中々可愛らしい部屋じゃないか? ドライハーブを飾っているのだな。これはラベンダー、これはローズマリー、これはユーカリ……パルシファーもおすすめだぞ。赤い綿毛はどんな部屋にも映える」

(誰が毒草なんか飾るものですか)

 やはり、この役人は嫌味を言うことを忘れない。自分がパルシファーの名を出せば傷付くと知っていて、こんなことを言うのだ。リアは聞き流し、なるべく平常心を心がけて二人の役人に茶を出した。

(あれ……?)

 リアは違和感を覚えた。

(パルナパ様……何だか、調子が悪そう?)

 いつも無表情のアンジェロだが、その顔は青白く瞳も濁り、元気が無いように見えた。

「パルナパ様、ご体調が優れませんか……?」

「うっ……」

「あ、パルナパ様!?」

 アンジェロはうめき声をひとつ上げ、無表情のまま机に突っ伏した。リアは急いで肩を揺すったが、彼は起き上がる気配がなかった。よく聞けばアンジェロが何事か呟いている。

「……空腹……だ……何か、食べるものを……」

「え……?」

 リアとゼルドリックは思わず顔を見合わせた。そしてリアがライ麦パンを差し出すと、アンジェロは起き上がり勢いよく食べ始めた。パンを齧る音だけが、静かな部屋に響く。パンをすっかり食べ終わると、アンジェロは一息吐いた。

「ふう。……リローラン殿、礼を言う。随分と落ち着いた。ゼルドリック様に急かされてここに来たゆえ、朝食を食べる時間を取れなかったものでな」

 アンジェロは横目でゼルドリックをちらりと見て、平坦な声で礼を言った。

「早朝に押しかけた上、このようなお願いをするのは無礼だとは思うのだが。出来ればもっとパンをいただけないだろうか? 厚かましいが、スープがあればそれもお願いしたい」

 アンジェロの言葉にゼルドリックは勢いよく眉を跳ね上げ何か言おうとしたが、リアは怒ることなく新しいパンを差し出した。

「お腹が空いて体調を悪くしてしまってはいけませんから。こんなもので良ければ食べてくださいね」

 リアは手早く用意をし、ライ麦パンの他に、畑の野菜で作ったサラダとスープ、ベリーのコブラーを机の上に並べた。アンジェロは何度も礼を言い、食事に手をつけ始めた。無表情であるが顔色は良く、目に輝きも戻っている。

(パルナパ様、余程お腹が空いてたんだなあ)

 自分の作った料理を美味しそうに食べてもらえると悪い気はしない。リアがアンジェロの様子を眺めていると、彼は少しだけ口角を上げた気がした。リアはいつも無表情で淡々としているアンジェロと少し打ち解けられた気がして、柔らかな微笑みを浮かべた。

「ふん」

 ゼルドリックの低い声がひとつ投げられた。機嫌を損ねたとでも言うように、眉に皺が寄せられる。

「アンジェロ、ここには食事をしに来た訳ではないだろう。己が任務を忘れるな。食事ひとつで懐柔されるなど、中央政府に属する高貴なエルフとしてあるまじきこと」

 ゼルドリックは厳しい声音でアンジェロを注意し、リアに向き直った。

「それにしても……随分と用意が良いのだなあリローラン。これだけの料理を手早く並べるなど。まるで最初から作っておいたとでも言う様に」

「あ……私はドワーフの血を引く分、人より多く食べますので……いつも大量に料理を作り置きしているのです」

「ほう、よく食べよく働くという訳か。善き事だな。沢山食べるゆえに君はそう肉付きがいいのか?」

 ゼルドリックは含みのある視線をリアの身体に向けた。リアは自分でも自覚していたことを指摘され、また傷付けられた。

「ところでだ。私も忙しき身のゆえ朝食を取っていない。アンジェロと同じものを貰っても良いだろうか? もちろん、田舎料理とはいえ君の貴重な食事に手を付ける訳だから、たっぷりと礼はさせてもらう。早朝に君の家を訪ねた詫びも込めてな」

 ゼルドリックは高慢な態度でリアに食事を要求した。

「構いませんが……その、ブラッドスター様のお口に合うかどうか……」

「アンジェロがここまで食べるということは、君の作った料理は悪くない味なのだろう。食事でもしながらゆっくりと話でもしようじゃないか」

 ゼルドリックは口の端をくいっと曲げた。

「大事な大事な話があるのだ。君と腰を据えて話さなければならぬ」


 ――――――――――


 ゼルドリックは緩慢な動作でリアの料理を口に運び、一口一口ごとに味を評した。言い方は一口毎に異なるが、まとめると素朴だが味は悪くないとの評価だったので、リアは安心したように息を吐いた。

「さて、君の家に来た理由だが」

 ゼルドリックは、リアが贈った胸元のブローチを見せた。

「私は昨日、この国の第七王女ファティアナ=パルナパ様の誕生会に出席したのだ。君が私に贈ってくれたこのブローチを着けてな」

「は、はい」

「王都のエルフが一同に会する王女の誕生会。君が私の為にと作ってくれたこのブローチは、王都に住む洗練されたエルフの間でも非常に評判が良かったのだ。一般的なドワーフが作りがちな粗野で無骨な作品とは違い、君のブローチは誠に優美で、我々エルフの目さえも惹くものだった」

(え、本当? 嬉しい……!)

 リアは思わず口角を上げた。王都に溢れる綺麗な装飾品に劣らぬ様にと、一生懸命に作ったブローチが評価されたと聞き、ひとりの鍛冶屋として、ドワーフの血を引く者としてしっかりと認められた気がした。

「ここからが重要だ。この鷹の意匠を施したブローチが、ファティアナ様の御目にも留まった。そして、ファティアナ様は君を望まれた。御身に身につけられる装飾品を、君に作って欲しいとな」

 リアは驚きから目を見開き、頓狂な声を出した。

「えっ……私が、王女様の、装飾品を…………?」

「ああ、君がだ。そしてファティアナ様は、君にも直接会いたいと仰っている。ゆえに、私たちと共に王都に向かい、そこでファティアナ様専属の職人として暮らしてほしい」

 リアは衝撃を受けた。ただの田舎の鍛冶屋である自分が、王女召抱えの職人になるなど。ゼルドリックから聞かされた話は現実味が無く、リアは自分が夢でも見ているのかと思った。

「その、嬉しいのですが……私の作品は懸命に作ったものだとはいえ、王都には私以上に美しいものを作り出す方々がいらっしゃるのでは。装飾品作りは趣味で、専門ではないですし……」

「謙虚なものだなリローラン。自らの行いとその結果に自信を持った方が良い。その謙虚な態度ゆえに村人共につけ込まれるのだ。我々エルフ、何より王女ファティアナ様からの賛辞を疑うな」

 ゼルドリックはベリーのコブラーを口に運び、これも悪くない味だとひとりごちた。

「ファティアナ様が君を望まれた理由は、デザインの良さだけではない様だ。ブローチに込められた想いの強さに惹かれたと仰っていた。人間が個性を出す様に、魔力を操るエルフにもそれぞれ得意な事がある。ファティアナ様は、物に込められた感情や思念を汲み取る、魔法的な力があるとお聞きする。君がどんなに強い感情をブローチに込めたのかは気になるところだが、それは追々聞くとして……」

 ゼルドリックはフォークを置き、ブローチに窓からの光を当てた。青い貴石が輝き、星の様な六条の光を放つ。

「この星彩の輝きの裏にある感情を、是非とも知りたいと仰っているのだよ。君の想いは君にしか作りだせぬし、君にしか解らないものだ。君の代替は世界中の美が集まる王都の中を探しても見つからぬ。唯一無二のものであるからな」

 リアは表情を曇らせた。ゼルドリックと王女からの賛辞はもちろん嬉しいもので、王都という大舞台で自分の力がどこまで通用するのか試してみたい気持ちもあった。

 しかし、大都会である王都で暮らしていけるのか、内気な自分が王女と話せるのか、本当に作品を気に入ってもらえるのか、村の仕事はどうなるのか……様々な悩みが出てきて、素直に喜ぶ事が出来なかった。

「君は何やら考え事をしている様だが。王女召抱えの宝石職人など、ほんの一握りの者がなることが許される、名誉ある職なのだよ。田舎の鍛冶屋である君には身に余る光栄だ」

 ゼルドリックは壁に飾られた、リアの鉱石コレクションを見た。

「ドワーフらしく石を集めるのが趣味だというのなら、王都ほど住むのに適した場所は無いぞ。王都には世界中のものが集まってくるからな。君が見た事が無いたくさんの石を目にするだろう。王女召抱えの宝石職人という栄誉、得られる名声。そして大量の給金。作業に存分に専念できる広い鍛冶場と、しっかりとした住居も保障しよう。こんな田舎村で人間共にこき使われて過ごすより、煌びやかな王都で過ごした方が君の親御さんも喜ぶだろう?」

 ゼルドリックは熱心な説得を続けたが、それでも晴れないリアの顔を見て少しの苛立ちを含ませた。

「ふむ……好条件も好条件。君が何故そんな顔をするのか私にはさっぱり分からんが……一応言っておこう。君の意思に拘らず、これは王女の望みであるゆえ。我々には何としても君を王都に連れていくという任務がある」

「わ、私は……」

 リアは自らの悩みを、どう言い出すべきか迷った。

「まあ、君の意思も大切だ……朝早くに邪魔をして、食事も世話になり、そして無理やり王都に連れて行くのでは乱暴な行いと言われても仕方がないからな。私としてもそんなことはしたくないし、君の意思で王都に来て欲しいものだ」

 猛禽類の様な青い瞳が、リアを逃さないとでも言う様に見据えている。

「さて、聞いておくが……何か王都に行きたくない理由があるのかね? 例えば、君に恋人がいて、そやつと離れたくないとか。好いた人間が居て、会えなくなる事が寂しいとか」

 リアは意外な問いに目を瞬かせた。

(えっ、なんでそんな事聞くの?)

 些か個人的な問いに戸惑っていると、ゼルドリックは低い声でどうなんだと答えを急かした。

「い、いいえ。恋人も、好きな方も……いません」

「ほう、歳頃の女だというのにか」

「はい、今までずっと、仕事で忙しかったので……」

 ゼルドリックはリアの答えに機嫌を良くした様だった。口の端を曲げ愉快そうに言った。

「そうだ、そうだな……君に恋人など、好いた人間など、いる訳がない。君は本当に仕事熱心であるからな……色恋とは無縁に見える」

(嫌味でしょうね)

 リアは目を閉じた。どうしてこうもこのダークエルフの役人は自分に対し、棘のある言葉をかけるのだろう? リアはゼルドリックに感じていた寂しさが段々と霧散していくのを感じた。

「ならば何だ。君の気掛かりを話してみろ」

「私は……はずれの村に住む方々が、気掛かりなのです」

 リアは言葉を選びながら、なるべく落ち着くことを心がけて話し始めた。

「この村の方々は、混ざり血である私に対して差別もせず、温かな態度で迎え入れてくれました。その、働きすぎるということもありましたが、ブラッドスター様からの言葉を受けて、村ぐるみで私を休ませてくれる優しさもあります。この村は若者がすぐに出て行ってしまうので、私まで王都に行っては、優しくしてくれた村の方々に、大きな苦労をかけてしまうのではないかと思っているのです……」

 リアは続けた。脳裏に仲良くしてきた村人ひとりひとりの顔や、マルティンの笑顔がよぎって、目頭が熱くなった。

「私は、一人の鍛冶屋として作品に賞賛をいただけたことを光栄に思います。出来ることなら、王都で自分の能力を存分に振るってみたいとも思っています。ですが、私はこの村が好きなのです。かけがえのない、弟のような存在もいます。マルに負担が行ってしまうのは苦しいですし、離れるのが、寂しいのです……」

 リアは耐えたが、自分の声が震えてしまったことを自覚した。





(あー……どうしようかな。いつ入ろう)

 マルティンはリアの家の壁に背を付け、息を吐いた。

 元気のない姉のためにと得意の猟銃で鹿を狩り、苦労して高台の先にあるリアの家に向かえば、珍しいことに誰か来ているようで、家の中から話し声が聞こえた。

 恐る恐る窓から中の様子を見れば、どういう訳かエルフの役人二人が食事をしながらリアと話している。

 話の内容が気になり、壁に耳を付けて聞き取っていると、どうやらリアは王女召し抱えの宝石職人に抜擢され、王都で暮らすよう命じられている様子だった。

(リア、僕や村の人たちのこと、気にしてくれてるんだね)

 マルティンもまた、リアの言葉に目頭が熱くなったのを感じた。心優しい姉が声を震わせながら、自分を慮ってくれたことが嬉しかった。

(長い間一緒にこの村で暮らしてきたから、僕もリアが王都に行ってしまうのは寂しいよ。でも、僕のことは気にしなくて良いんだ。リアのやりたいことをさせてあげたい)

 マルティンは窓を覗き込んだ。
 顔を上げ、自分に気が付いたアンジェロに合図を送れば、彼は立ち上がって玄関の鍵を開けてくれた。


「えっ……? マル、どうして?」

 急に家に入ってきたマルティンを見て、リアが目を見開いた。赤い目からぽろりと小さな雫が滴ったのを、マルティンは見逃さなかった。

「別に、驚かすつもりはなかったんだよ。リアが元気ないからさ、今日は美味しい鹿肉でも一緒に食べようかと思って、朝早くに持ってきたんだけど」

 マルティンは自分の長い髭を、くるくると指で回した。それは、心許したリアと会話する時だけにするマルティンの癖だった。

「リアの家にお役人さんがいて、気になってしばらく外から聞いてれば、リアを王都に連れて行くって言うじゃないか。……ねえ、リア。僕も寂しいよ。でもさ、リアの力が認められて、すごく嬉しいんだ。僕の自慢の姉さんは、王女様すら魅了するほどの凄い人なんだなって」

 マルティンはたっぷりとした眉を下げ、笑った。

「だからさ。行って来なよ。僕のことは気にせずに、やりたいことを存分にやってきな。リアが一週間何もせず丸々休んだって、どうにかなるって分かったんだ。それに全く会えなくなる訳じゃない。寂しくなったら、いつでもこの村に戻っておいで」

 マルティンがリアの背を優しくさすると、リアはマルティンに強く抱きついた。マルティンは呻き声を出した。

「リア、苦しい……君の力は人より強いんだから!」

「うっ……ありがとう、ありがとう、マル……!」

 ぐずぐずと泣くリアが落ち着くまで、マルティンはリアを優しく撫でた。自分の茶色い髭にも、次々と雫がこぼれていくのをマルティンは自覚した。二人のエルフの役人が見守る中、マルティンは泣きながら、しばらくリアと抱擁を交わした。


 ――――――――――


 リアは王都に行くことに決めた。一日かけて村を回り、住民たちに声をかけた。

 村長は労いの言葉をリアにくれた。戻ってくるまでに、自警団の事務所をしっかり建て直しておくから、楽しみにしていなさいと村長は言った。王都に行くことを決めたリアに対して、村人たちは誰も悪口や嫌味を言わなかった。各々が、リアに今までの感謝や、別れを惜しむ声や、この村を君の力で有名にしてくれという期待の言葉を贈った。

 リアがマルティンを伴って村を巡り終わり、自分の家に戻って来た時はもう夕暮れだった。辺り一面が赤く染まる中、庭の中心に黒い渦が巻いている。ゼルドリックが待ちわびたようにリアに駆け寄って来た。

「随分と待ったぞ。挨拶は済んだのか」

「はい、お時間を下さりありがとうございました。皆優しい方ばかりですので、私を快く送り出してくれました」

 リアは笑った。その顔に曇りはなく、晴れ晴れとしたものだった。

「そうか、それは良かった」

 ゼルドリックはリアの決意をその顔から読み取った様だった。

「ならば、そろそろ王都に向かうとするか。王都に向かうには通常、湖を渡った先にある街の転移門を使うのが主だが、万が一君の身に何かあっては我々の首が飛ぶからな。ゆえに、君の家から直接王都に向かう」

 ゼルドリックが右手を天に掲げると、リアの畑に植わっている野菜から大量の植木鉢、鍛冶場に置かれている道具までが、ふわふわと空に浮いた。

(すごい、これがエルフの使う魔法……?)

 リアは目を輝かせた。自分の育てた野菜や道具がふわふわと浮いている様は現実離れしていた。

「安心したまえ、家の中の物も全て共に王都に持っていく。君の寂しさが少しでも癒えるようにな」

 ゼルドリックはリアに、庭の中心にある渦の前に立つ様に促した。リアが歩いていくのをマルティンが見送ると、ゼルドリックがリアには聞こえないくらいの大きさで、マルティンに声をかけた。

「ベアクロー。やはりお前が気に入らぬ」

「また急に。何でですか?」

「リローランに強く慕われているからだ。お前を想って泣き、自ら強く抱きつくなど。羨まし……いや、許し難い。そのドワーフのような、やたらに長い髭も鬱陶しい」

 別に髭は関係ないのではないかと思ったが、マルティンは聞き流した。

「弟のような存在の僕にまで、嫉妬しなくてもいいでしょう」

「嫉妬だと?」

「リアの事が好きなんですよね?」

 ゼルドリックの目が大きく見開かれた。この高慢な役人を驚かせることができ、マルティンは少しだけ胸が空いた。

「な、なぜ……」

「なぜ分かったかですか? あなたは棘のある言い方でリアを虐めるし、僕やはずれの村に住む人たちにとっても厳しい。最初は田舎に住む人間が嫌いなんだなと思っていました」

「ふん」

「でも、リアの髪を褒めそやして。熱を出したリアを、家を探し当ててまで治療して。それがきっかけで気が付いたんです。リアの事を好きだと仮定すれば、色々なことがしっくり来るんです。毎週リアだけに贈り物を持ってくるし、何かにつけてリアの手を触りたがるし。今思えば随分と分かりやすいなって」

「あの女には絶対に言うなよ」

 ゼルドリックは顔を背けた。彼の尖った黒い耳が緊張する様にひくひくと動いているのをマルティンは見た。

「……リアの前で素直になれると良いですね」

「煩い」

 ぶっきらぼうにこぼしたゼルドリックに、マルティンは頭を下げた。

 ゼルドリックは魔力の渦に向かって歩き出した。彼が再び右手を天に掲げると、ごう、と音を立てて、黒い渦がリアの家全域に拡がった。マルティンが再び目を瞬かせた時には、リアも、二人の役人も、ふわふわと浮いていた庭の野菜や鍛冶道具も、綺麗さっぱりその場から消えていた。
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