リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第二章

18.掠め視た未来

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 カーテン越しの柔らかな日差しに誘われて、リアは目を覚ました。目に飛び込んで来たのは、高い天井とシャンデリア、そして天井を這う赤いつる薔薇から降る、芳しい花びらの雨だった。リアは昨日、慌ただしくはずれの村を後にし、ゼルドリックの屋敷で過ごすことになったことを思い出した。

 時計を見れば、ちょうど朝の六時半だった。リアは寝坊してしまったと思いながら起き上がったが、その時、甘い痺れが股の間に走った。

「あっ……!?」

 リアは思わず甘い声を上げた。そして昨日見た、淫らな夢を思い出してしまった。

 ――赤い髪の姫君、君の愛をくれないか。

 黒の王子様から囁かれた甘い言葉が頭の中で繰り返される。リアはゼルドリックをまた夢の中で汚してしまった申し訳なさと、自分のいやらしさに顔を覆って嘆いた。

「あ、あ……どうしよう……また、わたし……!」

(なんて……なんて、浅ましいの? またあんな夢を見てしまった! どれだけ欲求不満なんだろう? ブラッドスター様とまた会ったその日に、あんないやらしい夢を見るなんて……)

 リアが目を潤ませ、心の中でゼルドリックに謝りながらサイドテーブルを見ると、そこには書き置きと、蓋が被せられた皿が乗せられていた。リアは優美なデザインのカードを手に取り、読み始めた。

(綺麗な字……)

『朝早くから仕事が入っているゆえに、君を一人置いていくが許せ。別の者が九時に君を迎えに来るから、準備をして家の前で待っていろ。王族であるファティアナ様と顔を合わせるゆえ、今日はクローゼットの中にある服を着ていけよ』

「あ……そうだ。私は今日、王女様と会わなくちゃいけないのよね」

 改めてそう考えると、強い緊張に身体が強張るのを感じた。緊張から逃れるように皿の蓋を開ければ、サラダとトーストと、まだ温かい珈琲が乗せられていた。

「私のために……ブラッドスター様が作ってくれたのね」

 リアはゼルドリックの優しさに、心が温かくなるのを感じた。

 あのダークエルフの役人は高慢で、いつも上から目線の言い方をして、身体も大きくて少し怖いけれど。料理が好きで、薔薇がたくさん咲いている綺麗な屋敷に住んでいて、広い屋敷の中にこうして自分の部屋を用意して住まわせてくれる。服も食事も、彼が用意してくれた。リアは、自分の知らないゼルドリックを知ることができて嬉しいと感じた。

 ゼルドリックのことを想いながら珈琲を一口飲めば、緊張が和らいでいく気がした。

(いつか、ブラッドスター様と仲良くなれるといいな。……期待に応えるためにも、しっかりやろう)

 リアは食事を済ませると、クローゼットの中に掛けられた豪華な服に恐る恐る袖を通し、髪をしっかりとまとめた。そしておまじないに、ゼルドリックから贈られた口紅を唇に差した。

 鏡を見ればなかなか様になった自分が映っていて、リアはやる気が込み上げてくるのを感じた。

「頑張るぞ」

 リアは自分を奮い立たせた。
 マルティンやはずれの村の住民たちの顔を、ゼルドリックの顔を思い浮かべながら。


 ――――――――――


 リアはそわそわと自分の指を絡ませながら、穏やかな風の中、ゼルドリックのばら屋敷の前に立っていた。夏の終わりが近づいてきたような、少し涼しげな風がリアの頬を撫でていく。リアが緊張を堪え、空を眺めながら待っていると、一陣の風が吹いた。リアはその風に普通とは何か違うものを感じた。

 横を見れば、そこには中央政府の制服を纏ったエルフの男が立っていた。昨日、エルフの転移魔法を間近で見たリアは驚くことはなかったが、ぱちりと目を瞬かせた。

(この方の使う魔法……ブラッドスター様とは少し違う)

 ゼルドリックの黒色のもやが出るような転移とは違い、目の前のエルフが使った魔法は優しく、繊細な印象を持った。

「おはようございます。待たせてしまいましたか?」

 エルフは優しく微笑んだ。背が高くほっそりとしていて、整ったかんばせを持つ美しいエルフだった。金の髪がさらさらと風に揺れ、灰色の艶のある瞳が陽光に当たって綺麗に煌めく。リアはまるで、どこかの国の王子の様な風貌を持つエルフだと思った。

「いえ、私もここに来たばかりです」

「そうでしたか、良かった……涼しくなってきたとはいえ、夏日の中お待たせしては申し訳ありませんから」

 エルフは穏やかな、丁寧な話し方をした。リアはついゼルドリックのことを思い出した。エルフは基本的に高慢だとは聞いていたが、目の前の穏やかな男には当て嵌まらない様だった。

「初めまして。私はリア=リローランと申します」

「ご丁寧に。僕はレント=オルフィアンといいます。エルフにはオルフィアン姓が多いので、レントと呼んでくださいね。これからリアさんを専用の工場に案内します。あまり気張らずに、気楽な気持ちで付いてきて下さい」

 レントは人好きのするような優しい微笑みをリアに向けた。彼の言葉にはリアの緊張を解そうとする親しみのようなものが籠もっていて、リアは安心感を覚えた。

(わあ……エルフって高慢だと思ってたけど、レントさんは優しそう)

 行きましょうかと誘われ、差し出されたレントの手を取れば、リアとレントの身体がきらめいた白い粒子に囲われた。そして涼やかな風が吹き、二人の姿を攫っていった。


 ――――――――――


 次に目を瞬かせた時、リアは広い広い鍛冶場に立っていた。鍛冶場は厚い壁に囲まれていて、あらゆる道具や美しい貴石、鉱石が揃っている。鍛冶屋として長年働いてきたリアは、その豪華さに思わず目を輝かせた。

「すごい……」

 無意識に口から感動の言葉を溢せば、レントは嬉しそうに言った。

「リアさんの作られたブローチを僕も見たのですよ。ゼルドリック様の胸元で輝く鷹の羽のブローチは、とても素敵でした。ファティアナ様のみならず、僕もあのような素晴らしいブローチを作る方とお会いしてみたいと思っていたのです」

「あ、ありがとうございます」

「可能なだけ道具や石は揃えさせていただきましたが、もし足りないものがあったら気軽に言ってくださいね。この工場を管理しているのは僕なので」

「何から何まで……これだけのものを揃えていただければ、どんなものでも作れそうです。ありがとうございます」

 リアが深く頭を下げると、レントは聞いていた通りの方のようですねと言った。

「え……?」

「ゼルドリック様が仰っていたのですよ。リアさんは仕事熱心で、穏やかで丁寧な方だと」

「そっ、……ブラッドスター様が、そんなことを?」

 リアが思わず顔を赤らめて聞くと、レントはくすくすと笑った。

「ええ、そうです。ゼルドリック様は非常に厳格で、滅多に他の方を褒めることはしないのですが……ブローチをリアさんからいただけて、とても嬉しかったのかもしれないですね」

「そうなのですか……」

 リアは微笑んだ。ゼルドリックが自分を評価していたことを知って嬉しく思った。

「リアさんは人見知りで大人しい方なので、できるだけ他の方の目に付かないところで仕事させてやってくれとも仰いました。黙々と作業を進めるのが好きみたいですね?」

「そんなことも……?」

 確かに、リアは一人きりで仕事をすることを好んだ。この鍛冶場ならば、誰からも声をかけることなく作業を進められる気がした。ゼルドリックは結構自分の性格を分かっているのかもしれない。リアはこそばゆくなった。

「リアさんは、これからゼルドリック様のご自宅で暮らすのですよね。王都で暮らしていくにあたり不安もあるでしょうが、ゼルドリック様も私も、中央政府に勤める者として精一杯リアさんを支えますね」

「はい、よろしくお願いします!」

 リアが笑えば、レントも安心させるように笑みを返してくれた。

「さて、そろそろファティアナ様がいらっしゃる頃ですね」

「工場に来られるのですか?」

「はい、その予定です。ファティアナ様は王女という身分ですが……その、あまり王族らしくない方ですので。あまり緊張しなくても大丈夫ですよ。あ、僕がこんなことを言ってたというのは秘密にして下さいね」

 レントは笑って人差し指を口に当てた。その時、リアの後ろから少女の声が聞こえた。

「レントー! 会いたかったわ! 最近お仕事が忙しいみたいね? わたし、あまり会えなくて寂しく思っていたのよ!」

 ふわふわとした桃色の髪と、同じく桃色のショートドレスを靡かせ、ファティアナはレントの腰に抱きついた。

「おはようございます、ファティアナ様。お怪我をしては大変ですから、走らないようにしてくださいね」

「もう! 大丈夫よ! 今日は転ばないように踵の低い靴を履いてきたわ……あ、レント、もしかしてこの方が……?」

 ファティアナは目を輝かせてリアを見た。

「初めまして! あなたがリアね? 会いたかったわ! 私はファティアナよ、これからよろしくね!」

 リアの手はファティアナに掴まれ、腕を振り回されるほどに強引な握手をされた。リアはファティアナの勢いに気圧されたが、はっとして挨拶をした。

「挨拶が遅れ申し訳ありません、私がリア=リローランです。この度は誠に……」

「ああ、やめて! 堅苦しい挨拶はしないで。私があなたを王都に連れてくるように無理を言ったのよ。そのせいで苦労をかけていなければいいのだけど。でも、あなたと会えてとても嬉しいわ」

 ファティアナは頬を染めてリアに言った。

「わたしね、ゼルドリックの胸に留まったあのブローチを見た時に、とても感動したの。真っ直ぐで、眩しくて、懐かしくて、切なくなるような感じが胸に押し寄せてきて……心の底から惹かれたのよ。鷹をイメージしたデザインも、もちろん素晴らしかったのだけど、わたしはあなたがブローチに込めた感情の方に惹かれたの」

 ファティアナは目を潤ませてリアのブローチを褒めた。その姿に偽りはなく、本当にリアの作品に焦がれている様だった。

「わたし、たちまちあなたのファンになってしまったわ。わたしが身に付ける作品を作ってもらえたらと思うけど、リアが自由に作りたいものを作って欲しいの。あのゼルドリックが身に着けていたブローチに込めた感情を、わたしに渡す作品にも込めてほしいわ。わたしはあの綺羅びやかな感情が欲しいの」

 ファティアナはそう言った。リアは、ゼルドリックの言っていたことを思い出した。
 ゼルドリックは確か、ファティアナは物に込められた想いを感じ取る、魔法的な力があると自分に教えてくれた。

(私……ひたすらブラッドスター様と黒の王子様を想いながら、あのブローチを作ったのよね)

 リアはゼルドリックに対する感情を深追いしようとしたが、短い時間の間に答えを得られなさそうな気がしたので止めた。そして、自分の作品を認めてくれた王女に対し、自分の持てる最大限の力を以て仕えようと決めた。

「承知いたしました。ファティアナに捧げる作品を、誠心誠意作らせていただきます」

 リアが深く頭を下げると、ファティアナは弾んだ声でよろしくねと声をかけた。

「一ヶ月に一回、リアの作品を見せてくれると嬉しいわ。あとドワーフの血を引く方はとっても働き者が多いと聞いたことがあるけど働きすぎないでね。王都での暮らしを楽しむつもりで、あなたの自由に過ごしてもらっていいから!」

 ファティアナはとても嬉しそうに、ふわふわと髪を揺らしながらリアに抱きついた。

「ファティアナ様、リアさんに会えて嬉しいのは分かりますが、そろそろ次の予定が入っているのではありませんか」

「あ、そうだった! ありがとうレント、すっかり忘れていたわ! それではね、リア、レント! また会いましょう」

 ファティアナは忙しなく駆けて行った。

「……どうです、ファティアナ様が王族らしくないというのは分かっていただけましたか」

 ファティアナの姿が見えなくなったことを確認してから、レントが苦笑してリアに問いかけた。

「はい、とても明るくて……その、気さくな方ですね」

「ファティアナ様はあまりご自分の身分を意識されないのです。一般的なエルフのような態度も取らず、僕のような者にも親しげに接してくださる。リアさんも働きやすいと思いますよ」

(確かに……)

 リアはファティアナから、エルフらしい高慢さのようなものは一切感じ取らなかった。しかしそれは、目の前のレントに対しても同じだった。

「ありがとうございます。落ち着いて働くことが出来そうです。……気を悪くされたら申し訳ありませんが、レントさんも、すごく丁寧で優しい方に見えます」

 一般的なエルフとは違い、高慢さがない。
 リアがそういった含みを持たせて言うと、レントは灰色の目を細めて笑った。

「ああ、僕は純血のエルフではなく、実はハーフエルフなのですよ。幼い頃は人間の母の元で育ったので、通常エルフが受ける教育を受けていないのです。リアさんはご存知ないかもしれませんが、エルフという種族は一般的に、画一的な教育を幼少期に施されます。上から目線であったり、やたら高慢であったりするのは、その教育の成果だと人間からは言われますね」

「そうなのですか……納得しました」

 リアは親しみを感じた。レントもいわゆる混ざり血なのだ。目の前の青年は、人間である母の元でしっかりと一般的な優しさや謙虚さを身に着けて育ったのだろうと思った。

「リアさんもハーフドワーフだとお聞きしています。混ざり血の仲間が増えて嬉しい限りです。中央政府で働いていると、一緒に仕事をする方々は純血のエルフばかりですから」

 改めて、これからよろしくお願いしますねとレントは手を伸ばした。リアがそれに応えて握手をすれば、何かぱちり、とした静電気のようなものが走った気がした。

(あれ?)

 その小さな衝撃に、リアもレントも目を見開いた。しかしレントは気にしない様子でリアに切り出した。

「……リアさん、それでは私もそろそろ失礼します。今日はこの鍛冶場にある道具や石をゆっくり見ていただいて、適当に切り上げてゼルドリック様のご自宅へ戻って下さいね」

 レントは、ゼルドリックの屋敷と工場の場所を記した地図を手渡し、リアにくれぐれも働きすぎることのないように言って鍛冶場を後にした。

「レントさん、すごく優しい人だったな」

 リアはレントを見送った後ひとりごちた。ゼルドリックの様な上から目線の、高圧的なエルフがまた出てきては耐えきれないと思っていたが、穏やかな性格のレントとなら、この先上手くやっていけそうな気がした。

「よーし……ファティアナ様のために、頑張るぞ」

 リアは早速、棚に飾られている石の鑑定を始め、ファティアナのために作る装飾品のアイディアを出すことにした。


 ――――――――――


 レントは自分の手を見て、深い溜息を吐いた。

 背筋に悪寒が走っている。夏の終わりの柔らかい日差しが降り注ぎ、身体を暖めているというのに、一向に寒気が収まらなかった。

 あの善良そうな、赤い髪のハーフドワーフの女性と握手を交わした際。

 エルフの血を引く者として未来視の能力を与えられた自分は、言葉にするのにも悍ましいものを「視て」しまった。

(……あれは一体……?)

 レントは眉を下げ、力なく壁にもたれ掛かった。いつしかリアに訪れるであろう未来。その悍ましく、口にすることさえ憚られる未来を、会ったばかりの彼女にどう伝えれば良いか考えあぐねた。

(……あれは、誰だ? 顔が見えなかった。あれだけでは判断できない。あの未来が、どう訪れるのか見極めなくては。他の、未来を視なくては……。とりあえず様子を見よう……僕が見たことをそのまま話しても、いたずらにリアさんを怯えさせてしまうだけだ……)

 レントは思考を切り替えるように、ゆっくりと歩き始めた。

 美しい緑の街路樹。夏の終わりの日差しを受けて柔らかく輝く緑の間に、レントは一羽の黒い鷹を見た。

(あまり見ないような鷹だな)

 鷹は枝に留まり、じっとレントを見ているように思えた。レントは、何だか自分が獲物として狙われているような気味悪さを感じ、鷹から目を逸らして歩き続けた。
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