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1.恋人になってくれませんか?

2.

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「あぁ、僕のグラディア! 今日もなんて可愛いんだっ」


 それから数日後。エーヴァルトは魔法で姿を隠し、来訪者のことを観察していた。場所はグラディア邸のガーデンテラス。テーブルには三組のティーセットが並んでいる。


「クリストフ、急にお呼び立てしてすみません」

「僕がグラディアの誘いを断るわけがないよ。気にしないで?」


 そう言ってクリストフはグラディアの手を握る。グラディアの眉がピクリと揺れ動いた。


「それで? 今日はどうしたの? ……あぁ、制服のグラディアも可憐だけど、私服のグラディアは格別に美しいね。今度またドレスを贈るよ」

「いっ……いえ、クリストフにはもう、ロジーナという素晴らしい婚約者がいるのですから。今後はそういったことは控えませんと。こうしてお会いするのも、これを最後に……」

「ロジーナとの婚約は成立していないよ。グラディアだって知っているだろう?」


 先程までの調子は何処へやら、クリストフは急に真面目な声音で身を乗り出した。グラディアが頬を染め、気まずそうに後退る。


(ふぅん)


 エーヴァルトはそんな二人の様子を眺めながらふぅ、と息を吐く。事は単純なようでいて、案外複雑らしい。困惑しきったグラディアの表情に、エーヴァルトは唇を尖らせた。


「あの……実はわたくし、今日はあなたに紹介したい人がいるのです」


 そう言ってグラディアがエーヴァルトの方へ目配せする。打ち合わせでは、エーヴァルトの出番はもう少し先の筈だった。クリストフの人となりを見定めるためだ。けれど、間が持たないと判断したのだろう。グラディアは頻りに首をしゃくりながら、エーヴァルトへと助けを求めている。


「紹介したい人? 珍しいね。一体どんな……」

「グラディア」


 エーヴァルトは今まさに到着したかのように、庭園の入り口からグラディアを呼んだ。その瞬間、クリストフの瞳が驚愕に見開かれる。グラディアとエーヴァルトを交互に見ながら、ワナワナと唇を震わせる様子を、エーヴァルトは何とも言えない複雑な気持ちで眺めていた。


「紹介するわ。魔術科のエーヴァルトよ。わたくしの恋人なの」

「……どうも」

「こっ……恋人⁉ この男が、グラディアの⁉」


 眉間にクッキリと皺を刻み、クリストフは叫んだ。エーヴァルトがグラディアをそっと抱き寄せる。するとクリストフは、目にも留まらぬ速さで二人を引き剥がし、グラディアへと詰め寄った。


「ダメだよ、グラディア! その男は貴族科でも有名な女たらしだ! グラディア以外に何人も女がいるのに、そんな男を恋人だなんて……」

「しっ……知っています。それでもわたくしは、エーヴァルト様が好きなのです」


 クリストフの目を見ないようにして、グラディアは言う。


(嘘が下っ手くそだなぁ)


 エーヴァルトはため息を吐きつつ、真っ赤に染まったグラディアと、クリストフを見つめた。

 クリストフはエーヴァルトとは真逆のタイプだった。品行方正、一分の隙もなく整えられたヘアスタイルに服装。貴族とはこういう人間だろう、と世間が想像する通りの見た目をしている。短時間で性格までは分からないものの、恐らくは誠実で真面目な人柄なのだろう。だからこそ、グラディアは自分を選んだのだろうとエーヴァルトは思った。


「ですからもう、わたくしのことは忘れてください。どうか、ロジーナを幸せにして」


 グラディアの切実な声が響いた。聴いているこちらの方が、胸が張り裂けそうになる。クリストフは首を大きく横に振り、グラディアの手を握った。


「僕はロジーナではなく、グラディアを幸せにしたいんだ! 忘れるなんて、できるはずがないだろう!」


 クリストフの言葉に、グラディアは今にも泣きだしそうな表情でエーヴァルトを見つめてきた。感情の波に吞まれてしまいそうなのを、必死に堪えているらしい。


(そのまま呑まれてしまえば良いのに)


 そう思いつつ、エーヴァルトはそっと身を乗り出す。


「――――失礼。クリストフ様はロジーナ様との婚約が決まったとお聞きしました。それなのに、俺のグラディアを口説くのは止めていただきたい」


 先程ここで行われた二人の会話を、エーヴァルトは聴いていないことになっている。状況を整理するためにも、エーヴァルトは再度、そう口にした。慇懃な口調はグラディアからのオーダーだ。見た目とのギャップに、クリストフが少しだけたじろいだのが分かった。


「それは……父上が勝手にそう言っているだけだ! 僕はグラディアと結婚するつもりで、ずっと……ずっと…………」

「それは無理なお話ですわ。クリストフとわたくしでは家格が釣り合いませんもの」


 答えるグラディアの声は震えていた。エーヴァルトからは覗えないものの、今にも泣きそうな表情をしているに違いない。何だかなぁ、と思いつつ、エーヴァルトは眉間に皺を寄せた。


「そんな時代錯誤なこと、僕はちっとも気にしないよ。それに、それを言うならこの男、平民だろう? それこそグラディアとは釣り合わないよ」


 クリストフはそう言って、エーヴァルトのことを恨めし気に睨んだ。エーヴァルトはふぅ、とため息を吐きつつ、グラディアを自分の方へ抱き寄せる。グラディアはフルフルと首を横に振りつつ顔を上げた。


「そんなことはございません。エーヴァルト様は魔術科のナンバーワンですもの。将来は必ず爵位を授かる御方ですわ。名ばかりの貴族であるわたくしよりも、エーヴァルト様の方がずっと優れていらっしゃいますもの」


 グラディアの返答に、エーヴァルトはなるほどな、と思った。何故グラディアが自分を選んだのか、エーヴァルトはその理由をずっと考えていたのだ。

 第一に、恋人の振りをする男性は、彼女と同じ貴族が相手では難しい。例え振りでも相手の今後を左右する可能性が高いし、クリストフに対する信憑性が薄い。その点、エーヴァルトは幾人も恋人がいるから、その内の一人だと公言したところで、傷つくのはグラディアの名誉だけだ。クリストフとロジーナの婚約が成立した頃合いを見計らって『別れた』と言えば良いだけなので、事後処理も楽である。

 第二に、エーヴァルトの身分だ。エーヴァルトは今は平民だが、優秀な魔術師だ。この国の王は有能な魔術師たちに爵位を与え、彼等を側近くに置こうとする。国の護りを強固にするため、ひいては魔術師たちによる反乱を防ぐためだ。エーヴァルトにも十分、爵位を狙えるだけの実力があった。グラディアが『そこを見越した』と言えば説得力が少しは増すし、言い訳が立つ。少なくともグラディアは、そう考えたようだ。


「とにかく、わたくしはエーヴァルト様の恋人なのです。クリストフはロジーナと婚約を結んでください」


 グラディアはキッパリとそう言い放った。クリストフは瞳を潤ませ、グラディアへと縋りつく。


「そんな……ダメだよ、グラディア。僕が好きなのはロジーナじゃない。グラディアなんだ。それに、さっきも言ったけど、この男には君以外に何人も恋人がいるんだよ? そんな男がグラディアを幸せにできるわけが――――いや、元より幸せにする気だってない筈だ。君は遊ばれているんだよ」


 グラディアはエーヴァルトを見上げながら、表情を曇らせた。ここで『遊ばれたいんです』とでも言えば、火に油を注ぐようなもの。クリストフはグラディアの目を覚まさせようと、躍起になるだろう。
 けれど、『遊びじゃない』と主張するのもどこか嘘くさい。そもそもが嘘で塗り固められた関係だし、当然なのだが。


「とっ……取り敢えず、今日の所はお引き取りください。こうしてあなたと一緒にいること自体、ロジーナに対して申し訳なく思っているのですから」


 グラディアの言葉にクリストフはたじろいだ。グラディアとロジーナは親友だ。それなのに今、二人の関係がギクシャクしてしまっていることを、当然クリストフは知っている。全て、クリストフがロジーナとの婚約を保留にしているためだ。


「分かったよ」


 クリストフはそう言って、グラディアの頭をそっと撫でた。ビクリと身体を震わせ、グラディアがクリストフを見上げる。クリストフはエーヴァルトのことを憎々し気に睨みつけると、そのままその場を去っていった。



「なぁ、もう良いんじゃねぇの?」


 クリストフが居なくなった後、椅子の背もたれに凭れ掛かる様にして腰掛けつつ、エーヴァルトがそう呟いた。


「良い、とは?」


 グラディアはお茶を淹れ直しながら、そっと首を傾げた。緊張の糸が切れたのだろうか、どこか朗らかな表情だ。


「おまえ、あいつのことが好きなんだろ?」


 ストレートな問い掛け。グラディアの顔が茹蛸の如く真っ赤に染まった。


「なっ……な、な…………っ」

「良いじゃん。あっちもおまえのことが好きなんだし、奪っちまえよ。わざわざ俺と恋人ごっこするより、そっちの方が余程簡単だろ?」

「そんなこと、できませんわ」


 グラディアは眉間に皺を寄せ、首を横に振る。紫色をした瞳が薄っすらと涙で濡れていた。


「幼い頃からずっと、わたくしはクリストフと一緒に居ました。けれど、彼のお父様に選ばれたのはわたくしじゃない――――ロジーナだったのです。その現実をわたくしは重く、受け止めなければなりません。わたくしではダメなのです」


 エーヴァルトは悲痛な面持ちのグラディアをじっと見つめた。

『選ばれなかった』

 その事実はどんな形であれ、人の心を激しく抉る。ずっと側に居たが故に、尚更堪えたのだろう。そうグラディアの表情が物語っていた。


「それにわたくしにとってロジーナは、大事な親友なのです。それなのに、クリストフが彼女との婚約を拒否して、気まずくて……会話すら出来なくなってしまって。
――――わたくしは、彼女と仲直りがしたいと思っているんです」

(いやぁ……そいつは無理じゃねぇかなぁ?)
 

 吐いて出そうになった言葉を、エーヴァルトは必死に呑み込んだ。
 ロジーナがクリストフをどう思っていたか、エーヴァルトは知らない。けれど、グラディアと同じ『選ばれなかった者』の苦しみを、彼女も今まさに味わっているはずだ。クリストフが選んだのはグラディアだった。それは紛れもない事実だからだ。

 男女の痴情の縺れ程、簡単に友情を破壊するものはない。けれど、さすがに今、それを口にすることはあまりにもデリカシーに欠ける。己の領域テリトリーでは何を言っても許されるだけに、エーヴァルトは何とも落ち着かない気分だった。


「……申し訳ございません。エーヴァルト様には今日、一度だけお付き合いいただければ、それで済むものと――――そう思っていたのですが」


 グラディアの表情は浮かなかった。今日の会合は物別れに終わってしまった。グラディアはエーヴァルトが今後の助力を断ることを危惧しているらしい。
 けれどエーヴァルトは、グラディアの頭をポンポンと叩くと、穏やかに微笑んだ。


「別に良いよ。おまえのお茶、美味いし。一緒に居るとぬるま湯に浸かってる感じがして落ち着くし」

「ぬっ……ぬるま湯ですか?」

「そう、ぬるま湯」


 そう言ってエーヴァルトは目を細めて笑った。人懐っこい年相応の幼い笑みだ。グラディアの心臓がトクンと疼いた。


「だけど、本当に良いんだな? あいつを手に入れないで、後悔しない?」


 最終確認とばかりにエーヴァルトが尋ねる。グラディアが頷くと「了解」と口にして、エーヴァルトは笑った。
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