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After.花図鑑
Aft2.枝垂柳
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強烈な陽射しが降り注ぐ真夏日。
郊外にある林の中で、生い茂る草を掻き分けるように進みながらウィローは叫んだ。
「ファティアナさまああああ!! どこにいらっしゃるのですかあああ! いらっしゃったら返事をしてくださいっ!!」
彼の叫びに応える者はない。
樹の上から、鳥がばさばさと飛び去るのをウィローは見た。
「はあ、はあ……あ、暑い……!」
ウィローは澄み渡る青い空を仰ぎ、深い息を吐いた。
彼が困ったように首を横に振る度、後ろでひとつに縛った黒髪から汗の飛沫が散る。己の頭が強烈な暑さに焼けてしまいそうで、低木に隠れるほどの背であったなら、木陰に隠れてもう少し涼しかったかもしれないと、ウィローは自分のやたらに高い背を恨んだ。
(探し始めてもう十五分くらいか? まずいまずい、ファティアナ様に何かあったらどうしよう! 全く、あの方は目を離した隙にすぐいなくなるんだから!)
ウィロー=リローラン。
緑の国第七王女、ファティアナ=パルナパの専属宝石職人、そして付き人。
彼はファティアナと共に未知の動物を求めて郊外の林をうろついていたが、色鮮やかな蝶に目を奪われた隙にファティアナとはぐれてしまった。
それからウィローは草むらを掻き分け、必死にファティアナを探し続けているのであった。
(双頭の鹿なんて珍しい生きものが、この林にいる訳ないじゃないか! 今度は一体何の本に影響されたんだ? 僕がこの前勧めた冒険記か!?)
樹々の隙間からじりじりと焼くような夏の陽射しが降り注ぐ。ウィローは耐え難い暑さに、己の長い耳をひくひくと動かした。
(ああもう、こんなことになるならファティアナ様に冒険記なんて読ませるんじゃなかった! あの方は思いつきですぐ行動に移すから参ってしまう!)
ウィローは額の汗を拭い、怒りと心配を込めて叫んだ。
「ファティアナさまああああああああ!!」
「はあい」
近くの茂みから、ファティアナがぴょこりと顔を出した。
肩上で切り揃えられた桃色の髪には、落ち葉やら草やらがたくさん付いている。ファティアナはがさがさと草を掻き分けながら、汗だくのウィローに朗らかな笑みを向けた。
「もう、ウィローったら。そんなに叫ばなくても大丈夫よ。わたしは無事よ!」
のんびりとした調子で話すファティアナに、ウィローは眉を跳ね上げた。
「ファティアナ様! どこに行かれたのかと心配していたのですよ!」
汗を拭いながら安堵の息を吐くウィローを見上げ、ファティアナは自分の長い耳をひくりと動かした。
「そんなに大声を出さないで。この子が驚いちゃうわ!」
「この子?」
ウィローが首を傾げると、ファティアナは明るい笑みを浮かべながら手を叩いた。
「おいで、かわい子ちゃん!」
ファティアナが手を叩くと、茂みからがさごそと音がした。何か大きなものが草むらを掻き分けてこちらに近づいてくる。
ウィローは息を呑んだ。
「あ……」
ファティアナの後ろに、巨大な牡鹿が現れた。
鹿はつぶらな瞳をウィローに向け、ぱちりと片目を閉じた。
よく見ると鹿の腰の部分から、もうひとつの首が生えている。
「そ、双頭の鹿……! こんな生きものがいるなんて……」
ウィローが鹿の首を交互に見つめると、鹿はぱちりぱちりと、それぞれの片目を閉じて挨拶をした。
「この林の奥の方に小川があるのよ! この子はそこで休んでいたわ! 最初は逃げようとしていたけど、わたしが一生懸命話しかけたらお友達になってくれたの! はい、ウィロー、これはこの子から貰ったのよ!」
ファティアナはウィローを気圧すような早口で喋りながら、立派な鹿の枝角を彼に手渡した。
「うふふっ、すごく大きな枝角だわ! 磨いたらとっても素敵なアクセサリーになりそうよね?」
ウィローは大きな鹿の角を擦りながら、呆然とファティアナを見つめた。
「しっ……鹿は本当にこの林にいたのですね……」
「もう、言ったでしょうに! わたしのお姉さまが実際にこの子を見たことがあるって! この子がいそうなところも事前に調べてきたの! あなた、わたしを信じてなかったの!?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……」
ファティアナは頬を膨らませた。
「ウィロー! あなたのことだから、またわたしが何かの本に影響されたと思ったのでしょう! もう! わたしは何の下調べもしないまま、鹿を探して林に突っ込んでいくような馬鹿じゃないわ!」
(そうか?)
ウィローはファティアナからそっと目を逸らした。
その場の思いつきで行動するファティアナに、散々振り回されてきた思い出が蘇る。ウィローが誤魔化すように天を仰ぐと、ファティアナは彼の腕をくいくいと引っ張った。
「さ、ウィロー! 城に戻りましょう! それではね、かわい子ちゃん。また会いに来るわね!」
ウィローはファティアナの桃色の髪からそっと落ち葉を取り除いた後、転移魔法を発動させた。
双頭の鹿が、ふたりに別れを告げるように何度もぱちりぱちりと目を閉じた。
――――――――――
ウィロー=リローラン。
ダークエルフの父とハーフドワーフの母の間に生まれた、五人の子の二番目。
ウィローは内気で大人しい少年だった。
王都から遠く離れた田舎村で育った彼は、他の子供たちのように森や水場で遊ぶことよりも、家の中に籠もって読書することを好んだ。
彼にはリリーという姉がいて、リリーもまた読書に親しんだが、リリーとウィローでは読む本の傾向が異なっていた。リリーは魔術書や数学書などの本を好んで読むのに対して、ウィローは絵本や冒険記、恋愛物語などの本を手に取った。
リリーは父――ゼルドリック譲りの頭の回転の速さと、優れた魔術の才を持つ非常に素晴らしい子だった。それに比べて自分は勉強が苦手で、魔術の才もそれほどない。姉が好んで読む本の一頁も理解することができない。
一体自分に向いていることは何なのだろうかと、ウィローは日々考え続けた。
やがてウィローは、優秀な姉と自分を比較して酷く落ち込むようになった。姉と比べて自分が優れている部分など、ひとつも無い気がした。
ウィローは家族のことが大好きだった。
厳しくも優しい父のことも、穏やかな母のことも、しっかり者の姉のことも、後から生まれてきた妹と弟のことも好きだった。
だからこそ、役立たずの自分が情けないと思った。
姉のリリーは自分に出来ることが何か考えて、生まれ持った才を活かそうと必死で父の稽古を受けているのにもかかわらず、己は何にも秀でていない。
(僕は役立たずだ。一体何のために生まれてきたんだろう)
考え事をしてどうしようもなく悲しくなった夜は、両親の寝室を訪ねることにしていた。そしてゼルドリックと共に庭に出て、夜鳥の鳴き声に耳を傾けながら、ぽつぽつと父に悩みを話した。
――父さん、僕は役立たずだ。僕は姉さんのように頭が良くないし魔術の才能もない。イリスのように性格も明るくない……。僕に秀でたところなんてひとつもない。
俯き、肩を震わせる息子を、ゼルドリックはしっかりと抱きしめた。
――ウィロー。役立たずだなんて言うな。お前は宝だ。父さんと母さんのかけがえのない宝物なんだよ。お前がただ元気に生きていってくれれば、俺たちにとってそれ以上のことはないんだ……。
ゼルドリックはウィローのさらさらとした黒髪を撫で梳きながら、優しい声音でそう言った。
――ウィロー、お前は自分の優れた才能に気がついていないんだな? いいか。お前は忍耐強いし、素晴らしい集中力がある。何時間も図書室に籠もって本を読むなんて中々出来ることではない。
――そうかな……?
――ああ、そうだ。お前の忍耐強さと集中力は素晴らしい才能なのだ。その才はお前を救ってくれる。だから俺やリリーと比較して、自分をいたずらに苦しめるな。お前は唯一かつ特別なのだ。いいな?
――うん……。
――自分に自信を持ちたいなら、お前は自分の才能を活かせそうなことが何か考えて、それに一生懸命取り組みなさい。
力強く頭を撫でる父に、ウィローはそっと微笑みを返した。
それからウィローは、新たな趣味――鍛冶や宝石細工に手を伸ばした。
無心で宝石を磨き、細工を施す。村で暮らす住民のために道具を作る。
それは自分の忍耐と集中力を、存分に活かすことができそうな気がした。
ウィローはハーフドワーフの母、リアを真似て積極的に宝石を磨いたり、細工の練習をした。
妹のイリスは外に遊びに出る度に、鹿の角や動物の骨を持ち帰ってくる。ウィローはそれを貰い、安価な宝石と合わせて指輪や耳飾りを作るようになった。
澄んだ夜に聞こえる夜鳥の鳴き声を、図書室の窓から見える美しい夕焼けを、家族との温かい思い出を。ウィローはそれらを考えながら、熱心に石や骨を磨いた。
そうして出来上がった彼の作品は無骨で、拙いものではあったが、不思議と訴えかけてくる何かがあった。
ウィローの味わい深い作品を見て、ゼルドリックやリリーは細工の才があるのかもしれないと彼を褒めた。
特にリアは大層喜んだ。彼を抱きかかえ、何と素晴らしい品を作るのだろうと褒め讃えた。
その時ウィローの心には、家族から褒められたことの嬉しさと、自分の道を決める意志が生まれた。
(僕も母さんみたいになりたいな……)
母のように、鍛冶も宝石細工も手掛けられるような職人になりたい。
ウィローは靄が掛かっていた自分の心がぱっと晴れたような気がした。
十八の歳、ウィローはリリーと同じ様に王都へと行く決心を固めた。
母のような一人前の鍛冶屋になるために、華やかなる王都で経験を積もうと決めていた。
――父さん、母さん。自分に自信を持てるようになるまで頑張ってくる。僕は一人前の男になってくるよ。
家族としっかり抱擁を交わし、ウィローは王都へ旅立った。
ウィローは中々の美青年だった。
長身である父をなお超えるほどの背に、すらりとした体型。
黒檀のような美しい肌、肩甲骨ほどまで伸ばしたさらさらとした黒髪、湖のように澄んだ青い目。
彼が内心抱える気弱さや大人しさは伏し目となって外に表れ、整った顔立ちに憂いのある色気を乗せた。
ウィローはドワーフが営む鍛冶屋に弟子入りをしたが、一ヶ月で解雇されてしまった。
田舎村からやってきたハーフエルフの美青年を一目見ようと、客でもない女性が大勢店に押しかけてきたためだった。
「兄ちゃん、あんたには悪いがね。あれじゃ商売にならねえよ……」
ウィローを雇ったドワーフの老父は、眉を下げ申し訳無さそうにそう言った。
「なあ兄ちゃん。緑の国は最近治安が悪い。武器はいくつでも必要とされてるんだ。あんた、中央政府が管轄している工場で働いてはどうだい?」
「……中央政府」
ウィローは眉を下げた。
中央政府といえば数多の純血のエルフが働いているところで、彼らが混ざり血に向ける視線がどれほど厳しいのかは、父や姉からよく聞いていた。
(……怖い。混ざり血であり、罪人の子である僕にどれほど厳しい視線が向けられるか分かったものじゃない)
ドワーフは煙草をふかしながら、暗い顔をするウィローをじっと見つめた。
「兄ちゃん。俺はこう見えても元々政府の役人だったんだよ。耳長族どもは意地悪だけどさ、あんたが一人前の職人になりてえって言うなら、工場ほど経験の積める場所はないぜ? 何てったって一日中道具やら武器やらを作らされるんだからよ。お詫びと言っちゃあ何だが、もしあんたに働く気があるのなら紹介状を書いてやってもいいぜ……」
(……僕は、独り立ちするためにこの王都にやってきたんだ。姉さんだって立派に役人として働いている。大丈夫。僕は忍耐強いから、中央政府が管轄する工場でもきっと働いていける……)
不安を抱きながらも、ウィローはドワーフの言葉に頷いた。
そして彼は、中央政府が管轄する工場のひとつで働くことになった。
ウィローは工場で働く者たちから爪弾きにされた。
純血のエルフだけでなく、高慢な尖り耳の一族の血を引いているということで、ドワーフやオークからも不信の目を向けられた。
だが彼は何を言われても、忍耐強く目の前の仕事に取り組み続けた。
文句を言ってくる者はいるが、工場に女性が押しかけてくる訳でもないし、しっかりと働いていればそれなりの給金も手にすることができる。慣れてしまえば、この工場での仕事もやりやすいものだとウィローは感じた。
ウィローは休日、片手間に作った指輪や耳飾りを市場に出した。
王都での生活を心配する家族が、分厚い手紙とともに宝石やら鹿の角やらを封筒に入れて送ってくる。ウィローは田舎村での温かい生活や家族のことを思い出しながら、それらで装身具を作った。
ウィローの作品は無骨ながらも中々評判が良かった。作品を手に取った人々が、味わいのある作品だと称賛の言葉を口にする。
自己肯定感が高まっていくのを感じ、ウィローはなお鍛冶や細工に没頭した。
やがて、ウィローの腕は誰もが認めるものになった。
エルフもドワーフもオークも、もう彼を馬鹿にすることはない。ウィローは同僚からの尊敬の眼差しを受けながら、工場の隅でひたすら武器を作り続けた。
ハーフドワーフの母、リアが天に旅立った。
ウィローは父と同じ様に、年老いてすっかり小さくなった母の身体に縋り付き、ぼろぼろと涙を流した。
自分の拙い作品をたくさん褒めてくれた母。自分を励まし続け、抱きしめてくれた母。
優しい母にもう会えないのだと思うと、心が軋んで仕方なかった。
(……僕は、一人前の職人になれたんだろうか)
驚くほど手先が器用だった母。いち職人としての永遠の憧れ。
母は、自分のことを立派だと思ってくれていただろうか。
(母さん。大好きな母さん。天から僕をずっと見守っていてね……)
ウィローは母の冷たくなった手をしっかりと握りしめ、また王都へと戻った。
ある晴れた秋の日のことだった。
ウィローは鍛冶仕事で凝り固まった身体を解すために、郊外にある林の中をのんびりと歩いていた。紅葉を楽しんだり、美しい鳥の鳴き声に耳を傾けながら、お気に入りの昼寝場所に向かう。
ふと、自分の秘密基地に先客がいるのを見た。
(女性? ……エルフか?)
肩上で切り揃えられた桃色の髪が、さらさらと秋風に揺れる。
穏やかな風が女の髪を柔らかく靡かせて、白く長い首筋から目元までを露わにした。
エルフの女は泣いていた。
声を上げないように、何を堪えるようにして静かに涙を流していた。
ウィローがそっと女に近づくと、女ははっとした様子でウィローを見上げた。
潤み、透き通る桃色の目を、ウィローはまるで薔薇石英のようだと感じた。
「……ぁ」
女は息を呑んだ後急いで逃げようとしたが、ウィローが両手を上げ何もしないことを示すと、座り直し深く息を吐いた。
「……わたしが泣いていたことは秘密にしてくれる?」
か細い声に、ウィローは何も言わず頷いた。
それから彼は女に話しかけることなく、ごろりと芝の上に寝転がって、目を閉じながら秋の涼しい風を楽しもうとした。だが隣からいつまでも女の気配が消えず、目を閉じていても分かるほどの強い視線が自分に注がれているのを感じる。
ウィローがゆっくり目を開けると、女が自分の顔を覗き込んでいるのが見えた。
「あの……何か?」
「あなたの胸のそれ、素敵ね」
女は好奇心に満ちた、きらきらとした目をウィローに向けた。彼の胸元には鹿の枝角と水晶で作った白いペンダントがあって、女はにこにことしながらそのペンダントを指差した。
朗らかな笑顔を浮かべる顔には、先程までの悲しみは一切感じられない。
泣いたり笑ったり、ころころと表情が変わるエルフだとウィローは思った。
ウィローは起き上がり、胸元からもうひとつ、鹿の角で作ったペンダントを取り出した。市場で売ろうと取っておいたそれを、彼はエルフの女に差し出した。
「よろしければ差し上げます」
「……いいのかしら?」
「ええ。あなたの慰めになるのなら」
女はウィローからペンダントを受け取った後、何かを味わうようにゆっくりと目を閉じたり、深く息を吐いたりした。
「わたしね、自分の立場や仕事で悩むことがあって泣いていたの」
「……ええ」
「でもすっかり心が晴れたわ。この素晴らしいペンダントをいただけたから」
女はにっこりとウィローに笑いかけた。
(……変わった女性だ。僕の作品は無骨で、そう女性受けがいい訳でもない。美しいあなたには、もっと繊細な装飾品の方がいいだろうに)
ウィローは朗らかな笑みを浮かべる女にぺこりと頭を下げて、その場を後にした。
その日から、ウィローの秘密基地に度々エルフの女が訪れるようになった。
ウィローの昼寝の時間は、女と会話する時間に変わった。
「ファティ」と名乗ったエルフは、非常に明るい女だった。
こちらを気圧すような早口で喋り、朗らかな笑みを浮かべながら勢い良く握手を交わそうとする。恋愛小説を好んで読むという彼女は、読書が好きなウィローと意気投合した。
ファティは物静かなウィローにしつこくしつこく話しかけ続け、時々一緒に林の中を散歩しようと提案した。
珍しい蝶がいればずっとその後を追いかけ続け、小綺麗な服を草や落ち葉で汚す。水溜まりに足を取られて転び、顔まで泥だらけになったファティを見てウィローは大笑いした。
ファティの天真爛漫な行動に、ウィローは自分の内気な性格が少しずつ明るくなっていくのを感じた。
ウィローは、ファティを不思議な女性だと思った。
無邪気で少し考えなしのところがあるのに、ひとつひとつの動作にどこか気品が感じられる。彼女がどんな境遇にあるのか疑問に思いつつも、ウィローはファティとの対話を重ねた。
ウィローはファティと会う度に耳飾りや指輪を手渡した。
家族や田舎村の風景を思い浮かべながら作ったその装身具たちは相変わらず無骨なものだったが、ファティは目をきらきらとさせながら大いに喜んだ。
王都の桜の大樹から花びらの雨が降り落ちる、麗らかなある春の日。
ウィローは工場を訪ねてきたひとりのエルフを前にして、大きく目を見開いた。
「ウィロー。ウィロー=リローラン。ぜひわたしの専属宝石職人となってほしいわ!」
ふわふわとした桃色のドレスを揺らし、「ファティ」はウィローに向けて朗らかに笑んだ。
よく見慣れた桃色の髪には、王族出身の女性であることを示す銀のティアラが着けられている。ウィローはファティの正体に驚き、何度も目を瞬いた。
緑の国第七王女、ファティアナ=パルナパ。
そうしてウィローは可憐な王女の専属宝石職人となり、彼女と共に王城で過ごすことになった。
ファティアナとの生活は刺激的だった。彼女は何かとウィローを連れ回した。
新たな本を読む度に、あの場所に行きたい、これをしたいと言って、彼を伴って頻繁に出歩こうとした。
好奇心の強い王女は、公務の合間を縫って頻繁に市街に出た。ウィローが市場で宝石を漁っていると、いつの間にか隣にファティアナが立っていて驚くことも珍しくなかった。
第七王女の傍には、いつも黒檀の肌を持つ美しいハーフエルフの男がいて、ウィローはいつの間にか、周囲からファティアナの付き人だと認識されるようになった。
「ウィロー、あなたの作品は本当に素晴らしいわね。きらきらしてて、温かみを感じて、どこか懐かしい気持ちになるわ!」
ファティアナはそう言って、ウィローの無骨な作品をよく褒め讃えた。
ウィローの心にファティアナからの称賛が降り積もり、それが彼に自信を与えていく。
好奇心旺盛な王女に振り回されながらも、ウィローは王女としての在り方に悩むファティアナの悩みを聞き、孤独を感じる彼女にひたすら寄り添う努力をした。
「ウィロー。王女って大変なのよ。自由にさせてもらっているようでそうではないの。とっても疲れるわ。皆、わたしに笑みを向けながらも、わたしの生活を監視してる……」
「ねえ、ウィロー。わたしには見目が美しい作品がたくさん捧げられるけれど、その裏にある感情が綺麗だとは限らないの。悪意や、悲しみや、焦りのような感情が込もった作品を受け取って、悲しくなる時があるの……」
「忙しない毎日も、気疲れする公務も全て放り投げたくなるわ。時々重圧に押しつぶされそうになる。城を抜け出して、あなたと一緒に林に行ったり、市場を歩き回っている時が一番幸せよ」
「……ずっと寂しいと思っていたの。わたしに近づいてくるひとは、わたしではなく、わたしの持つ権力を見ている……。わたしの心に寄り添おうとしてくれるあなたと、出逢えて本当によかったわ」
ウィローとファティアナの間には、やがて強い信頼関係が生まれた。
罪人の子であり、混ざり血であるウィローは王城にいる者たちから随分と陰口を叩かれたが、忍耐強い彼は、決してファティアナのもとを離れようとしなかった。
そうして、長い月日が経った。
(駄目だ。集中できない……)
ウィローは最近、自分がファティアナの傍にいていいのか悩んでいた。
内に抱える悩みや不安は作り出す装身具に滲み出て、以前のように味わいのある品々を作り出すことができない。
鍛冶場で宝石を磨いていたウィローは汗を拭った後、大きく溜息を吐いた。
(僕は馬鹿だ。どうして長い間気が付かなかったんだろう?)
子供の頃、母が家にやってきた大きな鶴の首に、装身具の入った封を巻き付けているのを見た。
魔力を纏う大型の鶴。高貴なるパルナパ家の使い魔。あれは、母が雇い主へ装身具を渡していたのではないか。
(ファティアナ様が職人を選ぶのは僕が初めてじゃない。母さんだ。母さんが、前の専属宝石職人だったんだ……)
――親の七光りが。
ある時、ウィローはそう悪口を言われた。
いつも悪口は聞き流しているというのに、その「七光り」という言葉だけがやけに気になった。
ウィローはファティアナが召し抱えていたかつての宝石職人の名を調べ、そして顔を覆った。
リア=リローラン。
ファティアナが直々に顕彰し、彼女が愛した装身具をいくつも作り出した稀代の宝石職人。
――ウィロー、あなたの作品は本当に素晴らしいわね。きらきらしてて、温かみを感じて、どこか懐かしい気持ちになるわ!
(懐かしい……か。僕の作品に母さんのことを重ねたんだろうか?)
(ファティアナ様は、僕の作品に特別惹かれた訳じゃなくて……。母さんの息子だから、僕を選んだのだろうか?)
悲しい。
王女には、僕自身の作品を好きだと言ってほしかったのに。
ウィローは自分の内に込み上げた感情を醜いと思った。
大好きな母に嫉妬心を向けてしまいそうで、彼は椅子に深く腰掛けながら、不安を逃すようにまた息を吐いた。
愛する母、リアがエルフとなって戻ってきたことを知ったのは、それから数日後のことだった。
暖かな夏の日。ウィローは林で昼寝をしていたところを、そっとリアに起こされた。
「母さんっ……? 母さん!」
涙を流しながら己を抱きしめるウィローの背を、リアは慈しむように何度も摩った。リアはウィローの顔を見上げ、ひとりの立派な職人となった息子を潤んだ瞳で見つめた。
「ウィロー。あなたの活躍は聞いているわ。あなたは本当に素晴らしい職人となったのね……!」
成長した息子の顔を嬉しそうに見つめながら、リアは今までのことをウィローに話した。
母の話は信じ難いものだったが、実際にこうして生まれ変わった彼女を前にして信じる他なかった。ウィローは愛しい母の帰還に、はらはらと歓喜の涙を流した。
もうすぐゼルドリックに会いに行けるのだと。
リアは嬉しそうにウィローの前で笑った。
ウィローは己の内に込み上げた不安を口に出せぬまま、リアに向けて微笑んだ。
(母さんが戻ってきてくれた。それなら……)
(ファティアナ様は僕を解雇して、再び母さんを召し抱えるのだろうか?)
心が痛い。
ウィローはその夜、静かに涙を流した。
――――――――――
ファティアナの私室。
桃と白色で彩られた可愛らしい部屋で、ウィローは彼女と向かい合って話をしていた。
「全く、僕の傍から決して離れないで下さいと伝えたでしょうに」
「もう、無事だったんだからいいじゃない! それよりも……ふふっ、立派な鹿の角が手に入って嬉しいわ! ちゃんとお姉さまに、あの子の居場所を前もって聞いておいて良かったわね」
ファティアナは好物のベリータルトを頬張りながら、嬉しそうにウィローに話しかけた。
「ええ、そうですね」
ウィローは胸の痛みを堪えながら、目の前の可憐な王女に精一杯の笑みを向けた。ファティアナは彼の笑みを見て口を噤んだ後、フォークを机に置き、じっとウィローの青い目を見つめた。
「……ねえ、ウィロー。あなたは最近ずっと元気がないわね。一体どうしたの? わたしに作ってくれるアクセサリーも、以前とは少し様子が違うわ。あなたの作品から悲しみや不安が伝わってくるの」
ウィローはその言葉に目を見開き、王女の視線から逃れるように俯いた。
(ははっ……とうとうファティアナ様から指摘されてしまった)
もう限界だ。
ウィローは震える息を吐いた。
「ウィロー?」
「…………」
ひとつ息を吸った後、ウィローはファティアナに切り出した。
「ファティアナ様。僕の母がエルフとなって戻ってきました。あなたが愛した稀代の宝石職人が、再びこの世に戻ってきたのです」
「…………」
「僕の作品は無骨です。母がかつて作り出したような美しい装身具を、僕は作ることができません。……僕は不出来な作品をあなたに渡して不快にさせてしまった。……僕はもう、あなたが満足するような品を作り出すことはできません。ですから僕を解雇して、母を――」
「やめなさい」
ファティアナはぴしゃりと言い放ち、ウィローに続く言葉を紡がせなかった。
「……あなたの母が戻ってきたことは、とっくに知っていたわ。ねえ、ウィロー。わたしが愛したかつての宝石職人は『リア=リローラン』よ。『オフィーリア=オルフィアン』ではないわ。わたしはオフィーリアを雇おうとは思わない。今のわたしの専属宝石職人は……ウィロー、あなたでしょう?」
「……ですが、僕は母の代わりにはなれません」
「リアの代わりになれだなんて、あなたに言ったことがあったかしら?」
ファティアナは手を伸ばし、俯くウィローの顔をそっと上げさせた。
「あなたは何か勘違いをしているようね。わたしはね、あなたが『リローラン』だから雇ったんじゃないわ。あなたが『ウィロー』だから雇ったのよ。罪人の子であり混ざり血のあなたを、王族であるわたしの傍に置くには随分と手間がかかったわ。でもそうまでして、わたしはあなた自身を望んだの」
「……なぜです?」
「あなたが作品に込めた感情に魅了されたからよ。ねえウィロー。わたしはね、作品に込められた感情を読み取ることができるのよ」
ファティアナはウィローの滑らかな黒い頬を摩った。
「あなたはたくさんの感情を作品に込めてきたわね。故郷に対する懐かしさ、温かさ。家族への愛。そして日々強くなる、わたしに対する親しみの感情……」
「……ぁ」
照れたように視線を逸らすウィローを見て、ファティアナはくすくすと笑った。
「あなたは素晴らしい才能があるわ。自分の想いをそっくりそのまま……。作品に感情を込めるという素晴らしい才能が。あなたがわたしに向ける真っ直ぐな親愛の感情は、あなたの味わい深い作品たちは、わたしの支えとなってくれた」
「どんなにわたしが振り回しても、あなたは忍耐強くついてきてくれたわね。ウィロー。これからもわたしを支えてちょうだい。あなたがわたしへと向ける親愛の情を、アクセサリーに込めて楽しませてちょうだい」
ウィローの青い目から、一筋の涙が零れ落ちる。
「ウィロー。あなたの代わりなんていない。あなたの感情は唯一無二で、特別なのだから。感情を読み取るわたしと感情を込められるあなた、この出逢いは運命だと思ったわ。もう決して、わたしの傍から離れようとしないでちょうだい……」
ファティアナは胸元から取り出した柔らかな布で、彼の涙をそっと拭った。
「あなたには作ってもらいたいものがたくさんあるのよ。あのかわい子ちゃんから貰った枝角で、新しい耳飾りを作ってもらいたいわね」
「……はい、ファティアナ様……!」
ウィローは涙を流しながらも、口角を上げて力強く頷いた。
――――――――――
数日後。
ウィローはすっかり元気になった。今度、家族全員で集まる約束をしたのだと、ウィローはファティアナの前で嬉しそうに話した。ファティアナは朗らかに笑い、故郷に向かうために休暇を取る彼を見送った。
ひとりきりの部屋の中で、ファティアナは自分の豪奢な宝石箱を手に取った。そしてその中に仕舞われている、薔薇石英の耳飾りを手に取り、内に込められた感情を読み取るように胸に当てた。
「…………」
リアがかつてこの耳飾りに込めた恋情は、年を経る毎に温かく、そして強くなり、彼女の死と共に結晶となった。ファティアナは耳飾りから伝わる不変の愛を慈しんでいたが、ある時から、固まったはずのリアの感情が再び揺れ動くようになった。
リアは生きている。
ファティアナはそう結論付けた。
耳飾りから伝わる恋情の揺れは、激しくなる一方だった。
己も他者も焼き焦がすような激しい愛。汚泥のようにこびりつく強烈な嫉妬の感情。
ファティアナは怖ろしくなり、リアから捧げられた耳飾りを着けることができなくなってしまった。
(リアの感情は……かつて、ゼルドリックが黒いチョーカーに込めた感情とよく似るようになった。どろどろしていて、苦しくて、妬ましくて、辛くて、何かに追いかけられているような焦り……。彼女の恋は、穏やかなものから激しいものへと変わってしまった)
(着けられなくなってしまっても、あなたが贈ってくれたこの耳飾りは、ずっとずっとわたしの宝物だわ。複雑で美しい感情、わたしの慰みになり続けた迷路のような感情……。わたしを強烈に魅了し、恋に憧れさせたのは、あなたが耳飾りに込めた感情なのだから)
「……愛とは色々なかたちがあるのね」
ファティアナは薔薇石英の耳飾りをしばらく見つめた後、また宝石箱に仕舞い込んだ。
「ゼルドリックと幸せにね、リア……」
そっと宝石箱を撫で、ファティアナは微笑んだ。
郊外にある林の中で、生い茂る草を掻き分けるように進みながらウィローは叫んだ。
「ファティアナさまああああ!! どこにいらっしゃるのですかあああ! いらっしゃったら返事をしてくださいっ!!」
彼の叫びに応える者はない。
樹の上から、鳥がばさばさと飛び去るのをウィローは見た。
「はあ、はあ……あ、暑い……!」
ウィローは澄み渡る青い空を仰ぎ、深い息を吐いた。
彼が困ったように首を横に振る度、後ろでひとつに縛った黒髪から汗の飛沫が散る。己の頭が強烈な暑さに焼けてしまいそうで、低木に隠れるほどの背であったなら、木陰に隠れてもう少し涼しかったかもしれないと、ウィローは自分のやたらに高い背を恨んだ。
(探し始めてもう十五分くらいか? まずいまずい、ファティアナ様に何かあったらどうしよう! 全く、あの方は目を離した隙にすぐいなくなるんだから!)
ウィロー=リローラン。
緑の国第七王女、ファティアナ=パルナパの専属宝石職人、そして付き人。
彼はファティアナと共に未知の動物を求めて郊外の林をうろついていたが、色鮮やかな蝶に目を奪われた隙にファティアナとはぐれてしまった。
それからウィローは草むらを掻き分け、必死にファティアナを探し続けているのであった。
(双頭の鹿なんて珍しい生きものが、この林にいる訳ないじゃないか! 今度は一体何の本に影響されたんだ? 僕がこの前勧めた冒険記か!?)
樹々の隙間からじりじりと焼くような夏の陽射しが降り注ぐ。ウィローは耐え難い暑さに、己の長い耳をひくひくと動かした。
(ああもう、こんなことになるならファティアナ様に冒険記なんて読ませるんじゃなかった! あの方は思いつきですぐ行動に移すから参ってしまう!)
ウィローは額の汗を拭い、怒りと心配を込めて叫んだ。
「ファティアナさまああああああああ!!」
「はあい」
近くの茂みから、ファティアナがぴょこりと顔を出した。
肩上で切り揃えられた桃色の髪には、落ち葉やら草やらがたくさん付いている。ファティアナはがさがさと草を掻き分けながら、汗だくのウィローに朗らかな笑みを向けた。
「もう、ウィローったら。そんなに叫ばなくても大丈夫よ。わたしは無事よ!」
のんびりとした調子で話すファティアナに、ウィローは眉を跳ね上げた。
「ファティアナ様! どこに行かれたのかと心配していたのですよ!」
汗を拭いながら安堵の息を吐くウィローを見上げ、ファティアナは自分の長い耳をひくりと動かした。
「そんなに大声を出さないで。この子が驚いちゃうわ!」
「この子?」
ウィローが首を傾げると、ファティアナは明るい笑みを浮かべながら手を叩いた。
「おいで、かわい子ちゃん!」
ファティアナが手を叩くと、茂みからがさごそと音がした。何か大きなものが草むらを掻き分けてこちらに近づいてくる。
ウィローは息を呑んだ。
「あ……」
ファティアナの後ろに、巨大な牡鹿が現れた。
鹿はつぶらな瞳をウィローに向け、ぱちりと片目を閉じた。
よく見ると鹿の腰の部分から、もうひとつの首が生えている。
「そ、双頭の鹿……! こんな生きものがいるなんて……」
ウィローが鹿の首を交互に見つめると、鹿はぱちりぱちりと、それぞれの片目を閉じて挨拶をした。
「この林の奥の方に小川があるのよ! この子はそこで休んでいたわ! 最初は逃げようとしていたけど、わたしが一生懸命話しかけたらお友達になってくれたの! はい、ウィロー、これはこの子から貰ったのよ!」
ファティアナはウィローを気圧すような早口で喋りながら、立派な鹿の枝角を彼に手渡した。
「うふふっ、すごく大きな枝角だわ! 磨いたらとっても素敵なアクセサリーになりそうよね?」
ウィローは大きな鹿の角を擦りながら、呆然とファティアナを見つめた。
「しっ……鹿は本当にこの林にいたのですね……」
「もう、言ったでしょうに! わたしのお姉さまが実際にこの子を見たことがあるって! この子がいそうなところも事前に調べてきたの! あなた、わたしを信じてなかったの!?」
「いえ、そういう訳ではありませんが……」
ファティアナは頬を膨らませた。
「ウィロー! あなたのことだから、またわたしが何かの本に影響されたと思ったのでしょう! もう! わたしは何の下調べもしないまま、鹿を探して林に突っ込んでいくような馬鹿じゃないわ!」
(そうか?)
ウィローはファティアナからそっと目を逸らした。
その場の思いつきで行動するファティアナに、散々振り回されてきた思い出が蘇る。ウィローが誤魔化すように天を仰ぐと、ファティアナは彼の腕をくいくいと引っ張った。
「さ、ウィロー! 城に戻りましょう! それではね、かわい子ちゃん。また会いに来るわね!」
ウィローはファティアナの桃色の髪からそっと落ち葉を取り除いた後、転移魔法を発動させた。
双頭の鹿が、ふたりに別れを告げるように何度もぱちりぱちりと目を閉じた。
――――――――――
ウィロー=リローラン。
ダークエルフの父とハーフドワーフの母の間に生まれた、五人の子の二番目。
ウィローは内気で大人しい少年だった。
王都から遠く離れた田舎村で育った彼は、他の子供たちのように森や水場で遊ぶことよりも、家の中に籠もって読書することを好んだ。
彼にはリリーという姉がいて、リリーもまた読書に親しんだが、リリーとウィローでは読む本の傾向が異なっていた。リリーは魔術書や数学書などの本を好んで読むのに対して、ウィローは絵本や冒険記、恋愛物語などの本を手に取った。
リリーは父――ゼルドリック譲りの頭の回転の速さと、優れた魔術の才を持つ非常に素晴らしい子だった。それに比べて自分は勉強が苦手で、魔術の才もそれほどない。姉が好んで読む本の一頁も理解することができない。
一体自分に向いていることは何なのだろうかと、ウィローは日々考え続けた。
やがてウィローは、優秀な姉と自分を比較して酷く落ち込むようになった。姉と比べて自分が優れている部分など、ひとつも無い気がした。
ウィローは家族のことが大好きだった。
厳しくも優しい父のことも、穏やかな母のことも、しっかり者の姉のことも、後から生まれてきた妹と弟のことも好きだった。
だからこそ、役立たずの自分が情けないと思った。
姉のリリーは自分に出来ることが何か考えて、生まれ持った才を活かそうと必死で父の稽古を受けているのにもかかわらず、己は何にも秀でていない。
(僕は役立たずだ。一体何のために生まれてきたんだろう)
考え事をしてどうしようもなく悲しくなった夜は、両親の寝室を訪ねることにしていた。そしてゼルドリックと共に庭に出て、夜鳥の鳴き声に耳を傾けながら、ぽつぽつと父に悩みを話した。
――父さん、僕は役立たずだ。僕は姉さんのように頭が良くないし魔術の才能もない。イリスのように性格も明るくない……。僕に秀でたところなんてひとつもない。
俯き、肩を震わせる息子を、ゼルドリックはしっかりと抱きしめた。
――ウィロー。役立たずだなんて言うな。お前は宝だ。父さんと母さんのかけがえのない宝物なんだよ。お前がただ元気に生きていってくれれば、俺たちにとってそれ以上のことはないんだ……。
ゼルドリックはウィローのさらさらとした黒髪を撫で梳きながら、優しい声音でそう言った。
――ウィロー、お前は自分の優れた才能に気がついていないんだな? いいか。お前は忍耐強いし、素晴らしい集中力がある。何時間も図書室に籠もって本を読むなんて中々出来ることではない。
――そうかな……?
――ああ、そうだ。お前の忍耐強さと集中力は素晴らしい才能なのだ。その才はお前を救ってくれる。だから俺やリリーと比較して、自分をいたずらに苦しめるな。お前は唯一かつ特別なのだ。いいな?
――うん……。
――自分に自信を持ちたいなら、お前は自分の才能を活かせそうなことが何か考えて、それに一生懸命取り組みなさい。
力強く頭を撫でる父に、ウィローはそっと微笑みを返した。
それからウィローは、新たな趣味――鍛冶や宝石細工に手を伸ばした。
無心で宝石を磨き、細工を施す。村で暮らす住民のために道具を作る。
それは自分の忍耐と集中力を、存分に活かすことができそうな気がした。
ウィローはハーフドワーフの母、リアを真似て積極的に宝石を磨いたり、細工の練習をした。
妹のイリスは外に遊びに出る度に、鹿の角や動物の骨を持ち帰ってくる。ウィローはそれを貰い、安価な宝石と合わせて指輪や耳飾りを作るようになった。
澄んだ夜に聞こえる夜鳥の鳴き声を、図書室の窓から見える美しい夕焼けを、家族との温かい思い出を。ウィローはそれらを考えながら、熱心に石や骨を磨いた。
そうして出来上がった彼の作品は無骨で、拙いものではあったが、不思議と訴えかけてくる何かがあった。
ウィローの味わい深い作品を見て、ゼルドリックやリリーは細工の才があるのかもしれないと彼を褒めた。
特にリアは大層喜んだ。彼を抱きかかえ、何と素晴らしい品を作るのだろうと褒め讃えた。
その時ウィローの心には、家族から褒められたことの嬉しさと、自分の道を決める意志が生まれた。
(僕も母さんみたいになりたいな……)
母のように、鍛冶も宝石細工も手掛けられるような職人になりたい。
ウィローは靄が掛かっていた自分の心がぱっと晴れたような気がした。
十八の歳、ウィローはリリーと同じ様に王都へと行く決心を固めた。
母のような一人前の鍛冶屋になるために、華やかなる王都で経験を積もうと決めていた。
――父さん、母さん。自分に自信を持てるようになるまで頑張ってくる。僕は一人前の男になってくるよ。
家族としっかり抱擁を交わし、ウィローは王都へ旅立った。
ウィローは中々の美青年だった。
長身である父をなお超えるほどの背に、すらりとした体型。
黒檀のような美しい肌、肩甲骨ほどまで伸ばしたさらさらとした黒髪、湖のように澄んだ青い目。
彼が内心抱える気弱さや大人しさは伏し目となって外に表れ、整った顔立ちに憂いのある色気を乗せた。
ウィローはドワーフが営む鍛冶屋に弟子入りをしたが、一ヶ月で解雇されてしまった。
田舎村からやってきたハーフエルフの美青年を一目見ようと、客でもない女性が大勢店に押しかけてきたためだった。
「兄ちゃん、あんたには悪いがね。あれじゃ商売にならねえよ……」
ウィローを雇ったドワーフの老父は、眉を下げ申し訳無さそうにそう言った。
「なあ兄ちゃん。緑の国は最近治安が悪い。武器はいくつでも必要とされてるんだ。あんた、中央政府が管轄している工場で働いてはどうだい?」
「……中央政府」
ウィローは眉を下げた。
中央政府といえば数多の純血のエルフが働いているところで、彼らが混ざり血に向ける視線がどれほど厳しいのかは、父や姉からよく聞いていた。
(……怖い。混ざり血であり、罪人の子である僕にどれほど厳しい視線が向けられるか分かったものじゃない)
ドワーフは煙草をふかしながら、暗い顔をするウィローをじっと見つめた。
「兄ちゃん。俺はこう見えても元々政府の役人だったんだよ。耳長族どもは意地悪だけどさ、あんたが一人前の職人になりてえって言うなら、工場ほど経験の積める場所はないぜ? 何てったって一日中道具やら武器やらを作らされるんだからよ。お詫びと言っちゃあ何だが、もしあんたに働く気があるのなら紹介状を書いてやってもいいぜ……」
(……僕は、独り立ちするためにこの王都にやってきたんだ。姉さんだって立派に役人として働いている。大丈夫。僕は忍耐強いから、中央政府が管轄する工場でもきっと働いていける……)
不安を抱きながらも、ウィローはドワーフの言葉に頷いた。
そして彼は、中央政府が管轄する工場のひとつで働くことになった。
ウィローは工場で働く者たちから爪弾きにされた。
純血のエルフだけでなく、高慢な尖り耳の一族の血を引いているということで、ドワーフやオークからも不信の目を向けられた。
だが彼は何を言われても、忍耐強く目の前の仕事に取り組み続けた。
文句を言ってくる者はいるが、工場に女性が押しかけてくる訳でもないし、しっかりと働いていればそれなりの給金も手にすることができる。慣れてしまえば、この工場での仕事もやりやすいものだとウィローは感じた。
ウィローは休日、片手間に作った指輪や耳飾りを市場に出した。
王都での生活を心配する家族が、分厚い手紙とともに宝石やら鹿の角やらを封筒に入れて送ってくる。ウィローは田舎村での温かい生活や家族のことを思い出しながら、それらで装身具を作った。
ウィローの作品は無骨ながらも中々評判が良かった。作品を手に取った人々が、味わいのある作品だと称賛の言葉を口にする。
自己肯定感が高まっていくのを感じ、ウィローはなお鍛冶や細工に没頭した。
やがて、ウィローの腕は誰もが認めるものになった。
エルフもドワーフもオークも、もう彼を馬鹿にすることはない。ウィローは同僚からの尊敬の眼差しを受けながら、工場の隅でひたすら武器を作り続けた。
ハーフドワーフの母、リアが天に旅立った。
ウィローは父と同じ様に、年老いてすっかり小さくなった母の身体に縋り付き、ぼろぼろと涙を流した。
自分の拙い作品をたくさん褒めてくれた母。自分を励まし続け、抱きしめてくれた母。
優しい母にもう会えないのだと思うと、心が軋んで仕方なかった。
(……僕は、一人前の職人になれたんだろうか)
驚くほど手先が器用だった母。いち職人としての永遠の憧れ。
母は、自分のことを立派だと思ってくれていただろうか。
(母さん。大好きな母さん。天から僕をずっと見守っていてね……)
ウィローは母の冷たくなった手をしっかりと握りしめ、また王都へと戻った。
ある晴れた秋の日のことだった。
ウィローは鍛冶仕事で凝り固まった身体を解すために、郊外にある林の中をのんびりと歩いていた。紅葉を楽しんだり、美しい鳥の鳴き声に耳を傾けながら、お気に入りの昼寝場所に向かう。
ふと、自分の秘密基地に先客がいるのを見た。
(女性? ……エルフか?)
肩上で切り揃えられた桃色の髪が、さらさらと秋風に揺れる。
穏やかな風が女の髪を柔らかく靡かせて、白く長い首筋から目元までを露わにした。
エルフの女は泣いていた。
声を上げないように、何を堪えるようにして静かに涙を流していた。
ウィローがそっと女に近づくと、女ははっとした様子でウィローを見上げた。
潤み、透き通る桃色の目を、ウィローはまるで薔薇石英のようだと感じた。
「……ぁ」
女は息を呑んだ後急いで逃げようとしたが、ウィローが両手を上げ何もしないことを示すと、座り直し深く息を吐いた。
「……わたしが泣いていたことは秘密にしてくれる?」
か細い声に、ウィローは何も言わず頷いた。
それから彼は女に話しかけることなく、ごろりと芝の上に寝転がって、目を閉じながら秋の涼しい風を楽しもうとした。だが隣からいつまでも女の気配が消えず、目を閉じていても分かるほどの強い視線が自分に注がれているのを感じる。
ウィローがゆっくり目を開けると、女が自分の顔を覗き込んでいるのが見えた。
「あの……何か?」
「あなたの胸のそれ、素敵ね」
女は好奇心に満ちた、きらきらとした目をウィローに向けた。彼の胸元には鹿の枝角と水晶で作った白いペンダントがあって、女はにこにことしながらそのペンダントを指差した。
朗らかな笑顔を浮かべる顔には、先程までの悲しみは一切感じられない。
泣いたり笑ったり、ころころと表情が変わるエルフだとウィローは思った。
ウィローは起き上がり、胸元からもうひとつ、鹿の角で作ったペンダントを取り出した。市場で売ろうと取っておいたそれを、彼はエルフの女に差し出した。
「よろしければ差し上げます」
「……いいのかしら?」
「ええ。あなたの慰めになるのなら」
女はウィローからペンダントを受け取った後、何かを味わうようにゆっくりと目を閉じたり、深く息を吐いたりした。
「わたしね、自分の立場や仕事で悩むことがあって泣いていたの」
「……ええ」
「でもすっかり心が晴れたわ。この素晴らしいペンダントをいただけたから」
女はにっこりとウィローに笑いかけた。
(……変わった女性だ。僕の作品は無骨で、そう女性受けがいい訳でもない。美しいあなたには、もっと繊細な装飾品の方がいいだろうに)
ウィローは朗らかな笑みを浮かべる女にぺこりと頭を下げて、その場を後にした。
その日から、ウィローの秘密基地に度々エルフの女が訪れるようになった。
ウィローの昼寝の時間は、女と会話する時間に変わった。
「ファティ」と名乗ったエルフは、非常に明るい女だった。
こちらを気圧すような早口で喋り、朗らかな笑みを浮かべながら勢い良く握手を交わそうとする。恋愛小説を好んで読むという彼女は、読書が好きなウィローと意気投合した。
ファティは物静かなウィローにしつこくしつこく話しかけ続け、時々一緒に林の中を散歩しようと提案した。
珍しい蝶がいればずっとその後を追いかけ続け、小綺麗な服を草や落ち葉で汚す。水溜まりに足を取られて転び、顔まで泥だらけになったファティを見てウィローは大笑いした。
ファティの天真爛漫な行動に、ウィローは自分の内気な性格が少しずつ明るくなっていくのを感じた。
ウィローは、ファティを不思議な女性だと思った。
無邪気で少し考えなしのところがあるのに、ひとつひとつの動作にどこか気品が感じられる。彼女がどんな境遇にあるのか疑問に思いつつも、ウィローはファティとの対話を重ねた。
ウィローはファティと会う度に耳飾りや指輪を手渡した。
家族や田舎村の風景を思い浮かべながら作ったその装身具たちは相変わらず無骨なものだったが、ファティは目をきらきらとさせながら大いに喜んだ。
王都の桜の大樹から花びらの雨が降り落ちる、麗らかなある春の日。
ウィローは工場を訪ねてきたひとりのエルフを前にして、大きく目を見開いた。
「ウィロー。ウィロー=リローラン。ぜひわたしの専属宝石職人となってほしいわ!」
ふわふわとした桃色のドレスを揺らし、「ファティ」はウィローに向けて朗らかに笑んだ。
よく見慣れた桃色の髪には、王族出身の女性であることを示す銀のティアラが着けられている。ウィローはファティの正体に驚き、何度も目を瞬いた。
緑の国第七王女、ファティアナ=パルナパ。
そうしてウィローは可憐な王女の専属宝石職人となり、彼女と共に王城で過ごすことになった。
ファティアナとの生活は刺激的だった。彼女は何かとウィローを連れ回した。
新たな本を読む度に、あの場所に行きたい、これをしたいと言って、彼を伴って頻繁に出歩こうとした。
好奇心の強い王女は、公務の合間を縫って頻繁に市街に出た。ウィローが市場で宝石を漁っていると、いつの間にか隣にファティアナが立っていて驚くことも珍しくなかった。
第七王女の傍には、いつも黒檀の肌を持つ美しいハーフエルフの男がいて、ウィローはいつの間にか、周囲からファティアナの付き人だと認識されるようになった。
「ウィロー、あなたの作品は本当に素晴らしいわね。きらきらしてて、温かみを感じて、どこか懐かしい気持ちになるわ!」
ファティアナはそう言って、ウィローの無骨な作品をよく褒め讃えた。
ウィローの心にファティアナからの称賛が降り積もり、それが彼に自信を与えていく。
好奇心旺盛な王女に振り回されながらも、ウィローは王女としての在り方に悩むファティアナの悩みを聞き、孤独を感じる彼女にひたすら寄り添う努力をした。
「ウィロー。王女って大変なのよ。自由にさせてもらっているようでそうではないの。とっても疲れるわ。皆、わたしに笑みを向けながらも、わたしの生活を監視してる……」
「ねえ、ウィロー。わたしには見目が美しい作品がたくさん捧げられるけれど、その裏にある感情が綺麗だとは限らないの。悪意や、悲しみや、焦りのような感情が込もった作品を受け取って、悲しくなる時があるの……」
「忙しない毎日も、気疲れする公務も全て放り投げたくなるわ。時々重圧に押しつぶされそうになる。城を抜け出して、あなたと一緒に林に行ったり、市場を歩き回っている時が一番幸せよ」
「……ずっと寂しいと思っていたの。わたしに近づいてくるひとは、わたしではなく、わたしの持つ権力を見ている……。わたしの心に寄り添おうとしてくれるあなたと、出逢えて本当によかったわ」
ウィローとファティアナの間には、やがて強い信頼関係が生まれた。
罪人の子であり、混ざり血であるウィローは王城にいる者たちから随分と陰口を叩かれたが、忍耐強い彼は、決してファティアナのもとを離れようとしなかった。
そうして、長い月日が経った。
(駄目だ。集中できない……)
ウィローは最近、自分がファティアナの傍にいていいのか悩んでいた。
内に抱える悩みや不安は作り出す装身具に滲み出て、以前のように味わいのある品々を作り出すことができない。
鍛冶場で宝石を磨いていたウィローは汗を拭った後、大きく溜息を吐いた。
(僕は馬鹿だ。どうして長い間気が付かなかったんだろう?)
子供の頃、母が家にやってきた大きな鶴の首に、装身具の入った封を巻き付けているのを見た。
魔力を纏う大型の鶴。高貴なるパルナパ家の使い魔。あれは、母が雇い主へ装身具を渡していたのではないか。
(ファティアナ様が職人を選ぶのは僕が初めてじゃない。母さんだ。母さんが、前の専属宝石職人だったんだ……)
――親の七光りが。
ある時、ウィローはそう悪口を言われた。
いつも悪口は聞き流しているというのに、その「七光り」という言葉だけがやけに気になった。
ウィローはファティアナが召し抱えていたかつての宝石職人の名を調べ、そして顔を覆った。
リア=リローラン。
ファティアナが直々に顕彰し、彼女が愛した装身具をいくつも作り出した稀代の宝石職人。
――ウィロー、あなたの作品は本当に素晴らしいわね。きらきらしてて、温かみを感じて、どこか懐かしい気持ちになるわ!
(懐かしい……か。僕の作品に母さんのことを重ねたんだろうか?)
(ファティアナ様は、僕の作品に特別惹かれた訳じゃなくて……。母さんの息子だから、僕を選んだのだろうか?)
悲しい。
王女には、僕自身の作品を好きだと言ってほしかったのに。
ウィローは自分の内に込み上げた感情を醜いと思った。
大好きな母に嫉妬心を向けてしまいそうで、彼は椅子に深く腰掛けながら、不安を逃すようにまた息を吐いた。
愛する母、リアがエルフとなって戻ってきたことを知ったのは、それから数日後のことだった。
暖かな夏の日。ウィローは林で昼寝をしていたところを、そっとリアに起こされた。
「母さんっ……? 母さん!」
涙を流しながら己を抱きしめるウィローの背を、リアは慈しむように何度も摩った。リアはウィローの顔を見上げ、ひとりの立派な職人となった息子を潤んだ瞳で見つめた。
「ウィロー。あなたの活躍は聞いているわ。あなたは本当に素晴らしい職人となったのね……!」
成長した息子の顔を嬉しそうに見つめながら、リアは今までのことをウィローに話した。
母の話は信じ難いものだったが、実際にこうして生まれ変わった彼女を前にして信じる他なかった。ウィローは愛しい母の帰還に、はらはらと歓喜の涙を流した。
もうすぐゼルドリックに会いに行けるのだと。
リアは嬉しそうにウィローの前で笑った。
ウィローは己の内に込み上げた不安を口に出せぬまま、リアに向けて微笑んだ。
(母さんが戻ってきてくれた。それなら……)
(ファティアナ様は僕を解雇して、再び母さんを召し抱えるのだろうか?)
心が痛い。
ウィローはその夜、静かに涙を流した。
――――――――――
ファティアナの私室。
桃と白色で彩られた可愛らしい部屋で、ウィローは彼女と向かい合って話をしていた。
「全く、僕の傍から決して離れないで下さいと伝えたでしょうに」
「もう、無事だったんだからいいじゃない! それよりも……ふふっ、立派な鹿の角が手に入って嬉しいわ! ちゃんとお姉さまに、あの子の居場所を前もって聞いておいて良かったわね」
ファティアナは好物のベリータルトを頬張りながら、嬉しそうにウィローに話しかけた。
「ええ、そうですね」
ウィローは胸の痛みを堪えながら、目の前の可憐な王女に精一杯の笑みを向けた。ファティアナは彼の笑みを見て口を噤んだ後、フォークを机に置き、じっとウィローの青い目を見つめた。
「……ねえ、ウィロー。あなたは最近ずっと元気がないわね。一体どうしたの? わたしに作ってくれるアクセサリーも、以前とは少し様子が違うわ。あなたの作品から悲しみや不安が伝わってくるの」
ウィローはその言葉に目を見開き、王女の視線から逃れるように俯いた。
(ははっ……とうとうファティアナ様から指摘されてしまった)
もう限界だ。
ウィローは震える息を吐いた。
「ウィロー?」
「…………」
ひとつ息を吸った後、ウィローはファティアナに切り出した。
「ファティアナ様。僕の母がエルフとなって戻ってきました。あなたが愛した稀代の宝石職人が、再びこの世に戻ってきたのです」
「…………」
「僕の作品は無骨です。母がかつて作り出したような美しい装身具を、僕は作ることができません。……僕は不出来な作品をあなたに渡して不快にさせてしまった。……僕はもう、あなたが満足するような品を作り出すことはできません。ですから僕を解雇して、母を――」
「やめなさい」
ファティアナはぴしゃりと言い放ち、ウィローに続く言葉を紡がせなかった。
「……あなたの母が戻ってきたことは、とっくに知っていたわ。ねえ、ウィロー。わたしが愛したかつての宝石職人は『リア=リローラン』よ。『オフィーリア=オルフィアン』ではないわ。わたしはオフィーリアを雇おうとは思わない。今のわたしの専属宝石職人は……ウィロー、あなたでしょう?」
「……ですが、僕は母の代わりにはなれません」
「リアの代わりになれだなんて、あなたに言ったことがあったかしら?」
ファティアナは手を伸ばし、俯くウィローの顔をそっと上げさせた。
「あなたは何か勘違いをしているようね。わたしはね、あなたが『リローラン』だから雇ったんじゃないわ。あなたが『ウィロー』だから雇ったのよ。罪人の子であり混ざり血のあなたを、王族であるわたしの傍に置くには随分と手間がかかったわ。でもそうまでして、わたしはあなた自身を望んだの」
「……なぜです?」
「あなたが作品に込めた感情に魅了されたからよ。ねえウィロー。わたしはね、作品に込められた感情を読み取ることができるのよ」
ファティアナはウィローの滑らかな黒い頬を摩った。
「あなたはたくさんの感情を作品に込めてきたわね。故郷に対する懐かしさ、温かさ。家族への愛。そして日々強くなる、わたしに対する親しみの感情……」
「……ぁ」
照れたように視線を逸らすウィローを見て、ファティアナはくすくすと笑った。
「あなたは素晴らしい才能があるわ。自分の想いをそっくりそのまま……。作品に感情を込めるという素晴らしい才能が。あなたがわたしに向ける真っ直ぐな親愛の感情は、あなたの味わい深い作品たちは、わたしの支えとなってくれた」
「どんなにわたしが振り回しても、あなたは忍耐強くついてきてくれたわね。ウィロー。これからもわたしを支えてちょうだい。あなたがわたしへと向ける親愛の情を、アクセサリーに込めて楽しませてちょうだい」
ウィローの青い目から、一筋の涙が零れ落ちる。
「ウィロー。あなたの代わりなんていない。あなたの感情は唯一無二で、特別なのだから。感情を読み取るわたしと感情を込められるあなた、この出逢いは運命だと思ったわ。もう決して、わたしの傍から離れようとしないでちょうだい……」
ファティアナは胸元から取り出した柔らかな布で、彼の涙をそっと拭った。
「あなたには作ってもらいたいものがたくさんあるのよ。あのかわい子ちゃんから貰った枝角で、新しい耳飾りを作ってもらいたいわね」
「……はい、ファティアナ様……!」
ウィローは涙を流しながらも、口角を上げて力強く頷いた。
――――――――――
数日後。
ウィローはすっかり元気になった。今度、家族全員で集まる約束をしたのだと、ウィローはファティアナの前で嬉しそうに話した。ファティアナは朗らかに笑い、故郷に向かうために休暇を取る彼を見送った。
ひとりきりの部屋の中で、ファティアナは自分の豪奢な宝石箱を手に取った。そしてその中に仕舞われている、薔薇石英の耳飾りを手に取り、内に込められた感情を読み取るように胸に当てた。
「…………」
リアがかつてこの耳飾りに込めた恋情は、年を経る毎に温かく、そして強くなり、彼女の死と共に結晶となった。ファティアナは耳飾りから伝わる不変の愛を慈しんでいたが、ある時から、固まったはずのリアの感情が再び揺れ動くようになった。
リアは生きている。
ファティアナはそう結論付けた。
耳飾りから伝わる恋情の揺れは、激しくなる一方だった。
己も他者も焼き焦がすような激しい愛。汚泥のようにこびりつく強烈な嫉妬の感情。
ファティアナは怖ろしくなり、リアから捧げられた耳飾りを着けることができなくなってしまった。
(リアの感情は……かつて、ゼルドリックが黒いチョーカーに込めた感情とよく似るようになった。どろどろしていて、苦しくて、妬ましくて、辛くて、何かに追いかけられているような焦り……。彼女の恋は、穏やかなものから激しいものへと変わってしまった)
(着けられなくなってしまっても、あなたが贈ってくれたこの耳飾りは、ずっとずっとわたしの宝物だわ。複雑で美しい感情、わたしの慰みになり続けた迷路のような感情……。わたしを強烈に魅了し、恋に憧れさせたのは、あなたが耳飾りに込めた感情なのだから)
「……愛とは色々なかたちがあるのね」
ファティアナは薔薇石英の耳飾りをしばらく見つめた後、また宝石箱に仕舞い込んだ。
「ゼルドリックと幸せにね、リア……」
そっと宝石箱を撫で、ファティアナは微笑んだ。
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全86話+番外編の予定
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