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第1章

国王アレックス

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「お名前を聞かせて頂けませんか?」

 男はにこやかにこちらを見つめる。
 エメラルドの瞳が眩しい。

 (初対面の男性に名前を教えてもよろしいのかしら)

 あとでリンドに怒られてしまうかもしれない。
 でもリンドはマリアンヌ嬢と楽しそうにしていた。
 気にすることはない。

「いえ……あの……カリーナ、と申します」

 カリーナは悩んだ挙句、家名を除いた名前を教えた。

「カリーナ嬢か……素敵な名前だ。私の事はアルと呼んでくれ。それにしてもなぜあなたは一人でこんなところに? その美しさなら、舞踏会の主役になれるだろうに」

「舞踏会の雰囲気に慣れておりませんの。疲れてしまって……。それに、そうおっしゃるなら、あなたもですわ。一体なぜあなたのような方がこちらに? ここには誰もおりませんわよ」

 初対面の、それもかなりの美丈夫に褒められてカリーナは鼓動が速くなるのを感じた。

 (私ったら……先程までリンド様の事で涙を流していたのに、なんて節操の無い女なの)

「私も同じだ。本心では何を考えているのかわからない貴族とその御令嬢達に囲まれてお世辞ばかり。心底疲れた。令嬢達には自分と言うものがなく、親の言いなりだ。一刻も早く抜け出したいと思い中庭へ来たが……正解だったようだな」

「え……?」

「なぜなら、あなたに出会えた。あなたは花の妖精のように美しい。その黒髪、その瞳、そして唇も。私はあなたの事をもっとよく知りたい。私とまた会ってもらえないだろうか? 」


 この男性がどこの誰かもわからない。
 リンドの許可も得ていないのに、思わせぶりな返答をすることはできない。
 カリーナはすぐに返事を出すことができなかった。

「あの……私……その……」

 その時だった。

「カリーナ! 大広間に姿が見えないと思ったら……こんなところで何をしていたんだ」

 中庭にリンドが飛び出してきた。
 息は切れており、カリーナを探して走り回ったのだろう。

「リンド様……」

 他の男と二人でいるところを見られてしまった後ろめたさか、マリアンヌとの様子を見てしまったためなのかわからないが、気まずさが走る。

「リンド、お前マリアンヌ嬢はどうしたのだ」

 先程の男は、リンドの事を見ても驚きもせず飄々としている。
 ということは、少なくとも高位貴族である事は間違いないだろう。

「アレックス……お前……。カリーナ、馬車を待たせてある。今夜はもう帰ろう」

 アレックスという名はどこかで聞き覚えのあるような気もするが、思い出せない。

「リンド様、でも……」

「さあっ!」

 カリーナはリンドに強く手首を掴まれ、そのまま走り去るように、中庭を後にせざるを得なかった。


「カリーナ……カリーナ・アルシェか。遂に見つけた。理想の女性だ」

 中庭に一人残された男……
 バルサミア国王アレックスは、カリーナの姿を思い返し、ゆっくりと微笑んだのであった。



 半刻後。

 屋敷へと帰る馬車の中で、リンドの表情には焦りが見えた。

「あいつと、アレックスと何を話した?」

「私の名前を教えてほしいと。そして自分のことはアルと呼ぶようにとおっしゃりました。お名前はアレックス様というのですね」

 何をそんなに焦っているのだろうか。
 二人きりでいたとはいえ、知られて困るような事は何もしていない。
 それに、リンドと同じ高位貴族ならば、もしその後ご縁があるにしても、シークベルト家にとって有益ではないか。

「お前は名前を明かしたのか!?」

 興奮のあまり、リンドはついカリーナのことをお前と呼んでしまう。

「落ち着いてくださいませリンド様。ご安心ください。家名は明かしてはおりません。カリーナ、とただそれだけをお伝えしました」

「あいつは国王だぞ、カリーナ! バルサミア国王のアレックス・ウィザーだ!」

 リンドが何を言っているのか、一瞬カリーナにはわからなかった。

「国王様……ですか?」

「そうだ、俺の従兄弟で国王のアレックスだ!」

 そうか。どこかで聞いたことのある名前。
 リンドの講義で幾度となく聞いてきた名前ではないか。
 なぜ気づくことができなかったのか……。

「あのお方が、国王様……」

 素敵な男性だった。
 優しそうで、明るくて。
 短時間ではあったが、悲しみを忘れさせてくれた。

「あいつは絶対にカリーナを手に入れる。俺はどうしたらいいんだ、カリーナ……」

 リンドはそう言うと頭を抱えて俯き、屋敷に到着するまで一言も発することはなかった。
 リンドが一体何に怯えて焦りを感じているのか、わからないカリーナであった。




 舞踏会が終わり屋敷へ戻ってから、リンドは自室に引きこもり一度も姿を現していない。
 机の上で頭を抱えたまま数時間が経過していた。

 アレックスにカリーナの姿を見られた。
 幼い頃からずっと一緒に成長してきたんだ。
 あいつの女の好みなんてわかってる。

 カリーナはアレックスにとって理想の女性像そのままだ。
 だからこれまであいつにカリーナを紹介してこなかったのだ。
 いや、正確には心のどこかで紹介したく無い、彼女を取られたくないという気持ちがあったのだ。

 あいつも俺と同じで、家柄や見た目ですり寄ってくる貴族令嬢達には嫌気がさしていた。
 カリーナのように、あれほどの美貌を持っているのにそれをひけらかさず、慎ましい性格は彼にとって魅力的であっただろう。

 そして何よりあの時のアレックスの目……!
 あの目は本気だった。

 国王と敗戦国の奴隷の娘など身分が釣り合うはずもない。
 もちろんそんなことはアレックス自身もわかっているだろう。
 ただ、あいつにとってそのような事は大したことでは無いのだ。

 これまでも実力で他貴族達を封じ込め、国王として君臨してきた。
 あいつは昔からそうだ。
 カリーナを手に入れるためなら、身分の差など大した障害にはならないと思っている。

 そして実際に行動で示すだろう。

 カリーナは家名を明かしてはいないと言っていたが、勘のいいあいつのことだ。
 すぐに、俺が話していた奴隷の娘だということに気付くだろう。

 その時俺はどうする?
 カリーナをアレックスに引き渡すのか?

 リンドの心の中に黒い霧のようなものが広がっていく。
 ……カリーナがあいつのものに?
 あの瞳、唇、髪の毛も、柔らかな膨らみも、カリーナの全てをあいつが奪うというのか?

 悔しいことに、国王アレックスの瞳の色はリンドと同じエメラルド色。
 すなわちカリーナとも同じ色ということになる。
 これが意味することは、カリーナとアレックスの相性も良いということなのである。

 なぜよりによってあいつなんだ。
 他の貴族ならば、割り切ることができただろう。
 しかし幼い頃からライバルとして見ていた従兄弟に奪われることは気に入らない。

 これがカリーナへの想いからなのか、アレックスへの対抗心なのかわからない。

「俺は何がしたいんだ」

 ローランド辺境伯に言われたことを思い出す。
 彼はリンドの未熟さを見抜いていた。
 リンドには、アレックスのように家名が汚れるのを厭わず、カリーナを娶る度胸はないのだ。

 ようやく認められた公爵としての力を失うのが怖い。
 カリーナのことは嫌いではない。
 いや、むしろ好きなのであろう。

 だからこそ高位貴族に引き取らせ、幸せな余生を送ってもらうつもりだった。
 自分の力では幸せにすることはできないとわかっているからである。
 それならばなぜ手を出したのか、と言われるとこではあるが……

「手を出したところで、結局のところ最後まで押し進めることができない俺は弱い男だ」




 翌日。

 リンドの予想通りだ。
 王城の執務室でいつも通り執務を行なっていると、アレックスの気配を感じる。

「リンド」

「言いたいことはわかっている。カリーナのことだろう」

 知らないフリをしてとぼけようかとも思ったが、国王には通用しないとわかっていた。

「驚いたよ。例の元侯爵令嬢が、あんなに美しく素晴らしい女性だったなんて」

 アレックスはすっかりカリーナの虜になっているようだった。
 これまでどんなに美しい貴族令嬢が近づいてきても、全くなびかなかった男だ。
 それほど今回のカリーナへの想いが本気だと言うことがわかる。

「俺は彼女を王妃に迎えたい。そう決心したんだが、まだ彼女はシークベルト公爵家の者だ。リンドの許可を得てから正式な申し込みをしようと思ってね」

「婚約者候補の公爵令嬢二人はどうするんだ。お前がシークベルト家から王妃を娶ったとあれば、残りの公爵家二家から顰蹙を買ってしまうではないか」

「彼女達にはそれぞれ他国の王なり公爵なり、それなりの嫁ぎ先を用意してやるさ。各公爵家の家業への融資も増やそう。シークベルト公爵家への文句は言わせない」

 アレックスなら、そう言うだろう。
 そして言葉通りにするだろう。

「だがしかし……」

「リンドから許可が貰えないのならば、カリーナ嬢に直談判と行こうか。最悪シークベルト家の許可が得られなくとも、王命としてしまえばいいだろう? 」

「私利私欲のために権力を振りかざすのは、お前が一番好まないやり方ではないのか?」

「なぜだい? リンドのよくわからないこだわりに振り回されるよりも、王妃となって俺に大切にされる方が何倍もカリーナ嬢にとって幸せではないのかい?」

 確かにその通りだ。
 図星すぎて何も言い返すことができない。

「大体そんなにカリーナ嬢を渡したくないのなら、なぜもっと早く自分の物にしなかった? 彼女を引き取ってから何年経ったと思っているんだ」

 アレックスは俺の目をまっすぐ見つめてこう言った。

「大方、奴隷出身の彼女を受け入れる勇気がお前になかっただけだろう」

 アレックスはそう言うと、自分の席に戻って執務を始めた。
 ローランド辺境伯とアレックスに言われた言葉がリンドに刺さる。

 (所詮、俺はカリーナにふさわしい男ではないのだ……)

 その日リンドは一日中執務に集中することができなかった。
 シークベルト公爵家を国王が訪問したのは、その数日後のことである。

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