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4.ハードモードなハイキング
ハイキング⑤
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「ありがとう、ございます」
広い背中を見上げてお礼を言うと、こちらを振り向くことなく、ぶっきらぼうに「ああ」と短い言葉が返ってくる。でも、不思議と怖いとは思わなかった。
無言で前を歩く黒崎くんの背中をじっと見つめる。いつも痛いほど伝わってきていた話しかけるなオーラは、感じない。
今なら、と希望がふっと頭をよぎる。思わず手のひらをぎゅっと握った。
黒崎くんは、あのときのことを覚えているかな。今さら謝っても、話を蒸し返して余計に嫌な思いをさせてしまうだろうか。
ぐるぐる考えて、ずっと心につかえたままのかたまりがずきりと疼く。
このままなかったことみたいにやり過ごしても、このかたまりが消えないことはもうわかっていた。
心臓がドクドクと早鐘を打つ。
さっき言ってくれた「怒ってない」の言葉を頭の中で繰り返して、私は意を決して口を開いた。
「く、黒崎くん」
声をかけてから、先にシミュレーションすればよかったと後悔したけれど、あとの祭だ。
黒崎くんの足が止まり、大きな背中が半分だけこちらを振り向く。感情の読み取れない眼差しに捉えられ、私はぐっと言葉に詰まった。
でも、謝るのは、今しかない。
「きょ、教科書、あの、えっと、英語のじゅ、授業、のとき……嫌な態度して、ごめん、なさい……」
噛みまくってしまったけれど、なんとか言えた。
感極まり泣いてしまいそうになって、ぐっと涙をこらえる。もう一生分の勇気を使い果たしてしまったように思えた。
他の人からすればきっと大げさに聞こえるだろうけれど、私にとってはそれくらい大きなことだった。
「……北野って、真面目だな」
「え?」
予想外の答えが返ってきて、思わず聞き返す。眉を下げた黒崎くんは、困っているようにも呆れているようにも見えた。
真面目……。
その言葉が示すものがわからず反応に困っていると、黒崎くんはゆっくりとこちらに向き直った。
「俺も嫌なこと言ったし、ごめん」
「えっ」
まさか謝り返されるとは思っていなくて、驚きの声がもれる。それを見て、よく日に焼けた頬がふっと優しくゆるんだ。
……あ。
ドキッとして、身体が固まる。
それは、ほんの一瞬のことだった。
「行こう。これ以上待たせると、近藤がうるさい」
私の返事を待たずに、黒崎くんがくるりと踵を返す。
「あ、は、はいっ」
すぐに私に背を向けた彼のあとを、あわててついていく。けれど、足を踏み出すたびに、じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
見間違いじゃないよね。
黒崎くんが、……はじめて笑ってくれた。
身体の奥から熱いものがあふれて、苦しいほどに心を震わせる。なにか言えば、一緒に涙がこぼれて出てしまいそうだった。
ちゃんと、謝れた。笑ってくれた。
心の中で何度も反芻する。
勇気を出して、よかった。ずっと立ち止まっていた場所から、小さな一歩を踏み出せたような気がした。
陽射しを透してきらめく若葉が、風にさわさわと揺れる。足の痛みを我慢しながら歩いているのに、ふあふあと浮いているみたいな感覚がした。
さっきまでの心細さは嘘みたいに消えていた。
広い背中を見上げてお礼を言うと、こちらを振り向くことなく、ぶっきらぼうに「ああ」と短い言葉が返ってくる。でも、不思議と怖いとは思わなかった。
無言で前を歩く黒崎くんの背中をじっと見つめる。いつも痛いほど伝わってきていた話しかけるなオーラは、感じない。
今なら、と希望がふっと頭をよぎる。思わず手のひらをぎゅっと握った。
黒崎くんは、あのときのことを覚えているかな。今さら謝っても、話を蒸し返して余計に嫌な思いをさせてしまうだろうか。
ぐるぐる考えて、ずっと心につかえたままのかたまりがずきりと疼く。
このままなかったことみたいにやり過ごしても、このかたまりが消えないことはもうわかっていた。
心臓がドクドクと早鐘を打つ。
さっき言ってくれた「怒ってない」の言葉を頭の中で繰り返して、私は意を決して口を開いた。
「く、黒崎くん」
声をかけてから、先にシミュレーションすればよかったと後悔したけれど、あとの祭だ。
黒崎くんの足が止まり、大きな背中が半分だけこちらを振り向く。感情の読み取れない眼差しに捉えられ、私はぐっと言葉に詰まった。
でも、謝るのは、今しかない。
「きょ、教科書、あの、えっと、英語のじゅ、授業、のとき……嫌な態度して、ごめん、なさい……」
噛みまくってしまったけれど、なんとか言えた。
感極まり泣いてしまいそうになって、ぐっと涙をこらえる。もう一生分の勇気を使い果たしてしまったように思えた。
他の人からすればきっと大げさに聞こえるだろうけれど、私にとってはそれくらい大きなことだった。
「……北野って、真面目だな」
「え?」
予想外の答えが返ってきて、思わず聞き返す。眉を下げた黒崎くんは、困っているようにも呆れているようにも見えた。
真面目……。
その言葉が示すものがわからず反応に困っていると、黒崎くんはゆっくりとこちらに向き直った。
「俺も嫌なこと言ったし、ごめん」
「えっ」
まさか謝り返されるとは思っていなくて、驚きの声がもれる。それを見て、よく日に焼けた頬がふっと優しくゆるんだ。
……あ。
ドキッとして、身体が固まる。
それは、ほんの一瞬のことだった。
「行こう。これ以上待たせると、近藤がうるさい」
私の返事を待たずに、黒崎くんがくるりと踵を返す。
「あ、は、はいっ」
すぐに私に背を向けた彼のあとを、あわててついていく。けれど、足を踏み出すたびに、じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
見間違いじゃないよね。
黒崎くんが、……はじめて笑ってくれた。
身体の奥から熱いものがあふれて、苦しいほどに心を震わせる。なにか言えば、一緒に涙がこぼれて出てしまいそうだった。
ちゃんと、謝れた。笑ってくれた。
心の中で何度も反芻する。
勇気を出して、よかった。ずっと立ち止まっていた場所から、小さな一歩を踏み出せたような気がした。
陽射しを透してきらめく若葉が、風にさわさわと揺れる。足の痛みを我慢しながら歩いているのに、ふあふあと浮いているみたいな感覚がした。
さっきまでの心細さは嘘みたいに消えていた。
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