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第三話 完全敗北
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気がつくと、僕たちは一時間以上もそのまま話し続けていた。
当たり前だけど、会話の内容はどれも配信で聞いた覚えのあることばかりだった。けれど、そのどれもが不思議と新鮮に感じた。
箱舟ノアと一ノ瀬踏穂は、同じようで違う。
ノアはわりとはっきり好き嫌いを主張するタイプだ。反して一ノ瀬は、何に対しても許容的というか、当たりさわりのない言葉を選んでいる印象がある。
いつの間にか、僕は一ノ瀬とノアを重ねるのをやめていた。ただ純粋に、この扉越しにいる顔も知らないクラスメイトと言葉を交わすのが心地よかった。
「あ、もうこんなに喋ってたんだ……」
部屋にある時計でも目についたのか、一ノ瀬がふと呟くように言った。
心から残念そうな言い方だったので、僕は静かに嬉しくなった。
「ごめん、つい長居しちゃった」
「いやいや! 私がどんどん先走って喋ってたし、透坂くんは一ミクロンも悪くないよ!」
一ミクロン。箱舟ノアの口癖の一つだ。
最初に比べて、かなり一ノ瀬の口調には明るさが目立つようになってきていた。意識して聞くと、配信で使うような語彙も頻繁に混ざってきたような気がする。
スマホの画面を確認する。時刻は午後七時を過ぎていた。さすがに帰らなければまずい時間だった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
すっかり体温がうつってしまった床から立ち上がり、皺になった制服を伸ばしながら僕は告げる。
「うん。今日はその、リハビリに付き合ってくれて本当にありがとう」
僕と同じく立ち上がった様子の一ノ瀬が、そんな感謝の言葉をゆっくりと、丁寧に紡いだ。
じく、と胸のどこかが痛む感覚がした。
そして気づくと僕は、玄関に向けて踏み出していた足を引き戻して、一ノ瀬がすぐそばにいるであろう扉に向き直っていた。落ちつかない両手が、自然と拳をつくってしまう。
「明日も、来ていいかな」
言い終えた途端、体の力が抜けて倒れそうになった。
数秒経っても、一ノ瀬からの返事はなかった。
僕は静かに納得する。
それはそうだ。そんなに簡単に、今日会ったばかりの僕が彼女の心に踏み入る隙なんてあるはずがない。
現実における僕と一ノ瀬踏穂の関係は、きっとこれでいいんだ。
「ごめん、忘れて」
だってそうだろ、考えてみろよ。自分の推しと直に話ができるやつなんてそうそういないんだ。これ以上を求めるのも、与えるのも、間違ってるって、自分が一番わかってるだろ。
距離を測り間違うな。
「待って」
再度踵を返そうとした僕の背に、震え混じりの声が投げられる。扉越しだろうと、彼女が今どんな顔をしているのか想像できた。あくまで、ノアの顔でだけど。
「今から、すごく迷惑なことを言うね。……透坂くんが嫌じゃないなら、私、毎日話したい」
思わず、目の前のドアノブに手をかけそうになっていた。おそらく鍵はかけられているだろうが、本気で引っ張ればこういう個人部屋の鍵くらいなら壊すことができるかもしれない。そんな乱暴な思想が湧いてくる。
別に何かしたいわけじゃない。ただこの扉を開きたい、という欲求が頭を埋めていた。
強いて言うのであれば、確かめたい、と思った。
引きこもりのクラスメイトではなく、箱舟ノアでもない。一ノ瀬踏穂を、彼女の存在を、確かめたい。
「それで、さ」
叫びに似た衝動に襲われている僕の鼓膜に、一ノ瀬の震えた声が再度響く。
「いつか、透坂くんと会いたいな」
体に力が入らない。バスの外はもうすっかり暗くなっていた。コンクリートの僅かな隆起に合わせて視界がバウンドする。眠たいのに目だけが冴えているような、そんな感覚だった。
無理もない。さっきまでの僕は間違いなく、今までの人生で一番衝撃的な出来事に遭遇していたのだから。
自分の顔が反射している窓に顔を近づけて、ぽつぽつと灯りのついた住宅街と、おそらくは綺麗な星が散りばめられているであろう、深い紺色の夜空を眺めた。目に映る現実に、いつもの現実味がない。
一ノ瀬の家を出る直前に呼び止められ交換した連絡アプリでの彼女のプロフィールと、リアスカにある箱舟ノアのプロフィールを見比べ、深く息を吐く。
箱舟ノアのプロフィール欄は、初めて見る人間にも彼女の人となりの最低限が伝わるよう、それなりの情報が書かれてある。
好きな食べ物、音楽、映画は邦画派、休日の主な過ごし方やエトセトラ。そのどれもが、明るく楽観的な箱舟ノアのイメージを補完していた。
対して、一ノ瀬踏穂として登録してある連絡アプリの方には『あまり連絡返せないと思います』という簡素な文章しか書かれていなかった。
薄味というか、無味。
もしここに、『私に不用意に関わるな』と書いてあっても、何一つ彼女の主張と相違はないだろう。
『いつか、透坂くんと会いたいな』
さっき彼女が言っていた言葉がずっと脳内でループ再生されていた。
一ノ瀬は、あの部屋の外に出たがっている。それがわかっただけでも、大きな進展のように思えた。
しばらく思考をこねくり回した後、携帯を閉じ、目を瞑った。
バスが家の最寄りについた頃、『箱舟ノアさんの配信が始まったよ!』といつもの通知が鳴った。
もしかすると今日は配信をする体力が残ってないんじゃないかと案じていたが、それは杞憂だったようだ。
ノアのアバターを見ると、ひどく自分の心が安らいでいくのを感じる。人間は習慣づいた行動に安心する生き物らしいが、僕にとって毎日続いている習慣なんてこれ一つしかない。
学校は今でもたまに休むが、ノアの配信だけはあの日から今日まで完全無欠の皆勤賞だ。
バスを降りると、少しの肌寒ささえ感じた。九月も末、もうすっかり夏の気配はしなくなっていた。
僕はイヤホンをさし、また彼女に会いにいく。これだって、僕たちの正しい距離だから。
翌朝になっても、まだ実感が追いついていなかった。一晩明けてもなお、僕の鼓動は普段より半テンポ早く動き続けている。
人間の心臓って動く回数に上限があるんだっけ、結局ないんだっけ。なるべくどうでもいいことを考えながら支度を進める。頭を早朝の絶望に追いつかせてはいけない。これは学校に復帰するために身につけたメンタル運営技術である。
巷では現実逃避ともいうらしい。
そして、これに関してはいつも通り、ゆっくり歩けば朝のホームルームとほぼ同時に教室に着くくらいの時間に、僕は家を出た。
今日は朝配信を休むと、昨夜ノアは配信中に言っていた。
しかしまあ、当然のことながら、昨日の夜の配信でノアの口から僕のことらしき話題が出ることはなく、なんなら少し期待までしていた自分が情けなくなってしまった。箱舟ノアがそんなヘマをしないことくらい、僕が一番よくわかっていたのに。
今一度自分に言い聞かせる。距離を間違えてはだめだ。
僕が関わりを持てているのは箱舟ノアじゃない。引きこもりから脱却しようとしているクラスメイト、一ノ瀬踏穂なのだから。
自分でも気づかないうちに早足になっていたのか、普段通りに家を出たはずなのに、教室に到着したのはまだ始業時間よりも五分ほど余裕のある時刻だった。
これならあと二分家を出るのを遅らせてもいいのかもしれない。そんなことを考えながら席についた途端、隣の席から声をかけられた。
「今日、早いんだね」
声の主は気だるげな目でこちらを見つめている。
三虎かの。
僕の隣の席の女子で、その一見異性ウケしそうな外見にそぐわない目の下のクマが印象的な、なんだかいつも体調の悪そうなやつ。地毛なのか、かなり茶色に近い髪は短めのショートカットを常に維持されており、彼女の顔の小ささを引き立たせている。
光栄に思うべきか、はたまた悲しむべきか、彼女は数少ない、僕が学校で喋る可能性のある人間だ。
「……まあ、起きるのが早かったからな」
「眠れなかったの?」
「そんなとこ」
「へえ、同じだね」
三虎は一通りのやり取りを終えると、すぐに手元の文庫本に視線を戻して、僕のことなど視界の隅にも置かなくなった。
別になんとも思わない。三虎かのとはこういう人間だ。まあはっきり言ってしまえば変わり者。だから、僕のような陰気臭いやつにも躊躇いなく話しかけられるのだろう。
大体、僕と三虎の会話はこんな感じで終わる。彼女の方から少し話題を振ってきて、それが落ちついたら解散、おしまい、もう店じまい。これくらい割り切った関係性だと、こちらとしても楽でいい。
ただ、今日の僕は少しだけ気持ちが昂っていた。原因はもう言うまでもないだろう。
だからなのか、一限目が終わった後、たまには僕の方から話しかけてみようなんてアイデアが浮かんだ。
「三虎」
「……何」
そんな絵に描いたように怪訝な顔をしなくてもいいだろ。僕は鬼の末裔か?
「いや、なんてことはないんだけど、最近やけにその本ばかり読んでるなって。三虎ならそれくらいの厚さの本、二日あれば読めるだろ」
三虎は手元の本と僕を二・三回交互に見た。
「知らないうちに観察されてたことには軽く引くけど、まあね」
「人をストーカーみたいに言うな。自然と目につくんだよ」
「無自覚ストーカーってこと?」
「違う。むしろ悪化してるよ」
僕が反論すると、三虎は小さく吹き出した。
「笑うところじゃないし」
「必死な透坂、面白くて」
「……もういい、さっきの質問も忘れてくれ」
「そんなに怒んないでよ」
「怒ってない。らしくないことをしたこっちが悪いし」
そう言って僕は顔を背けた。普段の三虎がよくする、これで会話が終わったという合図。
もうやめよう。このままだと好き放題彼女のおもちゃにされて終わるのが関の山だ。
「確かに、透坂から私に話しかけるなんて珍しい」
これ以上なくわかりやすい合図を出したにも関わらず、三虎は追及をやめない。ついには手持ちの文庫本を机に置く音まで聞こえてきた。
「もういいって……」
はっきりと会話を終わらせるために、僕は三虎の方を振り向いた。けれど、考えていた言葉は途中で消えてしまった。
三虎かのは僕の机に左手を置いて、振り向いた僕の顔のすぐ近くでこちらを見つめていた。彼女の接近にそれこそ一ミクロンも気づかなかった僕の頭は、情けないことにフリーズしてしまう。
「もしかして透坂、人肌恋しい、とか?」
これだけ近くから見て普段感じる印象と少しの遜色もないということは、三虎の顔立ちが端正であることの証明だろう。とか、パニックになった脳は現状と関係のないことを考えてしまう。
「ふふっ、ごめん。楽しくなっちゃって」
固まっている僕をよそに、三虎はまたいつものように姿勢正しく座って本を開き、文字を追いかけ始めた。
まだ心臓が縮こまっているような気分だ。彼女にこんな一面があることを、僕は知らなかった。
「あ、そうだ」
三虎は本から目を離さないまま呟く。
「放課後、本貸してあげるよ」
「あ、ああ。……ありがとう」
全く脈絡のない提案に指摘する余裕もなかった。
僕は知っている。
これは完全敗北というやつだ。
当たり前だけど、会話の内容はどれも配信で聞いた覚えのあることばかりだった。けれど、そのどれもが不思議と新鮮に感じた。
箱舟ノアと一ノ瀬踏穂は、同じようで違う。
ノアはわりとはっきり好き嫌いを主張するタイプだ。反して一ノ瀬は、何に対しても許容的というか、当たりさわりのない言葉を選んでいる印象がある。
いつの間にか、僕は一ノ瀬とノアを重ねるのをやめていた。ただ純粋に、この扉越しにいる顔も知らないクラスメイトと言葉を交わすのが心地よかった。
「あ、もうこんなに喋ってたんだ……」
部屋にある時計でも目についたのか、一ノ瀬がふと呟くように言った。
心から残念そうな言い方だったので、僕は静かに嬉しくなった。
「ごめん、つい長居しちゃった」
「いやいや! 私がどんどん先走って喋ってたし、透坂くんは一ミクロンも悪くないよ!」
一ミクロン。箱舟ノアの口癖の一つだ。
最初に比べて、かなり一ノ瀬の口調には明るさが目立つようになってきていた。意識して聞くと、配信で使うような語彙も頻繁に混ざってきたような気がする。
スマホの画面を確認する。時刻は午後七時を過ぎていた。さすがに帰らなければまずい時間だった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
すっかり体温がうつってしまった床から立ち上がり、皺になった制服を伸ばしながら僕は告げる。
「うん。今日はその、リハビリに付き合ってくれて本当にありがとう」
僕と同じく立ち上がった様子の一ノ瀬が、そんな感謝の言葉をゆっくりと、丁寧に紡いだ。
じく、と胸のどこかが痛む感覚がした。
そして気づくと僕は、玄関に向けて踏み出していた足を引き戻して、一ノ瀬がすぐそばにいるであろう扉に向き直っていた。落ちつかない両手が、自然と拳をつくってしまう。
「明日も、来ていいかな」
言い終えた途端、体の力が抜けて倒れそうになった。
数秒経っても、一ノ瀬からの返事はなかった。
僕は静かに納得する。
それはそうだ。そんなに簡単に、今日会ったばかりの僕が彼女の心に踏み入る隙なんてあるはずがない。
現実における僕と一ノ瀬踏穂の関係は、きっとこれでいいんだ。
「ごめん、忘れて」
だってそうだろ、考えてみろよ。自分の推しと直に話ができるやつなんてそうそういないんだ。これ以上を求めるのも、与えるのも、間違ってるって、自分が一番わかってるだろ。
距離を測り間違うな。
「待って」
再度踵を返そうとした僕の背に、震え混じりの声が投げられる。扉越しだろうと、彼女が今どんな顔をしているのか想像できた。あくまで、ノアの顔でだけど。
「今から、すごく迷惑なことを言うね。……透坂くんが嫌じゃないなら、私、毎日話したい」
思わず、目の前のドアノブに手をかけそうになっていた。おそらく鍵はかけられているだろうが、本気で引っ張ればこういう個人部屋の鍵くらいなら壊すことができるかもしれない。そんな乱暴な思想が湧いてくる。
別に何かしたいわけじゃない。ただこの扉を開きたい、という欲求が頭を埋めていた。
強いて言うのであれば、確かめたい、と思った。
引きこもりのクラスメイトではなく、箱舟ノアでもない。一ノ瀬踏穂を、彼女の存在を、確かめたい。
「それで、さ」
叫びに似た衝動に襲われている僕の鼓膜に、一ノ瀬の震えた声が再度響く。
「いつか、透坂くんと会いたいな」
体に力が入らない。バスの外はもうすっかり暗くなっていた。コンクリートの僅かな隆起に合わせて視界がバウンドする。眠たいのに目だけが冴えているような、そんな感覚だった。
無理もない。さっきまでの僕は間違いなく、今までの人生で一番衝撃的な出来事に遭遇していたのだから。
自分の顔が反射している窓に顔を近づけて、ぽつぽつと灯りのついた住宅街と、おそらくは綺麗な星が散りばめられているであろう、深い紺色の夜空を眺めた。目に映る現実に、いつもの現実味がない。
一ノ瀬の家を出る直前に呼び止められ交換した連絡アプリでの彼女のプロフィールと、リアスカにある箱舟ノアのプロフィールを見比べ、深く息を吐く。
箱舟ノアのプロフィール欄は、初めて見る人間にも彼女の人となりの最低限が伝わるよう、それなりの情報が書かれてある。
好きな食べ物、音楽、映画は邦画派、休日の主な過ごし方やエトセトラ。そのどれもが、明るく楽観的な箱舟ノアのイメージを補完していた。
対して、一ノ瀬踏穂として登録してある連絡アプリの方には『あまり連絡返せないと思います』という簡素な文章しか書かれていなかった。
薄味というか、無味。
もしここに、『私に不用意に関わるな』と書いてあっても、何一つ彼女の主張と相違はないだろう。
『いつか、透坂くんと会いたいな』
さっき彼女が言っていた言葉がずっと脳内でループ再生されていた。
一ノ瀬は、あの部屋の外に出たがっている。それがわかっただけでも、大きな進展のように思えた。
しばらく思考をこねくり回した後、携帯を閉じ、目を瞑った。
バスが家の最寄りについた頃、『箱舟ノアさんの配信が始まったよ!』といつもの通知が鳴った。
もしかすると今日は配信をする体力が残ってないんじゃないかと案じていたが、それは杞憂だったようだ。
ノアのアバターを見ると、ひどく自分の心が安らいでいくのを感じる。人間は習慣づいた行動に安心する生き物らしいが、僕にとって毎日続いている習慣なんてこれ一つしかない。
学校は今でもたまに休むが、ノアの配信だけはあの日から今日まで完全無欠の皆勤賞だ。
バスを降りると、少しの肌寒ささえ感じた。九月も末、もうすっかり夏の気配はしなくなっていた。
僕はイヤホンをさし、また彼女に会いにいく。これだって、僕たちの正しい距離だから。
翌朝になっても、まだ実感が追いついていなかった。一晩明けてもなお、僕の鼓動は普段より半テンポ早く動き続けている。
人間の心臓って動く回数に上限があるんだっけ、結局ないんだっけ。なるべくどうでもいいことを考えながら支度を進める。頭を早朝の絶望に追いつかせてはいけない。これは学校に復帰するために身につけたメンタル運営技術である。
巷では現実逃避ともいうらしい。
そして、これに関してはいつも通り、ゆっくり歩けば朝のホームルームとほぼ同時に教室に着くくらいの時間に、僕は家を出た。
今日は朝配信を休むと、昨夜ノアは配信中に言っていた。
しかしまあ、当然のことながら、昨日の夜の配信でノアの口から僕のことらしき話題が出ることはなく、なんなら少し期待までしていた自分が情けなくなってしまった。箱舟ノアがそんなヘマをしないことくらい、僕が一番よくわかっていたのに。
今一度自分に言い聞かせる。距離を間違えてはだめだ。
僕が関わりを持てているのは箱舟ノアじゃない。引きこもりから脱却しようとしているクラスメイト、一ノ瀬踏穂なのだから。
自分でも気づかないうちに早足になっていたのか、普段通りに家を出たはずなのに、教室に到着したのはまだ始業時間よりも五分ほど余裕のある時刻だった。
これならあと二分家を出るのを遅らせてもいいのかもしれない。そんなことを考えながら席についた途端、隣の席から声をかけられた。
「今日、早いんだね」
声の主は気だるげな目でこちらを見つめている。
三虎かの。
僕の隣の席の女子で、その一見異性ウケしそうな外見にそぐわない目の下のクマが印象的な、なんだかいつも体調の悪そうなやつ。地毛なのか、かなり茶色に近い髪は短めのショートカットを常に維持されており、彼女の顔の小ささを引き立たせている。
光栄に思うべきか、はたまた悲しむべきか、彼女は数少ない、僕が学校で喋る可能性のある人間だ。
「……まあ、起きるのが早かったからな」
「眠れなかったの?」
「そんなとこ」
「へえ、同じだね」
三虎は一通りのやり取りを終えると、すぐに手元の文庫本に視線を戻して、僕のことなど視界の隅にも置かなくなった。
別になんとも思わない。三虎かのとはこういう人間だ。まあはっきり言ってしまえば変わり者。だから、僕のような陰気臭いやつにも躊躇いなく話しかけられるのだろう。
大体、僕と三虎の会話はこんな感じで終わる。彼女の方から少し話題を振ってきて、それが落ちついたら解散、おしまい、もう店じまい。これくらい割り切った関係性だと、こちらとしても楽でいい。
ただ、今日の僕は少しだけ気持ちが昂っていた。原因はもう言うまでもないだろう。
だからなのか、一限目が終わった後、たまには僕の方から話しかけてみようなんてアイデアが浮かんだ。
「三虎」
「……何」
そんな絵に描いたように怪訝な顔をしなくてもいいだろ。僕は鬼の末裔か?
「いや、なんてことはないんだけど、最近やけにその本ばかり読んでるなって。三虎ならそれくらいの厚さの本、二日あれば読めるだろ」
三虎は手元の本と僕を二・三回交互に見た。
「知らないうちに観察されてたことには軽く引くけど、まあね」
「人をストーカーみたいに言うな。自然と目につくんだよ」
「無自覚ストーカーってこと?」
「違う。むしろ悪化してるよ」
僕が反論すると、三虎は小さく吹き出した。
「笑うところじゃないし」
「必死な透坂、面白くて」
「……もういい、さっきの質問も忘れてくれ」
「そんなに怒んないでよ」
「怒ってない。らしくないことをしたこっちが悪いし」
そう言って僕は顔を背けた。普段の三虎がよくする、これで会話が終わったという合図。
もうやめよう。このままだと好き放題彼女のおもちゃにされて終わるのが関の山だ。
「確かに、透坂から私に話しかけるなんて珍しい」
これ以上なくわかりやすい合図を出したにも関わらず、三虎は追及をやめない。ついには手持ちの文庫本を机に置く音まで聞こえてきた。
「もういいって……」
はっきりと会話を終わらせるために、僕は三虎の方を振り向いた。けれど、考えていた言葉は途中で消えてしまった。
三虎かのは僕の机に左手を置いて、振り向いた僕の顔のすぐ近くでこちらを見つめていた。彼女の接近にそれこそ一ミクロンも気づかなかった僕の頭は、情けないことにフリーズしてしまう。
「もしかして透坂、人肌恋しい、とか?」
これだけ近くから見て普段感じる印象と少しの遜色もないということは、三虎の顔立ちが端正であることの証明だろう。とか、パニックになった脳は現状と関係のないことを考えてしまう。
「ふふっ、ごめん。楽しくなっちゃって」
固まっている僕をよそに、三虎はまたいつものように姿勢正しく座って本を開き、文字を追いかけ始めた。
まだ心臓が縮こまっているような気分だ。彼女にこんな一面があることを、僕は知らなかった。
「あ、そうだ」
三虎は本から目を離さないまま呟く。
「放課後、本貸してあげるよ」
「あ、ああ。……ありがとう」
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僕は知っている。
これは完全敗北というやつだ。
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