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第1章

嫉妬と出会い

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 リンドは行ってしまった。
 一人取り残されたカリーナは、居場所もなく大広間の隅で果実水を口に含んでいた。
 この国に知り合いを持たないカリーナにとって、リンド無しの舞踏会はただただ苦痛な場所である。

「お化粧を直しに行こうかしら」

 化粧ポーチを手に大広間を後にしようと廊下に出たところで、二人の令嬢が会話をしているのが聞こえた。
 盗み聞きはしたく無いが、余りに声が大きいため嫌でも耳に入ってくる。

「ねえ、シークベルト公爵様のお話お聞きになった?」

 カリーナの足が止まる。

「ええ、シルビア公爵家の次女のマリアンヌ様とご婚約間近ですとか。でも本当ですの? シークベルト公爵様は本日漆黒の髪の女性をエスコートされていましたわ」

 漆黒の髪の女性とは、カリーナのことである。

「女性の方は公爵様の瞳のお色であるエメラルド色を身につけておりませんでしたわ。あなたも見ましたでしょう? それに、噂ではあの女性はアルハンブラの侯爵令嬢だったとか」

「アルハンブラ? 数年前の戦争で我がバルサミアが打ち倒した国でしたかしら。まあ、ではまるで捕虜ではないですか」

「なんにせよ、敗戦国の方と今をときめく公爵様が結ばれることは不可能に近いですわ。あまりにも身分が違いすぎますもの。それに、シルビア家のマリアンヌ様は以前からシークベルト公爵様に想いを寄せていたとか。シルビア家とシークベルト家なら家格も充分釣り合いますし、マリアンヌ様は美貌の持ち主ですもの」

「どちらにせよ、下位貴族の私たちには関わりのない話ですわね」

 二人の令嬢が立ち去ってしばらくした後も、カリーナはその場から動くことができなかった。


「リンド様がご婚約……? シルビア家の御令嬢と?」

 手足の血の気が引いていく。
 こんなところで倒れるわけにはいかない。
 リンドに限ってそんなことはないと思いたかった。

「リンド様のところに戻るわ……」

 おぼつかない足取りで大広間に戻ると、そこにはカリーナの一番見たくはない光景が。
 美しい女性と、初めて見る柔らかな表情で微笑むリンドの姿があった。

 女性は時折頬を染めてうつむき、リンドはその姿を微笑ましそうに見つめている。
 そして何やら女性の耳元で囁き、女性も恥ずかしそうに頷いていた。

「あれがマリアンヌ様だわ」

 顔を見たことはなくとも、すぐにわかった。

「リンド様のあの様なお顔……。私には一度も見せてくださらない」

 二人の間には誰にも邪魔することのできないような空気が流れていた。
 今カリーナがリンドの元へ戻ったところで、余計な噂を生み恥をかくだけのこと。

「ああ、少しでもと淡い期待を抱いてしまった愚かな私を消し去りたい……」

 堪えきれない涙がポロポロとドレスに染みを作る。
 リンドの元へは今は戻れない。
 一人で公爵家の屋敷へ戻ることも不可能だ。
 かといってずっと廊下に佇むわけにもいかないだろう。

「中庭へ行こう。外の空気を吸って落ち着きたい……」

 カリーナが大広間に背を向けたとき、リンドはその姿を目線の隅で捉えていたのだが、カリーナは気づかなかった。


 案の定、大広間の喧騒が嘘のように中庭は静まりかえっていた。
 カリーナは少し落ち着きを取り戻し、中央にある噴水の辺りに座り込み水面を覗き込む。

「せっかくメアリーがお化粧してくれたというのに、ひどい顔ね……マリアンヌ様にはどう足掻いても叶わないわ」

 敗戦国の奴隷の自分と、バルサミア随一の公爵令嬢のマリアンヌとでは、比較対象にもならない。

「バルサミアに復讐するという目的もいつのまにかどうでもよくなって、恋にうつつを抜かすようになった罰かもしれないわ」

 ローランド辺境伯は愛し愛される人と結婚するようにと告げた。
 リンドがマリアンヌと婚約したならば、その夢は永遠に叶わない。

「私はどうすればいいの? リンド様が決めたお方に貰われていくしかないのかしら?」

 好きではない人の元へ引き取られることよりも、リンドがそれを決断したと言う事実の方が辛い。
 ポロポロと零れる涙が噴水の水面を揺らす。


 ——その時だった。

「お嬢さん? どうかなさいましたか?」

 背後からかけられる、知らない男性の声。
 しまった、人気の無いところで男性と二人きりになるなんて。
 慌ててパッと後ろを振り返ると、エメラルド色の瞳を丸くして驚く美丈夫が立っていた。
 金色の流れるような美しい髪を後ろでひとまとめにし、人懐っこいエメラルド色の瞳、そして程よく筋肉のついた体。

「まるで物語に出てくる王子様だわ……」

 瞳の色がリンドと同じだからなのか。
 どことなくリンドと似ているが、纏っている雰囲気はリンドのそれとは大分異なる。
 リンドが影なら、この男性は陽だろうか。

「驚いたな……中庭にこんなに美しい女性がいるなんて」

 男性は少し頬を赤く染めながらそう言った。


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