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第五章 ラングウールの貴公子

三章

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「ご当主様もその昔、いきなり連絡を寄越してきたかと思えば、どこぞの貴族の令嬢をここに連れてきましてな」

「なんの話だい? じいや」

 マルクさんがしようとしている話は、エルンストさんも知らなかったらしい。

「しばらくここに匿って欲しいと言われまして。そうかといって、理由はなかなかおっしゃらない。我々夫婦が苦労して、少しずつ話を聞き出したところ……どうやら、二人は留学先で恋仲になったものの、向こうの親の反対にあったとのことでして。それで半ば誘拐するようにここへ連れてきたとのことでして」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ……」

 その話は、エルンストさんも知らなかったらしい。

 驚いたように慌て止めようとするも、間に合わない。

「もちろん、それが今の夫人なわけです。つまりは、ぼっちゃまのお母様のわけですな」

「待ってくれって言ってるだろ……? そうなると、なにかい? 今の僕は父と似たようなことをしていることになるのかい?」

「似たようなことも何も、同じことではありませんか」

「そうです、そうです。だからこそ、私たちも嬉しいのです。二十年ほどまでに見た光景をまたこうして見られる……本当に、思い出すのです」

「なるほど。だから妙にはりきっていたわけか……」

 貴公子という言葉そのままに振る舞うエルンストさん、そのプライベートな一面。

 顔を赤くして、困ったように言う。

「あー……一応、言っておくけれど、今の彼女は……そして僕も、そういう状況じゃないんだ」

「訳ありという事情は、弁えているつもりですとも。とはいえ……ただ安全な場所に避難させるのではなく、あえてこの場所に連れて来られるのも、また訳ありということも、弁えているつもりですので」

「ふう……相変わらず、マルクには、口では勝てないな」

「口で勝てるよう教育させていただいのも、この私ですので」

(どういう意味……?)

 話を見失いそうになった私に、エルンストさんが教えてくれる。

「マルクは、もともと父に仕えていたすごく優秀な人なんだよ。ただの執事とは、ちょっと違うんだ。だからこそ、頼りになるんだけど……今回の場合は、ちょっと厄介だね」

 仕方ない、と言わんばかりの苦笑い。

 そういうと、エルンストさんは、またマルクさんと話し始めた。

「聞くけれど、今回の話は父に言ってないだろうね」

「ご安心ください。手紙にも、くれぐれも言うなとあれだけ念を押されておりましたので」

「別に恥ずかしいとかそういうことじゃない。ただ、状況が複雑なんだ。それが落ち着くまでは、父には言わないでくれ」

「理解しておりますとも。話が伝わったところで、そう問題にするとも思えませんがな」

「そんなことないよ。父さんは、ああいう人だ。子供の頃は自分だって、けっこう好き勝手に生きてきたはずなのに、僕に対してはさも、俺は子供の頃から真っ当に生きてきたっていう顔で接するんだもの」

「はっはっは。馬屋の側にある柵なんかは、まさにそうですな。一応、毎年の暮れに、ここの維持・修繕にかかった経費をまとめて送っておりますが……未だに修理するなと言われますからな」

「え? 毎年そんなやり取りをしているの?」

 素で驚くエルンストさん。

「はい。もはや、ご当主様と私にとっては恒例のやり取りになっておりまして」

「へ~。父さんも暇だねえ。それなら、こっちの仕事手伝ってくれればいいのに。ほんっと、忙しいふりをするのが上手いんだから」

 そうして、続いていくとりとめのない会話。

 あまりにも和やかな団欒(だんらん)。

 エルンストさんは、地位のある人。

 それなのに、普通の人。

 とても、暖かい人たち……。

 私がずっと求めていて、いつか必ず欲しいと思っていた景色。

 エルンストさんの周りには、いつだってその景色が広がっているのだと思う。

(こんな景色を叶えることは、どれだけ難しくて大変なことなの?)

 私がどれだけ努力しても、手に入らなかった景色を、エルンストさんは簡単に叶えてしまう。

 思い返せば、ここに来るまでの馬車もそうだった。

 この人はいつだって暖かくて、愛想がいい。

 だから、周りの人たちもそうなる。

 不思議な雰囲気を持っている人。

「あ……」

「リナ! どうしたんだい?」

 涙が出ていた。

 喜びじゃない。

 ここにあるのは、私がほんとに欲しかった景色。

 その意味は……。

「もう、手に入らない……」

 やらなきゃいけないことがあるから。

 はっきり思っている。

 もう、許さない。

 姉としての責任。

 女として大切なものを奪われて踏み潰された怒り。

 綺麗事を言っていたつもりはない。

 それでも、もう綺麗事なんて、言わない。

 やらなきゃいけないことは、やりたいことでもある。

 二つが同じところにある。

 この場所にいるのに、もう私はふさわしくない。

「エルンストさん……ごめんなさい。私、行かないと」

「待ってくれ」

 立ちあがろうとした私の腕を、エルンストさんが、掴んだ。

(すごく、すっきりしている気がする)

 虚無的な気分。

 その理由は、やるべきことがはっきりしたから。

「違う……違うから」

「何がだい?」

 優しく、けれど、はっきりとした眼差し。

 少なすぎる言葉から、私を理解しようとしてくれる人の眼差し。

 それでも、今の私は、はっきりと言えてしまう。

 涙は乾いていた。

「私、この景色が見れたことが、もう十分幸せだから」

 今、やろうとしていることの先に、この幸せはない。


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