断罪の果てに

華南

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4話

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(イグニスが私の頬に触れて涙を拭っている……)

有り得ない現象にアリシアは己の目を大きく見開いた。
とくんとくんと心臓の音が跳ねる。

(な、何故、イグニスが……。
今までこんな事は無かった!
イグニスが私に触れるなんて、
躊躇いながらも、優しく涙を拭った事など、一度も無かった!)

そう、イグニスがアリシアに関心を持つなんて……。
そしてアリシアは己の耳を疑った。

イグニスがアリシアの涙を見たくない。
アリシアだけがイグニスの婚約者だと。
唯一の妻だと……。

それは一体、どういう意味だろう?

「イグニス様……」

呆然としながらアリシアはイグニスの名を呟いている。
アリシアの呟きにイグニスは弾かれた様に我に返り、そして、顔を歪めた。
自分の不可解な行動にイグニスは驚きを隠せない。

(な、何故、俺はこの女の涙を拭っていたんだ。
今日、初めて会った女の頬に俺は躊躇う事なく触れていた……)

自分の行動が解らない。
何かに導かれた様に自然とアリシアに近付き、指先が頬に触れ涙を拭っていた。
何故、そんな行動に及んだのか。
急に泣き出すアリシアに心が囚われて、そして……。

そこからは意識が無かった。
譫語の様にアリシアに言葉を告げて。

ふっと思い浮かぶ言葉にイグニスは、かぶりを振る。

(な、何を俺はあの女に告げていた?
一体、何を……)

じわり、と額から汗が流れる。
無意識の行動が恐ろしいとイグニスは顔を青褪める。

(この女に俺が動揺している事を、気付かれては、ないか……)

冷静を取り戻し思い出すは幼き日の、あの悲劇。
最愛の母親が無惨な最期を遂げ、涙に暮れる日々を過ごす内に心に灯った復讐の炎。
復讐を誓ったあの日から、ずっとイグニスの心は閉ざされていた。
誰にも心を許してはいけない。
少しでも気を許せば足元を掬われる。
命が危ぶまれる。
常日頃、神経が研ぎ澄まされているイグニスに、平穏と言う言葉など存在しない。
そう、誰かを愛おしく思う心情を抱く事は決して、無い。
アリシアの涙に心が揺さぶられる事など、決して。

「……」

「イグニス様」

険しい表情でイグニスがアリシアに言葉を放つ。

「……、其方、名は何と言う」

急にイグニスに名を問われたアリシアは躊躇いながらも優雅にカーテシーをし、名を告げる。

「イグニス様、ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。
アリシア・へスペロスと申します」

「……」

急なイグニスの問いにアリシアは心の中で焦っていた。

(な、何があったの?イグニスに。
今まで私の名を尋ねる事なんて、無かったのに。
今回の巻き戻しの人生、何かがおかしい……)

イグニスがアリシアの涙を拭う事も、そして、アリシアの涙を見たくないと発言した事も。
何かが軋み始めている。
アリシアも、イグニスも、今回の人生で、何かが狂い始めている。

(何か、大切な事を忘れている?
私も、そして、イグニスも……)

もしかして、今回の人生でイグニスと歪み合う事も、憎まれる事もなく、イグニスと……。

思い浮かんだ言葉にアリシアはかぶりを振る。

(……、何を馬鹿な事を思い浮かべるの?
何度も何度も試みても、イグニスに断罪され最後は自ら命を落とした。
私の言葉には一切、耳を傾ける事なく、拒絶されて……。
マルティナに心を奪われるイグニスに私が入る隙など、決して無い)

自傷気味に笑ってしまう。
期待する事が愚かだと、幾度目の人生で学んだ事ではないか……。
イグニスの心に寄り添う人生を思い浮かべ努力しても実る事もなく、呆気なく人生を閉じて。
無惨な死に様に、既にイグニスとの間に何かを望む事等、無い。
そう思っているのに……。

(なのに心の中に広がるイグニスの譫語が、私に何かを訴えている……)

何を忘れているの?
私の、死の真相に何かが潜んでいるのって言うのかしら。

イグニス……。

(私は、貴方の事を何も知らない……。
これからも知る事もなく、私達は。
それでは何も始まらない。
交わりの無い人生を望むとしても、婚約が結ばれた時点で、イグニスとの関わりを断ち切る事は出来ない、今は……)

だから、そのきっかけを作ればいい。
それには……。

「……、イグニス様。
少しお庭を散策しませんか?
私、イグニス様とお話がしたくて」

「……」

にっこりと微笑みながらアリシアがイグニスに言う。

アリシアの微笑みにイグニスは訝しげに見詰めながらも、頷く。

(イグニスとの関係を断ち切るにしても今はまだ、その段階では無いわ。
その時期が必ず巡ってくる、だから今は)

イグニスの動向を探ればいい、気付かれない様に。

(惨めったらしい死に様なんて、もう懲り懲り。
私は絶対に自分の運命に勝ってみせる……)

私が私らしく生きる人生を今度こそは絶対に手に入れる……。

ふっと口角が上がる。
無意識に笑っている事に気付いたアリシアはそっと口元に手を添え、イグニスに庭を案内し始めた。
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