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第4章 はじまりの音

[3] 絆に導かれて

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 狼呀は、絆を通して感じた官能的な感覚に息を乱しながら目を覚ました。
 首に回される腕と、腰に巻き付けられる足。
 その全てが、鮮明に脳内に浮かぶ。

「っ……マリア」

 体を起こすが、あるのは明るい室内だけで、マリアの姿はない。
 それなのに、今まさにセックスをしたような感覚が残っていて、下半身は痛いほどに張り詰めている。 だからといって、自分の手で慰めたくはない。
 額に浮かぶ汗を拭い、自らの髪に指を突っ込んだところで、手が震えていることに気がついた。

(いったい、何が起きてる?)

 無意識に、上半身裸だった狼呀はTシャツを着ると、革の上着を羽織り車の鍵を手にしていた。
 それから先の狼呀を動かしていたのは、本能ともいえる力。
 見えない引力に引かれるまま、駐車場に行き車を発進させた。
 気にしていなかったが、表示されている時間を見ると、今は十二時五分。
 マリアに電話し、会えないことに落胆したのが昨日の夜だ。
 狼呀は、はやくマリアの無事を確かめたかった。
 感じるままに辿り着いたマンションの前で車を停めるが、車外に出た途端に狼呀は顔を歪めた。
 空気中に、吸血鬼特有の匂いが充満していたのだ。
 ここにマリアがいるのかと思うと、狼呀は酷く怒りにかられた。
 彼女は、危機感が足りない。
 もう、二度と離さないと狼呀は心に誓った。
 新たな決意を胸にマンションに入ると、すぐにこの建物の持ち主が吸血鬼だということに気がついた。
 匂いもそうだが、コンシェルジュとしている女の外見と首に巻かれたスカーフ。
 表だって動かない吸血鬼が会社やビルを持つ場合、こういった吸血鬼崇拝派の人間がいる。
 若くて美しい女性。
 老いを怖れる女性。
 自分は特別だと思っている女性。
 タイプはみんな似ている。
 あまり関わりたくはないが、仕方がなく狼呀はにこやかなコンシェルジュに近づいた。

「すまないが、楠木マリアの部屋を教えてくれないか?」

「お約束がおありですか? 申し訳ありませんが、お名前をお伺いしても?」

 頬を染めるでも、口ごもるなんてこともせず、女はにこやかな表情を崩さない。
 普通の人間は、狼呀の持つ外見やアルファとしての独特な雰囲気で言うことを聞かせやすい。
 そんなことから、コンシェルジュの女が人狼以外の超自然の者と関わりがあるのがわかる。
 つまり、狼呀の思った通りスカーフの下には牙の痕があるのだろう。
 吸血鬼への悪態が出そうになるのをどうにか堪えた。

「月城狼呀だ」

 すると、何に目を留めたのか、コンシェルジュはさらに笑みを深めた。

「月城様ですね。鍵をお渡しするように言われております」

 そう言って、後ろの引き出しから二つの鍵を取り出した。

「こちらの鍵は、一番奥にございますエレベーターのものです」

 手渡されたのは、少し小ぶりな鍵だ。

「もうひとつの鍵は、お部屋のものです。お帰りのさいには、鍵をお預かりしますので、よろしくお願いいたします」

 そして、もうひとつはまさに家の鍵といった見た目だが、ピッキングが困難な仕様になっている。
 狼呀は二つの鍵を手に、コンシェルジュに背を向けてエレベーターに向かった。
 狼呀も人狼専用のマンションを所有し住んでいるが、専用のエレベーターは持ってない。
 胃がむかむかするような感覚に襲われながらエレベーターに乗り込み、ボタンがあるはずの場所に鍵を差し込むと、扉が閉まって上昇しはじめた。
 密室となった空間には、覚えのある匂いが充満している。

(あの忌々しい、くそ野郎か)

 直通のため、一分ほどでたどり着いた場所には、人間の香りなんてほとんどない。
 古くて、錆にも似た匂いだけが漂っている。
 そのせいで、何かの罠かもしれないという可能性が、狼呀の頭をよぎった。
 エレベーターを降りて、廊下の先にある、たった一つの扉まで警戒しながら近づく。
 音に集中するが、何の足音もしない。
 でも、穏やかな呼吸が聞こえてきた。

(マリア!)

 その瞬間、吸血鬼に対する警戒なんて、どこかにいってしまった。
 本能が、はやく伴侶のところへ行って、安全と無事を確かめろと急き立てる。
 鍵を開け乱暴に扉を開けると、一直線にマリアのところへ走っていく。
 まるで、この部屋を知っているかのように――。
 狼呀は一番奥にある部屋の扉を開いた。

「マリア!」

 大きな声を出してから、はっとした。
 カーテンの引かれた静かな部屋の中には、小さな寝息だけが存在している。
 彼女を目にしたとたんに、怒りは消えていき、保護本能だけが残った。穏やかに心はなったが、耳だけは侵入者がいないかと神経を向けておく。
 伴侶は安全でなくてはならない。
 寝顔を見守りたくてベットへ近づこうと一歩を踏み出した瞬間、大きな音で携帯電話が鳴った。

「くそっ!」

 小さく毒づいて、狼呀は電話に出た。

「なんだ!」

「ちょっと、どうなってんの? 今日は撮影の日でしょ!」

 レイラの怒り狂った声に、とっさに携帯電話を耳から離したが、鼓膜の奥が痛い。
 耳から離しているにも関わらず、はっきりと聞こえる声の大きさに狼呀は唸り声をもらした。

「黙れ。もう少し声の音量を下げられないのか? それから、撮影は瑞季か聖呀に頼め」

「ちょっと待ってよ。昨日はいいって……」

「悪いが行けなくなった」

 それだけ言って電話を切ろうとした瞬間、レイラの呟きが聞こえた。

「……まさか、あの子のせいなの?」

 気にもとめずに、狼呀は通話を終了させて電源も切ってジーパンの後ろポケットにしまった。
 人狼の群れが、最近は鬱陶しくなってくる。
 アルファだから、伴侶を優先しちゃいけないのか?
 そんな疑問が、頭の中をぐるぐる回る。
 着信音とレイラの声で起こしてしまったかと、ベットに近づき空いたスペースに座るが、静かな寝息が聞こえるだけだった。
 狼呀はほっとしながら寝顔を盗み見る。
 少し顔色が悪く、かすかな血の匂いが鼻をかすめた。
 また、保護本能に火がつく。
 こんな場所にはいられない。
 狼呀は突き動かされるまま、毛布をかけたまま首の下と膝の後ろに腕を入れて、ゆっくりと抱き上げた。

「んっ……」

 頭を自分の胸にもたれさせると、温かさを求めるようにマリアはすりよってきた。
 寒さに身を震わせたように見えたが、狼呀の体温を感じたのか、また眠りを深くした。
 あまり振動をあたえないように歩きながら部屋を出て、足で蹴って扉を閉めると自動的に鍵のかかる音がする。
 エレベーターに乗れば、勝手に動き出し、ほとんど振動もなく一階に辿り着いた。
 その間も、マリアは起きる様子を見せない。
 突き刺さるような視線を感じながら、言われていた通りコンシェルジュのところへ行き、乱暴に二つの鍵を放った。
 女は何かを言いたそうにしていたが、狼呀は鋭い視線で黙らせるとマンションを出た。
 目の前に停めてある車まで歩いて行くと、マリアを抱えたまま器用に後部座席のドアをき、優しく座らせる。
 はらはらしながらドアを閉め、運転席に乗り込んでドアを閉める時と、エンジンをかける時に狼呀は今までにないくらい神経を集中させた。
 車を運転しながらも、全ての感覚はマリアを意識している。
 しばらく車を走らせて、ようやく静かな公園を見つけて車を駐車スペースに入れた。
 一度、車から降りて後部座席に乗り込み、マリアの頭を支えながら自分の膝に横にならせた。
 目を覚ましたところを想像すると、狼呀は笑いたい気持ちがとまらない。
 それまでは、マリアにしたかったことを存分にしながら待とう。
 狼呀は頭を下げて、柔らかな髪に口付け、温かな頬に口付け――。
 固まった。

「血の匂い?」

 さっきまでもしていたが、吸血鬼のマンションだったから血の匂いがするんだと思っていた。
 だが、間違いなくマリア自身から匂う。
 一番、吸血鬼が好む首筋が見えるよう、首もとにかかる髪の毛をどけて、狼呀は息をのんだ。



 
 
 
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