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第28話
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思えば、こうして夏樹と二人っきりで楽しむことは旅行以来で、私はこの時間を楽しんでいた。
「映画、面白かったね」
映画館を出た私たちは歩きながら喋っていた。
「その言葉が聞けて良かった。姉さんが好きそうな映画を選んだんだけど自信がなかったから」
「……私のことを考えて選んでくれたんだ」
そんなことで嬉しくなってしまう私は単純だ。
「そりゃあそうだよ、姉さんと一緒に出掛けるんだから。俺、やっぱり姉さんといる時が一番居心地がいいんだよな」
「居心地がいいって……」
……それってどういう意味で――。私の胸が高鳴る。
「――やっぱり家族だからかな」
夏樹が笑う。
何、それ……。私の心が急速に落ちていくのがわかった。
「……笑わないでよ」
だって、馬鹿みたいじゃない。夏樹の言葉に期待してしまった自分が。
好きな人と一緒にいるから居心地がいいんだって思ってしまった自分が。
「笑わないで、早く私を思い出してよっ」私は夏樹に縋りつく。「どうして私のこと忘れたの⁉ いつになったら思い出してくれるの⁉」ずっと胸に溜まっていたもやもやを発散するかのように私の口から言葉がこぼれる。「私、まだ夏樹に何も伝えられていないのに、やっと伝えようとした矢先に……」
だんだんと声が小さくなる。夏樹のシャツを掴んだまま自分の頭を夏樹の胸に押し当てると、私はもう何も言えなくなる。
こんなこと言っても困らせるだけなのに。こんなこと言っても夏樹の記憶が戻るわけないのに。私は自分で自分を軽蔑した。
「じゃあ教えてよ」
夏樹が私の手を掴み取る。
「夏――」
顔を上げる。夏樹の顔は、苦しくて辛くて悲しくて、そして怒っている。そんな色んな感情が混ざっていた。
「思い出してほしいなら、俺がどんなやつだったのか教えてよ」
私は掴まれた手を振り解こうとする。だけど、夏樹は放さない。
「事故する前に俺と姉さんがケンカしていた理由って何? 何のために事故当日俺と会っていたの? それに姉さんは俺に触れられると動揺するよね。こうして手を握っただけでどぎまぎしてるし、さっきだって、一緒にポップコーンを食べて手と手が当たっただけで俺のことを意識しているようだったし」夏樹は続ける。「もしかして、姉さんは俺のこと――いや、俺と姉さんは……」
夏樹が核心を、付こうとしていた。
「春妃」
夏樹の口から私の名前が出た。
春妃って、今、私の名前を呼んだ……?
「“春妃”って俺のスマホに姉さんの電話番号が登録されていたんだ。俺、記憶を失う前は姉さんのこと“春妃”って呼んでいたんだろう?」
あぁ、私はまた夏樹に期待してしまった。今の夏樹が私の名前を呼んでくれることなんてあるはずがないのに。本当に、私って馬鹿なんだから。私は顔を伏せる。髪の毛が垂れて私の顔を隠した。
「姉さん……?」
夏樹は目を見開くと掴んでいた私の手を放した。夏樹の瞳には涙で顔をぐしゃぐしゃにした私の姿が映っていた。
「酷いこと言ってごめんね、夏樹。今日はありがとう」
それだけを言うと、私は逃げるようにしてその場から駆け出した。
声をしゃくりあげながら私は家まで歩いていた。大の大人が泣きながら歩いて帰るなんて見っともない。でも、涙が止まらなかった。
すると、腕を掴まれた。もう、一体何なの。
「追って来ないでよ、夏樹――」
後ろを振り返る。
柊さんが、そこにいた。
姉さんとケンカして、俺はその場から動けないでいた。
本当は、追いかけるべきなのに俺はそれが出来ない。だって、今の俺が何を言ったって姉さんに届かないんだから。
『私、まだ夏樹に何も伝えられていないのに、やっと伝えようとした矢先に……』
姉さんは、俺に何を伝えたかったんだ?
それに俺は変なことを口走ろうとしていた。
『もしかして、姉さんは俺のこと――いや、俺と姉さんは……愛し合っていたの?』
頭の中で言葉にしてみて、嘲笑した。その考えはあまりにも飛躍しすぎている。
すると、ズキッと頭が痛んだ。何だ、この痛みは。
「夏樹くん?」
声を掛けられハッとした。顔をあげると萩村が立っていた。
「夏樹くん、何してるの?」
「……萩村こそ何してるんだ?」
「私は――」
わんっと足元から鳴き声がした。目線を下げると丸っこい犬が尻尾を振りながら俺を見上げている。
「コロ、急に吠えたらダメでしょう」
再びわんっと犬が鳴く。
「ふっ、全然言うこと聞いてねぇじゃん」
「わ、笑わないでよ。いつもは言うこと聞くんだから」
俺はしゃがむと犬の頭を撫でた。
「お前がコロか。飼い主の言うことはよく聞かないとだめだぞ。まぁ、聞きたくない気持ちもわかるけどな」
「ちょっと、コロに変なこと言わないでよ!」
成り行きで俺は萩村と一緒に散歩をすることにした。
樹木が等間隔に植えられている遊歩道を歩く。遊歩道に沿うように転落防止柵が設置してあり、その少し下には川が流れていた。空の色をそのまま映したかのように川は灰色に染まっている。
空を見上げると、今にでも雨が降りそうだった。
「あっ」萩村が声をあげる。「そうやって空を見るの、春妃さんと同じだね」
ズキリ、と頭が痛んだ。
「姉さん?」
「うん。この前一緒に帰ったとき雨が降り出しそうな空で、春妃さんも夏樹くんみたいに空を仰いでたの。やっぱり姉弟だからかな。仕草まで同じだなんて」
萩村がくすりと笑う。
「姉弟って言っても義理なんだけどな」
「え――?」
萩村の足が止まった。
「あれ? 言ってなかったか? 俺と姉さんは親同士が再婚して出来た義理姉弟なんだよ」
「そう、なんだ。初めて知った……」
萩村が再び歩き出す。その足取りが何だかぎこちなく感じた。
夏樹くんと春妃さんが義理の姉弟だなんて、初めて知った。
今までずっと仲の良い本当の姉弟だと思っていたのに。私の胸が揺らぐ。
じゃあ、私が春妃さんに感じていた違和感は……。病室で、寝ている夏樹くんを愛おしそうに見おろす春妃さんの顔がフラッシュバックする。
すると、雨粒が落ちてきた。
「あ。雨が降ってきた」
夏樹くんが空を見上げる。
退院したばかりの夏樹くんが雨に濡れて風邪でも引いたら大変だ。
「私の家、ここから近いの。私の家で雨宿りすればいいよ」
「は? 俺はいいよ」
「だってこのままだと濡れちゃう」
私は夏樹くんの背中を押すと家まで連れて行く。
「映画、面白かったね」
映画館を出た私たちは歩きながら喋っていた。
「その言葉が聞けて良かった。姉さんが好きそうな映画を選んだんだけど自信がなかったから」
「……私のことを考えて選んでくれたんだ」
そんなことで嬉しくなってしまう私は単純だ。
「そりゃあそうだよ、姉さんと一緒に出掛けるんだから。俺、やっぱり姉さんといる時が一番居心地がいいんだよな」
「居心地がいいって……」
……それってどういう意味で――。私の胸が高鳴る。
「――やっぱり家族だからかな」
夏樹が笑う。
何、それ……。私の心が急速に落ちていくのがわかった。
「……笑わないでよ」
だって、馬鹿みたいじゃない。夏樹の言葉に期待してしまった自分が。
好きな人と一緒にいるから居心地がいいんだって思ってしまった自分が。
「笑わないで、早く私を思い出してよっ」私は夏樹に縋りつく。「どうして私のこと忘れたの⁉ いつになったら思い出してくれるの⁉」ずっと胸に溜まっていたもやもやを発散するかのように私の口から言葉がこぼれる。「私、まだ夏樹に何も伝えられていないのに、やっと伝えようとした矢先に……」
だんだんと声が小さくなる。夏樹のシャツを掴んだまま自分の頭を夏樹の胸に押し当てると、私はもう何も言えなくなる。
こんなこと言っても困らせるだけなのに。こんなこと言っても夏樹の記憶が戻るわけないのに。私は自分で自分を軽蔑した。
「じゃあ教えてよ」
夏樹が私の手を掴み取る。
「夏――」
顔を上げる。夏樹の顔は、苦しくて辛くて悲しくて、そして怒っている。そんな色んな感情が混ざっていた。
「思い出してほしいなら、俺がどんなやつだったのか教えてよ」
私は掴まれた手を振り解こうとする。だけど、夏樹は放さない。
「事故する前に俺と姉さんがケンカしていた理由って何? 何のために事故当日俺と会っていたの? それに姉さんは俺に触れられると動揺するよね。こうして手を握っただけでどぎまぎしてるし、さっきだって、一緒にポップコーンを食べて手と手が当たっただけで俺のことを意識しているようだったし」夏樹は続ける。「もしかして、姉さんは俺のこと――いや、俺と姉さんは……」
夏樹が核心を、付こうとしていた。
「春妃」
夏樹の口から私の名前が出た。
春妃って、今、私の名前を呼んだ……?
「“春妃”って俺のスマホに姉さんの電話番号が登録されていたんだ。俺、記憶を失う前は姉さんのこと“春妃”って呼んでいたんだろう?」
あぁ、私はまた夏樹に期待してしまった。今の夏樹が私の名前を呼んでくれることなんてあるはずがないのに。本当に、私って馬鹿なんだから。私は顔を伏せる。髪の毛が垂れて私の顔を隠した。
「姉さん……?」
夏樹は目を見開くと掴んでいた私の手を放した。夏樹の瞳には涙で顔をぐしゃぐしゃにした私の姿が映っていた。
「酷いこと言ってごめんね、夏樹。今日はありがとう」
それだけを言うと、私は逃げるようにしてその場から駆け出した。
声をしゃくりあげながら私は家まで歩いていた。大の大人が泣きながら歩いて帰るなんて見っともない。でも、涙が止まらなかった。
すると、腕を掴まれた。もう、一体何なの。
「追って来ないでよ、夏樹――」
後ろを振り返る。
柊さんが、そこにいた。
姉さんとケンカして、俺はその場から動けないでいた。
本当は、追いかけるべきなのに俺はそれが出来ない。だって、今の俺が何を言ったって姉さんに届かないんだから。
『私、まだ夏樹に何も伝えられていないのに、やっと伝えようとした矢先に……』
姉さんは、俺に何を伝えたかったんだ?
それに俺は変なことを口走ろうとしていた。
『もしかして、姉さんは俺のこと――いや、俺と姉さんは……愛し合っていたの?』
頭の中で言葉にしてみて、嘲笑した。その考えはあまりにも飛躍しすぎている。
すると、ズキッと頭が痛んだ。何だ、この痛みは。
「夏樹くん?」
声を掛けられハッとした。顔をあげると萩村が立っていた。
「夏樹くん、何してるの?」
「……萩村こそ何してるんだ?」
「私は――」
わんっと足元から鳴き声がした。目線を下げると丸っこい犬が尻尾を振りながら俺を見上げている。
「コロ、急に吠えたらダメでしょう」
再びわんっと犬が鳴く。
「ふっ、全然言うこと聞いてねぇじゃん」
「わ、笑わないでよ。いつもは言うこと聞くんだから」
俺はしゃがむと犬の頭を撫でた。
「お前がコロか。飼い主の言うことはよく聞かないとだめだぞ。まぁ、聞きたくない気持ちもわかるけどな」
「ちょっと、コロに変なこと言わないでよ!」
成り行きで俺は萩村と一緒に散歩をすることにした。
樹木が等間隔に植えられている遊歩道を歩く。遊歩道に沿うように転落防止柵が設置してあり、その少し下には川が流れていた。空の色をそのまま映したかのように川は灰色に染まっている。
空を見上げると、今にでも雨が降りそうだった。
「あっ」萩村が声をあげる。「そうやって空を見るの、春妃さんと同じだね」
ズキリ、と頭が痛んだ。
「姉さん?」
「うん。この前一緒に帰ったとき雨が降り出しそうな空で、春妃さんも夏樹くんみたいに空を仰いでたの。やっぱり姉弟だからかな。仕草まで同じだなんて」
萩村がくすりと笑う。
「姉弟って言っても義理なんだけどな」
「え――?」
萩村の足が止まった。
「あれ? 言ってなかったか? 俺と姉さんは親同士が再婚して出来た義理姉弟なんだよ」
「そう、なんだ。初めて知った……」
萩村が再び歩き出す。その足取りが何だかぎこちなく感じた。
夏樹くんと春妃さんが義理の姉弟だなんて、初めて知った。
今までずっと仲の良い本当の姉弟だと思っていたのに。私の胸が揺らぐ。
じゃあ、私が春妃さんに感じていた違和感は……。病室で、寝ている夏樹くんを愛おしそうに見おろす春妃さんの顔がフラッシュバックする。
すると、雨粒が落ちてきた。
「あ。雨が降ってきた」
夏樹くんが空を見上げる。
退院したばかりの夏樹くんが雨に濡れて風邪でも引いたら大変だ。
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