上 下
20 / 87

20 嫉妬の無駄打ち

しおりを挟む
「だからさー。何をして何を言うつもりなんだよ君はー。もういいって。もう絶対何もないからさー」
「いいえ。念には念を。何でも準備は肝心ですよ。この世に絶対などないんです。情報を制するものは全てを制す。敵の情報となれば尚更ですよクラースさん」

「もー、だからー。敵じゃないってば。とっくに謝ってくれてるんだから。相手も馬鹿じゃないんだからさ、自分が悪く思われるようなことは二度とやったりしないでしょ。心配性だよねえ君は」
「心配性な人間は指揮官に向いてるらしいですよ。何かあったときの想像に意識を向けられるほうが、危機管理には役立つんです。つまり今は俺が指揮官です。なので大人しく従っていただきたい」

『なにがつまりなんだよー』と文句を言うクラースさんからはろくな情報が掴めなかった。クラースさんは仕事のために全館を回っている。見かけた機会のある人だけでは絞れない。従業員全員が該当する。

 わかっているのは背が高い人。しかし単に背の高い人なんて複数人いるわけで、その中からさらに絞らねばならない。これは大変。骨が折れる。使命感に燃えていたが、仕事はきっちりやらなければ。

 俺に魔術が使えれば、さっさと見つけてシメられるのに。この顔の使いどころには絶好の機会じゃないか。機を逃すな。優秀な指揮官はそこも必ず押さえるものだ。

 だから何の指揮官なんだよ、と自分で自分に突っ込みながらも仕事に精を出していたが、もちろん客室清掃に接客などの他の仕事は含まれていない。見るのは大量のシーツやリネンや濡れた水場。いつもの仲間。清掃長。こいつはやや背が高いのだが、違うだろう。あんな気の利いた贈り物などできやしない奴である。

 そう失礼極まりない感情に捉われまくっていたのだが、帰り際の裏口でたまたま背の高い男を見かけた。フロント係が着る制服に身を包み、心配そうな顔をしてクラースさんの方をやたら気にしている。こいつだ、絶対。恋文の相手。間違いない。

 声を落としてクラースさんに確認すると、バレたか、という顔をした後『そうだよ。でも何もしないで。絶対に。わかった?』と、指でトントン腕を突かれながらそう言われ、釘をしっかり刺されてしまった。

 クラースさんが嫌がることは、やはりできない。なのでせめてもの気持ちを込めて、ガンを飛ばして差し上げた。俺が魔術師じゃなくて良かったな。もしそうだったら今頃は。殺気を込めて目を合わせてやった途端に奴は狼狽え始め、妙な足取りで奥の方へと引っ込んで行ってしまった。

 父さん、母さん、ありがとう。この顔に産んでくれて。とても役に立ってるよ。今なら何でも出来る気がする。債務者が絶対に払おうとしない利息でも、銅貨単位でむしり取れる気がするよ。



「ジルくん。顔を戻してよ。今すっごく悪い債権者みたいな感じになってる」
「凄いな、なんでそんなに細かい感情がわかるんですか。今まさにそんな気分でした」

「どういう流れでそんな気分になるんだよー。謎過ぎるよ。まあいいや、明日は二人とも休みだね。買い出しに行こっかあ」
「卵があんまりないですね。あと野菜も。クラースさんは惣菜の類と主食なら、どっちを沢山食べたほうが回復早いとかありますか?」

「んー、やっぱり主食かなあ。熱量がないと魔力が作れなくなっちゃう。でも野菜とかお肉を無視すると、身体の方にガタが来ちゃう。まあ飢えない程度に食べたらいいのさ」
「最近細くなってる気がするんですよ。もっと食べた方がいいですね」

「えー、でもまたお菓子貰ったから熱量の方はなんとかなるさ。先に言っておくけど、君が殺気を飛ばしてたあの彼じゃなくて別の人からのものだからね。あっ、怖い。怒ってる怒ってる。気があるかどうかはわかんないからまだいいじゃんかー。もー、なんだよー」

 落ち着け俺。俺はクラースさんの彼氏じゃないし、夫でもない。でも明らかに自分に気があるかもしれない贈り物をしてくる野郎に、ホイホイ近づかないでほしい。あれか。餌付けか。餌付け作戦。

 それか美味しいお菓子を道に置いて、それに惹かれた小鳥が入った途端にザルがバサリと落ちてはい捕獲、というあの作戦。めちゃくちゃ引っかかりそうだこの人。『結構重いんだよ。なにが入ってるのかなー』とか言ってる。ほらもう食べ物のことしか考えてない。

 たまらない。この甘く爽やかで、ふわふわとした雰囲気が。話しかけやす過ぎる。なんなら思い切り甘えてみたくなってしまう。膝を枕にさせて欲しい。一緒に眠りについてほしい。なんなら子守唄を歌ってほしい。この柔らかい声を響かせて。

 わかるぞお前ら。その気持ちはわかるんだ。でも一番近くにいる俺が、それをしたくても我慢しているわけなんだ。だからとにかく遠慮してくれ。無闇に俺を怒らせないでくれ。俺を闇金の帝王にしないでくれよ。酒瓶で躊躇なく人を殴る奴になるわけにはいかないんだ。引かれてしまう。この人に。いやその前に捕縛される。

 そこでふと冷静になった。俺はこの人にどうなってほしいんだろう。もちろん幸せになってほしい。良い思い出もあっただろうが、その他人の手で綺麗だった手を汚させられ、凶状を持たされてしまった人。

 その不幸の分だけ幸せに。でも、クラースさんの幸せってなんだろう。そこをまず確認していなかった。

「ねえクラースさん、話変わりますけど、クラースさんの幸せってどんなことです?」
「ほんとにガラッと変わったね。幸せかあ。普通の暮らしをすることかな。寒くない住み家があって、仕事があって、飢えない程度のお金があって。たまに美味しいもの食べられればそれでいい。道楽亭に行けなくなったら悲しいしー」

「凄く普通のことですね。他にもっとないんですか? 子供が欲しいとか、移動用に馬が欲しいとか」
「えー、お馬さんのお世話はしたことないしなあ。専属の人を雇うにしたって、費用捻出できなくなったら馬もその人も失業じゃん。子供だって欲しいと思ったことは今までないなあ。その余裕がないからかな。ていうかオレ独身だしさ。まずはそこから始めなきゃ」

「じゃあ、結婚はしたいですか? 今すぐじゃないとしても」
「んー、余裕があったら多分ね。でもそんなのしなくても、もう幸せだと思うんだよね。家と仕事とお金がある。もう手に入ってるから、文句はない。幸せの条件は揃ってるねえ」

 クラースさんの瞳はいつも明るい曇り空のような色だが、こうやって輝かせているところを見ると昼間の星のようである。今が幸せ。だったら良かった。結婚は、余裕ができたら。でもその余裕っていうのはなんだろう。お金の話か? 心の話か? 

 もし俺が、伴侶にしてくれと言ったなら?



 ……もしそう言ったら関係性が変わるよな、良い方に? 悪い方に? どっちだ?? そもそも俺は変えたいのか、関係性を。

 クラースさんを好きか嫌いかと問われると、めちゃくちゃ好きだ。大好きだ。でも当人は今が幸せだと言っている。それは一番に尊重したい。しかしそれを尊重しているうちに、よそに取られたらどうするんだ。でもクラースさんは俺の所有物じゃないんだし。いやいっそ、関係性を変えるよりも取られる方が嫌ならば、所有権を得てしまえばあっさり解決するのでは。

 ……所有権。うんと言わせてサインをすれば手に入るアレ、それはつまり。



 アホな俺はここでようやく気づいたのだ。クラースさんに向ける感情の内訳は、子供が思うような『お気に入りの人』などではなく、大人が思う『絶対欲しい』の方なのだと。

 そしてそれを細かく分類してしまうと、庇護欲という美しい感情だけでは決してなく、一番に愛してほしいという手前勝手な願望と、暴力性を孕んだ支配欲もぐちゃぐちゃに混じっているような。

 あとはどう考えても、性欲も。だって前に見たあの夢が、未だに忘れられてない。繰り返し思い出してるうちに、頭に焼き付き消えなくなっている。



 これはまずい。今日も明日も、まともに眠れないんじゃないだろうか。今までなんとなく五感で受け止めていたアレコレを意識し過ぎてしまい、クラースさんと、ろくに話せなくなるのでは。

 無意識に足が止まったらしく、クラースさんが『どーしたのー』と手を引いてくれた。いきなり手に触れられたのに驚きすぎて、なぜかぎゅっと強く握りしめすぎてしまい『痛ったー!!』と叫ばれた。またそれに驚いたり、ずっと謝り続けたりして、もう俺の情緒は収集が付かなくなってしまった。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Perfect Beat!

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:11

婚約者の義妹に結婚を大反対されています

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:51,795pt お気に入り:4,940

チート?な転生農家の息子は悪の公爵を溺愛する

BL / 連載中 24h.ポイント:965pt お気に入り:5,116

転生公爵令嬢の婚約者は転生皇子様

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:440pt お気に入り:966

【完結】枕営業のはずが、重すぎるほど溺愛(執着)される話

BL / 完結 24h.ポイント:15,740pt お気に入り:1,321

死ぬまでにやりたいこと~浮気夫とすれ違う愛~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,728pt お気に入り:7,028

王妃は離婚の道を選ぶ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:77,199pt お気に入り:1,381

処理中です...