婚約破棄ですか?結構ですわ。ですが違約金は国家予算になります

しおしお

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第12話 広がる噂

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第12話 広がる噂

アルグレイス公爵城の朝は早い。

まだ陽が低い時間から、城はすでに動き始めている。

兵士は訓練場に集まり、馬丁は厩舎で働き、厨房では朝食の準備が進む。

その忙しい気配を、アルシェラ・ヴァルディアは窓から静かに見ていた。

王都とはまったく違う光景だった。

王宮では、朝はもっとゆっくり始まる。

貴族たちは昼近くまで起きてこない。

だがこの城では違う。

ここでは「役割」が優先される。

それがアルシェラには少し新鮮だった。

その時、扉が軽く叩かれた。

「失礼いたします」

執事が入ってくる。

アルグレイス城の執事、オルドンだった。

年配の男で、無駄のない動きをする人物だ。

「アルシェラ様」

「はい」

「朝食の準備が整いました」

アルシェラは微笑む。

「ありがとうございます」

彼女は席に着く。

この城では、客人も主人と同じ食堂を使う。

豪華ではない。

だが料理はしっかりしている。

パン、スープ、卵料理。

質実剛健な食事だった。

しばらくすると、ヴァレリオン・アルグレイスが入ってくる。

黒い外套を肩にかけたままの姿。

どうやらすでに仕事を終えてきたらしい。

彼は椅子に座り、短く言った。

「おはよう」

「おはようございます、公爵様」

二人は向かい合う。

食事が始まる。

少しの沈黙。

この城では、沈黙は不自然ではない。

ヴァレリオンはパンを切りながら言った。

「王都から知らせが来た」

アルシェラは顔を上げる。

「知らせ、ですか」

「噂だ」

ヴァレリオンは淡々と言う。

「君がここにいることが、王都で話題になっている」

アルシェラは少し驚いた。

「もうですか?」

「王宮の書記官は口が軽い」

ヴァレリオンは簡潔に答える。

それは事実だった。

王宮の情報は、すぐに社交界へ流れる。

アルシェラは少し苦笑する。

「困りましたね」

ヴァレリオンは彼女を見る。

「困るのか」

「少し」

アルシェラは正直に言う。

「また噂が増えそうです」

「どんな」

アルシェラは少し考える。

そして言った。

「例えば」

「冷酷令嬢が北方の公爵を誘惑した、とか」

ヴァレリオンは一瞬だけ目を細めた。

「面白い想像だ」

アルシェラは肩をすくめる。

「社交界ではよくある話です」

それは冗談のように聞こえる。

だが半分は本気だった。

王都の貴族は、理由のない噂を作る。

それが社交界だ。

ヴァレリオンはスープを飲みながら言う。

「気にする必要はない」

「ここでは誰も噂を信じない」

アルシェラは小さく微笑む。

「そうですね」

そして少しだけ視線を下げる。

「ですが……」

ヴァレリオンは顔を上げる。

アルシェラは言った。

「王太子殿下は、気にするかもしれません」

その言葉に、ヴァレリオンは少し黙る。

確かにそうだ。

王太子アドリアンは、噂に弱い男だ。

アルシェラは続ける。

「自分が捨てた婚約者が、別の公爵城にいる」

「それはあまり面白くないでしょう」

ヴァレリオンは短く言った。

「自業自得だ」

アルシェラは少し笑う。

「そうかもしれません」

その時、執事オルドンが静かに近づいてきた。

「公爵様」

「何だ」

「王都から正式な書簡が届いております」

ヴァレリオンは受け取る。

封蝋には王家の紋章。

彼は封を切る。

短い沈黙。

そして書簡を読み終えると、ヴァレリオンは小さく息をついた。

アルシェラが尋ねる。

「王宮ですか?」

「そうだ」

ヴァレリオンは言う。

「王太子からだ」

アルシェラは少し驚く。

「……早いですね」

ヴァレリオンは書簡をテーブルに置く。

「内容は簡単だ」

「アルシェラ・ヴァルディアを保護している理由を説明しろ」

アルシェラは一瞬言葉を失った。

それは命令に近い文章だった。

ヴァレリオンは少しだけ笑う。

「面白い」

アルシェラは言う。

「なんとお答えになりますか」

ヴァレリオンはパンを一口食べてから答えた。

「簡単だ」

彼は言う。

「客人だから迎えただけだ」

それは嘘ではない。

だが真実でもない。

アルシェラは少し考える。

「それで納得するでしょうか」

ヴァレリオンは首を振る。

「しない」

「だが関係ない」

その声は静かだった。

だが確固としている。

アルシェラは彼を見る。

ヴァレリオンは続けた。

「ここはアルグレイス領だ」

「王宮ではない」

その言葉には、明確な意味があった。

王太子でも、この領地には簡単に口を出せない。

アルシェラは小さく息をつく。

「……なるほど」

そして少しだけ微笑む。

「どうやら私は、思ったより安全な場所に来たようですね」

ヴァレリオンは短く答える。

「その通りだ」

だが彼の視線は少しだけ真剣だった。

王太子が動き始めた。

それはつまり――

王都の騒ぎが、ここにも届き始めたということだった。
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