『婚約もしていないのに婚約破棄ですか? 〜岩塩で殴れば目が覚めます?〜』

しおしお

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第十六話 現実

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第十六話 現実

 補填は続いていた。

 王都の暮らしは穏やかだ。市場は賑わい、兵は規律を保ち、冬支度も滞りない。塩はある。それだけで、人は安心する。

 だが、安心は帳簿を軽くはしない。

 

「今月分でございます」

 財務官が差し出した書類は、いつもより厚かった。

 王太子は黙って目を通す。

 前月を上回る額。

 その前も。

 そして今月も。

 

「なぜだ」

 低い声。

「消費が想定より増えております」

「増えている?」

「はい。商人が備蓄を増やしております。地方の領主も、不安を避けるために買い増しを」

 塩は安定した。

 だが、人の心は揺れたままだ。

 “止まった”という事実は、記憶として残る。

 だから皆、余分に抱える。

 

 王太子はゆっくりと椅子にもたれる。

 十倍契約は王家負担。

 量が増えれば、その分だけ膨らむ。

 

「想定を超えております」

 財務官は言いにくそうに続けた。

「このままでは、年内に王家の私的蓄えは底をつきます」

 

 沈黙。

 

「国家資金の立て替えは」

「既に増えております」

「どの程度だ」

「……軍の装備更新を一部延期いたしました」

 

 王太子の眉がわずかに動く。

「他は」

「街道整備の一部停止。宮廷の祭礼も簡素化しております」

 民は気づかない。

 だが、削られている。

 

「民価格は維持されております」

 財務官は言う。

「そこは揺らいでおりません」

「ならばよい」

 即答。

 だが声に、以前ほどの強さはない。

 

 その夜、王太子は塩壺を手に取った。

 白い粉。

 さらさらと流れる。

 これが、どれほどの重さを持つか。

 

「私は守ると決めた」

 自分に言い聞かせるように。

 

 だが現実は、想いだけでは動かない。

 

 翌日、貴族会議。

「国債の発行を検討すべきかと」

 ざわめきが走る。

 王太子は静かに聞く。

「一時的措置でございます」

「信用を保つための措置でもございます」

 

 王太子は目を閉じる。

 ここまで来たのか。

 

「王家の資産をさらに処分いたします」

「殿下、それでは――」

「民を守ると誓った」

 視線が集まる。

「誓いは守る」

 

 北方、ハライト公国。

 ヴィエリチカは報告書に目を落とす。

「王都の備蓄増加」

「はい」

「赤字は拡大傾向」

 

 彼女は微笑む。

 柔らかい笑み。

「それでも契約は守られているのですね」

「はい」

「では、問題はございません」

 

 側近が控えめに問う。

「猶予の申し出は」

「まだ」

 ヴィエリチカは窓の外を見る。

 灰色の山。

 岩は急がない。

 ただ削られる。

 

「現実は、ゆっくりと削るものですわ」

 誰にともなく呟く。

 

 王城では、赤い線が増え続ける。

 想定を超えた現実。

 それは敵意ではない。

 契約通りの帰結。

 

 王太子は背筋を伸ばす。

 だが胸の奥に、初めて重い影が落ちる。

 守ると決めた。

 だが、その重さは想像よりも深かった。
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