螺旋の中の欠片

まみか

文字の大きさ
上 下
39 / 44
最終章 旅立ち

39 コンタクト

しおりを挟む
あれから。
めまぐるしく日常が変わっていく。
賢木に紹介された部屋は小さくて。
でも澪が一人で住むにはちょうどいい大きさ。
二階建ての8部屋しかないアパートの、二階の右端から二番目の部屋。
右隣の端の部屋は空室だったけれど、隣は別の大学に通う一つ上の男の子。真下の部屋は社会人3年目の女の子。
他の住民にはまだあってないけれど、二人から聞いた話では年は同じくらい。
賢木が話していた通り。
同じ施設から来た子もいれば違う子もいる。
けれど皆似た境遇から交流は深い。
時々どこかの部屋で騒いでいたり、澪も真下の部屋の子に夕飯に呼ばれてみたり。
同じように隣の部屋の子も呼ばれて来たり。
誰も詮索してこない。
澪がここにいる理由を。
それでも普通に話しかけてくれる。
きっと彼らは踏み込んではいけない領域を理解してる。
一歩引きながらも、親しくしてくれる環境は澪には心地よかった。
正直、急に一人になって寂しかったから。
賢木は時々連絡をしてくる。
一人の時にかけてくるのか、周りは静まり返っていて少し声を潜め、勉強はどうか、アパートの住民とは上手くやれているか、仕事はどうだ、などと聞いてくる。
澪はそれにいつも正直に答える。
あの日。
職場で待ち伏せされた日。
賢木は実のところ澪が飛び出した翌日から何度も足を運んで、長い間待っていたらしい。
誰にも、何も言わずに、何時間もずっと澪が現れるのを待っていてくれた。
さすがに申し訳なくて。
澪は賢木に感謝と、その後の連絡にはちゃんと答えるようにしている。
仕事も結構順調に進んでる。
最初は警戒したけれど、龍一は一切悠真の件に触れてこない。
というより、玖珂家の話題すら出てこない。
時々生島と一緒に元賢木家に呼ばれて夕飯を一緒にしたりする。
さすがに二人の邪魔をしたくないので、泊まりは断っているが。
倉石の家にも呼ばれた。
意外にも自宅では優しい母親の顔をしている家庭教師の倉石には戸惑ったが。
やはりそこでも玖珂の話は出ない。
なんだかみんながその話題を避けているようで。
でも、澪には有り難かった。
まだ、心の整理はついていない。
楽しく、忙しくしている間は忘れられても、一人になる時間、布団に入る時には必ずと言っていいほど、悠真を思った。
優しかった悠真。
豹変した悠真。
何度も思い出しては知らず涙が滲んでくる。
そして、まだ悠真を思って胸は苦しい。
悠真のぬくもりを恋しがって、身体は疼く。
そんな時は布団に潜り込んで、小さな泣き声を零す。
それしか、澪にはできない。
戻ることは一度も考えなかった。
悠真のことは好きだけれど、悠真の要求には答えられない。
籠の鳥にはなりたくない。
悠真と一緒に飛び立ちたい。
でもそれが許されないのならば、一緒にはいられない。
それは澪の我儘なのはわかっている。
けれど、これだけは譲れない。
悠真と対等でいたい。
それだけは。


大学へは龍一が社用車として貸してくれた車で通っている。
賢木が言っていた車は、現在は社用車として近くの駐車場に置いてあった。
「仕事に来てくれないとうちも困るから」
そう笑いながら、倉石も同意してくれた。
講義でいつも顔を合わせる福田は、毎日心配そうに澪の様子を聞いてくる。
不自由なことはないか、あったらなんでも話してほしい。
そしてこんな澪にも福田は変わらず接してくれる。
福田の気持ちが嬉しくて、ありがたくて。
気を抜けば崩れてしまいそうな気持ちを、奮い立たせることができた。
今日も、福田は一通り、澪の様子を聞いて、変わりないことを確認するとほっとした顔をした。
それから、おもむろに、頬杖をついて口を尖らせた。
「僕と志垣くんて、やっぱりなんか繋がってるよね」
「え、なに?急に」
澪は吹き出すように笑った。
「だって、僕もコウくんと喧嘩しちゃった」
澪は心から驚いた。
「えええ!?あんなに仲が良かったのに?」
思わず聞き返す。
「…志垣くんと玖珂くんもそうだったじゃない」
玖珂の名前にちょっと、びくりと反応してしまう。
「…そう、だけど…」
澪たちはただの思い込みだった。
けれど福田たちは違う。
「どうして?」
澪が尋ねると、福田はわざとらしい大きな溜息を吐いた。
「留学するんだって」
「え、大泉くんが?」
澪が聞き返すと、福田は目を吊り上げ、大げさな手振りで振り返る。
「そう!もう、一年ぐらい前から決めてて、今度の夏休みの終わりぐらいから、外国行くんだってさ」
留学…。
医療関係にも留学があるのか…。
そういえば構内の案内板にもそんなチラシが貼ってあったような…。
「……それが喧嘩の原因?」
澪が小さくいうと、福田は心外だというように声を荒げた。
「だって!僕、聞いてなかったんだよ?一年も向こうにいるっていうのに!」
「…ああ、うん…」
あまりの気迫に押されて、澪はただ相槌を打つよりない。
「夏休み、旅行しようとか思ってたのにさ、準備で忙しいからって」
再び頬杖をついて口を尖らす。
「ひどいよね?僕のこと全然視界に入ってなかったんだよ、婚約もしたのに!」
「いやあ、でもそれは…」
澪が大泉を弁護しようとすると、即座に福田が同意を求めてくる。
「一言ぐらい言ってくれてもいいと思わない?」
福田はかなり御冠のようだ。
ここは逆撫でしないほうがよさそうだ。
「うん、そうだね」
澪はまた相槌を打つ。
澪の相槌に満足したのか表情を緩めた福田が、ふいに視線を落として小さく呟く。
「…僕、遠距離恋愛とか、無理…」
「………」
大好きな人にはいつも近くにいてほしい。
澪にもよくわかる。
今、離れている悠真に本当は近くにいてほしい。
でもそれが出来ないから…。
澪も思わず神妙な表情になる。
「…別れるの?…」
「………それも、無理……」
小さな返事だったけれど、即座に帰ってきたことに少しホッとした。
思わず口元が緩んでしまって、直後に福田と視線が合って焦ったが、福田が苦笑いをしたのでほっとした。
「でも!腹が立ったから、しばらく口きいてやんない!」
再び先ほどのてんしょんを取り戻して、福田は意気がる。
「僕、それなりにモテるんだからね!」
「うん、知ってる」
「コウくん、知らないんだ!僕を放っておくと、誰かに取られちゃうんだって教えてやるんだ」
「はいはい」
どうやらこの様子だと、そのうちあっさり仲直りしそうだ、と澪は相槌も適当に苦笑いした。



自分はなんのために大学にまだ通っているのだろう。
賢木さんに言われたから?
自分に必要だから?
けれど別に大学を出ていなくても仕事にはつける。
最悪、大学を辞めて倉石のところでそのまま働かせてもらってもいい。
あの会社は大学卒業が条件ではなかったはず。
実際、倉石にそれとなく聞いてみたりもした。
人手はあるに越したことはない。
会社の運営上、あと一人か二人は必要と言っていた。
そこまで甘えるのもどうかと思うが、選択肢にならないわけじゃない。
澪は案内板の留学のポスターを見上げて、足を止めた。
楽しそうなホームステイ先の写真や、経験者のコメントが並べられている。
大学に通っている理由。
やはりそれは悠真でしかない。
まだ諦めきれない想いが、いつか悠真の役に立つことを望んでいる。
悠真が惣一のように忙しくしている側で、自分も賢木のように支えて手助けがしたい。
でも現実として、それは厳しいとしか言いようがない。
悠真はきっともう、自分への興味が薄れている。
まだ少しくらい気持ちが残ってても、このまま距離を置いてしまえばすぐその時はやってくる。
そのあとで、悠真の側で仕事をしたとして。
自分は耐えられるだろうか。
悠真の側に別の女性やΩがいたとしたら。
賢木のように、耐えられるだろうか。
大学はその分かれ道。
悠真へと繋がる最後の道。
澪はとぼとぼと案内板の前から離れた。


アパートの前の駐車場に車を止めると、ちょうど真下の部屋の子がいそいそと出かける姿が見えた。
澪を見かけると大きく手を振る。
「おかえり~」
「ただいま。出かけるの?」
澪が尋ねると恥ずかしそうに答える。
「へへ、デート」
そういえばいつもよりお化粧や服装に力が入っている。
「へえ、そうなんだ」
「うん」
はにかみながらも嬉しそうな笑顔に、澪も思わず顔を綻ばせる。
「頑張って」
「うん、じゃあね」
跳ねるような背中に澪は笑顔で手を振った。
それから手にした袋を見下ろした。
いつも夕飯に手料理をご馳走してくれるから、今日はそのお礼に彼女の喜びそうな甘い物を買ってきたのだが。
明日でもいいか。
澪はふっと笑いを漏らすと、自室へと階段を登って行った。
部屋の鍵を開ける前にちらりと隣を窺い見る。
隣は留守らしい。
そういえば割りがいい夜のバイトを見つけたとか言っていたっけ。
部屋に入るといつもより、静寂が深く感じた。
一人の部屋は寂しい。
気温は低くないはずなのに、寒く感じる。
凹みそうになった気持ちを奮い立たせて、澪は冷蔵庫の中に袋の中身を移し替えた。
ぷるぷる。
ポケットで携帯がなった。
以前は悠真や賢木と、福田ぐらいからしかかかってこなかった携帯に、今は隣の子や真下の子、倉石や他の従業員、といった色々な人からかかってくる。
主にかかってくるのは福田とアパートの子。
澪はなんの疑いも警戒心もなく、画面も見ずに通話ボタンを押し耳に当てた。
「はい」
『澪』
聞き慣れた声。
思わず携帯を落としそうになって、澪はもう片方の手で支えた。
「………」
なんで?
疑問と混乱と、爆発しそうな想いが澪の中で渦を巻き、声が出ない。
『澪?』
繋がったのに返事がないことに少し疑問を抱いたのだろう相手が、再び声をかけてくる。
声を聞いただけで、泣き崩れてしまいそうだ。
「誰に聞いたの、この番号」
必死に喉から声を絞り出す。
『…さ、母さんのスマホ、勝手に弄った…』
「………」
勝手に?
賢木がそんな不注意をする?
疑問は浮かんだけれど、澪は口を閉ざした。
『絶対、知ってるって思ったんだ。澪の連絡先。澪が居なくなってすっごい怒ってたくせにある日、けろっとしてたから、変に思うだろ?』
「………」
賢木はもしかしてわざと悠真の前にスマホを置いたんじゃ…。
でも今回は手助けしないとも言っていた。
…だめだ、賢木ですら以前の信用を持てない。
部屋を貸してもらったり、色々助けてもらってるのに。
澪の人間不信は根強い。
『…澪、ごめん…』
「………」
悠真に謝られても、澪の心に響かない。
逆に妙に心が冷めていく。
『乱暴にして、ごめん』
「そこ?謝るんだ」
思わず冷笑した。
やはり悠真に澪の気持ちが伝わっていない。
わからないんだ、悠真には。
『………』
「………」
悠真が黙り込むと、澪も黙り込む。
『正直な気持ちを言っただけだ。間違ってると思ってない』
「………」
悠真らしい。
傲慢とも取れる自信家。
しかも空虚なものではなく、それを裏付ける努力と実力がある。
以前はそんな悠真を頼もしく思えたのだけれど、今は、違う。
『澪を閉じ込めたい。誰にも何にも触れさせず、俺だけ見てればいい、と今でも思ってる』
ほら、隠しもせず、本心をそのまま伝えてくる。
自信がある証拠。
澪は従って当然だと、思ってる口調。
…それでもいい、と思えたら、なんの問題もないのに。
ただ悠真に愛されていればいい、と思えれば、こんなに幸せな境遇はないだろう。
でも澪は欲張りだ。
それだけじゃ足りない。
「……僕の意思は無視?…」
悠真が望むようには出来ない。
悠真以外、誰にも触られたくないし、悠真しか、今この状況でも悠真しか見えない。
でもそれは微妙に悠真の望みとは違っている。
閉じ込める…。
悠真が言っているのは物質的なこと。
澪が言っているのは心理的なこと。
その違い。
『…それじゃ人形と一緒だって言われた…』
「賢木さんに」
なんだ。
結局賢木は悠真を助けているのか。
『いや、親父に』
「………」
意外な人物に、澪は驚いた。
『誰かを深く愛すれば、その感情は確かに付いてくる。でもそれを押し付けたら相手を人間として扱ってないのと同じだって。そんなのでいいのなら母さんに澪そっくりの人形でも買ってもらえって、さ』
「………」
澪は黙って聞いている。
『言われて、思ったんだ。俺、人形じゃ嫌だ』
「………」
『澪じゃなきゃ、嫌だ』
「………」
『人形は笑ったり、怒ったりしないだろ?俺、澪が笑うのも怒るのも、拗ねるのも好きだから』
「…でも、逆らうよ…」
悠真の言いなりにならない。
望むようにはいかない。
お互いに。
『それも、澪だろ』
「………」
『矛盾してるんだ、自分でわかってる』
「………」
澪もわかってる。
悠真は関係を修復しようとしてくれている。
嬉しいけれど。
どこか心でブレーキがかかる。
同じことを繰り返すだけじゃないのか?
悠真と自分では関係に対する捉え方が違うのは事実。
修復を目的に悠真が譲歩してくれている。
どうしよう…。
どうしたらいい?
『なあ、澪』
「…なに…」
名前を呼ばれるのが嬉しい。
耳の中からじんわりと全身に回って胸が騒ぐ。
『まだ、俺のこと、好きか?』
「…どうだろうね…」
強がって、そんな言葉を吐いてみる。
『でも電話、切らなかっただろ?』
「………」
『切られるの覚悟して電話したんだ』
「………」
だって。
一人の部屋は寂しくて。
悠真の声が恋しくて。
内容はともかく、切ることが出来なかった。
『澪が電話切らなかったら、まだ大丈夫、だから言おうって決めてたことがあるんだ』
「…なに?…」
聞いていたい声。
『会いたい、澪』
「………」
澪は口を押さえながらその場にずるずると座り込んだ。
僕も会いたい、思わずそう言ってしまいそうになったから。
『会いに行っていいか?』
「…知らないくせに…」
必死に強がりを言う。
『探すよ、絶対』
「…賢木さんは教えてくれないと思うよ…」
間接的に手助けしてるかもしれないけれど、そうゆうはっきりした手助けは澪の手前しないだろう。
『見つけるよ』
「…………」
うん、見つけて、悠真。
早く。
「…ここまで来れたら、会うよ」
会いたいから。
『約束だぞ』
「…うん…」
『その時は、もう、逃げないでくれよ?』
「…約束できない…」
本当に、わからない。
いざ悠真を前にしたら、あの時の恐怖が蘇ってしまうのかも。
『分かった。逃げられないようにする』
「…うん、頑張って…」
悠真。
『また、電話するから』
「………」
悠真。
まだ切らないで。
『いいよ、返事しなくても』
悠真が電話口で笑う。
自然と浮かぶ悠真の苦笑いの表情。
会って、その表情を直に見たい。
「……」
ねえ、悠真。
『じゃあ、おやすみ、澪』
「…おやすみ…」
切れた携帯を澪は握りしめた。
まだ好きだよ。
きっとずっと好き。
早く見つけて。
会いたいから。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

最初に私を蔑ろにしたのは殿下の方でしょう?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:15,870pt お気に入り:1,964

【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜

BL / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:645

毒花令嬢の逆襲 ~良い子のふりはもうやめました~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:105,372pt お気に入り:3,128

婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,201pt お気に入り:281

目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:16,763pt お気に入り:3,110

【BL】欠陥Ωのシンデレラストーリー

BL / 連載中 24h.ポイント:276pt お気に入り:1,321

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,062pt お気に入り:1,340

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,643pt お気に入り:3,568

獅子王と後宮の白虎

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:279

処理中です...