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15.学者の卵と利己的善行
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目の前の青年を見て、自分が物ではなく、この人物にぶつかったのだと気づいたシェーラは慌てて謝った。
「~~~~ッ! ごめんなさい! 私の前方不注意で──お怪我はなさっていませんか?」
「い、いえ、僕もよそ見をしてたので。こちらの方こそすみませんでした」
二人はまだ痛みが引かず、蹲ったままプルプルと震え、涙目だ。
それでも何とか謝罪をして、よろよろと立ち上がる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「タンコブ出来てない?」
「出来ております・・・・・・」
「そう・・・・・・」
シェーラの問いに、リサは患部を優しい手つきで撫でながら、痛ましそうに答えた。
自身も触ってみたが、確かにタンコブが出来ている。それだけの勢いでぶつかったのだ。目の前の青年も相当痛かっただろう。
「本当にごめんなさい。お客様、とりあえずこちらへ。冷やした方がいいかもしれません。トニー、氷を用意してくれる?」
「はい。お嬢様」
「? お客様? ファルパール植物園にお勤めの方なのですか?」
作業着姿のトニーはともかく、シェーラとリサは見たまんま、お嬢様と侍女だ。
ぶつかった青年は、お嬢様にしか見えないシェーラが自分のことをお客様と、植物園側の人間のような呼び方をしたことや、植物園に勤めるトニーに指示を出していたことを不思議に思ったようだ。
「ああ、名乗りもせずに失礼しました。私はこの植物園を経営しております、アルトゥニス侯爵家の三女、シェーラ・アルトゥニスと申します」
「シェーラ・アルトゥニス!!!!!?」
シェーラが名乗ると、青年は目を丸くしてシェーラのフルネームを叫ぶと、サンドイッチの具を挟むパンのようにシェーラの手を掴むと前のめりに顔を近づけた。
「アルトゥニス侯爵家の末姫・シェーラ・アルトゥニス嬢ですか!? あの、『虹変化』や『色硝子』などの薔薇の改良種を作ったり、新種の植物を意欲的に植物園に受け入れたり、『大陸植物大図鑑』の新改訂版に出資して下さったあの!?」
「え・・・・・・あ、はい。確かにそのシェーラ・アルトゥニスですけど・・・・・・」
青年の言ったことには全て心当たりはあるが、何故青年がこんなに食いついてくるのかが分からない。
見知らぬ相手にキラキラとした目でこんな至近距離で見つめられることなどなかったシェーラは、反応に困って腰が引けていた。
「あの、貴方は?」
「ああっ! 申し遅れました。僕はハンス・グロウライツと申します。グロウライツ子爵家の四男で院生をしてます」
「子爵家の方だったのですね・・・・・・あの、とりあえず手を・・・・・・」
「え? ああ! すみません!」
ハンスと名乗った青年は、シェーラにやんわりと指摘され、ぱっと手を放した。
生まれてこの方、婚約者などはいなかったシェーラに兄以外の年の近い異性み触れ合うことなどなかったため、驚いてしまった。
予期せぬ接触に心臓がバクバクとうるさいほど高鳴っている。
(あのヘンド某と同じ、力強い男の人の手だったけど、全然痛くはなかったわ)
ふと、つい先日あのヘンドリックに手首を掴まれたことを思い出したが、その時に比べ不快感はない。距離感が近いものの、ハンスの物腰が柔らかで敵意のようなものを感じないからだろうとシェーラは思った。
「失礼しました。一度お会いしてお礼を申し上げたいとずっと思っていた方が目の前に現れて、感動のあまり取り乱してしまいました」
「お礼?」
シェーラが首を傾げる。
ハンスとは今日が初対面の筈だ。会ったこともなかった相手から感謝される理由が分からない。
「人違いではありませんか? 全く心当たりがないのですけれど」
「いえ。間違いありません。僕は植物学者を目指しているんですが、シェーラ様がお作りになられた品種改良の実験結果や研究について纏めた資料はとても参考になりますし、アルトゥニス侯爵家が研究提携してくださっているおかげで新種の生態解明もどんどん進んでいるんです! 何より、ずっと頓挫していた『大陸植物大図鑑』の改訂に出資してくれたおかげで、情報の更新による加筆・修正も行われましたし、予算の掛かる図の彩色印刷がされたおかげでより使いやすくなりました! 本当にありがとうございます!!!」
「は、はぁ。どういたしまして・・・・・・」
熱意の籠った弁舌で感謝を伝えるハンスと、戸惑っておずおずしているシェーラの間にはかなりの温度差があった。
『大陸植物大図鑑』への出資に関しては、確かにシェーラからアルトゥニス侯爵に進言したものだ。
図鑑や辞書の改訂にはそれなりの時間もお金も掛かる。動物や植物の図鑑は一定の需要はあるが、売上が一気に伸びる訳ではないため、新たな発見がされたり、情報が訂正されたりしても、なかなか改訂されなかった。
そのため学者や研究者たちは何かあるごとにメモ書きをしたり、図鑑に直接赤文字を入れたりしていた。古い情報と新しい情報が交錯し、非常にややこしいことになってしまっていたため、専門職の人間は『大陸植物大図鑑』の改訂を今か今かと待ちわびていたのだ。
だから、改訂版の制作が発表された時は狂喜乱舞のお祭り騒ぎであった。
だが、そんなことは露ほども知らないシェーラは、単に情報の更新されていない図鑑を不便に感じただけで、あくまで自分のための出資だったので、ハンスに説明されても実感が湧かない。
引きこもり生活のせいでコミュニケーション能力がすっかり衰えてしまったシェーラは、穴から顔を出したら真上にいた猫にじっと見つめられていた鼠のようになってしまい、リサに助けてと念を送った。
「~~~~ッ! ごめんなさい! 私の前方不注意で──お怪我はなさっていませんか?」
「い、いえ、僕もよそ見をしてたので。こちらの方こそすみませんでした」
二人はまだ痛みが引かず、蹲ったままプルプルと震え、涙目だ。
それでも何とか謝罪をして、よろよろと立ち上がる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「タンコブ出来てない?」
「出来ております・・・・・・」
「そう・・・・・・」
シェーラの問いに、リサは患部を優しい手つきで撫でながら、痛ましそうに答えた。
自身も触ってみたが、確かにタンコブが出来ている。それだけの勢いでぶつかったのだ。目の前の青年も相当痛かっただろう。
「本当にごめんなさい。お客様、とりあえずこちらへ。冷やした方がいいかもしれません。トニー、氷を用意してくれる?」
「はい。お嬢様」
「? お客様? ファルパール植物園にお勤めの方なのですか?」
作業着姿のトニーはともかく、シェーラとリサは見たまんま、お嬢様と侍女だ。
ぶつかった青年は、お嬢様にしか見えないシェーラが自分のことをお客様と、植物園側の人間のような呼び方をしたことや、植物園に勤めるトニーに指示を出していたことを不思議に思ったようだ。
「ああ、名乗りもせずに失礼しました。私はこの植物園を経営しております、アルトゥニス侯爵家の三女、シェーラ・アルトゥニスと申します」
「シェーラ・アルトゥニス!!!!!?」
シェーラが名乗ると、青年は目を丸くしてシェーラのフルネームを叫ぶと、サンドイッチの具を挟むパンのようにシェーラの手を掴むと前のめりに顔を近づけた。
「アルトゥニス侯爵家の末姫・シェーラ・アルトゥニス嬢ですか!? あの、『虹変化』や『色硝子』などの薔薇の改良種を作ったり、新種の植物を意欲的に植物園に受け入れたり、『大陸植物大図鑑』の新改訂版に出資して下さったあの!?」
「え・・・・・・あ、はい。確かにそのシェーラ・アルトゥニスですけど・・・・・・」
青年の言ったことには全て心当たりはあるが、何故青年がこんなに食いついてくるのかが分からない。
見知らぬ相手にキラキラとした目でこんな至近距離で見つめられることなどなかったシェーラは、反応に困って腰が引けていた。
「あの、貴方は?」
「ああっ! 申し遅れました。僕はハンス・グロウライツと申します。グロウライツ子爵家の四男で院生をしてます」
「子爵家の方だったのですね・・・・・・あの、とりあえず手を・・・・・・」
「え? ああ! すみません!」
ハンスと名乗った青年は、シェーラにやんわりと指摘され、ぱっと手を放した。
生まれてこの方、婚約者などはいなかったシェーラに兄以外の年の近い異性み触れ合うことなどなかったため、驚いてしまった。
予期せぬ接触に心臓がバクバクとうるさいほど高鳴っている。
(あのヘンド某と同じ、力強い男の人の手だったけど、全然痛くはなかったわ)
ふと、つい先日あのヘンドリックに手首を掴まれたことを思い出したが、その時に比べ不快感はない。距離感が近いものの、ハンスの物腰が柔らかで敵意のようなものを感じないからだろうとシェーラは思った。
「失礼しました。一度お会いしてお礼を申し上げたいとずっと思っていた方が目の前に現れて、感動のあまり取り乱してしまいました」
「お礼?」
シェーラが首を傾げる。
ハンスとは今日が初対面の筈だ。会ったこともなかった相手から感謝される理由が分からない。
「人違いではありませんか? 全く心当たりがないのですけれど」
「いえ。間違いありません。僕は植物学者を目指しているんですが、シェーラ様がお作りになられた品種改良の実験結果や研究について纏めた資料はとても参考になりますし、アルトゥニス侯爵家が研究提携してくださっているおかげで新種の生態解明もどんどん進んでいるんです! 何より、ずっと頓挫していた『大陸植物大図鑑』の改訂に出資してくれたおかげで、情報の更新による加筆・修正も行われましたし、予算の掛かる図の彩色印刷がされたおかげでより使いやすくなりました! 本当にありがとうございます!!!」
「は、はぁ。どういたしまして・・・・・・」
熱意の籠った弁舌で感謝を伝えるハンスと、戸惑っておずおずしているシェーラの間にはかなりの温度差があった。
『大陸植物大図鑑』への出資に関しては、確かにシェーラからアルトゥニス侯爵に進言したものだ。
図鑑や辞書の改訂にはそれなりの時間もお金も掛かる。動物や植物の図鑑は一定の需要はあるが、売上が一気に伸びる訳ではないため、新たな発見がされたり、情報が訂正されたりしても、なかなか改訂されなかった。
そのため学者や研究者たちは何かあるごとにメモ書きをしたり、図鑑に直接赤文字を入れたりしていた。古い情報と新しい情報が交錯し、非常にややこしいことになってしまっていたため、専門職の人間は『大陸植物大図鑑』の改訂を今か今かと待ちわびていたのだ。
だから、改訂版の制作が発表された時は狂喜乱舞のお祭り騒ぎであった。
だが、そんなことは露ほども知らないシェーラは、単に情報の更新されていない図鑑を不便に感じただけで、あくまで自分のための出資だったので、ハンスに説明されても実感が湧かない。
引きこもり生活のせいでコミュニケーション能力がすっかり衰えてしまったシェーラは、穴から顔を出したら真上にいた猫にじっと見つめられていた鼠のようになってしまい、リサに助けてと念を送った。
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