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第二章
15.星彩に惹かれた者
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視察の翌日。太陽は燦々と輝き、はずれの村に咲き誇る向日葵を照らしている。
村の青く美しい湖畔で、リアは真夏の日差しをたっぷりと身体に受けながら、水に足を浸け涼んでいた。
「はあ……」
リアは、よく晴れた夏の天気に相応しくないじっとりとした溜息を、何度も何度も吐いた。
「もう、辛気臭いなあ!」
隣に座るマルティンが、うんざりした様子でリアに言った。リアはごめんと言いつつまた溜息を吐いた。
(寂しいな、ブラッドスター様に会う理由がなくなっちゃった。あんなに怖かったのに、会えなくなった途端に会いたいって思ってしまう)
良い天気だというのに何をする気も起きない。鍛冶仕事も畑の世話もする気が起きなくて、リアは湖へ釣りをしに行くというマルティンに、何をする訳でもなく付いていくことにした。
「マル、お姉ちゃんの話、聞く気ない?」
「……一応聞くけど、どうしたの」
マルティンは釣り糸を垂らして、干し肉を齧りながらリアの言葉に耳を傾けた。
「私ね、魂を込めすぎたみたいなの」
「……そう」
唐突なリアの切り出しであったが、マルティンはリアが魂を込めすぎたと言っているものが具体的に何を指しているのか分かった。ゼルドリックに贈ったあの見事な出来のブローチだ。
「頑張って作り過ぎちゃったみたいでね……。今、何をする気も起きないの」
「そう」
「今までで一番頑張って作ったものだったんだけど、誰かに、あんなに喜んでもらえるって嬉しいのね……でも、何となく心に穴が空いた気がするの。喜んでもらえたから充実感に溢れてるはずなのに……どうしてかしら……」
リアはほう、という息を吐いた。その息に何だか切ない様なものを感じ、マルティンは眉を下げた。
「時間が解決してくれるよ」
「……そうかしらね……」
(……あと、そんなに気を落とさなくともまたすぐに会えると思うよ)
聡いマルティンは、リアがゼルドリックと堂々と顔を合わせられる理由を無くしてしまい、これからどうすれば良いか分からずに悩んでいるのだと分かった。リアは、寂しがっている。内気なリアは、自分から約束を取り付けて人と会うということを滅多にしない。自分から話しかけることもできず、このままゼルドリックとの繋がりが薄れてしまうのを怖がっている。マルティンはそう察した。
(お役人さんがリアのことを好きだって先週分かったけど。今度は、リアか……)
マルティンは感づいていた。リアは多分、あのダークエルフの役人が気になり始めている。
身体をべたべた触られ、高慢な態度で手や髪を馬鹿にされてきたにも拘らず。ゼルドリックがリアを治療したあの日、ふたりの間に自分の知らない何かがあったのだろうか?
マルティンは首を傾げた。
(うーん……分からないもんだな……リアの好みってあんな感じなの? )
「一体どうしちゃったのかしら」
(こっちが聞きたいよ)
マルティンはぼんやりと煌めく水面を見ながら、リアの溢す言葉に対して適当な相槌を打った。結局マルティンはその日、ずっとまとまりのないリアの話に付き合い続けていた。
――――――――――
リアからブローチを受け取った翌日、上機嫌で登庁したゼルドリックに待っていたものは非情な命令だった。自分専用の広く豪奢な執務室の中で、ゼルドリックは悲痛と言わんばかりの声を上げ続けていた。
「何なんだ……! 何なんだこの命令は!? 実に納得がいかぬ!」
ゼルドリックは頭を抱え天を仰ぎ見た。週に一度のはずれの村への視察。その視察ペースを数ヶ月に一回とするという命令が下された。村全域を巡り実地調査を行った熱心なゼルドリックの視察報告により、辺鄙な場所にある田舎の少村は汚職に関わっている可能性が無しという判断が下されたらしい。
「リアに、堂々と会える理由が無くなってしまうなんて! アンジェロ! この職務命令には問題がある! そう思うな!?」
ゼルドリックは声を張り上げてアンジェロに話しかけた。アンジェロはゼルドリックの部屋のソファにゆったりと腰掛け、紅茶の味を愉しんでいる。彼は自分の部屋で紅茶を淹れていたところ、ゼルドリックに呼び出され、こうして愚痴を聞かされ続けていた。仕方がないという風にその長い首と顔だけを声の方に向け、いつもの平坦な様子で言った。
「無くなる訳ではありませんよ。数ヶ月に一度会えるのなら良いのではありませんか」
「馬鹿を言え! 数ヶ月に一度なんて耐えられる訳がないだろう!! 週に一度だって足りなかったのに!!」
「あまり大声を出さないでください。隣の部屋に聞こえますから」
アンジェロは吼える上司を窘め、また紅茶を飲み始めた。
「ぐうっ……何故だ? 何故? 納得がいかぬ! しっかりと職務を果たしたのに、何故このような命令が下されるのだ!?」
「しっかりと職務を果たしたからでしょう」
アンジェロはカップに新たな紅茶を注ぎ事も無げに言った。部下の様子に眉を跳ね上げ、ゼルドリックがまた吼えた。
「ああ、この命令を下した奴を抹殺してやりたい! 折角だ! 折角、髭も剃ったのだぞ! それなのに、もうこの顔をリアに晒すことが出来ないなんて!!」
「大声を出さないで下さい、うるさいとオリヴァー様が怒鳴り込んできますよ。……しかし、あれだけ熱心に伸ばしていたのに。剃り落として本当によろしかったのですか」
「リアが喜ばぬなら髭など要らぬ! 大して伸びない髭を、毎日伸びろ伸びろと思いながら伸ばしてきたのは、あの女に俺の髭に触れてほしかったゆえ。あの男の長い髭を笑いながら編むのが本当に許せなかった! ……しかし、リアは髭のない方が好きなのだろう? だからもう髭のことなどどうでも良いのだ!」
ゼルドリックは艶のある自分の顎を触り、アンジェロにどこか得意げな顔を向けた。
「しかしだ。髭があろうがなかろうが、あの女に見せることが叶わなくては何の意味もない! 数ヶ月に一度なんて、そんな、そんなのは……! こんなことなら、もう少し視察の手を抜くべきだったか? ……いや駄目だ、それではリアをあの村の人間共から守れない……! 堂々と会える理由が必要だ、でなければ魔法を、また魔法を使うしか……」
ぶつぶつと呟き、ゼルドリックは胸元のブローチを見た。リアから貰ったブローチはきらきらと輝き、眩い光を放っている。登庁時何人ものエルフがゼルドリックの胸元のブローチに称賛を寄せたほどだ。ゼルドリックは切なげにブローチに指を這わせ、そして握り込んだ。
「このブローチを見ると、胸が苦しくなって仕方がない……リアに会いたい!」
ゼルドリックはとうとう机の上に突っ伏した。積み重ねられた書類がひらひらと床の上に落ちたが、アンジェロはそれを拾うわけでもなく、ひたすら紅茶を飲み続けた。
「ゼルドリック様、気を落とされているところ申し訳ありませんが」
突っ伏したままのゼルドリックに向かって、アンジェロがごく平坦な声で切り出した。
「本日夜、私と共にファティアナ様の誕生会に出席をお願いしたく」
「ファティアナ様? ……第七王女のことか?」
「はい。ファティアナ様の十六歳の誕生会が、本日開かれています。私は彼女と親戚なので、挨拶に伺わなくてはなりません」
「お前一人で行けば良かろう」
「そういう訳にはいきません。ゼルドリック様は、社会勉強中である私のお目付け役ということになっておりますので。母上もゼルドリック様に会うことを楽しみにしています」
「むう……ならば仕方ない。出席しよう。お前の母君にも、挨拶をしないといけないからな」
ゼルドリックは渋々と言った様子で了承した。そして夜までに仕事を終わらせるために、急いで机の上の書類に目を通し始めた。
アンジェロもまたゼルドリックの事務室を後にした。ゼルドリックは床に落ちた紙を拾っていけと呼びかけたが、アンジェロは聞こえないふりをした。そして美味しい紅茶の淹れ方を更に学ぶため、自分の部屋に戻っていった。
――――――――――
その日の夜。ゼルドリックとアンジェロはこの国の第七王女、ファティアナの誕生会に顔を出した。
紫水晶で作られた豪華絢爛なシャンデリアが煌めき、楽団は絶えず美しい音楽を奏で続けている。色鮮やかなドレスが舞い、テーブルには所狭しと高級料理が並べられていた。首都に暮らす多くのエルフが一同に会する誕生会は、綺羅びやかでありながらも熱気を放っている。
贅を尽くした王女の誕生会の中で、アンジェロはひたすら、自分の皿に料理を盛り続けていた。礼儀を欠く部下の行動にゼルドリックは慌てて小声でアンジェロを叱る。
「アンジェロ! お前、ここには挨拶に来たのだろう!? なぜ料理を先に盛っておるのだ!」
「こんな広い会場の中でファティアナ様を探し出すのには骨が折れます。私が食事をすれば一帯の皿が空になるゆえ、いつもあちらから私を見つけて下さいます」
「お前というやつは……! 高貴なエルフの貴族として、それでいいのか!? 食い意地ばかり張った坊が! 慎みというものを少しは覚えたまえ!」
「私に慎みがなくても何ら問題はありません。ファティアナ様とはいつもこうやって挨拶を交わしておりますので」
「くっ……」
ゼルドリックは呆れ返った。この貴族の部下は、とにかくよく食べる。自分と話している僅かの間に既に大皿ひとつを空にしてしまった。ゼルドリックが飄々としたこの部下に何を言うべきか迷っていると、後ろから声をかけられた。
「アンジェロ! ゼルドリック! 変わりなくて安心いたしましたわ!」
鶴を思わせるような細く長い首を持つ女のエルフが、口元を扇子で隠しながら二人に挨拶をした。
「母様もお変わりないようで」
アンジェロは一旦皿を置き平坦な声で応えると、母と抱き合い挨拶を交わした。アンジェロの母はかつて中央政府で要職に就いていた。ゼルドリックが目上の者に対する丁寧な仕方で頭を下げると、アンジェロの母もまた挨拶を返した。
「ゼルドリック、あなたの活躍はよく聞いておりますわ。わたくし、あなたのような仕事熱心なエルフの中のエルフと言うべき方に、アンジェロを任せることが出来て本当に安心していますのよ」
ほほほ、と高くも上品な声で笑い、アンジェロの母はゼルドリックを褒めそやした。
「アンジェロも中々、中央政府の役人として格好が付いてきたように思いますの。あなたのお陰だと思いますわ」
「勿体なきお言葉。光栄です」
アンジェロはまた皿を手に取り、ひたすら料理を口に運んでいる。ゼルドリックは心の内で、アンジェロに役人としての格好というものが何か熱心に説いてやらねばならないと考えつつ、また丁寧なエルフ式の礼をした。アンジェロの母は礼を受け微笑んだ後、意外なものを見たかのように目を瞬いた。
「まあ、ゼルドリックあなた……そのブローチはどこで購入なさったの?」
彼女の視線は、ゼルドリックの胸元のブローチに注がれている。ゼルドリックはブローチがよく見えるように服の襟を整え直し、誇らしげに言った。
「これは買ったものではないのです。視察先で会ったハーフドワーフの鍛冶屋が私にとくれたものでして」
「そうなの! とっても、素敵なブローチだと思いますわ。私のコレクションに加えてしまいたいくらい!」
アンジェロの母は熱のある視線をブローチに向けた。
「わたくし、ドワーフの方々の作品は、どこか荒さがあり、無骨でいらっしゃると思ってましたけれど、こんな優美なブローチも作ることができますのね」
高慢でありながらも、アンジェロの母はリアのブローチに称賛を寄せた。ゼルドリックは再び丁寧な礼をした。
「ああ、もっと話をしたいところですけれど。わたくし、他の方への挨拶に向かわなくては! それではね、アンジェロ、ゼルドリック! 元気な顔を見られて良かったわ」
孔雀羽の扇子を優雅に仰ぎながら、アンジェロの母は去っていった。
ゼルドリックは皿に料理を盛り続けるアンジェロを小声で叱り続けながら、このような調子で、誕生会の賓客に挨拶回りをした。そして会うエルフたちは、例外なくゼルドリックが胸元に着けるブローチに称賛を寄せ、どこで手に入れたのか聞いたのであった。
(誇らしい。ああ、だが落ち着かない……)
ゼルドリックはごく小さな溜息を吐き、心の内でリアに問いかけた。
(リア、君の作ってくれた美しいブローチは他の者の目にも留まっているぞ! しかし、ブローチを通して君自身に目を向けられてしまっては堪らん……もし、もしもだ。エルフの貴族が、王族が、君を見初めてしまうことがあったら。そんなの俺は耐えきれない。不敬で処されたとしても君を誰にも渡すことなどできない……!)
ゼルドリックが思わず悔しげに目を瞑ると、その時、可憐な少女の声が聞こえた。
「アンジェロー!」
ゼルドリックが振り向くと、桃色のふわふわとしたドレスを揺らし、ひとりの少女が駆け寄ってくる。肩で切り添えられた可愛らしい桃色の髪。その頭には、王族出身の女性であるということを示す銀のティアラが着けられていた。
「アンジェロー! 会いたかったわ! 今日はわたしの誕生会に来てくれてありがとう!」
花が咲くようなぱっとした笑顔を浮かべ、その少女はアンジェロに勢いよく抱きついた。
「わたし、二階からずっとこの会場を見下ろしていたのよ。すると、お皿が綺麗さっぱり片付いているテーブルを見つけて! 絶対にあなたがここにいると思ったの! わたしの読み通りね!」
非常に打ち解けた気さくな様子で少女はアンジェロに話しかけた。アンジェロは少女の手を取り、挨拶を交わした。
「ファティアナ様、私も会えて嬉しいです。お誕生日おめでとうございます」
(この方がファティアナ王女か……)
ゼルドリックは後ろからファティアナの姿を見た。桃色で彩られた可憐な少女には、王族らしい威厳はまるでない。親族だとはいえ家格の劣るアンジェロに対し、まるで兄のように非常に打ち解けた態度で接している。
「ねえアンジェロ! 誕生会のお料理は楽しんでくれた?」
「はい、とても美味しかったですよ。ファティアナ様の誕生会でいただく料理はあまりにも美味で、全て食べてしまいそうです」
「もう、アンジェロったら! そんなに気に入ってくれると、わたしはとっても嬉しいわ! ねえ、今度一緒にケーキビュッフェに行ってみましょうよ! アンジェロと一緒にケーキをどこまで食べられるのか挑戦してみたいわ!」
「是非。ファティアナ様の好きなベリータルトをたくさん食べましょう」
「うふふ! 楽しみね」
可愛らしく笑い、ファティアナは桃色の髪とドレスをふわふわと揺らした。アンジェロはいつもの無表情ではあるが、目に親愛の色を宿しているのをゼルドリックは見た。
そうして二人の姿をゼルドリックが眺めていると、ファティアナはゼルドリックの存在に気が付いたらしい。さっと怯えの色を目に浮かべて、ファティアナはアンジェロの後ろに隠れ、ちらりと顔を覗かせてゼルドリックを見た。
「あ……アンジェロ、この方は……?」
ゼルドリックは苦笑した。細身で美しい顔をしたアンジェロと違い、自分は横も縦も幅のある、険しい顔つきをしたダークエルフだ。この可憐な少女を怖がらせてしまうのも無理はないと思った。
「ファティアナ様。この方が私のお目付役のゼルドリック様ですよ」
「まあ!」
ファティアナは一転明るい声を出した。アンジェロの背に隠れることをやめ、桃色の王女は自らゼルドリックに挨拶を求めた。
「初めまして! わたしがファティアナよ。会いたかったわゼルドリック!」
ゼルドリックの大きな片手を小さな両の手で握り、ファティアナは勢いよく握手をした。
「わたし、あなたの話をよく聞くわ。何でもお仕事熱心で、とても厳しくて、いつでも成果を上げてきたとか! だからアンジェロのお目付け役になったのでしょう? 素晴らしい方とお会いできて嬉しいわ!」
ファティアナは腕を振り、ゼルドリックの片手を振り回す勢いで手を握り込んだ。毒気を抜かれるようなひたすらに元気で明るい王女に、ゼルドリックは気圧された。
「挨拶が遅れ大変申し訳ありません。お初にお目にかかります。私はゼルドリック、ブラッドスターの姓を賜り……」
ゼルドリックが頭を垂れエルフ式の挨拶をしようとすると、ファティアナは急いで遮った。
「やめて! わたし、そのエルフ式の長い挨拶はもう聞き飽きているの! 握手を交わしたから充分よ!」
ファティアナは可愛らしく頬を膨らませたあと、ゼルドリックに顔を上げるように言った。唐突に挨拶を遮られたゼルドリックが顔を上げると、呆けた様子のファティアナが目に入った。
「……ファティアナ様?」
「まあ……」
ファティアナは、ぱちぱちと音がしそうな程に、何回も桃色の目を瞬かせた。
「まあ……まあ……これは……」
ファティアナは自らの頬に手をあて、うっとりした様子で息を吐いたり、憂いを帯びた表情をしたり、深い息を吐いたりした。
(一体どうしたのだ……?)
ゼルドリックは微動だにせず、ただファティアナの視線に耐え続けた。視線だけを動かしてファティアナの顔を見ると、ファティアナはゼルドリックを見ているのではなく、胸元に着けられたブローチを熱心に見ていた。
「ゼルドリック。このブローチは、どこで手に入れたものなの……?」
鷹の意匠が施された純金のブローチは、王女の目にも留まるものであったらしい。ゼルドリックは、視察で訪れた村に住む、ハーフドワーフの鍛冶屋が作ったものだとファティアナに伝えると、ファティアナは目を閉じ夢見心地といった様子で言った。
「まあ……そうなの……。わたしは王女だから、今までに色々な作品を見てきたけれど、ここまで心惹かれるものに出会ったのは、初めてだわ……」
ファティアナは胸に手をやり、沁み入った様に青い石に優しげな目を向けた。
「ねえ、ゼルドリック。あなたは感じるかしら……? このブローチのデザインは美しいけれど、わたしが惹かれた理由はそれではないの。なんだか、真っ直ぐで、眩しくて、懐かしくて、そして切なくなるような……。何とも言い難い、素晴らしい感情が、このブローチには込められているの」
ファティアナは嬉しそうに言った。
「このブローチを作った方は、きっと相当の想いをブローチに込めたのね。そのサファイアの輝きは、込められた想いの輝きよ。わたし、その輝きに心から惹かれたわ。わたしが日々身につける宝飾品も、この方に作ってもらえたら良いのに。この素晴らしいブローチを作った方に、一度会ってみたいわ……」
ゼルドリックは、頭の中で王女の言葉を繰り返した。
(この、素晴らしいブローチを作った方に、会ってみたいだと……!?)
ゼルドリックは、自分の心が一瞬にして喜びに沸き立ったのを感じた。僥倖。好機。王女がもたらした思いがけない幸運を、何としても逃すまいとゼルドリックは決心した。
「ファティアナ様! お望みならば、このブローチを作った者を王都に連れて参ります!」
些か大きな声を出し、ゼルドリックはぴしゃりと自分の背筋を伸ばした。
「まあ……! お会いできたら嬉しいけれど……でも、急に王都に呼び出してしまうのも、申し訳ないものね」
エルフの王族らしくない気遣いのある様子で、ファティアナは自分の我儘を恥じたようだった。
「いいえ! ファティアナ様がそのようなことを気になさる必要は一切ありません!」
ゼルドリックはなおも食いついた。リアを自分の近くに置くための大義名分が、どうしても欲しかった。
(この好機を逃してはならない……!)
「美しいものは、王都に集まるべきです! 美しきものを作る者もまた、この地に集まるべきです! そうすべきなのです! この、世界中の美と楽しみを集約させた、永遠の楽園である王都に!!」
ゼルドリックの声はどんどんと大きくなった。
「ファティアナ様に少しでも望む気持ちがあるのならば、このゼルドリック=ブラッドスターが、必ずやこのブローチを作った者を連れて参ります!」
ゼルドリックの大きな声が辺りに響き渡る。周囲のエルフたちが訝しげにゼルドリックを見たが、彼は全く気にせず、強い目力を以てファティアナを説得した。
「えっ……ええ、そこまで言うのなら……わたし、出来ることなら、会ってみたいけれど……」
ゼルドリックの勢いに今度はファティアナが気圧され、ファティアナはぽつりぽつりと呟いた。
「……!! 承知いたしました! 王女の命とあらば! 私にお任せください!!」
ゼルドリックは満面の笑みを浮かべ、勢いよくファティアナに頭を下げた。そして早速任務に取り掛かって参りますと、忙しなく会場を後にするのであった。
「まあ……」
感心したように、ファティアナはゼルドリックの後ろ姿を見送った。
「アンジェロ。わたし、ゼルドリックがお仕事熱心な方だとは聞いてたけれど。あそこまでとは思わなかったわ。とっても立派な方なのね!」
ファティアナは可憐な笑みをアンジェロに向けた。
「噂以上だわ! あんなにお仕事熱心な方がお目付け役だなんて、アンジェロも大変そうね!」
桃色のドレスと髪を揺らし、ファティアナはまたアンジェロの腰に抱きついた。アンジェロはファティアナを騙しているような気分になった。己の上司は決して仕事熱心な訳ではない。仕事とは全く関係のない個人的な、実に不純な動機で動いている。
しかし頬を染めて、まだ見ぬハーフドワーフの鍛冶屋と会うことを楽しみにしている彼女の前で、アンジェロは何も言う気がしなかった。ただ、話題を変えるようにいつベリータルトを食べに行くか、楽しそうに笑うファティアナに切り出すのであった。
村の青く美しい湖畔で、リアは真夏の日差しをたっぷりと身体に受けながら、水に足を浸け涼んでいた。
「はあ……」
リアは、よく晴れた夏の天気に相応しくないじっとりとした溜息を、何度も何度も吐いた。
「もう、辛気臭いなあ!」
隣に座るマルティンが、うんざりした様子でリアに言った。リアはごめんと言いつつまた溜息を吐いた。
(寂しいな、ブラッドスター様に会う理由がなくなっちゃった。あんなに怖かったのに、会えなくなった途端に会いたいって思ってしまう)
良い天気だというのに何をする気も起きない。鍛冶仕事も畑の世話もする気が起きなくて、リアは湖へ釣りをしに行くというマルティンに、何をする訳でもなく付いていくことにした。
「マル、お姉ちゃんの話、聞く気ない?」
「……一応聞くけど、どうしたの」
マルティンは釣り糸を垂らして、干し肉を齧りながらリアの言葉に耳を傾けた。
「私ね、魂を込めすぎたみたいなの」
「……そう」
唐突なリアの切り出しであったが、マルティンはリアが魂を込めすぎたと言っているものが具体的に何を指しているのか分かった。ゼルドリックに贈ったあの見事な出来のブローチだ。
「頑張って作り過ぎちゃったみたいでね……。今、何をする気も起きないの」
「そう」
「今までで一番頑張って作ったものだったんだけど、誰かに、あんなに喜んでもらえるって嬉しいのね……でも、何となく心に穴が空いた気がするの。喜んでもらえたから充実感に溢れてるはずなのに……どうしてかしら……」
リアはほう、という息を吐いた。その息に何だか切ない様なものを感じ、マルティンは眉を下げた。
「時間が解決してくれるよ」
「……そうかしらね……」
(……あと、そんなに気を落とさなくともまたすぐに会えると思うよ)
聡いマルティンは、リアがゼルドリックと堂々と顔を合わせられる理由を無くしてしまい、これからどうすれば良いか分からずに悩んでいるのだと分かった。リアは、寂しがっている。内気なリアは、自分から約束を取り付けて人と会うということを滅多にしない。自分から話しかけることもできず、このままゼルドリックとの繋がりが薄れてしまうのを怖がっている。マルティンはそう察した。
(お役人さんがリアのことを好きだって先週分かったけど。今度は、リアか……)
マルティンは感づいていた。リアは多分、あのダークエルフの役人が気になり始めている。
身体をべたべた触られ、高慢な態度で手や髪を馬鹿にされてきたにも拘らず。ゼルドリックがリアを治療したあの日、ふたりの間に自分の知らない何かがあったのだろうか?
マルティンは首を傾げた。
(うーん……分からないもんだな……リアの好みってあんな感じなの? )
「一体どうしちゃったのかしら」
(こっちが聞きたいよ)
マルティンはぼんやりと煌めく水面を見ながら、リアの溢す言葉に対して適当な相槌を打った。結局マルティンはその日、ずっとまとまりのないリアの話に付き合い続けていた。
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リアからブローチを受け取った翌日、上機嫌で登庁したゼルドリックに待っていたものは非情な命令だった。自分専用の広く豪奢な執務室の中で、ゼルドリックは悲痛と言わんばかりの声を上げ続けていた。
「何なんだ……! 何なんだこの命令は!? 実に納得がいかぬ!」
ゼルドリックは頭を抱え天を仰ぎ見た。週に一度のはずれの村への視察。その視察ペースを数ヶ月に一回とするという命令が下された。村全域を巡り実地調査を行った熱心なゼルドリックの視察報告により、辺鄙な場所にある田舎の少村は汚職に関わっている可能性が無しという判断が下されたらしい。
「リアに、堂々と会える理由が無くなってしまうなんて! アンジェロ! この職務命令には問題がある! そう思うな!?」
ゼルドリックは声を張り上げてアンジェロに話しかけた。アンジェロはゼルドリックの部屋のソファにゆったりと腰掛け、紅茶の味を愉しんでいる。彼は自分の部屋で紅茶を淹れていたところ、ゼルドリックに呼び出され、こうして愚痴を聞かされ続けていた。仕方がないという風にその長い首と顔だけを声の方に向け、いつもの平坦な様子で言った。
「無くなる訳ではありませんよ。数ヶ月に一度会えるのなら良いのではありませんか」
「馬鹿を言え! 数ヶ月に一度なんて耐えられる訳がないだろう!! 週に一度だって足りなかったのに!!」
「あまり大声を出さないでください。隣の部屋に聞こえますから」
アンジェロは吼える上司を窘め、また紅茶を飲み始めた。
「ぐうっ……何故だ? 何故? 納得がいかぬ! しっかりと職務を果たしたのに、何故このような命令が下されるのだ!?」
「しっかりと職務を果たしたからでしょう」
アンジェロはカップに新たな紅茶を注ぎ事も無げに言った。部下の様子に眉を跳ね上げ、ゼルドリックがまた吼えた。
「ああ、この命令を下した奴を抹殺してやりたい! 折角だ! 折角、髭も剃ったのだぞ! それなのに、もうこの顔をリアに晒すことが出来ないなんて!!」
「大声を出さないで下さい、うるさいとオリヴァー様が怒鳴り込んできますよ。……しかし、あれだけ熱心に伸ばしていたのに。剃り落として本当によろしかったのですか」
「リアが喜ばぬなら髭など要らぬ! 大して伸びない髭を、毎日伸びろ伸びろと思いながら伸ばしてきたのは、あの女に俺の髭に触れてほしかったゆえ。あの男の長い髭を笑いながら編むのが本当に許せなかった! ……しかし、リアは髭のない方が好きなのだろう? だからもう髭のことなどどうでも良いのだ!」
ゼルドリックは艶のある自分の顎を触り、アンジェロにどこか得意げな顔を向けた。
「しかしだ。髭があろうがなかろうが、あの女に見せることが叶わなくては何の意味もない! 数ヶ月に一度なんて、そんな、そんなのは……! こんなことなら、もう少し視察の手を抜くべきだったか? ……いや駄目だ、それではリアをあの村の人間共から守れない……! 堂々と会える理由が必要だ、でなければ魔法を、また魔法を使うしか……」
ぶつぶつと呟き、ゼルドリックは胸元のブローチを見た。リアから貰ったブローチはきらきらと輝き、眩い光を放っている。登庁時何人ものエルフがゼルドリックの胸元のブローチに称賛を寄せたほどだ。ゼルドリックは切なげにブローチに指を這わせ、そして握り込んだ。
「このブローチを見ると、胸が苦しくなって仕方がない……リアに会いたい!」
ゼルドリックはとうとう机の上に突っ伏した。積み重ねられた書類がひらひらと床の上に落ちたが、アンジェロはそれを拾うわけでもなく、ひたすら紅茶を飲み続けた。
「ゼルドリック様、気を落とされているところ申し訳ありませんが」
突っ伏したままのゼルドリックに向かって、アンジェロがごく平坦な声で切り出した。
「本日夜、私と共にファティアナ様の誕生会に出席をお願いしたく」
「ファティアナ様? ……第七王女のことか?」
「はい。ファティアナ様の十六歳の誕生会が、本日開かれています。私は彼女と親戚なので、挨拶に伺わなくてはなりません」
「お前一人で行けば良かろう」
「そういう訳にはいきません。ゼルドリック様は、社会勉強中である私のお目付け役ということになっておりますので。母上もゼルドリック様に会うことを楽しみにしています」
「むう……ならば仕方ない。出席しよう。お前の母君にも、挨拶をしないといけないからな」
ゼルドリックは渋々と言った様子で了承した。そして夜までに仕事を終わらせるために、急いで机の上の書類に目を通し始めた。
アンジェロもまたゼルドリックの事務室を後にした。ゼルドリックは床に落ちた紙を拾っていけと呼びかけたが、アンジェロは聞こえないふりをした。そして美味しい紅茶の淹れ方を更に学ぶため、自分の部屋に戻っていった。
――――――――――
その日の夜。ゼルドリックとアンジェロはこの国の第七王女、ファティアナの誕生会に顔を出した。
紫水晶で作られた豪華絢爛なシャンデリアが煌めき、楽団は絶えず美しい音楽を奏で続けている。色鮮やかなドレスが舞い、テーブルには所狭しと高級料理が並べられていた。首都に暮らす多くのエルフが一同に会する誕生会は、綺羅びやかでありながらも熱気を放っている。
贅を尽くした王女の誕生会の中で、アンジェロはひたすら、自分の皿に料理を盛り続けていた。礼儀を欠く部下の行動にゼルドリックは慌てて小声でアンジェロを叱る。
「アンジェロ! お前、ここには挨拶に来たのだろう!? なぜ料理を先に盛っておるのだ!」
「こんな広い会場の中でファティアナ様を探し出すのには骨が折れます。私が食事をすれば一帯の皿が空になるゆえ、いつもあちらから私を見つけて下さいます」
「お前というやつは……! 高貴なエルフの貴族として、それでいいのか!? 食い意地ばかり張った坊が! 慎みというものを少しは覚えたまえ!」
「私に慎みがなくても何ら問題はありません。ファティアナ様とはいつもこうやって挨拶を交わしておりますので」
「くっ……」
ゼルドリックは呆れ返った。この貴族の部下は、とにかくよく食べる。自分と話している僅かの間に既に大皿ひとつを空にしてしまった。ゼルドリックが飄々としたこの部下に何を言うべきか迷っていると、後ろから声をかけられた。
「アンジェロ! ゼルドリック! 変わりなくて安心いたしましたわ!」
鶴を思わせるような細く長い首を持つ女のエルフが、口元を扇子で隠しながら二人に挨拶をした。
「母様もお変わりないようで」
アンジェロは一旦皿を置き平坦な声で応えると、母と抱き合い挨拶を交わした。アンジェロの母はかつて中央政府で要職に就いていた。ゼルドリックが目上の者に対する丁寧な仕方で頭を下げると、アンジェロの母もまた挨拶を返した。
「ゼルドリック、あなたの活躍はよく聞いておりますわ。わたくし、あなたのような仕事熱心なエルフの中のエルフと言うべき方に、アンジェロを任せることが出来て本当に安心していますのよ」
ほほほ、と高くも上品な声で笑い、アンジェロの母はゼルドリックを褒めそやした。
「アンジェロも中々、中央政府の役人として格好が付いてきたように思いますの。あなたのお陰だと思いますわ」
「勿体なきお言葉。光栄です」
アンジェロはまた皿を手に取り、ひたすら料理を口に運んでいる。ゼルドリックは心の内で、アンジェロに役人としての格好というものが何か熱心に説いてやらねばならないと考えつつ、また丁寧なエルフ式の礼をした。アンジェロの母は礼を受け微笑んだ後、意外なものを見たかのように目を瞬いた。
「まあ、ゼルドリックあなた……そのブローチはどこで購入なさったの?」
彼女の視線は、ゼルドリックの胸元のブローチに注がれている。ゼルドリックはブローチがよく見えるように服の襟を整え直し、誇らしげに言った。
「これは買ったものではないのです。視察先で会ったハーフドワーフの鍛冶屋が私にとくれたものでして」
「そうなの! とっても、素敵なブローチだと思いますわ。私のコレクションに加えてしまいたいくらい!」
アンジェロの母は熱のある視線をブローチに向けた。
「わたくし、ドワーフの方々の作品は、どこか荒さがあり、無骨でいらっしゃると思ってましたけれど、こんな優美なブローチも作ることができますのね」
高慢でありながらも、アンジェロの母はリアのブローチに称賛を寄せた。ゼルドリックは再び丁寧な礼をした。
「ああ、もっと話をしたいところですけれど。わたくし、他の方への挨拶に向かわなくては! それではね、アンジェロ、ゼルドリック! 元気な顔を見られて良かったわ」
孔雀羽の扇子を優雅に仰ぎながら、アンジェロの母は去っていった。
ゼルドリックは皿に料理を盛り続けるアンジェロを小声で叱り続けながら、このような調子で、誕生会の賓客に挨拶回りをした。そして会うエルフたちは、例外なくゼルドリックが胸元に着けるブローチに称賛を寄せ、どこで手に入れたのか聞いたのであった。
(誇らしい。ああ、だが落ち着かない……)
ゼルドリックはごく小さな溜息を吐き、心の内でリアに問いかけた。
(リア、君の作ってくれた美しいブローチは他の者の目にも留まっているぞ! しかし、ブローチを通して君自身に目を向けられてしまっては堪らん……もし、もしもだ。エルフの貴族が、王族が、君を見初めてしまうことがあったら。そんなの俺は耐えきれない。不敬で処されたとしても君を誰にも渡すことなどできない……!)
ゼルドリックが思わず悔しげに目を瞑ると、その時、可憐な少女の声が聞こえた。
「アンジェロー!」
ゼルドリックが振り向くと、桃色のふわふわとしたドレスを揺らし、ひとりの少女が駆け寄ってくる。肩で切り添えられた可愛らしい桃色の髪。その頭には、王族出身の女性であるということを示す銀のティアラが着けられていた。
「アンジェロー! 会いたかったわ! 今日はわたしの誕生会に来てくれてありがとう!」
花が咲くようなぱっとした笑顔を浮かべ、その少女はアンジェロに勢いよく抱きついた。
「わたし、二階からずっとこの会場を見下ろしていたのよ。すると、お皿が綺麗さっぱり片付いているテーブルを見つけて! 絶対にあなたがここにいると思ったの! わたしの読み通りね!」
非常に打ち解けた気さくな様子で少女はアンジェロに話しかけた。アンジェロは少女の手を取り、挨拶を交わした。
「ファティアナ様、私も会えて嬉しいです。お誕生日おめでとうございます」
(この方がファティアナ王女か……)
ゼルドリックは後ろからファティアナの姿を見た。桃色で彩られた可憐な少女には、王族らしい威厳はまるでない。親族だとはいえ家格の劣るアンジェロに対し、まるで兄のように非常に打ち解けた態度で接している。
「ねえアンジェロ! 誕生会のお料理は楽しんでくれた?」
「はい、とても美味しかったですよ。ファティアナ様の誕生会でいただく料理はあまりにも美味で、全て食べてしまいそうです」
「もう、アンジェロったら! そんなに気に入ってくれると、わたしはとっても嬉しいわ! ねえ、今度一緒にケーキビュッフェに行ってみましょうよ! アンジェロと一緒にケーキをどこまで食べられるのか挑戦してみたいわ!」
「是非。ファティアナ様の好きなベリータルトをたくさん食べましょう」
「うふふ! 楽しみね」
可愛らしく笑い、ファティアナは桃色の髪とドレスをふわふわと揺らした。アンジェロはいつもの無表情ではあるが、目に親愛の色を宿しているのをゼルドリックは見た。
そうして二人の姿をゼルドリックが眺めていると、ファティアナはゼルドリックの存在に気が付いたらしい。さっと怯えの色を目に浮かべて、ファティアナはアンジェロの後ろに隠れ、ちらりと顔を覗かせてゼルドリックを見た。
「あ……アンジェロ、この方は……?」
ゼルドリックは苦笑した。細身で美しい顔をしたアンジェロと違い、自分は横も縦も幅のある、険しい顔つきをしたダークエルフだ。この可憐な少女を怖がらせてしまうのも無理はないと思った。
「ファティアナ様。この方が私のお目付役のゼルドリック様ですよ」
「まあ!」
ファティアナは一転明るい声を出した。アンジェロの背に隠れることをやめ、桃色の王女は自らゼルドリックに挨拶を求めた。
「初めまして! わたしがファティアナよ。会いたかったわゼルドリック!」
ゼルドリックの大きな片手を小さな両の手で握り、ファティアナは勢いよく握手をした。
「わたし、あなたの話をよく聞くわ。何でもお仕事熱心で、とても厳しくて、いつでも成果を上げてきたとか! だからアンジェロのお目付け役になったのでしょう? 素晴らしい方とお会いできて嬉しいわ!」
ファティアナは腕を振り、ゼルドリックの片手を振り回す勢いで手を握り込んだ。毒気を抜かれるようなひたすらに元気で明るい王女に、ゼルドリックは気圧された。
「挨拶が遅れ大変申し訳ありません。お初にお目にかかります。私はゼルドリック、ブラッドスターの姓を賜り……」
ゼルドリックが頭を垂れエルフ式の挨拶をしようとすると、ファティアナは急いで遮った。
「やめて! わたし、そのエルフ式の長い挨拶はもう聞き飽きているの! 握手を交わしたから充分よ!」
ファティアナは可愛らしく頬を膨らませたあと、ゼルドリックに顔を上げるように言った。唐突に挨拶を遮られたゼルドリックが顔を上げると、呆けた様子のファティアナが目に入った。
「……ファティアナ様?」
「まあ……」
ファティアナは、ぱちぱちと音がしそうな程に、何回も桃色の目を瞬かせた。
「まあ……まあ……これは……」
ファティアナは自らの頬に手をあて、うっとりした様子で息を吐いたり、憂いを帯びた表情をしたり、深い息を吐いたりした。
(一体どうしたのだ……?)
ゼルドリックは微動だにせず、ただファティアナの視線に耐え続けた。視線だけを動かしてファティアナの顔を見ると、ファティアナはゼルドリックを見ているのではなく、胸元に着けられたブローチを熱心に見ていた。
「ゼルドリック。このブローチは、どこで手に入れたものなの……?」
鷹の意匠が施された純金のブローチは、王女の目にも留まるものであったらしい。ゼルドリックは、視察で訪れた村に住む、ハーフドワーフの鍛冶屋が作ったものだとファティアナに伝えると、ファティアナは目を閉じ夢見心地といった様子で言った。
「まあ……そうなの……。わたしは王女だから、今までに色々な作品を見てきたけれど、ここまで心惹かれるものに出会ったのは、初めてだわ……」
ファティアナは胸に手をやり、沁み入った様に青い石に優しげな目を向けた。
「ねえ、ゼルドリック。あなたは感じるかしら……? このブローチのデザインは美しいけれど、わたしが惹かれた理由はそれではないの。なんだか、真っ直ぐで、眩しくて、懐かしくて、そして切なくなるような……。何とも言い難い、素晴らしい感情が、このブローチには込められているの」
ファティアナは嬉しそうに言った。
「このブローチを作った方は、きっと相当の想いをブローチに込めたのね。そのサファイアの輝きは、込められた想いの輝きよ。わたし、その輝きに心から惹かれたわ。わたしが日々身につける宝飾品も、この方に作ってもらえたら良いのに。この素晴らしいブローチを作った方に、一度会ってみたいわ……」
ゼルドリックは、頭の中で王女の言葉を繰り返した。
(この、素晴らしいブローチを作った方に、会ってみたいだと……!?)
ゼルドリックは、自分の心が一瞬にして喜びに沸き立ったのを感じた。僥倖。好機。王女がもたらした思いがけない幸運を、何としても逃すまいとゼルドリックは決心した。
「ファティアナ様! お望みならば、このブローチを作った者を王都に連れて参ります!」
些か大きな声を出し、ゼルドリックはぴしゃりと自分の背筋を伸ばした。
「まあ……! お会いできたら嬉しいけれど……でも、急に王都に呼び出してしまうのも、申し訳ないものね」
エルフの王族らしくない気遣いのある様子で、ファティアナは自分の我儘を恥じたようだった。
「いいえ! ファティアナ様がそのようなことを気になさる必要は一切ありません!」
ゼルドリックはなおも食いついた。リアを自分の近くに置くための大義名分が、どうしても欲しかった。
(この好機を逃してはならない……!)
「美しいものは、王都に集まるべきです! 美しきものを作る者もまた、この地に集まるべきです! そうすべきなのです! この、世界中の美と楽しみを集約させた、永遠の楽園である王都に!!」
ゼルドリックの声はどんどんと大きくなった。
「ファティアナ様に少しでも望む気持ちがあるのならば、このゼルドリック=ブラッドスターが、必ずやこのブローチを作った者を連れて参ります!」
ゼルドリックの大きな声が辺りに響き渡る。周囲のエルフたちが訝しげにゼルドリックを見たが、彼は全く気にせず、強い目力を以てファティアナを説得した。
「えっ……ええ、そこまで言うのなら……わたし、出来ることなら、会ってみたいけれど……」
ゼルドリックの勢いに今度はファティアナが気圧され、ファティアナはぽつりぽつりと呟いた。
「……!! 承知いたしました! 王女の命とあらば! 私にお任せください!!」
ゼルドリックは満面の笑みを浮かべ、勢いよくファティアナに頭を下げた。そして早速任務に取り掛かって参りますと、忙しなく会場を後にするのであった。
「まあ……」
感心したように、ファティアナはゼルドリックの後ろ姿を見送った。
「アンジェロ。わたし、ゼルドリックがお仕事熱心な方だとは聞いてたけれど。あそこまでとは思わなかったわ。とっても立派な方なのね!」
ファティアナは可憐な笑みをアンジェロに向けた。
「噂以上だわ! あんなにお仕事熱心な方がお目付け役だなんて、アンジェロも大変そうね!」
桃色のドレスと髪を揺らし、ファティアナはまたアンジェロの腰に抱きついた。アンジェロはファティアナを騙しているような気分になった。己の上司は決して仕事熱心な訳ではない。仕事とは全く関係のない個人的な、実に不純な動機で動いている。
しかし頬を染めて、まだ見ぬハーフドワーフの鍛冶屋と会うことを楽しみにしている彼女の前で、アンジェロは何も言う気がしなかった。ただ、話題を変えるようにいつベリータルトを食べに行くか、楽しそうに笑うファティアナに切り出すのであった。
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