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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 13

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「ただいま」
 花乃がそう言って家に戻ると、えらく奥が騒がしかった。
 もしかして、有雪を部屋へ連れ込んだことがバレてしまったのだろうか。――と慌ててリビングへと向かったのだが、そのダイニングテーブルでは……。
「あら、花乃ちゃん、おかえり」
 伯母の貴枝たかえがお酒を運びながら、にこりと笑って、……その酒が向かう先には、伯父の幸助と、白装束の陰陽師の姿――。
「おお、花乃ちゃん、いいところに帰って来た」
 ――どこがいいところなんだろう。
 何も言えないまま唖然としていると、
「この酒も旨い! きりりと舌に乗った後の芳醇な味わい! このような酒を作るとは、まさに一世一代の職人技!」
 大仰なほどの有雪の弁舌に、またまた、唖然……。
「おや、解るかね、この味わいの豊かさが! これは、冬のきりりとした京都のイメージと、その後に待つ春の訪れをイメージした、その名も『京雪春』!」
 ――何故こんなことになっているんだか……。
「あの、伯母さん、彼――あの人は……」
 恐る恐る訊いてみると、
「賑やかでごめんなさいねぇ」
「いえ、あの、そんなことは――」
「一見さんなんだけど、あの通り、すっかりあの人と馬が合っちゃって、この通り、呑み比べが始まっちゃったのよ」
 伯母の話では、店に訪れたどこかの宮司らしき客――有雪が、店番をしていた従業員がすすめる試飲の酒を一口んで、腰を抜かして倒れたところから、この状況が始まっているらしい。
 店番の従業員が、倒れた客を見てすぐに主人――伯父の幸助を呼びに行き、急ぎ救急車を、と言いかけたところに、
「――このような酒がこの世にあるとは、何という驚き! 宮中の『造酒司さけのつかさ』にも、これほどの酒は記されておらぬ!」
 まるで、宮中に出入りしていたかのような褒め言葉と、驚きと歓びに満ちた酒好きこの上ない表情に、伯父は瞬く間に上機嫌になったのだという。
「宮中とはもったいない。――ああ、そうそう。こちらは皇室献上の逸品! 一切の濾過をせず、無濾過、生酒、原酒であることに拘った酒《神天珠》。試飲が出来るのはここだけです」
「これは、一口で天にも昇る味わい!」
 この橋下の陰陽師を知る人間なら、「タダ酒なら何でもいいクセに」と厭味の一つも言ったかも知れないが、ここは、彼が言うところの異界――。
 異界の酒が、彼にこれほどの感動と舌鼓を与えたとしても、不思議ではない。
 ただし、彼が宮中で『造酒司さけのつかさ』を盗み見たことがあるかどうかは、宮中に足を踏み入れたことがあるかどうかより、疑わしい。
「田植え歌に、『白き酒、黒き酒、麦の酒』というものがあるが、これぞまさに歌になるべき酒!」
 ここまでベタ褒めされて、気を悪くする酒蔵主はいない。しかも、その褒め言葉を口にしているのが、宮中にも出入りがあるような宮司だというのだから。
「良ければ、奥で一献いっこん――」
 という話になったのも、そのためである。
 もちろん、伯父の幸助は、宮中を皇室だと思っただろうし、有雪の職業についても少しばかり誤解をしていたのだが。
「そんなわけで賑やかだけど、勘弁してね」
 伯母の言葉に、
「い、いいえ……」
 と、花乃は恐縮しながら、食卓の一角に腰を下ろした。
「さあ、花乃ちゃんも一献いっこん! ――遠慮は無用だ。酒なら売るほどあるんだからな!」
 そんなカビの生えた伯父の冗談に、花乃は強ばった笑いを浮かべながら、夕食の時間は過ぎて行ったのである……。


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