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第五章 葉月(八月)
92.八月八日 夜 二つの神事
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大勢の人が集まった儀式場では、いよいよ八岐贄の儀が始まろうとしている。贄である六田家三女求を大勢が取り囲んでいるが、大声を出さないようにと幼い子供は親に口を押えられている。
「では糧をこちらへ!」
小さな体からは想像も出来ない迫力のある声が八早月から発せられると、巫女が籠に入った青大将を運んできた。それを受け取り、贄である求との間に置かれた白木の板の上に一匹出し、首の後ろを畳針がバーベキューの串かと言うような巨大な針で貫き固定していく。
辛うじて生きてはいるものの、痛みにもがく蛇は針へ巻きついたり体を懸命にくねらせている。しかし八早月の手によって一匹ずつ伸ばされ、求の持つ包丁により真っ二つにされていく。
ただしこの作業は八歳の童女である求には荷が重く、母である六田櫻が求の手を取って粛々とこなしていた。それでも意識だけははっきり保ち、命を奪っていることを認識している求は立派だと言える。
毎年この辺りで脱落者が出るのだが、今年も観衆の中から数人が倒れた音がして巫女が走り回っている。そんなことはお構いなしに儀式は続く。白装束の求は上半身だけ脱がされ腹掛け姿となった。
求はいざと言う時が来たことを理解し、拳を握りしめ顔を強張らせる。そして櫻以外の当主が切り落とされた蛇の尾を一つずつ手に取って求の腕に蛇の這跡を模した紋様を描いていった。最後に六田家当主であり母である櫻の手によって背中へ蛇の顔が描かれた。
「それでは六田家当主櫻、八岐贄の儀、大蛇描きを!」
「ははっ!」
六田櫻が祈りを捧げると、傍らに大きな鎚を携えた呼士である弧浦が現れた。いつの間にか櫻の手にも小さな鎚が握られている。
「では参る!
六田求へ八岐大蛇様の加護が降るべく!
今日この日を以って八岐贄と認めたもうこと願いたてまつる!
はあっ! はあっ! はっ!」
櫻は掛け声とともにゆっくりと鎚を二度振り降ろし一度突いた。右肩、左肩、最後に背中への突きである。それは傍から見ればなんと言うことのない型ばかりの所作のみに見えるが、実際には弧浦が腕と背に描かれた紋様をその手に持った大鎚でなぞっていた。
刃物で切られるよりは軽いと言っても痛みは伴っており、当然のように求は号泣している。しかしここで抱いてやれない母の櫻も相当辛いだろう。そんな求のことは、八早月がしっかりと両手を握りしめている。
大蛇描きが終わり、泣き続ける愛娘の着物を直すと、櫻はその背に掌を添え、祈りを捧げはじめた。一瞬だけ呼士の影のような物が見えたが完全に視覚化できるほどではなく、そこまで確認すると櫻は祈りを終えた。
「それでは八岐贄の儀はこれまでとします。
今宵は八岐大蛇様のために働く贄が一人加わったことを喜びましょう」
八早月の宣言により儀式は終わりを告げ、村民たちは来た道を戻り帰って行く。やがて関係者以外がいなくなり八岐神社前は静寂に包まれる。巫女たちが後片付けを始めるが、宮司が指示をだし新たな敷布が運ばれてきた。
「それでは次の儀へ移りましょうか。
巫女殿、案内をお願いします」
八早月の声かけに頷いた巫女が清めを終えた寒鳴綾乃を連れてやって来た。先ほどと同様に絹の敷物の上へと誘導し、綾乃が膝をつき腰を落とした。
「それでは綾乃さん、今回は痛くないですから安心してください。
これから狐の神である藻様より力を分けていただくための儀を行います。
右利きでしたよね? それでは左手を出してください」
緊張している様子の綾乃は無言で頷くと、八早月は巫女の運んできた筆を手に取って綾乃の左手の甲から手首にかけてなにやら紋様を描いていった。この日のために何度も練習したので誤りはないと自信を持って描き終えると、立膝で座り膝の上に綾乃の左手を乗せた。
「それでは狐面相朱書の儀を執り行います。
八岐大蛇様、神聖なるこの場借りたてまつるご無礼許したまえ。
藻様よ、いかでかこの娘にお狐の加護与えたまえ」
いつもとは大分異なる様子の祈りを捧げる八早月の胸元には、綾乃へ施した狐面相と同じ文様が浮かび上がってきた。それを見た綾乃は当然驚いているのだが、宿以外は藻を取り込んだことを知らされていなかったため、綾乃と同じくらい驚いていた。
浮かび上がった紋様に呼応するように綾乃の左手もうっすらと光を帯び、やがて八早月の背後に美しい女性が現れた。
「主殿、お呼びにお応えし藻、ただいま参りました。
ご用向きなんなりとお申し付けくださいませ」
「藻さん、こちらの綾乃さんへ力を少し分けてあげてください。
封印してある子狐を制御し、身を護れる程度なら可能ですか?」
「はい、こちらのお嬢さんならこれくらい容易いこと。
とても良い感性を持っておりますね、善性があふれて美しい。
さあ念じてください、あなたの傍らに顔を寄せる姿を思い浮かべるのです」
「は、はい…… えっと、藻様は神様なのですか?
今は八岐大蛇様を信心しておりますのに、稲荷様の巫になるのでしょうか」
「確かに私は神格ではありますが、純粋な神とは異なります。
地域神や自然神の一つと考えて構いません。
よって、信仰は好きなものを好きなだけ、疑うと力を失うので注意しなさい」
「はい、ありがとうございます。
これで狐ちゃんと仲良くなれるといいな」
「そうですね、ぜひ可愛がってあげてください。
では主様、今宵はこれにて失礼いたします」
藻は用が済むとさっさと消えていった。現世に未練がありそうな雰囲気だったのがウソのようである。いつでもまた呼んでもらえる安心感で十分満足しているのだろうか。詳しくは真宵へ聞いてみようと考える八早月だった。
「では糧をこちらへ!」
小さな体からは想像も出来ない迫力のある声が八早月から発せられると、巫女が籠に入った青大将を運んできた。それを受け取り、贄である求との間に置かれた白木の板の上に一匹出し、首の後ろを畳針がバーベキューの串かと言うような巨大な針で貫き固定していく。
辛うじて生きてはいるものの、痛みにもがく蛇は針へ巻きついたり体を懸命にくねらせている。しかし八早月の手によって一匹ずつ伸ばされ、求の持つ包丁により真っ二つにされていく。
ただしこの作業は八歳の童女である求には荷が重く、母である六田櫻が求の手を取って粛々とこなしていた。それでも意識だけははっきり保ち、命を奪っていることを認識している求は立派だと言える。
毎年この辺りで脱落者が出るのだが、今年も観衆の中から数人が倒れた音がして巫女が走り回っている。そんなことはお構いなしに儀式は続く。白装束の求は上半身だけ脱がされ腹掛け姿となった。
求はいざと言う時が来たことを理解し、拳を握りしめ顔を強張らせる。そして櫻以外の当主が切り落とされた蛇の尾を一つずつ手に取って求の腕に蛇の這跡を模した紋様を描いていった。最後に六田家当主であり母である櫻の手によって背中へ蛇の顔が描かれた。
「それでは六田家当主櫻、八岐贄の儀、大蛇描きを!」
「ははっ!」
六田櫻が祈りを捧げると、傍らに大きな鎚を携えた呼士である弧浦が現れた。いつの間にか櫻の手にも小さな鎚が握られている。
「では参る!
六田求へ八岐大蛇様の加護が降るべく!
今日この日を以って八岐贄と認めたもうこと願いたてまつる!
はあっ! はあっ! はっ!」
櫻は掛け声とともにゆっくりと鎚を二度振り降ろし一度突いた。右肩、左肩、最後に背中への突きである。それは傍から見ればなんと言うことのない型ばかりの所作のみに見えるが、実際には弧浦が腕と背に描かれた紋様をその手に持った大鎚でなぞっていた。
刃物で切られるよりは軽いと言っても痛みは伴っており、当然のように求は号泣している。しかしここで抱いてやれない母の櫻も相当辛いだろう。そんな求のことは、八早月がしっかりと両手を握りしめている。
大蛇描きが終わり、泣き続ける愛娘の着物を直すと、櫻はその背に掌を添え、祈りを捧げはじめた。一瞬だけ呼士の影のような物が見えたが完全に視覚化できるほどではなく、そこまで確認すると櫻は祈りを終えた。
「それでは八岐贄の儀はこれまでとします。
今宵は八岐大蛇様のために働く贄が一人加わったことを喜びましょう」
八早月の宣言により儀式は終わりを告げ、村民たちは来た道を戻り帰って行く。やがて関係者以外がいなくなり八岐神社前は静寂に包まれる。巫女たちが後片付けを始めるが、宮司が指示をだし新たな敷布が運ばれてきた。
「それでは次の儀へ移りましょうか。
巫女殿、案内をお願いします」
八早月の声かけに頷いた巫女が清めを終えた寒鳴綾乃を連れてやって来た。先ほどと同様に絹の敷物の上へと誘導し、綾乃が膝をつき腰を落とした。
「それでは綾乃さん、今回は痛くないですから安心してください。
これから狐の神である藻様より力を分けていただくための儀を行います。
右利きでしたよね? それでは左手を出してください」
緊張している様子の綾乃は無言で頷くと、八早月は巫女の運んできた筆を手に取って綾乃の左手の甲から手首にかけてなにやら紋様を描いていった。この日のために何度も練習したので誤りはないと自信を持って描き終えると、立膝で座り膝の上に綾乃の左手を乗せた。
「それでは狐面相朱書の儀を執り行います。
八岐大蛇様、神聖なるこの場借りたてまつるご無礼許したまえ。
藻様よ、いかでかこの娘にお狐の加護与えたまえ」
いつもとは大分異なる様子の祈りを捧げる八早月の胸元には、綾乃へ施した狐面相と同じ文様が浮かび上がってきた。それを見た綾乃は当然驚いているのだが、宿以外は藻を取り込んだことを知らされていなかったため、綾乃と同じくらい驚いていた。
浮かび上がった紋様に呼応するように綾乃の左手もうっすらと光を帯び、やがて八早月の背後に美しい女性が現れた。
「主殿、お呼びにお応えし藻、ただいま参りました。
ご用向きなんなりとお申し付けくださいませ」
「藻さん、こちらの綾乃さんへ力を少し分けてあげてください。
封印してある子狐を制御し、身を護れる程度なら可能ですか?」
「はい、こちらのお嬢さんならこれくらい容易いこと。
とても良い感性を持っておりますね、善性があふれて美しい。
さあ念じてください、あなたの傍らに顔を寄せる姿を思い浮かべるのです」
「は、はい…… えっと、藻様は神様なのですか?
今は八岐大蛇様を信心しておりますのに、稲荷様の巫になるのでしょうか」
「確かに私は神格ではありますが、純粋な神とは異なります。
地域神や自然神の一つと考えて構いません。
よって、信仰は好きなものを好きなだけ、疑うと力を失うので注意しなさい」
「はい、ありがとうございます。
これで狐ちゃんと仲良くなれるといいな」
「そうですね、ぜひ可愛がってあげてください。
では主様、今宵はこれにて失礼いたします」
藻は用が済むとさっさと消えていった。現世に未練がありそうな雰囲気だったのがウソのようである。いつでもまた呼んでもらえる安心感で十分満足しているのだろうか。詳しくは真宵へ聞いてみようと考える八早月だった。
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