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『ユアン・バレンシアの衝撃・後編』

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 屋敷に入ると、そこにはオロオロした様子のアーサーとグレースが居た。

「よぉ」

 アーサーと会うのは、エリザベスの子供を寄越せと言って迫った以来だ。あの時の憎しみに満ちたアーサーの目は、ユアンの胸に深く深く突き刺さっている。

 それを悟られないようにユアンがアーサーに声をかけると、アーサーはふとこちらを見て、何故か泣きそうな顔をして駆け寄ってきてユアンを強く抱きしめてくる。

 この予想外すぎる展開にユアンが呆気に取られていると、アーサーは早口である一室を指さして言う。

「ユアン! 記憶が戻ったそうだな! それは良かった! 今の君にならエルシーの奇行を止められるかもしれない!」
「はあ? あんた、俺の事恨んでないのかよ?」
「恨む? ああ、リズの事か? 恨むなんてとんでもない! むしろ感謝しているよ。君が記憶を失ってから実に様々な事があったんだ。そこのハリーがグレースに手を貸していた事も、そのハリーと君が手を組んでいた事も、リズを君が守ろうとしてくれていた事も全てね。その御礼を言えぬまま君の記憶は無くなっていて、エルシーはエルシーでずっと君の記憶が戻るのを待っているし……本当に良かった! 君の記憶が戻って。エルシー、ほら、ユアンが来たよ!」

 そう言ってアーサーはユアンの言葉も待たずに部屋の中に声をかけた。

「ちょ、ちょっと待てよ! なんでエルシーが俺の記憶の心配――うぉ!」
「もうひとりのぱぱだ!」
「……おま……あの時の幽霊か!?」

 足に軽い衝撃があってふと足元を見下ろすと、そこにはどこかで見たような少女がこちらを見上げて笑っている。そう、AMINASだ。

 そんなユアンの台詞にエルシーは少しだけ考えて話し出した。

「幽霊、それは死んだ者が成仏出来ずに現世に姿を現すこと。もしくは死者の霊。誰しもに見える訳ではないので、その存在は概念と言えよう」
「怖いわ! ああ、でもやっぱあの時のだな」

 確かにノアとキリの言う通り、まだ三歳やそこらの子どもが突然こんな事を言い出すなんて、それはもう恐怖でしかない。

 流石に引きつって一歩後ろに下がったユアンの足を、エルシーはそれでも離さない。

「なんかね、エルシーってばずっとパパの事待ってたみたいなんだ」

 そんなエルシーを抱き上げたアリスが言うと、それを聞いてユアンは首を傾げた。その間にもキリがいそいそとユアンの背中におんぶ紐を縛り付けている。

「なんでだよ?」
「分かんない。目とかが使えなくて困ってたら助けてくれたって。意味わかる?」
「ああ、あの時の事か。こいつが地下通路で迷子になってた時、俺がノアの所にこいつを連れてってやっただろ? 多分、その時の事言ってんだろ――って、何やってんだよ!?」
「おんぶ紐をつけているのです。面倒見の良いあなたはシェリーとエルシーをいつもこうやって連れて歩いていましたから。エルシーがあなたを待っていたのも、そろそろお散歩の時間だったからです」
「はあ!? どいつもこいつも、俺の事何だと思って……ああ、いや、どうせ俺が進んでやってたんだろ? はぁ……それじゃあちょっと行ってくる……」

 ハリーに言われた通り、きっとエルシーの事も記憶の無いユアンが率先して面倒を見ていたのだろう。もしかしたらユアンには自分でも気づかぬうちに心の奥底に子供の面倒を見たいという欲でもあったのかもしれない。

 そんな事を考えながらハリーを従えてトボトボと屋敷を出たユアンの背中に、アリスの声が聞こえてくる。

「あ、ちょ、パパ!」

 ユアンはちょっとしたキリの冗談を真に受けてお腹にシェリーを、背中にエルシーを貼り付けて屋敷を出て行ってしまった。

 けれど、止めようとした所を強くノアに掴まれてしまう。

「兄さま?」
「いいんだよ、アリス。記憶が戻ったユアンは、多分アーロの家から去ろうとする。それを引き止めてくれるのは子どもたちしかいない。そう思わない?」
「そっか……そうだよね! よ~し、パパは今からメイリングに行くって言ってたから、帰ってきたら皆もパパ引き止め大作戦手伝ってね!」

 アリスが言うと、ノエル達はコクリと頷いた。そんな中、レオがキリを見上げて言う。

「パパさんをこの領地に留めるために多少の嘘は許されますか?」
「ええ。先程俺がしたように、うまく誘導してください。ノエルもレックスもそれが出来るでしょう。アミナスが余計な事を言いそうな時はカイ、すぐに口封じをするように」
「わかりました」

 カイが頭を下げたその時、突然肩がずしりと重くなった。誰かがカイの肩に手を置いたのだ。誰だと思って顔を上げると、そこにはニヤニヤ笑うリアンが居る。

「へぇ、何か面白そうな事になってるじゃん」
「リー君! もしかして誰かから連絡いった? ライラは?」
「うん、ディノからね。どうせあんたはこれをお祝いっていう言い訳にしてバーベキューするだろうから、ってさ。ライラは出版関連の仕事終わらせたら来るって」

 言いながらリアンは先程ディノから一斉に送られてきたメッセージをアリスに見せた。

 それを見たアリスはポンと手を打って、キラキラした顔をしてノアを見上げる。

「兄さま、良い?」
「構わないよ。それじゃあ僕たちもお義父さんお帰りなさいパーティの準備しよっか」

 いち早くやってきたリアンに続いて、きっと他の仲間たちもゾロゾロとやってくるだろう。実際の所、皆ユアンの記憶が戻るのを待っていたのだ。

 そう、誰よりも勇敢でその身を犠牲にして世界を救おうとした、もう一人の英雄が戻ってくる事を。
 


 一方、お腹と背中に子どもたちを抱いていたユアンは流石にハリーにエルシーを預けて、アーロから預けられていたという妖精手帳を使ってまずはメイリングの広場に向かった。

 メイリングに辿り着くと、広場は休日でも無いのに人々でごった返していて、そこら中に露天が出ている。

「今日は何かの祭りか?」

 思わずユアンが言うとハリーは首を横に振った。

「じゃあなんでこんな賑わって――」
「父さんと叔父さんが色々な政策を実行したからですよ」
「!? だ、誰だお前」

 突然の背後から聞こえてきた声にユアンが思わず振り返ると、そこには見たこともない青年が立っている。

「誰とは失礼な。私です、カールですよ」
「カール……随分若返ったんだな……」
「ええ、まぁ」

 ユアンの声にカールは苦笑いを浮かべてシェリーとエルシーの頭を撫でた。

「ソラからの加護で、あの時最前線で戦った者たちの時が正しく戻ったのです。私もようやく父さんよりも年下に戻ることが出来ました」
「そうか! 良かったじゃねぇか。これで安心してレヴェナと……そういやあいつ、どうしてんだ? 無事なんだよな?」

 レヴェナと言えば、それこそユアンが地下に引っ込んだ時からほとんどの時間を共に行動していた仲間だ。

「もちろんです。ほら、来ましたよ」
「え?」

 カールに言われて振り返ると、そこには大きなお腹を重そうに抱えたレヴェナが駆け足でこっちにやってくるのが見えた。その後ろから焦ったような顔でメイド達が追いかけてくる。

「レヴェナ! そんな体で走るものではありませんよ!」

 思わずカールが声をかけると、レヴェナはハッとして苦笑いを浮かべて、今度はゆっくりと歩き出す。

「お前ら、もしかして」
「ええ、一昨年結婚しました。レヴェナのお腹に居るのは次の王子か姫です」
「! そうか! レヴェナ! やったじゃねぇか!」

 レヴェナがずっと幼い頃からカールを慕っていたのを知っているユアンが思わずレヴェナに声かけると、レヴェナは嬉しそうに満面の笑顔を浮かべて親指を立ててきた。そんなレヴェナを見てユアンは愕然として言う。

「まさかとは思うが、レヴェナはアリスと何か絡みあんのか?」
「絡みどころか、今は愛溢れる星の会の役員ですよ」
「名前からしてもうヤバい匂いしかしねぇんだが、まぁいい。とにかくめでたいな。それでアンソニー達はどうした?」
「父さんは執務室ですが、もうじき出かける予定です。会うのなら早く行った方がいいかと」
「ああ、分かった。ありがとな。それから、末永く幸せに」
「ええ、あなたも」

 カールはそう言ってすっかり記憶が戻っているユアンを見送り、レヴェナと頷きあうとすぐさま仲間たちに一斉にメッセージを送った。

「楽しみだわ! 愛溢れる星の会の腕の見せどころね!」
「本当ですね。ですがレヴェナ、どうか走らないでください。そしてはしゃがないでください。どこか出かける時は必ず誰かをつけてそれから――」
「分かってるわ! どこかに出かける時にはあなたについてきてもらう! それでいい?」

 あまりにも心配性なカールにレヴェナが言うと、カールは満足気に頷いてレヴェナの手を取り、ついてきたメイド達に事情を話して妖精手帳を使って移動した。

 
「それにしてもあのメイリングとは思えないほどの発展ぶりだな」

 ユアンは広場を抜けて城下町を歩きながら言った。

 以前の城下町はほとんどの店が閉店していて、通路には物乞いがズラリと座っていたかと思うと、そんな物乞いたちを存在しないとでも言いたげに豪華な衣装を着た貴族たちがオピリア片手に闊歩していたものだが、今はどうだ。

「あれたべたい! おいしいにおいしてる!」
「ああ? どれだよ」
「あれ!」
「はぁ、もう仕方ねぇな。ハリー、金持ってるか?」

 ユアンが尋ねると、ハリーはハッとしてユアンを見下ろしてきた。

「なんだよ?」
「いや、金とかもういらないんだよ」
「……は?」
「あの水晶でさ、食材に困らなくなって世界はガラリと変わったんだ。特にメイリングはそれを一番に始めて大成功した国でもあるんだよね」
「どういう事だ?」
「それは――」
「ここに居たのね。カールから聞いたわ! シェリーもエルシーも来ていたの」
「ん? 今度は誰だ?」

 怪訝な顔をしたユアンに突然声をかけてきたのは見知らぬ女性だ。思わず首を傾げたユアンとは違い、何故かハリーは親しげに話し出す。

「ヤエ! あれ? アンソニーと執務室に居るって聞いたけど」
「ええ。あの人もすぐ来ると思うけど、どうしても先にユアンにお礼を言いたくて。初めまして、ユアン・バレンシア。私は八重子・メイリング。あなたがアンソニー達をずっと支えてくれていた事を皆からよく聞いているわ。あなたが居なければ私は、あの人達は、この星はきっと無くなっていた。どれほど感謝してもしきれない……本当に、ありがとう」

 八重子はそう言ってユアンに深々と頭を下げた。そんな八重子を見てユアンはようやく納得したように頷いた。

「あんたが八重子か。別に俺は何もしちゃいない。あいつらの飯の準備してたぐらいだよ」

 ユアンが苦笑いしながら言うと、八重子はズイっと怖い顔をしてユアンを覗き込んでくる。

「それが一番重要ばい! あん人達、夢中になったら食事なんてすぐに忘れてしまうんやけん! あん人たちが今も元気にしとっとは、全部おうちんおかげやわ。ありがとう」
「お、おう。アンソニーがよく言ってた国の言葉ってやつか。でもあんたもよく決断したな。恨んでる訳でもないのに家族を残してくるのは……辛かったよな」

 アーロを庇った時に脳裏を過ぎったのはアリスと孫たちの顔だった。「絶対に泣くだろうな」「ずっと引きずるんだろうな」そんな事を、徐々に消えていく体を見ながら考えていた。こんな事になるなら、正体がアリス達にバレなければ良かったのに、と。

 視線を伏せたユアンを見て、八重子は微笑んでユアンの肩を叩いた。

「大丈夫。妖精王ん計らいで、一年に一度、うち達揃うてあちらに行くる事になっとーと。今でも年に一度あちらに皆で行って、二泊して戻ってくるんばい。おうちが守った世界は、ほんなこて素晴らしか世界になったとよ」
「そっか……そうか。はは、心配してたんだ。こっちに戻ってきても心ん中にしこり残したままじゃ、一生幸せになんてなれないんじゃないかって。あんたも、あいつらも」

 八重子の言葉を聞いてユアンが安心したように微笑むと、それを聞いて突然八重子がユアンに抱きついてきた。

「ほんなこて良か人ね! こん人が悪役ばしとったやなんて信じられん! こがん人にこそ加護があるべきばい! そう思わん!?」
「こらこらヤエ、ユアンが窒息死してしまうよ」
「アンソニー!」

 ようやくやってきたアンソニーの声に八重子は慌ててユアンを放して乱れた服装を整えてやると、そんな八重子を見てアンソニーもハリーも苦笑いを浮かべる。

「やぁ、ユアン。記憶が無事に戻ったそうだね」
「ああ。迷惑かけたな」
「迷惑なんて何も。むしろ君は今からカールとレヴェナの子を楽しみしていたよ。会う度にレヴェナのお腹に話しかけたりしてね」

 記憶を失くした子どもユアンはそれはもう愛らしく、バセット領のみならずどこへ行っても皆に愛されていた。

「悪かったな、戻っちまって。案外記憶戻らない方が良かったかもな」

 別に嫌味ではないが、あまりにも自分のキャラとかけ離れすぎていて思わずそんな事を言ったユアンにアンソニーとハリーと八重子は顔を見合わせて笑う。

「それは違う。君の人となりを皆は知っていたから君は愛されていたんだよ。確かに記憶の無い君も可愛かったけれど、僕たちが待っていたのは今の君だ。それに、何かの拍子に可愛かった頃の事もうっかり思い出すんじゃないかと僕は思っているよ」
「そうだよ、あんたはどんだけ憎まれ口叩いても、性根が真っ直ぐだからそんな事言って今更憎まれようとしたって無駄無駄。まぁ、思い出したら地獄だろうけどね。恥ずかしくて」
「ハリー、どうしてそんな意地悪言うの。大丈夫よ、ユアン。思い出しても少し恥ずかしいぐらいよ!」
「どっちにしても恥ずかしいんじゃねぇか! まぁでもお前らの元気な顔が見られて安心した。悪かったな、執務中に」
「いや、それは構わないけど、今からどこへ行くんだい?」
「一応、レヴィウスの連中にも謝っとかないとな。あそこに戦争の火種持ち込んだのは俺だし」
「それは作戦だったんだから仕方ないじゃないか。まぁでもラルフ王達もきっと君の記憶が戻った事を知ったら喜ぶんじゃないかな。何よりもラルフ王の所の長男も次男も君に凄く懐いているし」
「……また子どもか……」
「ははは! 帰る頃には君の後ろに子どもたちの長蛇の列が出来ているんじゃないか?」
「え、縁起でもない事言うのは止めろ! じゃあな! 行くぞ、ハリー」
「はいはい。それじゃ、また」
「ああ、また」
「ええ、また後で」

 八重子はそこまで言ってハッとして口を噤んでユアンを見下ろしたが、どうやらユアンには聞こえていなかったようでホッと胸を撫で下ろした。

 二人は手を繋いで妖精手帳を使って消えたユアン達を見送ると、互いに頷き合ってすぐさまラルフ達にメッセージを送り、城に戻ってバセット領に向かう準備を始めた。
 

「ここも大分様変わりしたんだな」
「そりゃもう、あの戦争からもう五年だもん。っと、シェリーのおむつそろそろかも」

 レヴィウスに到着したハリーがシェリーのおむつを覗きこんで言うと、それを聞いたユアンがキョロキョロと辺りを見渡しだした。

「何探してんの?」
「なにって、どっか替えられる場所だよ。とは言ってもこんな街中でそんなとこねぇよな」
「あるよ。ほら、あれ」

 ハリーが指さした先には、黄色の屋根をしたこぢんまりとした小さな家のようなものが立っている。

「あれ? 普通の民家だろ?」
「ううん。あれはママさん会が作ったベビールームなんだ」
「ベビールーム?」
「そう。観光地とか人口の多い所には等間隔であの施設が並んでるんだよ。あそこは転移妖精が管理しててね、旅行とかに行く前に近所のベビールームに荷物を置いてチケットを受け取っておくと、今までみたいに大きな荷物を持ち運ばなくても行った先でチケット見せたら最寄りのベビールームに置いておいたおむつとかミルクを任意の数だけ転送してくれるんだ」
「め、めちゃくちゃ便利じゃねぇか!」
「うん。めちゃくちゃ便利だよ。これのおかげで旅行者が増えたんだ。だから皆、赤ちゃん居ても身軽でしょ?」
「……確かに」

 周りを見渡せば幼い赤ん坊を連れた家族が沢山居るが、その誰もベビーカーか抱っこ紐しか持っていない。大きなリュックや手提げを持っている人など、誰一人としていなかった。

 どうやら世の中はユアンが思っている以上に発展しているようだ。

「暗い顔してる奴、一人もいねぇのな」
「今のところはね。そもそも食事に困らないって言うのはやっぱり大きかったみたいだよ。後はお金」
「金?」
「うん。さっき説明しそびれたけど、実は――」
「二人とも、遅い。こんな所で油打ってないで早く来て。セオドラとディランが君を待ってる」
「こ、今度は誰だよ!?」

 何だかどこかで見たことのあるような無いような美青年にユアンがたじろぐと、青年はピクリとも表情を変えずに言った。

「セイだよ」
「嘘だろ!? なんでそんなキラキラしてんだ! どっかの王子様か!?」
「まぁ、一応はレヴィウスの第三王子だけど」

 淡々と言うセイにユアンは腕を組んで頷く。

「そういやそうだったな。で、セオドラとディランって?」
「レヴィウス待望だった王子様達。これがもうしっかりしてるんだな~」

 にこやかにハリーが言うと、セイは何故か少しだけユアンを睨む。

「でもユアンにはベタベタに甘える。ちなみに僕には怖がって近寄って来ない」
「だろうな。お前、何考えてるか分かんねぇから。動物とか子どもってそうじゃね?」
「それは暗に自分は素直だって言ってる?」

 ハリーの言葉にユアンは苦虫を潰したような顔をして言った。

「前言撤回だ。俺は素直じゃない」
「はいはい。それは皆知ってるよ。で、セイさんだけ?」
「うん。とにかく早く来て。皆、待ってる」

 それだけ言ってセイはスタスタと歩き出した。

「なぁ、あいつめちゃくちゃ人気あるだろ?」

 足早に通りを歩くセイについて行きながらポツリとユアンが言うと、ハリーは苦笑いしながら言う。

「そりゃ騎士団長であの容姿だから。ノアと似てるけど、雰囲気が違いすぎるよ」
「確かに。ノアも人気あるんだろうが、あいつはアリス一筋すぎるもんな」
「ちょっと引くぐらいね」

 ノアはいつだってアリス至上主義だ。それはもう周りどころか全世界の人間が知っている。

「ノアの嫁への愛は異常。怖いし重い」
「お前の淡白さも異常だよ!」

 一体どこから聞いていたのか、振り返りもせずにそんな事を言うセイに思わずユアンは言い返す。そうこうしているうちにレヴィウス城に到着した。

 到着するなり門の前に居た騎士たちはセイに頭を下げ、続いてユアンを見て目を細める。

「またユアンはお腹にシェリーくっつけて! おまけに今日はエルシーも一緒か! はい、これお前のお気に入りの飴な。エルシーも食べられるだろ?」
「ありがとう!」
「……おお、サンキュ」

 何が何だか分からないが、どうやら記憶を失う前のユアンはレヴィウス城にもしょっちゅう来ていたようだ。

 貰った飴をポケットに入れてセイの後について城に入ると、そこにはラルフとオルトが二人して立っていた。

「ユアン! 記憶が戻ったそうだな」
「あなたが記憶を失くしてもう五年です。その間に世界は随分様変わりをしたのですよ」
「……だから誰だ……」

 ユアンはあまりにも親しい態度の二人に面食らいつつ頷くと、そんなユアンを見てセイが言う。

「兄さんたち、ユアンはこの五年の記憶が逆に抜けてる。その態度は混乱すると思う」
「そうか、そうだな。まずは礼を言わなければ。ユアン、前々回の戦争の時、お前がエリス達にアメリアの秘密を漏らしてくれたそうだな。それから、奴隷として売られた人たちの保護に努めてくれたと聞いている。心から感謝している。ありがとう」
「いや、俺は作戦に従っただけだし、保護というより飯の支度とか世話してただけだぞ。それはアンソニーやアルファ達に言ってやってくれ」
「ははは! アーロの言う通りだな。お前は学生の頃から自分の手柄を頑なに受け入れようとしないと言っていたが、どうやらその言葉に偽りは無かったようだ」
「アーロか……アーロな……」

 学生の頃をふと思い出したユアンは、大きなため息をついた。

「アーロとエリザベスはそれはもう嬉しそうにお前をあちこちに引っ張り回していたが、まるで本当の親子みたいだったぞ」
「それは俺であって俺じゃねぇ! なんなんだ、この世界は……混沌としてんな……」
「混沌としてるのは君だけ。世界は超発展をした。ちなみに僕も結婚する」
「へぇ、おめでとさん」

 腕組をしたセイが言うと、その言葉に驚いたのは何故かラルフとオルトだ。

「な、な、なに!? ど、どこの誰とだ!」
「そ、そ、そんな浮ついた話は一切聞いていないのだが!?」
「妖精王の何番目かのお姫さまって言ってた気がするけど、それは別にどうでもいい。鈍臭くて不器用で面白い人。たまにこの僕が声出して笑っちゃう」
「そ、それは凄いな」
「ああ……いや、そうではない! どうして既に結婚なんだ! せめて相談ぐらいしろ!」
「この年になって恋愛相談なんて家族にいちいちしない。自分の事は自分で決められる。それにセオドラとディランが生まれたからもう心配する事は何も無い」

 何かに納得するかのように頷くセイにラルフとオルトはまだ白い目を向けているが、ユアンは同意したように頷く。

「なるほどな。王位継承から外れたら結婚しようと思ってたのか。お前、やっぱあいつの兄貴だわ」
「それは褒めてない」
「褒めてんだろ。あいつの良い所は頭が回るとこだ。それ以外はクソミソだけどな」

 鼻で笑ってユアンが言うと、セイは珍しく眉を潜める。

「僕はそこまでは思ってない。あんなでも弟」

 アリス一筋で何を考えているのかさっぱり分からないノアだが、セイにとっては唯一の腹違いではない弟だ。そういう意味では似ている所もあるかもしれないが、反面教師にもなっている。ああはなるまい、と。

 セイの言葉にユアンはおかしそうに肩を揺らして言った。

「悪かったって。どうやらレヴィウスも安泰なようだ。良かったよ、俺はあんた達に、この国に酷いことを沢山してきたからな。恨まれてても文句は言えねぇ」

 むしろ恨んでいて欲しかった。そうすればこの思い出してしまった罪悪感も少しは消えたのではないか。

 そうは思うが、たとえ記憶を失くしていてもこの五年間の間に自分が築き上げてきた事を無駄だったとは思わない。

 そんなユアンにラルフが厳しい顔を向けてくる。

「馬鹿言うな。誰が恨んでいるものか。戦争のきっかけなど、いつだって些細な事だ。その裏には誰かの思惑がいつだって潜んでいる。それらを炙り出すための戦争だった。もちろんだからと言って戦争を正当化したりはしない。世界はもう、戦争を求めてはいない。何よりもお前もその罰は十分に受けたはずだ。そして今、その記憶が戻った事も含めてがお前への罰なのだろうと私は思う。ソラは忘れたままで居る事を許さなかった。それだけの事だ」
「……そうだな。俺の罰は思い出すことだったんだろうな。こんな思いをしながらこれから生きていくのか」

 ラルフの言葉にユアンが神妙な顔をしていると、背後から何かが突然襲いかかってきた。

「うぉっ!?」
「ユアン来てた! 父さまたちだけズルい!」
「うわ! エルシーがいる……シェリーもだ。またユアンだけじゃない……」
「せおどらとでぃらん! あそぶ! おりる!」
「ん! ん!」
「こらエルシー! 蹴らないで、下ろすから! 痛い痛い!」

 部屋に弾丸のように飛び込んできたセオドラとディランを見つけてエルシーがハリーの背中で暴れ出した。それを見てシェリーまで下ろせとせがんでくる。

「シェリーが生まれるまではこの子達がお前を独り占めしていたんだ。だからか少しこの二人に当たりがキツくてな」

 そう言ってラルフがハリーからエルシーを下ろしてやると、エルシーは一直線にセオドラとディランに向かっていく。

「仲良くするんだぞ! それで、これからどこへ行くんだ?」
「そろそろ戻る。こいつらが居たら何も出来ないしな」

 執務室で追いかけっこを初めてしまった子どもたちを見てユアンが言うと、ラルフは笑顔で頷いた。

「そうか。ではこのままこの子たちも連れて行ってやってくれ。二人とも、バセット領に行くか?」
「いいの!? ノエル達いる? 今って長期休暇だよね!?」
「アミナスもいるけどね~」
「……ああ、そっか……」

 バセット領と聞いて目を輝かせたセオドラとディランだったが、続くハリーの言葉にがっくりと項垂れた。

「なんだよ、アミナスは苦手か?」
「苦手。だって、森の中を引きずられるもん。父さま、乗馬服に着替えてくるよ」
「ああ、そうしなさい。ではユアン、ハリー、すまないがこの子たちをバセット家まで送ってやってくれ」
「ああ。ほら、さっさと着替えて来いよ」

 ユアンが言うと、二人は目を丸くしてユアンを凝視して頷くと部屋から走り去って行く。

「ユアンの口調に戸惑ってる」
「悪かったな。これからはこんな口調だ。ほら、お前らもそろそろ帰んぞ。ちっ、結局シェリーのオムツ替えられなかったじゃねぇか。もういい、ここで替えるか。おい場所借りんぞ。あとお前らはあっち向いとけ」

 そう言ってユアンはラルフの執務室でいそいそとオムツを替え始める。

「ったく、これ以上放置したら尻がカブれる所だ。ん? なんだ、これ……すげぇ。全然漏れねぇと思ってたらこうなってんのか……これ、吸水スライムか?」

 おしめに代わるオムツという商品を初めて見て感動したユアンは、いつまでもオムツをしげしげと眺めた。これは画期的である。

「時代が変わりすぎてんな……俺、ついていけるかな……」

 記憶が無くなってしまった事で時代の変化に一人ついていけないユアンが言うと、それを聞いてオルトが笑う。

「大丈夫ですよ。記憶を無くしても体は覚えています、きっと」
「だといいがな」

 ようやくオムツを観察し終わったユアンは、手早くシェリーにオムツを装着してまた抱き上げた。そこへちょうどセオドラとディランが着替えて戻ってくる。

「揃ったな? それじゃあ行くぞ。ほら、早く全員手繋げ」

 相変わらずのユアンの言葉に子どもたちは既に順応したように手を繋ぐ。

「じゃあな。夕方になったら迎えに来てやってくれ」
「ああ。ありがとう、ユアン」
「ありがとうございます、ユアン」
「ありがと」

 三人はそう言ってユアンに深々と頭を下げた。このお礼には色んな意味合いを含んでいる。それに気付いたのか、そんな三人を見てユアンは戸惑ったような困ったような顔をして言った。

「このタイミングでそんな事言うのはズルいだろ、ったく。じゃな」

 そう言ってユアンは、三人に背を向けて子どもたちを連れてバセット領に戻った。
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