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22 クラースさんは笑い上戸

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「ねえねえジルくん。なんか今日バスタブにすっごいお湯入ってたけど。しかもやけに熱かったし。今日そんなに寒かった?」
「えーっと……サービスです」

「あはは、サービス! なんの大盤振る舞いだよー」

 バスタブの外にしっかりした排水口があってよかった。普通、ないところが多いから溢れると面倒なことになる。

 恐る恐る入ってみたが溢れるお湯が楽しかった、というクラースさんを想像しながら気もそぞろにシャワーを浴び、これからなんて言えばいいのかと考えながら飲み物に口をつけていると『じゃあこれよろしくー』と声をかけられ薬を手渡ししてくれた。正直とても助かった。



 ──────



 まだ水気を含んだ彼の髪は動きを追うように光り、筋状になった毛束が首筋へしっとりと張りついている。この青い髪はよく見ると複雑な色をしていて、鉄色を帯びた青の中にわずかな緑も混じっている。

 彼が頓着のない動きでするりと夜着を脱ぎ始めた。首から肩へ繋がる線が大きく見えたときなんか、喉が鳴りそうになってしまい堪えるのに必死だった。さらに両手で夜着の前を開け、いつも布に包まれている背中をいとも簡単に露出させた。襟の隙間から覗き見てしまった沢山の古い傷の群れ。

 それは予想より多くあり、想像より酷く引き攣れて、当時は散々流血し、赤黒く腫れたことが容易に想像できるものとして残っていた。

「背中ってさあ、毎日確認しないじゃない。腕とかは勝手に視界に入るけど。もう赤く腫れたりはしてないと思うけど、どうなってる? 結構酷い?」
「生々しさはないですけど、これ、ここまで治るのにかなりかかったんじゃないですか。ここの一本が……特に深そう」

「う……、ちょっとー。なぞらないでよ。ゾワッとするじゃん」
「……すみません」

 しまった、好奇心と欲に負けた。『そんなに丁寧にやんなくていいんだよー』と言われつつも、目が離せなくなり時間をかけすぎてしまったようで、くしゅん、とくしゃみの音がした。

 そろそろ夜は寒くなる。俺は慌ててソファーに落ちていた夜着を彼の肩にかけてあげた。

「ありがとねー。今日は痒みで起きたりしないで寝れると思う。助かったー」
「……あの。もし嫌じゃなければ。その傷をつけられた経緯、俺に話して貰えませんか」

「んー……まあいいけどさ、でも終わったことだよ。オレはもう思い出してもなんともないけど、それを聞いちゃったジルくんは今から辛い話を消化しないとなんなくなるよね。夢見が悪くなったりさ。それが心配なんだよねえ。だから──」
「本当になんともないか、俺の視点で確認したいってことなんです。それに辛い体験は言葉にして話すことで、心の中が整理されます。えっとですね、例えばまた似たような状況に遭ってしまったとき、辛さを感じる加減がその、低くなるっていうか……」

「へえ、凄いね。物知りだね。ジルくん、結構本読むもんね。荷物にはあまりなかったけどさ、図書室とか図書館に行くタイプだったの?」
「ええ、まあ。作文書かされてましたから。長文書いたときなんかに大体、途中で資料になるのが欲しくなって……じゃなくて」

「ふふ、ごめんね余計なこと聞いて。でも辛くなったら言うんだよ。一気に聞いたら具合悪くなるかもしれないから。その前にお茶淹れよっか。さっぱりしたものがいいかな」

 クラースさんへの気持ちが厚意を通り越していることに気づいた途端、同じ家の中に居るにも関わらずこうやって離れられると少し寂しい気持ちになる。最終的な目的は明確である。最低でも恋人になってほしい。しかし、もしそれができたとしても次は別れが怖くなる。正直、できれば法で縛りたいなんてことを思っている。

 そうだ、俺の愛読書であるあの治安の悪い黒い本には、最初に無茶な要求をして、相手が難色を示したら次は要求のレベルを下げる。そしたらその要求を呑んでもらえる確率が跳ね上がる、と書かれていた。実のところの目的は、二番目に要求したことであったとしても呑む側にはわからない。

 この考えは悪意だろうか。作戦と言っていいものだろうか。今俺の右肩には至極真面目に正攻法で行きなさいと説得する天使と、左肩には目的を達成できれば方法はなんだっていいだろ、と唆してくる悪魔がいる。



「はい、どうぞ。ジェランの果皮たっぷりのお茶。いい香りするでしょー。お洗濯場のおねえさんに貰ったんだ。これで暗い話も大丈夫!」
「はは、ありがとうございます。でも俺はそんなにヤワじゃないですからね」

「ふーん、本当にそうかなあ。……で、オレが悪いおクスリ作らされてて、買った人から情報辿られてついに捕縛されたのね。オレたち前に疑われて連れてかれたことあるじゃん、そのときよりギッチギチに縛られて。話を聞かせてって感じじゃなかった。まあ捕縛状出てたから当たり前なんだけどね」

 クラースさんは突然本題へ切り込んだ。その口調はまるで他人の話のようであり、近所の人の噂話程度のように俺はそのとき感じていた。その違和感は、後になってやっとわかった。わかったところで人生経験の少ない俺では、上手く対処できる自信はないが。

「衛兵さんの見た目はかなり怖かったけど、色々と質問に答えてるうちになんでお前みたいなのがここにいるんだって話になって。親元にいたときから組織の末端に入るまでのこと話したらさ、苦労したなって悲しい顔して同情された」
「俺もそんな風に思いました。周りの大人は何やってんだってムカつきました」

「そっかー、まあそうだよね。でもその時はさ、世話になったって認識しかなかったから、衛兵さんに組織を悪く言われて思わず反論しちゃったね。そしたらさらに同情された。そのときはそうじゃないってムキになって頑張ってたんだけどさあ、遥かに年上の大人から見たオレは可哀想な子供でしかなかったよね……」

 そこまで言い切り、クラースさんは突然口に両手を当てて下を向いて震え出した。大丈夫か。俺の心配を散々していた当人が、話してるうちに苦しくなってしまったんじゃ。

「まっ、前にさあ、こういう話したときさあっ……、ジルくんの方が犯罪者みたいな顔しててっ、闇金のアレに似てるってイジられた話思い出して、オレそん時、実はちょっと笑いそうになっ……」

 ……めちゃくちゃウケてるだけだった。俺前からちょっと思ってたけど、この人酒が入ってなくても笑い上戸なとこあるな。いや、いいんだよ。いいんだけどさ、話がなかなか進まねえ。






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このバスタブっていうのはですね、お湯⅓くらいしか溜めないんですよ。少ないでしょ。このお湯を使って泡立てて、髪と身体を洗って、お湯を抜いてシャワーして終わり。

やだわ発作的に満タンにしたくなる、と思われたお嬢さんはエールとお気に入り追加お願いしまーす!



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