リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第三章

59.花のみち

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「ふう、魔法が使えないとは本当に不便なものだ」

 ゼルドリックは重い荷物を持ち続けたせいで痛み始めた腰を摩り、息を吐いた。

「そうね。今まではあなたの指ぱっちんで荷造りが済んだけど、これからはそうもいかないわね」

「ああ、そうだな……。君が力持ちで本当にありがたい。だが無理はしないでくれ」

「ええ、分かってるわ。お腹に響かない程度に働くわよ」

 リアは笑いながら大きなクローゼットを持ち上げ、難なく玄関前へと運んだ。

 屋敷を引き払いはずれの村へ行くために、リアとゼルドリックはこの一ヶ月、荷物をまとめ続けていた。ゼルドリックが百年以上暮らしていたこの屋敷には大量の物があり、二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。特に書斎に並べられた何千冊という本を運ぶのに苦労が要った。

「なあ、リア。俺の本を全てはずれの村に持っていくのか? 処分したって構わないぞ? 幾ばくかの金にはなるだろう」

「駄目よ、勿体ない! あっちで本を手に入れようと思ったら中々大変なのよ。一週間に一度来る行商人さんから買う以外ないし、他の街に行くのも時間がかかるし……。だからゼルが溜め込んだ本は持っていきたいわ。お腹の子のためになる」

「そうか、そうだな。子には色々な本を読ませてやりたいからな。腹の子は、何に興味を抱くのだろうな? 数学書や歴史書、経済の本に図鑑もある。俺が持っている本は子の知識欲を存分に満たすだろう。ああ、勿論……君の好きな恋愛小説だって豊富だぞ?」

「あら素敵。皆でゆったり本を読めるように、私の家に大きな図書室も作らなくちゃね」

「ははっ! 君の改築計画はどんどんと壮大になっていくな」

 ゼルドリックは微笑んだ。リアとこれからの生活についてあれこれ話しながら荷造りをするのは、大変だが心満たされる時間だった。時折、オリヴァーやメルローが仕事の合間に顔を出して荷物の搬出を手伝ってくれる。そのお陰で順調に荷造りは進んでいるが、それでもまだ屋敷には大量の物が残されていた。

「ふう。……あとは台所と、私の部屋のものと……植木鉢とテーブルと……ああ、庭に植えてある薔薇も掘り出して持っていきたいわね」

「薔薇だと? 本気か? 全部で千本以上あるのだぞ?」

「ええ、本気で言ってるわよ! 頑張って全部掘り出してみせるわ! 私の家を薔薇園にするの。幸い私の家の周りには何もないからね、空き地にたくさん薔薇を植えましょう! あ、ねえゼル……この噴水も持っていけたりしないかしら……?」

「ふ、噴水? さすがに噴水は無理だろう。大体持っていけたところで、あの村のどこに置くつもりだ? 水だって引かなければならないだろう? 無茶だ」

「そ、そうよね……。馬鹿なことを言ったって分かっているわ。でも……その、名残惜しくて」

 リアは自分が修理した噴水を見つめた。

「この噴水にも、あなたとの思い出がたくさん詰まっているわ。このぼろぼろだった噴水を私が直しておいたら、あなたはとっても喜んでくれたわね」

「ああ。君のお陰で年季の入ったこれも随分と綺麗になった。嬉しかった。この噴水を見る度、君が槌をここで振るっていた姿を思い出す」

「ふふ、それで私の手が荒れたら、あなたが軟膏を手ずから塗ってくれたのよね」

「くくっ……顔を赤らめて俺から必死に逃げようとしたよな? あの時の君は可愛かった」

 リアの眩しい笑顔に目を細め、ゼルドリックもまた名残惜しそうに噴水の端に触れた。

「ん? 誰かやってくるな」

 広いばら屋敷の庭を、向こうから歩んでくる者がいる。それはミーミスだった。彼女の纏う白いローブが、美しくたなびく。

「やあ、二人共。暖かくなってきたね」

「先生? なぜこちらに……?」

 ミーミスは長い銀の髪を風に揺らしながら、二人を見て微笑んだ。

「なに、様子を見に来たんだ。オリヴァーとメルローから、君たちが随分と荷造りに手こずっていると聞いてね。ああ、ゼルドリック。君は書痴だったからね、きっと相当の本を溜め込んでいるのだろう」

「よくご存知で」

「あと数日で王都を発たなければならないというのに、まだ収拾がつかないそうじゃないか? それから聞こえたよ、リア。この庭にある大量の薔薇も、噴水さえも村に持っていきたいと。まったく欲張りだね」

 ミーミスはいたずらっぽく笑い、指をぱちりと鳴らした。

「へっ!?」

「なっ……!?」

 リアとゼルドリックは思わず声を上げた。庭の噴水が、植えられていた大量の薔薇が、机と椅子がふわふわと浮き上がり、そして眩い光を放って瞬く間に消え去った。リアは周りを見渡した。玄関前に積んでおいた大量の荷物さえも消え去っている。

「ふふふ。私の指ぱっちんでどうにかしてあげたよ、リア」

 ミーミスは何もなくなった庭を前にあんぐりと口を開けたリアを見て、その顔に大きな笑い声を出した。

「ゼルドリックが溜め込んだ屋敷の中の物も、この庭にある植物や噴水も、全部はずれの村に転送してあげた。私からの餞別だ。ありがたく思いなさい」

 リアとゼルドリックは顔を見合わせ、そしてミーミスに笑顔で礼を言った。彼女は片手を上げたあと、猫に変化しにゃあと鳴き声を上げた。

「二人共、ついておいで。君たちに迎えが来ているよ」

「迎え?」

 リアが首を傾げると、ミーミスは尻尾を振り勢いよく駆け出した。

「あっミーミス様! 待って下さい! ……あ、あっという間に見えなくなっちゃった」

「ふう、猫の姿だと速いな。よく分からんがついていくか。荷造りも進める必要が無くなったしな。行こう、リア」

「うん」

 リアは差し出されたゼルドリックの手を握り、猫の後をついていった。



 その日は暖かく、そして風のある日だった。街路樹には新緑が芽吹き、王都の桜の大樹はこれで最後と言わんばかりに花びらの大雨を降らせる。緑と桃色に美しく彩られた大通りに、彼らを出迎える者たちがいた。

 ミーミスが、オリヴァーが、アンジェロが。そしてメルローが、レントが、マルティンが、穏やかに笑みを浮かべ大通りに立っている。

 リアとゼルドリックは顔を見合わせた後そっと手を放し、それぞれ話をしたい者のもとに向かった。


 ――――――――――



 白皙のエルフが銀糸のように長い髪とローブをさらさらとした風に揺らし、陽光を背に立っている。紫水晶のような猫目がゼルドリックを見つめた。その視線は全てを見透かすようで、美しくも強大なエルフである己の師に、ゼルドリックは尊敬と畏怖を感じた。 

「ゼルドリック。君を『円卓』から守り、離れさせるには、重い罰を与えてもう使い物にならないのだと示すしか方法がなかった」

 ミーミスは白魚のような指をゼルドリックの首に伸ばし、そして黒い枷をそっとなぞった。

「その枷は君の魔力を全て私のもとへと転送するゆえに、君は今後三百年間、一切の魔法を使うことはできない。加えて三百年の王都追放および全財産の没収。上層部の手から君を遠ざけることは出来るだろうが、君の名誉は墜ちた。これから長きに渡って、君には同胞から冷笑が向けられるだろう。厳しい生活が待っているぞ」

「はい。承知の上です。それでも、リアと子を守り抜きます」

 ゼルドリックの覚悟を秘めたきっぱりとした返答に、ミーミスは頷いた。

「ああ、守ってやりなさい。リアは魂を君に捧げたのだ。だから君も、己の全てを賭してリアと子を守りなさい」

 師の低くも透き通った声に、ゼルドリックは頭を下げた。

「それにしてもゼルドリック。君の狂気は契りの薔薇によるものだと思っていたが、君はもともと偏執的な性質を持っていたようだね。私がかつて出した宿題が、君のその性質を目覚めさせてしまったのだろうかね」

「……どういうことです?」

「ふふ、ゼルドリック。君は私に、なぜ先祖たちが人間に負けたのかと質問したね。私はその答えを知りたいのならば、本を読みなさいと言った。君はあの時の答えを知り、それを理解したいと望んだのだろう。だが、愛を望んだ末に心の内の女に恋焦がれ、毎夜毎夜会えるように熱心に祈るとは」

「……!?」

「挙げ句、魔力操作術でリアを監視し、壁一面に彼女の写真を貼り付けるとは。……はあ、全く問題児だな。教育課程で、君のその偏執的な性質を見抜けていれば……」

 ミーミスの言葉に、ゼルドリックは大きく目を見開いた。

「せ、先生! なぜそれを!」

「悪いが、君の精神世界を覗かせてもらった」

 予想外の師の言葉に、ゼルドリックは冷や汗をかいた。

「ゼルドリック。不可侵の世界に逃げ込めばリアとの永遠が手に入ると思ったかい? 甘いよ、私は君がどこに逃げようが追ってみせる。まあ、それは置いといて……。良かったね、ゼルドリック。君の狂気を目の当たりにしても、リアは逃げようとしなかった。彼女は稀有な女性だ。君の狂気ごと、君を愛してくれる。リアの命が尽きるまで、そして尽きた後も、ずっと大切にしてやりなさい」

「……はい、先生」

「君から受け取った魔力は、私がしっかり役立てよう。君は為すべきことをするのだよ」

 ミーミスは教え子をしっかりと抱き締め、そして祝福のまじないを込めた言葉を彼の耳元で囁いた。

「君たちに幸あらんことを祈る」





 ゼルドリックは師と抱擁を交わした後、オリヴァーの元に向かった。教育課程から切磋琢磨し、百二十年の時を共に過ごした同胞は、特徴的な若草色のおかっぱ頭を風になびかせ、真っ直ぐにゼルドリックを見つめた。芽吹き、あるいは若いオリーブの実を思わせる緑色の瞳が、陽光を受けて輝いている。

「千年に一度の天才。南部ブラッドスターが輩出したエルフの中でも特に最高峰と評された魔力操作術。厳格かつ模範的な役人。エルフの中のエルフ。中央政府行政部第二課の黒い鷹。そして私の終生のライバル」

 オリヴァーはゼルドリックの評価を次々に並べ、その後小さく溜息を吐いた。

「教育課程から共にいた貴様が、まさかこんな形で中央政府を辞するとは。混ざり血の女一人に入れ込みこのような結末を迎えるなど、誰が予想できただろうか?」

「……オリヴァー」

「共に南部ブラッドスターの出身として育ち、時を同じくして中央政府に入庁したが、私は一度も貴様に勝てた事は無かったな。背こそ私の方が高いが、筋肉量と格闘術に於いては貴様の方が勝っている。そして天才的な魔術操作の技巧。戦闘訓練ではいつも負かされた。全く、勝ち逃げされるとは癪だ。本当に癪に障る」

「……お前は樹海にいた俺の居場所を突き止めてみせた。魔力操作こそ俺の方が上だが、魔力探知の分野ではお前の右に出るものはいないだろう。事実、俺を一番手こずらせたのはお前だ」

 オリヴァーはゼルドリックの言葉に目を瞬いた。

「ふん、慰めのつもりか? 尚更気に入らん!」

「そうではない」

 ゼルドリックはオリヴァーに向かって深く頭を下げた。

「オリヴァー。お前の介入がなければ、俺はリアを喪うところだった。お前の正義感と、類まれなる魔力探知の才によって俺たちは救われた。リアからもお前が熱心に治療を施してくれたと聞いている。済まなかった。そして礼を言いたい。……本当に、ありがとう」

「………………」

 深く頭を下げたままのゼルドリックの頭を、オリヴァーは思いきり小突いた。

「……痛いんだが」

「当たり前だ、痛くしたのだ馬鹿め! 全く癪に障る、最後の最後に殊勝になりおって!」

 オリヴァーは大声を出した。

「いいかゼルドリック! 貴様はもう中央政府の役人ではない。それでも強健なエルフに生まれついたからには、多種族差別解消法に則り、守るべき者たちを保護していけ! 政府を辞した後も模範的なエルフとして生き、失墜した己の名誉を回復させるのだ。我々はミーミス様の弟子。これからも、この国に平和と共存の理念を広めていく努力をしろ!」

 頭を押さえて自分を見つめるゼルドリックに、オリヴァーは眉を下げた。

「私は長きを貴様と過ごしたにもかかわらず、厳格さや真面目さばかりを見て、貴様がその内に抱える空虚に気が付いてやれなかった。ゼルドリック。貴様ともっと勉強や仕事以外の話をしていれば、相談に乗ってやることも出来ただろうにな。……私は今、それをとても後悔している」

「オリヴァー……」

「貴様が田舎村に越した後も、度々顔を出すことにする。その時は友として話してくれ。綿毛女や子との暮らしを、貴様の楽しみや悩みを……」

 オリヴァーは穏やかに笑った。

「私はこれからも中央政府に身を捧げる。そして貴様よりずっと伸し上がってみせる。中央政府が真に清廉潔白となるまで働き続ける。この国にオリヴァーの名が轟き渡るのを楽しみに待っていろ」

「くくっ……ああ、待っている」

 緑色の糸目をなお柔らかく細め、オリヴァーは片手を上げた。そしてゼルドリックに力強い言葉を贈った。

「上層部に手出しはさせん。もう、綿毛女を寂しがらせるなよ」









「ゼルドリック様。迎えに上がりました」

 ミルクティー色の波打つ髪を揺らし、アンジェロは礼儀正しくゼルドリックに向けてエルフ式の礼をした。風に髪が揺られ、露わになった彼の細く長い首筋がゼルドリックの目に付く。目上の者に向ける丁寧な礼に、ゼルドリックは困惑を顔に浮かべ、首を横に振った。

「アンジェロ……止めてくれ。俺はとうに目付役ではないだろう? 中央政府の役人も辞したのだ」

「それでも、あなたは私の師です。世間知らずの私に手取り足取り役人としてのあり方を叩き込んで下さいましたから」

 アンジェロはゼルドリックに顔を向け、そして無表情な顔を柔らかく崩した。あまり見たことのない元部下の微笑みに、ゼルドリックは眉を下げた。

「優しいのだな。俺はお前を手酷く傷付けた。そして命がけの忠告を打ち捨てた、重罪者だ……。そんな言葉をかけるな。私は決して、良い上司ではなかっただろうに……」

「ええ。あなたは公私混同が過ぎると思いました。法律に抵触することを平気でやってのけましたし、パルナパである私に向けて刃を向けた。ですがそれでも、私はあなたを嫌いにはなれません」

「……なぜだ? 俺はそう、慕われるようなことをした覚えはないが」

「あなたとの仕事が楽しかったのですよ」

 アンジェロは頬を撫でる風を感じるように、あるいは懐かしい日々を思い出すように目を閉じた。

「ゼルドリック様と共に行ったはずれの村の視察ですが、思い返せば面白いものでした。偏執的な上司の行動に呆れたり、手酷く虐められるリローラン殿に同情したり、朝早くに叩き起こされたり、色々ありましたが……。私は視察のやり方を詳しく学ぶことができ、そして親友と呼べる者にも出会いました。母様がゼルドリック様を目付役に命じてくれなければ、私はずっと机の上で紅茶を淹れ続けていたことでしょう。干し肉の旨味も、視察で各地を巡る楽しさを知ることもなく」

「……アンジェロ」

 元部下の言葉に、ゼルドリックは目を潤ませた。

「ゼルドリック様、私はあなたから学んだことを忘れずに、高貴なパルナパの名に恥じぬように、立派な役人になってみせます。立派な役人となって、あなたがただ女に狂った男ではないのだと、部下であった私が証明します」

「堕落した生活の中で美味な紅茶の淹れ方を追求し続けるよりも、仕事を頑張ったほうが面白いのだと気が付いたのです。視察で各地を巡り、ついでにその地の料理に舌鼓を打つのも悪くない。どんなところにも私の舌を唸らせるものがある……。そう思うと、仕事に精が出るというものです」

「……くくっ……やはり食い意地が張っているな、お前は」

 ゼルドリックが目頭を押さえ笑うと、アンジェロも笑い声を上げた。

「法を犯してまで、パルナパの者に反逆してまで得たかった女性を、あなたは傍に置くことが出来たのです。私の親友の姉でもあります。大切にして下さい。もうリローラン殿を泣かせないように、素直な愛の言葉を贈り続けて下さい。あなたの想いが報われて、本当に良かった」

「ああ……ありがとう、アンジェロ」

 アンジェロは黒く大きな手の下から、雫が滴っていくのを認めた。

「私はオリヴァー様より、あなたとリローラン殿をはずれの村まで護衛するようにと命じられています。さあ、私と共に村へ向かいましょう」

 小さな嗚咽を漏らすゼルドリックの背を優しく摩り続け、アンジェロは笑った。



 ――――――――――



 鋲が打ち込まれた派手な中央政府の制服。紫色の短髪に赤葡萄色の瞳、そして真っ赤な唇にピアスだらけの耳。すらりとした長く美しい脚にぴったりとしたロングブーツを履きこなし、メルローは春風を背にリアを見つめていた。天より降り注ぐ桜の雨が、彼女の持つ紫の色彩をなお美しく際立たせる。リアは友人の姿に目を眇め、今日も素敵だねと声を掛けた。

「ははっ、あたしを素敵だなんて言うのあんたくらいだよ」

「そうかな? 私だけじゃなくて、きっと誰もがメルローちゃんを見て綺麗だ、素敵だって思うよ。私はメルローちゃんを見た時目が離せなかったの。自分の魅力を熟知した、とても格好いい女の人だと思った」

「へえ、そりゃ嬉しいね。あんたはホント褒めるのが上手だ……」

 メルローは素っ気なく返したが、リアは白く長い耳が照れたようにひくついたのを見た。リアは彼女の耳に留められた葡萄の房のピアスに目を向けた。グレープガーネットとプラチナで作られたそのピアスは、陽光を受け、シャンデリアの如く耳元で眩く輝いている。

「今日も着けてくれたんだね。よく似合ってる」

「ああ、これ? リアちゃんがあたしだけのために作ってくれたピアスだからね。たくさん着けなきゃ勿体ねーだろ?」

 メルローは真っ赤な唇を美しく歪めた後リアから顔を逸らし、はらはらと風に流れる桜の花びらをぼんやりと眺めた。

「……」

「メルローちゃん?」

「あんたがいなくなると思うと、寂しくてさ」

 メルローはぽつりと呟いた。

「リアちゃんと一緒に遊んだの、すげー楽しかった。女の子と一緒に菓子屋に入るなんて初めてだったし、服や雑貨を誰かと見に行くのも新鮮だった。あたしはずっと友達がいなかったからさ、あんたと過ごした日々が眩しく思えた」

「……」

「どうしてだろうね? 諜報部隊で必要以上に誰かに入れ込まないように訓練を受けたはずなのに。あんたよりあたしは長く生きてきて、出会いと別れなんて今までにたくさん経験してきたはずなのに。会ってそんなに経ってもないハーフドワーフに、なんであたしはここまで……」

 メルローは言葉を詰まらせた。震えが混じる友の声を聞き、リアはメルローの元に駆け寄ってその細い身体を力強く抱き締めた。

「ぐうっ! おい、リアちゃん! あんた力が強えんだから少しは手加減を……」

「メルローちゃん、これでお別れじゃないよ。何でお別れみたいな雰囲気を出してるの? 私は元いた村に引っ越すだけ。私とメルローちゃんは友達のままでしょう?」

 リアはメルローを抱く腕の力を少しだけ緩め、彼女の胸に頭を埋めた。

「……リアちゃん」

「メルローちゃんが私に会いたいと思ったらいつでも会いに来て。私もメルローちゃんに会いたいと思ったらいつでも会いに行く。会ったら、また一緒に出かけましょう! まだまだメルローちゃんと一緒に行きたいところはあるんだから。私が子供を産んでも、歳を取っても、私たちはこれからもずっと友達だよ」

 メルローは眉を下げ、友の赤いふわふわとした髪を撫でた。

「ははっ……あんたはあたしの欲しい言葉をくれるな」

(……あたしは、初めて出来た友達のことを忘れられそうにも無かった。あんたに入れ込んじまったんだ。でも、リアちゃんは引っ越しちまった後、きっとあたしのことなんて忘れてしまうだろうと思ってた。……だから、嬉しい。あんたの口から、私たちはずっと友達だって言葉が出たことが……)

「そうだな、あたしたちはこれからも友達だ」

 メルローは赤葡萄色の瞳を潤ませつつも、白い歯を見せて笑った。

「リアちゃん、仕事の合間を縫って適当に会いに行くかんな。村に戻っても、元気に笑って暮らせよ!」

「うん、ありがとう……!」

 陽だまりのような笑みをメルローに向けながら、リアもまた涙を滲ませた。





 小麦畑を思わせる美しい黄金色の髪、そして知性と穏やかさを湛えた深みのある灰色の瞳。初めて顔を合わせた時に彼に抱いた、どこかの国の王子のようだという印象は今も変わらない。リアのもう一人の友は見る者を魅了するような、綺羅びやかで美しい微笑みを浮かべ、桜吹雪の中立っていた。

「レントさん」

 リアが声を掛けると、レントは軽く頭を下げた。

「お元気そうで何よりです、リアさん。今日は少し風が強いですね。でも、そのお陰で広場の大樹からこれほどの花びらが流れてくる。王都の春というものは本当に美しいですね。桜の花が、この大通りを淡い桃色に彩っていく」

「ええ、本当に。綺麗ですね……」

 レントははらはらと散る花びらを見て、どこか満ち足りたような顔をした。春という季節を厭っていたように思う友のその顔に、リアは切なくなるような心地がした。

「お世話になりました、レントさん」

「こちらこそ。リアさんが王都を出ると思うと寂しいですね。あなたはファティアナ様専属の職人のままですが、今までのように顔を合わせて直接様子を伺うことが出来なくなる。ああ、不安です。真面目なリアさんが村で働きすぎなければいいのですが……」

「ふふっ、大丈夫ですよ。私が働きすぎると弟とゼルがすぐ止めに来ますからね、心配要りません」

「そうですか。でしたら安心です」

 リアが笑うと、彼もまたくすくすと笑い声を上げた。

「ファティアナ様は、大変喜んでいらっしゃいましたよ。イヤリングから伝わってくる感情が煌めいていると。リアさんが村に引っ越してしまうのは寂しいが、煌めくその感情をこれからも味わい続けられるならとても幸福だと。良かったですね、リアさん。あなたは今とても幸せそうだ。あなたが笑っていると、僕も嬉しくなる」

 レントはリアの手をしっかり握り、明るい笑顔を向けた。

「私も、レントさんが笑っていると嬉しくなります」

 リアは晴れやかな友の顔を見つめ微笑んだ。レントは風に揺れる赤い髪を見て、目を眇めた。

「ありがとう、リアさん。僕は近頃、あなたに暗い顔ばかり見せてしまっていましたね。春の日に、こうして穏やかな気分で笑えているのは随分と久しぶりです。春は僕にとって、苦しみと死の季節でしたから」

「レントさん……」

 彼の手をリアが握り返すと、レントは眉を下げた。

「春の麗らかな日に逝った母。僕はその母の死を振り払いたくて、必死に未来視の力を役立てようとしました。自己中心的な動機でした、僕は誰かを救うことで、母の死に取り憑かれた自分自身を救おうとしたのです。苦しかった。助けても助けても、自分が溺れていくようだった」

「特にリアさんは母に似ていて、あの未来を視た時僕は冷静ではいられなかった。傷付けられたリアさんを見た時、この人も僕の母と同じ道を歩むのかもしれないと思うと、悲しくて仕方がなかった」

 リアは、友の声に静かに耳を傾けた。

「ですが、やっと僕は母の死に向き合えるようになりました。リアさん、あなたの在り方が僕を救ってくれたのです」

「私が?」

「はい。あなたは関係が拗れても、ゼルドリック様から傷付けられても、絶対に諦めないと言い放った。その時、変な言い方ですが、あなたから母の姿が切り離されていったのですよ。僕を苦しめた死の影が消えたのです。ああ、きっとリアさんなら大丈夫、母の歩んだ道を歩むことはないのだと。そして今、こうして僕の前で満ち足りた顔を向けてくれる……」

 レントは笑った。晴れやかな笑い声だった。

「あなたの想いが報われて本当に良かった。リアさん、どうか王子様と、幸せになってください」

「……はい。ありがとうございます……!」

 リアもまた晴れやかな笑みを向け、彼としっかり抱擁を交わした。





 茶色の豊かな髪、垂れ下がった分厚い眉毛に長い髭。それらにたくさんの桜の花びらを付けながら、マルティンはリアに向けて片手を上げ挨拶をした。

「や、リア。王都まで迎えに来たよ。元気そうだねっ……て、おい、どうした?」

「あははっ! お髭に花びらがたくさん付いてるわよ! じっとしていて。今取ってあげるからね」

 リアは弟に駆け寄り、長い髭から花びらを一枚一枚丁寧に取り去ってやった。彼のふわふわした髭は桜の花びらをよく絡め取り、風が吹く度髭に新たな花びらが付いていく。リアは弟の可愛らしい姿に微笑み、楽しそうに花びらを取り続けた。マルティンはころころと笑う姉の笑顔を見て、ほっと息を吐いた。

「リア、よく頑張った。よく勇気を出して想いを伝えたね」

 マルティンは己の髭を掴む姉の肩に手を回した。彼からは干し草の匂いがして、リアは顔を緩ませた。それは自分たちが過ごしてきたはずれの村の、懐かしき田舎村の匂いだった。リアの目から思わず涙が溢れる。弟が纏う干し草の匂いは、リアの心の深い部分を揺らした。

「マルにこうして抱きつくと、ほっとする。ねえマル、あの時私の背中を押してくれて本当にありがとう。私は馬鹿な選択をしようとしていたわ。あなたが諦めるなって言ってくれなかったら、こうして笑えていなかった。ゼルを諦めるなんて、絶対に無理だったのにね」

「ああ。君が無理して振る舞ってるのは知ってた。リアの口と心が全く正反対なことはすぐに分かった」

「ふふ、敵わないわね」

「それに、僕はあの野郎がリアを思い出さなくても、ボコボコに殴って無理やりはずれの村に連れて行くつもりだった。君じゃそんな乱暴なことは出来ないだろうからね」

 穏やかなマルティンは好戦的な言葉を吐いた。
 リアはぎょっとしてマルティンの顔を見た。かつてダークエルフの役人に怯えていた弟の姿はそこに無かった。

「ね、ねえ……ゼルに対してすごく怒ってる?」

「当然だ。あいつは僕の大切な姉ちゃんを傷付けた。村に着いたらまず一発、あいつを思い切り殴る。いや、五発くらい殴ってしまうかもしれない。リアがいくらあいつのことを好きでも、こればかりは止められない。あいつを新しい家族として受け入れるのはそれからだ」

「マル! だめよ、殴るだなんて!」

「いいや、聞けないね。あいつは魔法を使えないんだ。僕だって勝てるかもしれない。溜まった鬱憤を晴らすにはいい機会だ、馬乗りになって殴ってやる」

「ねえ、ゼルは魔法なしでも強いわよ……? あなたが殴る前にひねられちゃうわ」

「ならこっちは銃を持ち出す。あの野郎の尻に、素早く一発撃ち込んでやる」

「マル……。ふ、ふふっ……!」

 リアは思わず笑った。

「おい。何で笑うんだよ」

「いえ……うふふっ……。そう言えば、マルはこんな子だったなあって……あははっ……」

 リアは反抗期真っ盛りだった時のマルティンを思い出した。ぶっきらぼうで、棘を含ませた物言いをしたかつてのマルティンを。彼はリアが何を言っているのか察したようで、照れくさそうに頭を掻いた。

「……僕が糞ガキだった頃のことなんて、恥ずかしいから忘れてよ」

「ふふっ……。いいえ、忘れないわ。あなたは私に言ってくれたでしょ? 本当の家族になりたい、君が辛い時は頼ってほしい。苦しい時は僕が支えたいって。その言葉はね、ずっと私の宝物なのよ……」

 赤い夕日と草の香り。
 マルティンもまた、姉と打ち解けた日のことを思い出した。

「マル。私を支えてくれてありがとう。本当にありがとう……」

「どういたしまして」

 リアに向けて笑った後、マルティンは心の中でゼルドリックに悪態を吐いた。

(……全く、あのダークエルフの野郎。村を出る時言っただろ? リアに素直になれって。あんなに分かりやすいくせに肝心なことは相手に伝えない。身体だけでかい小心者だ、リアが好きなら好きだって早く言えば良かったんだ)

 マルティンはリアの手を握り、アンジェロの元へと向かった。

(最初からリアに対して素直になっておけば、面倒なことにならずに済んだのに。ああでも……僕も他人のことは言えないか。リアに対して素直に接することが出来なかったのは、僕も同じだから……)

 アンジェロとゼルドリックが二人を見ていた。はずれの村へ転移するための魔力門が、アンジェロの前で渦巻いている。リアはマルティンに手を取られ、桃色に染まった道を歩んでいく。リアは美しい新緑と散る桜の花びらが、自分とゼルドリックを祝福してくれているように思えた。

「さて、行こうかリローラン殿」

 アンジェロの言葉に、リアはひとつ頷いた。魔力門が渦巻き、道に落ちた桜の花びらを空高く巻き上げていく。

「……リア」

「ゼル」

 ゼルドリックが優しくリアの片手を握った。青空のような彼の瞳を見上げ、リアは穏やかな微笑みを浮かべ彼の腕の方に寄りかかった。

 リアはふと、桜の花びらの向こうにある人物の姿を認めた。獣人の女性が、窓からリアとゼルドリックを見て手を振っている。リアはありがとうと口を動かし、獣人の女性に手を振り返した。

 桜の渦が、リアの視界を桃色に染めていく。
 そしてエルフたちが見守る中、四人は王都の大通りから消え去った。
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