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第3話 静かな帰還
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第3話 静かな帰還
ヴァルディア公爵邸の朝は、いつもと変わらず静かだった。
王都でも屈指の規模を誇る屋敷だが、騒がしさとは無縁である。
広い中庭には春の光が差し込み、整えられた花壇の花が穏やかな風に揺れていた。
まるで昨夜、王都を騒がせた騒動など存在しなかったかのように。
アルシェラ・ヴァルディアは窓際に立ち、庭を眺めていた。
卒業舞踏会から一夜。
王太子アドリアンによる婚約破棄。
そして義妹ノエリアとの新しい婚約宣言。
王都中がその話題で持ちきりになっているはずだった。
だがこの屋敷の中は、驚くほど静かだった。
コンコン。
軽いノックが響く。
「お嬢様」
扉の外から執事グラントの声がした。
「お入りなさい」
扉が静かに開く。
年配の執事は、いつもの落ち着いた表情で部屋へ入ってきた。
長年ヴァルディア家に仕えてきた人物であり、アルシェラが幼い頃から知る顔でもある。
彼は恭しく一礼した。
「昨夜の件につきまして、状況を報告いたします」
アルシェラは椅子に腰を下ろした。
「王都の噂ですね」
「はい」
グラントは淡々と続ける。
「現在、社交界ではノエリア様が被害者として語られております」
「やはり」
アルシェラは小さく頷いた。
予想通りだった。
ノエリアは、可憐で弱々しい姿を見せるのが上手い。
涙を浮かべれば、多くの人が彼女を守ろうとする。
それは昔から変わらない。
グラントは続ける。
「王太子殿下は、アルシェラ様が長年ノエリア様を虐げていたと公言されたようです」
「そうですか」
アルシェラは紅茶を一口飲む。
穏やかな動作だった。
怒りも悲しみも見えない。
グラントは一瞬だけ言葉を止めた。
そして慎重に尋ねる。
「反論はなさらないのですか」
アルシェラは少し考えた。
「必要ありません」
静かな答え。
グラントは眉をひそめる。
「ですが、噂が広がれば」
「いずれ分かります」
アルシェラは穏やかに言った。
「人は、ずっと嘘を信じ続けることはできません」
それはどこか確信に満ちた声だった。
グラントはゆっくりと頭を下げた。
「承知いたしました」
そして少し間を置いてから、もう一つの報告を続ける。
「ヴァルディア公爵様より伝言が届いております」
アルシェラは顔を上げた。
父であるヴァルディア公爵は現在、領地に滞在している。
王都にはいない。
それは偶然ではない。
「何と?」
グラントは落ち着いた声で言った。
「“すべて予定通りである”とのことです」
アルシェラの唇がわずかに緩んだ。
「そう」
それだけだった。
グラントは続ける。
「王宮からはまだ正式な連絡は来ておりません」
「来るでしょうね」
婚約破棄は、貴族同士の問題ではない。
王家と公爵家の問題だ。
いずれ正式な手続きが必要になる。
だがアルシェラの表情に焦りはなかった。
グラントはさらに言う。
「王都では、いくつかの貴族家がすでに様子見に入っております」
「様子見?」
「はい。ヴァルディア家との関係をどうするか、判断を保留しているようです」
それは当然だった。
王太子の側につくか。
公爵家との関係を保つか。
多くの貴族が計算している。
アルシェラは窓の外を見た。
「無理もありません」
王家と公爵家。
どちらにつくかは、簡単な問題ではない。
グラントは静かに言う。
「ですが、いくつかの家はすでに公爵家側に残る姿勢を示しております」
アルシェラは微笑んだ。
「ありがたいことですね」
彼女はゆっくり立ち上がる。
ドレスの裾が静かに揺れる。
「グラント」
「はい」
「準備をお願いします」
執事は一瞬だけ目を細めた。
「王都を離れられるのですね」
アルシェラは頷く。
「ええ」
王太子の婚約者でなくなった以上、王都に残る理由はない。
むしろ、残れば余計な視線を集めるだけだ。
「向かう先は」
グラントが尋ねる。
アルシェラは答える。
「アルグレイス公爵領」
その名前に、グラントの眉がわずかに動いた。
アルグレイス公爵。
辺境を治める有力貴族。
そして――
冷徹と噂される男。
グラントは慎重に言う。
「ヴァレリオン・アルグレイス公爵ですか」
アルシェラは頷いた。
「母の縁があります」
それだけだった。
グラントは深く一礼する。
「馬車の準備をいたします」
彼は部屋を出ていった。
アルシェラは一人、窓の前に立つ。
王都の空は今日も穏やかだった。
だが、その穏やかな空の下で。
王太子アドリアンとノエリアは、これから王宮の中心に立とうとしている。
そして彼女は、そこから離れる。
「これでいい」
アルシェラは小さく呟いた。
王太子の婚約者としての人生は終わった。
だが――
それは終わりではない。
新しい道の始まりだった。
ヴァルディア公爵邸の朝は、いつもと変わらず静かだった。
王都でも屈指の規模を誇る屋敷だが、騒がしさとは無縁である。
広い中庭には春の光が差し込み、整えられた花壇の花が穏やかな風に揺れていた。
まるで昨夜、王都を騒がせた騒動など存在しなかったかのように。
アルシェラ・ヴァルディアは窓際に立ち、庭を眺めていた。
卒業舞踏会から一夜。
王太子アドリアンによる婚約破棄。
そして義妹ノエリアとの新しい婚約宣言。
王都中がその話題で持ちきりになっているはずだった。
だがこの屋敷の中は、驚くほど静かだった。
コンコン。
軽いノックが響く。
「お嬢様」
扉の外から執事グラントの声がした。
「お入りなさい」
扉が静かに開く。
年配の執事は、いつもの落ち着いた表情で部屋へ入ってきた。
長年ヴァルディア家に仕えてきた人物であり、アルシェラが幼い頃から知る顔でもある。
彼は恭しく一礼した。
「昨夜の件につきまして、状況を報告いたします」
アルシェラは椅子に腰を下ろした。
「王都の噂ですね」
「はい」
グラントは淡々と続ける。
「現在、社交界ではノエリア様が被害者として語られております」
「やはり」
アルシェラは小さく頷いた。
予想通りだった。
ノエリアは、可憐で弱々しい姿を見せるのが上手い。
涙を浮かべれば、多くの人が彼女を守ろうとする。
それは昔から変わらない。
グラントは続ける。
「王太子殿下は、アルシェラ様が長年ノエリア様を虐げていたと公言されたようです」
「そうですか」
アルシェラは紅茶を一口飲む。
穏やかな動作だった。
怒りも悲しみも見えない。
グラントは一瞬だけ言葉を止めた。
そして慎重に尋ねる。
「反論はなさらないのですか」
アルシェラは少し考えた。
「必要ありません」
静かな答え。
グラントは眉をひそめる。
「ですが、噂が広がれば」
「いずれ分かります」
アルシェラは穏やかに言った。
「人は、ずっと嘘を信じ続けることはできません」
それはどこか確信に満ちた声だった。
グラントはゆっくりと頭を下げた。
「承知いたしました」
そして少し間を置いてから、もう一つの報告を続ける。
「ヴァルディア公爵様より伝言が届いております」
アルシェラは顔を上げた。
父であるヴァルディア公爵は現在、領地に滞在している。
王都にはいない。
それは偶然ではない。
「何と?」
グラントは落ち着いた声で言った。
「“すべて予定通りである”とのことです」
アルシェラの唇がわずかに緩んだ。
「そう」
それだけだった。
グラントは続ける。
「王宮からはまだ正式な連絡は来ておりません」
「来るでしょうね」
婚約破棄は、貴族同士の問題ではない。
王家と公爵家の問題だ。
いずれ正式な手続きが必要になる。
だがアルシェラの表情に焦りはなかった。
グラントはさらに言う。
「王都では、いくつかの貴族家がすでに様子見に入っております」
「様子見?」
「はい。ヴァルディア家との関係をどうするか、判断を保留しているようです」
それは当然だった。
王太子の側につくか。
公爵家との関係を保つか。
多くの貴族が計算している。
アルシェラは窓の外を見た。
「無理もありません」
王家と公爵家。
どちらにつくかは、簡単な問題ではない。
グラントは静かに言う。
「ですが、いくつかの家はすでに公爵家側に残る姿勢を示しております」
アルシェラは微笑んだ。
「ありがたいことですね」
彼女はゆっくり立ち上がる。
ドレスの裾が静かに揺れる。
「グラント」
「はい」
「準備をお願いします」
執事は一瞬だけ目を細めた。
「王都を離れられるのですね」
アルシェラは頷く。
「ええ」
王太子の婚約者でなくなった以上、王都に残る理由はない。
むしろ、残れば余計な視線を集めるだけだ。
「向かう先は」
グラントが尋ねる。
アルシェラは答える。
「アルグレイス公爵領」
その名前に、グラントの眉がわずかに動いた。
アルグレイス公爵。
辺境を治める有力貴族。
そして――
冷徹と噂される男。
グラントは慎重に言う。
「ヴァレリオン・アルグレイス公爵ですか」
アルシェラは頷いた。
「母の縁があります」
それだけだった。
グラントは深く一礼する。
「馬車の準備をいたします」
彼は部屋を出ていった。
アルシェラは一人、窓の前に立つ。
王都の空は今日も穏やかだった。
だが、その穏やかな空の下で。
王太子アドリアンとノエリアは、これから王宮の中心に立とうとしている。
そして彼女は、そこから離れる。
「これでいい」
アルシェラは小さく呟いた。
王太子の婚約者としての人生は終わった。
だが――
それは終わりではない。
新しい道の始まりだった。
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