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67 ジルくんのママは忘れっぽい

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前は母さんと、おじさんとで卓を囲んだ。そのときも会ったなりから母さんはべらべらとクラースさんに話しかけ、確かそのときも天気の話で、形通りのかしこまった挨拶をする隙もなく二人にほら入れ、いいから入れと促されたという始まりだった。

ばあちゃんに趣味が良いと褒められたあの白いおもちゃのような茶菓子を渡すと、母さんはその場で開封し『可愛いー!!』と喜んだ。おじさんも早速口にし『味も美味しい! これうちの店に置けないかなあ』と商売っ気を丸出しにして言っていた。

『アンタこういうのはさあ、高級なお店とだけ取引するもんなんじゃない?』
『えー、ダメかなあ。あっでもさー、許可が出たとしても置けない値段じゃ意味ないねー。ねーねー、これいくらした?』
『ちょっとアンター! 菓子折りの値段聞いちゃダメだってー! で、いくら?』

こんな風だから、きちっとビシッとした挨拶は不要だった。適当でいいよ、とは何度も言ったが『ダメダメ、こういうのはちゃんとしなきゃ』と挨拶の文言をブツブツ繰り返し練習していたクラースさんの頑張りは、泡となって消えてしまった。

あまりにも庶民すぎて引かれたんじゃないだろうか、と一瞬不安になったのだが、杞憂だった。口に手を当てて我慢できない、という風に彼はずっと無音で笑い転げていた。



「ごめんねー! お待たせ! はいこれ、サイン入りの婚姻証明書。これが権利書。あとー、これは子供に譲りますよっていうときに要る書類」
「名義変更の申請書類な。まあいいや、ありがとな。ていうかその野菜はなんなんだよ」

「えー? 野菜は野菜よ。あの人がこれも持っていけー、あれも持っていけーって言うからさあ。とりあえず全部持ってきたわ」
「多い多い。その半分でいいわ」

「全部持っていきなさいよお。男が二人もいるんだからー。クラースさん食べる方だし、こんなのすぐなくなっちゃうよ」
「大丈夫ですよ。運べます。いつもありがとうございます」

母さんはこの調子なので、クラースさんの背景にあるアレコレは絶対気にしないであろうと踏んでいた。それはやはりその通りで、彼の心配もやはり杞憂に終わった。

ドキドキしていたのだろう、時々早口になったり、目線をテーブルに落としながら話していた過去の話。自分がやったということは間違いないのだが、自分の意思だけではないことを証明するには生育歴から話す必要が出てきてしまう。

母さんとおじさんは『酷いねぇ』『辛かったでしょ』と相槌を打ちながらしっかり話を聞いていた。話し辛そうだ、と思ったときは俺が横から口を挟んで説明した。

しかし再度言うがこの調子である。母さんと息が合っているおじさんも例に漏れず、入学前の一騒動や学園であった話になると身を乗り出して『えっ、スプーン落としたら自分で拾っちゃいけないの!?』とか、『飛馬ってどうやって乗るの!?』とか、『魔術見たーい! なんかやってみてー!』など、さっきまでの神妙な顔を好奇心丸出しの顔に変えて、クラースさんを遠慮なく質問に次ぐ質問攻めの刑にしていた。

やらざるを得なかった魔薬製造の話になると『飲もうと思えば飲めた環境に耐えた鋼の精神力』と褒め称え、『ちなみに飲んだらどんな感じになっちゃうの?』『なんでハマッちゃうの?』という疑問を直球で投げていた。

クラースさんは目を泳がせてしどろもどろになりながら『せ、性的に……』とか、『夜が、その……』などと説明していた。口を挟もうにも恥ずかしく、またその辺の知識もほぼない俺は彼に代わることができなかった。

『ちょっとアンタ夜が強くなるってよ』
『でも買い続けらんないよ。お高いんでしょう? で、いくら?』

と、そのときも絶対買う気も飲む気もないくせに興味全開でクラースさんに聞いていたが、末端価格を聞いた途端に二人揃って爆笑し、『飲む奴アホじゃん!!』と、でかい声で言いながらガハハと盛り上がっていた。まあ、それは確かにそうである。



──────



「で、ここは天国にいる旦那が使ってた部屋。一番日当たりいいとこよー。贅沢だよねえ、しょっちゅう寝てただけなのにー」
「好き好んで寝てたわけじゃねえじゃんか。でも魔術薬的にはあんま日が差さないほうがいいって言ってませんでした?」
「そうそう。日光に当たり続けると劣化しちゃう。酷い臭いが出てくるやつもあるよ。そういうのほど効くんだけどね」

「ここから二階ね。結構急だから気をつけて! 滑り止め貼ったほうがいいかもねー」
「母さん貼る貼るってずっと言ってたけど結局貼らなかったんじゃん。俺こっから何度か落ちたんだけど」
「えっ、危ない。怪我しなかった?」

「それがさー! この子高いところがダメだからかなー? ギャーギャー叫びながらも必死で手すり掴んで大体無傷で生還してたわ」
「生還してたわ、じゃねーよ母さん。よその家だったらさあ、一人息子ってもっと大事にするもんなのにさー」

『よそはよそ! うちはうち!』と言いながら手をかけているのは俺の部屋の扉である。しまった。たまの帰省のときも全然片付けてなかったぞ。うわー、時すでに遅し。

「わー、モノが少ないのになぜか乱雑~」
「この子はさー、いらなくなったらさっさと売るのはいいんだけどさ、モノの在り処を決めないんだよねー。みてこれ、本棚はちゃんとあるのになぜか机に山積みなの」
「別にいいじゃんか。床はちゃんと空いてるし」

「ここ、歴史の本がいっぱいあるね。学校での勉強で?」
「あー……違います。教頭先生に見せるために書こうと思ったネタ用です。でもあんときはどーしても筆が乗らなくて。悔しいですけど全ボツです」
「じゃあもういらないじゃないの。あんたアレでしょ、一度やってやろうと思ってたから、また再挑戦するとき用にとっとくつもりなんでしょー。来ない来ない。その時は来ない。だいたいあんたはいつもそう」

家の中の内覧会であるはずなのに、余計なことを家主の母から暴露される会に変わっている。あのときは出来るだろうと思ったんだよ。でもすでにある歴史を変えるってのは大変なんだ。後の整合性を取るのが特に難しいんだ。個人の妄想の域を超えられなかった。

「これで全部は見終わったよね? こんな狭いとこだけど大丈夫? 前にやってた魔術薬のお店とどっちが狭いかな?」
「お店自体は前の方が狭かったですね。作るのは地下でやってたんで」

「えー。文字通りの地下組織じゃない。地上でやっちゃいけないの?」
「作り途中の匂いでバレやすいですね。あとは手に色がつく。それは横着しないで手袋すればいいだけですけど、匂いは拡散しちゃいますから。換気口にいくつも特殊な紙を貼って、匂いが出ないように工夫して──」

最初にこういうことを聞かれたときのクラースさんは、俺を何度も振り返り大丈夫かと目で確認を取ってきた。俺は大丈夫だと頷いた。

母さんはこの調子だけど口が固い。父さんが大切に仕舞い込んでいた書き味の良いペンをこっそり拝借したあと、ペン先を誤って潰してしまい、それが母さんにバレたときがある。

同じものか代替品を必ず用意するからそれまで黙っててくれ、と俺は頼んだ。半年以内に必ず見つけろ、と母さんは言った。幸い無事見つけることができたのだが、それまではずっとあのペンが見当たらないんだ、という父さんの問いかけにも『探しておくねー』と言いながら絶対口を割ることはなかった。聞かせた側が責任を取るなら、秘密は守る人だった。

後にクラースさんは言っていた。『信用ってこういうことなんだね』と。俺と、俺の両親、そしてかつての仲間であった兄。

クラースさんはその見た目を裏切らない寛容な人柄だが、誰のことも心からは信用できなかったと言っていた。それが身内が増え、失いたくないものを持った後である兄と繋がりが持てたことで、今やっと腰を下ろすことができた気がすると朗らかに笑っていた。
 


「ねえジル、結婚式はいつやるの? お店作った後にする感じ?」
「そうだなー。冬でも普通に出来るけどさ、もっと暖かくなってからの方がいいと思って。春にする予定」
「えっ、オレ今知ったんだけど。冬でも暖冬でー、とか言ってなかったっけ?」

「まあそうなんですけど……調べたとこによると、えーっと、衣装が……」
「あーもうなに考えてるかわかったわ。もうおっしゃらなくて結構でーす」
「えー? 何の話ー? ていうか役所にはまだ行かないの? さっさと行きなよー。クラースさんの気が変わんないうちにー」

「だからー。それはさっき貰ったとこだよ。母さんが自分で取ってくるっていうから任せたのにさあ、前は忘れてたじゃん。俺も仕事が忙しかったし、クラースさんは勉強が大詰めで取りに行けなくて悪かったけど」

『あーそうだったー。テヘ』と、母さんはいい年こいて少女のような顔を作り、その場をごまかそうとしていた。しかしこの人だから、うちはやってこれたのだ。まあ、そこそこ感謝はしているつもりだ。

……ほんと忘れっぽいけど。全然そこは直んないけど。何度やらかしても懲りないけど。しかしその分タフではあるのだ母は。



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