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第43話 名も無き少女が『セレーナ』になるまで

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 母は王都にある高級娼館の娼婦だった。

 そのため少女は娼館で産まれ、父親の顔も知らず、名前すら与えられずに育った。

 幼い頃から下働きとして娼館の主人や娼婦にこき使われ、大人になれば自分も男に買われるのだろうと、当然のように思っていた。


「客に出す食いもんが足りねぇぞ! おいお前、なに突っ立ってんだよ、さっさと買ってこい!!」

「はい……すみません……」

「ちょっと、なんだいこの口紅は! アタイは赤色って言ったのに、なんで桃色買ってくるのさ。アンタ、ほんと馬鹿な子だね。まぁいいや。これ、早く交換してきてよ」

「はい……申し訳ございません……」


 雪が降りしきり、地面が薄氷で覆われた寒い冬の日。
 買い出しの帰り道に少女は滑って転んでしまい、荷物を辺り一面にぶちまけてしまった。

 すみません、ごめんなさい……失礼します……と謝りながら、行き交う人々の足元に這いつくばり、落とし物を必死に拾う。

 その日はちょうど年に一度の冬の祝祭で、街はお祝いムード一色。当然人通りも多い。

 地面を這いずって物を拾う少女に、通行人は迷惑そうな顔をしたり、あからさまに「邪魔なんだよ!」と怒鳴ったりする人もいた。

 楽しげな雰囲気、どこからともなく聞こえてくる明るい音楽、笑顔で行き交う人々。
 
 ……その中に、自分の居場所はない。

 ぽたりと地面に少女の涙がこぼれ落ちた時、上から「はい、これ」という可愛らしい声が聞こえてきた。

 見上げると、金髪に大きな青い瞳の美少女がジャガイモを差し出している。

 着用しているのは、フリルとリボンで飾られた仕立ての良いドレスコート。肌は陶器のようになめらかで、髪の毛先まで手入れが行き届いている。

 身なりの良さから、貴族のご令嬢だと一目で分かった。

「…………ありがとうございます」

 お礼を言うと、ご令嬢は「どういたしまして」とニッコリ微笑んだ。

 その時、彼女の背後にいた紳士のひとりが感心したように言った。

「いやぁ、バレリー伯爵のお嬢さんはなんて優しい子なんだ。良い娘さんを持ちましたな」

 バレリー伯爵と呼ばれた紳士は「いやいや、そんな」と謙遜しつつも、誇らしげに優しく娘の頭を撫でている。


(いいなぁ……)
 

 絵に描いたような裕福で幸せそうな貴族の親子。
 それに比べて、自分はなんてみすぼらしいんだろう……。

 ひどく惨めな気持ちになった少女は、荷物を抱えてその場から逃げ出す。

 それからというもの、少女はあの日出会ったご令嬢を、繰り返し思い出すようになった。

 キラキラした金髪、透き通った大きな青い瞳。人目を引く整った顔立ち。
 富、美貌、地位、親からの愛情……すべてを持ち合わせているバレリー伯爵家のお嬢さん。

(あたしも、あの子みたいになりたいなぁ)

 心の底からうらやみ『変われ、変われ』とまじないを唱えても、鏡の中に映るのは平凡な己の顔のみ。
 
 どれだけ神に祈っても、強く念じても、自分の顔と境遇は変えられない。変わらない。

 うらやみがうらみに変化するのに、それほど時間はかからなかった。

(こっちは残飯を漁りながら必死に生きているってのに、あの子はなんの苦労もせずにお気楽に暮らしている。不平等だろ? おかしいだろ? 神様なんてくそ食らえ! アイツも、あたしと同じ苦しみを味わうべきなんだ)

 この世界を創った神と不平等な社会に悪態を吐き、バレリー令嬢の不幸を祈り続けたある日。
 
 神様は唐突に、少女に贈り物をくれた。

 起きて鏡を見たら、冴えない自分の顔が、バレリー令嬢によく似た美少女へと変貌を遂げていたのだ──!

(夢みたい! やった! やった、やったわ!!)

 少女は誰にも顔を見られないよう娼館を飛び出した。

 喜びのまま街中を駆け抜け、やがて商業街の大通りに出たところで、ふと足を止める。

(あたし、どこへ行けばいいんだろう……)

 顔が変わったとはいえ所詮しょせん自分は自分。
 金もなければ学もない、名前すら持たない娼館の下女だ。

 行く当てもなく街をさまよい歩いていると、気付けば少女は、あの冬祭りの日にバレリー伯爵令嬢と出会った場所にたどり着いていた。

 金も地位も、美貌も、親からの愛情も……すべてを持っているバレリー伯爵令嬢。

(そうだ……あたし、あの子になりたい。あの子が持っている物、全部手に入れたい)
 
 その時ふと、少女は恐るべき計画を思いついた。

 ──バレリー伯爵家を、乗っ取ってやろう。

 嘘をついて貴族の家に入り込もうとするなんて、バレたらそれこそ命を失うだろう。
 だが、元々死んだように生きる毎日だ。これ以上、自分に失う物はなにもない。

 少女は意を決して、勢いよく車道に飛び出した。
 迫りくる馬車、青ざめ必死の形相で手綱を操る御者。馬がヒヒーンと甲高くいななき、前足を上げる。

 意識が一瞬途切れ、次に目を開けると、こちらへ駆け寄ってくる御者の姿が見えた。

「おい、大丈夫か!」

 助け起こされた少女は必死に声を振り絞り、御者に向かって告げた。

「わたしは……セレーナ……バレリー伯爵の、娘です……お父様に……会いたい……」

「なんだって!? おい、おい──!!」

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