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第四章 高校生編

※※※(巳華院視点)

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―――ドスッ。

「おうっ!?」

鏡が私の横腹にぶつかって、その隙に円君と白鳥総帥が走り去っていった。
何故あんなに全力で走る必要が?
何か見てはいけないものでも見たのか…?
「ふむ…。私の筋肉の美しさに耐え切れなかったかな?」
「そんな訳ないでしょっ!巳華院だっけ?あんたが円ちゃんの服を剥いだから美鈴ちゃんは円ちゃんをつれて逃げたんだよっ!」
「何故?」
「何故と言うかっ!?この場面でっ!?」
「私は下心などなく、ただ円君の筋肉を確かめようと」
「そもそも普通は女子の服を剥いで筋肉を確かめようとしないからっ!!」
「そうなのか?」
「そうなのっ!!」
「そうなのか。だが筋肉を確認すると言うのは人生に置いてかなり重要な検分事項で」
「それ、君だけだから」
ふむ。…成程。私だけか。そう言えばダディとマミィが外では絶対にやるなと言っていたのが筋肉の確認だったな。
「女の子の服を剥ぐとか。しかも僕と美鈴ちゃんがいるってのに…。美鈴ちゃんの言うように最低だね」
「…………最低?」
「最低」
私がか?こんなに美しい筋肉を持った私がか?
否。私が最低なんてことはないっ!そもそも、他の奴に私の事をどうこう言われる筋合いは…はて?
「君は一体誰だい?」
「…今聞くんだ。…言わなきゃ分からないとか、ほんと何なの」
額に手を当ててやれやれと軽く頭を振る目の前の筋肉レベル29の男子。
因みに筋肉レベルは私がMAXである。当然だ。筋肉レベルとは美しさも兼ね備えなければならない。

「僕の名前は」

―――ガララッ。

「おい、優兎」
「あれ?樹先輩?」
おおっ!?樹総帥ではないかっ!?彼の筋肉レベルは素晴らしいっ!50はあるっ!MAXが100で平均値が30なのでかなりのレベルであるっ!!顔のレベルもかなり高いっ!!
「今、美鈴が向井を小脇に抱えて走って行ったが。一体何があった?美鈴の方から俺に触れてきたかと思ったら、上着だけ奪い去って、茫然としてる向井に着せてまた駆け抜けって行ったぞ。なんなら舌打ちまでしてくれやがった」
「あぁ…。実は…」
筋肉レベル29男子は樹総帥に近寄ると何かを耳打ちした。
目の前で内緒話とは。気になるではないか。
これは私も耳を澄ますしかないな。
「……何してるの?」
「ふむ。私も内緒話に参加しようと思って」
「君に聞かせたくないから内緒話にしてるんだって事、理解してる?」
「それを理解するような人間ならこんな事になってないだろ」
「……そのセリフ。きっと美鈴ちゃんなら樹先輩にだけは言って欲しくないって言うよ」
「うぐっ…。優兎。お前中学に行って変わったな」
「ふふっ。あの空間に三年もいたら変わらざるを得ないよ」
おう?何故だ?
筋肉レベル29男子の笑顔から冷気を感じるぞ。私の筋肉が冷気を感じるとは…やるな。
「そんな事より。こっちだよ、こっち。取りあえず、自己紹介しておこうか。僕は花島優兎。名前くらいは知ってるんじゃない?」
花島優兎…?
どっかで聞いた事があるような…。あぁ、そうだ。マミィが言っていたんだ。
「FIコンツェルンの御曹司?」
「そう。良かったよ。これで知らないなんて言われたら、どうしようかと思っていたんだ」
「1年?」
「うん。Sクラスだからそうそう顔を合わせる事もないだろうけど」
「なんと、Sクラスとなっ!?素晴らしいっ!!では、この美しき出会いに乾杯しようではないかっ!!」
「いや。しないから。しないし、プロテインを取り出してグラスに注ごうとしないでくれる?」
……ならばせめて、毎日配達しよう。彼でも私としては構わないんだ。
「おい。巳華院の息子。何で俺と美鈴にプロテインを毎日毎日配達してるのか、詳しく話して貰おうか」
「あ、それ、僕も混ぜてくれますか、樹先輩」
むっ?今度は誰だ?むむっ、彼は…確か猪塚グループの…。
「猪塚くんっ」
「くん?俺は先輩だよな?巳華院」
おおぅっ!?再び冷気がっ!?私の筋肉が何度も冷気を感じるとは…やるなっ。
「猪塚先輩。ドア閉めてくれたんですね。ありがとうございます」
「白鳥さんの為だからね。余計な事をする奴は叩いておいて損はないし?」
「…猪塚先輩。そろそろ美鈴ちゃんを諦めたりしないんですか?」
「ははっ。そっくりそのまま返させて貰うよ」
「えー?だって僕は猪塚先輩と違って美鈴ちゃんに触らせて貰えるし、樹先輩みたいに兄達に嫌われてもいないし。側にいる分には何の問題もないですよ?」
「…優兎。どさくさに紛れて俺を出してくるな」
「やだなぁ、樹先輩。潰せるものは一気に潰す。常識でしょ?」
「ちっ。似なくていい所ばっかりあの兄弟に似やがって」
…何やら楽しそうに話しているな。…時間が空いてしまった。こう言う時は筋肉を眺めるに限るな。
鏡の側に行って、今度は上腕二頭筋の美しさを堪能しよう。
ふんっ。……美しい。右の上腕二頭筋は素晴らしい。ならば、左の上腕二頭筋は…ふんっ。うおおおおおっ!!ヤバいぞっ!!美し過ぎるっ!!
今のこの形は今までで一位二位を争う美しさだ。あぁ…誰かこの素晴らしき瞬間を絵に、いや写真に収めてくれっ!
「って、僕達が話してる間に何してるのっ!?さっさとこっちに来て、どうして美鈴ちゃん達にプロテインを配達してるのか理由を話しなよっ!!」
「あぁっ!?何をするっ!?私が家から持参した曇りも指紋跡もないミラー達を何処へ持って行くんだっ!!」
「何処にも持って行かないよ。そもそもこんなゴテゴテと薔薇の造花で飾られた趣味の悪い鏡はいらない」
と言いつつ、部屋の隅の隅まで押し込むとはっ!?愛しい鏡達よっ!!後でちゃんと取り出して磨いてやるからなっ!!
「さっ。プロテイン配達業の理由を説明して」
美術室に備え付けの椅子をいつの間にか美術室の中央に円型に配置しているその三つに三人は既に腰かけている。
ふむ。では残りの一つに座ろうか。
「…あ、座る前に上着着てくれる?男の筋肉何て凝視していたくないから」
「なんとっ!?この美しい筋肉を見たくないだとっ!?」
「うん。みたくない。それに人がいる時に上半身裸なのはマナーとしておかしいでしょ?さっさと着て」
ぬぅ…。仕方ない。
鞄にしまっていたシャツを取り出し着る。
「……何でそんなにぴちぴちなんだとか、何でそんなに生地が薄いんだとかは」
「樹先輩。今それを問うても時間の無駄です。さっさと進めましょう」
「…優兎。君、性格変わったね」
「猪塚先輩。それはさっきのくだりで樹先輩と話したのでもういらないです。って言うか、巳華院くん。とっとと話してくれる?」
口を挟む隙がなかったと思うが?
だが、今言っても仕方ない。
「では、話そう。そう、それは…私が筋肉に目覚め」
「あ、ちょっと待って。君が筋肉を好きになった理由とかどうでもいいから。必要な所。美鈴ちゃんにプロテインを配達している理由とそのくだりだけ話して」
「だが、それでは筋肉の素晴らしさ、巳華院綺麗10245(只今執筆継続中)の法則の1から10128をカットしなくてはならないっ」
「それだけカットしても117残るの?もっとカットしてくれる?出来れば80文字以内で」
「優兎。それは勘弁してやれ。ある程度こいつの言い分も聞かなければ解決が難しいかも知れないからな」
視線だけで樹総帥が話を続けろと言うから、では…こほん。

「実は私は自分の筋肉が好きなんだ」
「あ、うん。それは見てたら解る」
「だから、私はそれをダディに伝えたんだっ!私は一生この筋肉と共に生きて行くっ!巳華院家を継ぐつもりはないっ!と」
『…………』

「そうしたら、何故かダディは怒り『お前の筋肉なんだから一生を共に生きるのは既に確定しているだろうっ!』と言い、マミィは『巳華院家を継いでも筋肉を愛でる事は出来るでしょう?そもそも筋肉と共に生きるとは何?私は貴方を脳味噌まで筋肉に育てた覚えはありませんっ!』と泣きだしたのだ」
『…………』

「何故、二人がそんな反応を示したのか分からない。それにその日を境に両親は私に数多くの見合い話を持ち込む様になったのだ」
「………どうしよう、樹先輩、猪塚先輩。巳華院のご頭首様達の気持ちが痛い位に理解出来る…」
「きっとご両親は筋肉にしか脳が働かない息子に良い嫁を連れて来させて、せめて跡継ぎを作ろうとしてるんだろう」
「でも、正直、巳華院くんの所に嫁に行くような女の子、いないと思う」
『…………』

「だから、私は言ったのだっ。筋肉と共に生きて行くのに女はいらないっ!と。だがそう言ったら今度はマミィが『ふざけた事をお言いでないのよっ!貴方の○○○は不能なのっ!?』と怒り、ダディが『頼むから男を連れてくるのだけは勘弁してくれ』と泣きだす始末」
「もう、言葉を隠すつもりもないくらい切羽詰まっちゃったんだ…彼のご両親」
「流石に同情するな…」
「ですね…」
『…………』

「だが、私もそんな両親を見て考えたのだ。私が愛する筋肉は子をなすことが出来ない。ダディもマミィも孫の顔を見る事が叶わないのだと。ならばせめて…」
「せめて政略結婚でもいいから子供を作る、とか?」
「それでもしかして向井に手を出したとか?」
「ですが、だとしたら白鳥さんや樹先輩にプロテインを配達する理由にならないのでは?」
『…………』

「ならばせめて、筋肉の素晴らしさを世界に広めようとっ!そして、両親も筋肉への愛が目覚めてさえくれれば私の気持ちも通ずるはずだとっ!!」
「……うん。意味わかんない」
「両親がっかりだな」
「両親だけなら良いでしょうけどね。彼一応旧家の一人息子ですから」
『…………』

「その為には、名の知れた人に筋肉の素晴らしさを学んで貰わねばならない。そう思って」
「美鈴ちゃん達に配達した?」
「いや待て優兎。さっきからこいつはおかしな事を言うからな。そこに結果が辿り着かないかもしれない」
「確かに。続きを聞きましょう」
『…………』

「白鳥財閥の白鳥誠の下へ行ったんだっ!」
「う、嘘でしょっ!?」
「あの人の所に突撃したのかっ!?」
「いくら白鳥さんが総帥だと言えど、今代理で表に出てるのはあの人だ。そこへアポもとらずに行ったのかっ!?」
「行ったっ!!しかし、彼は一通り私の話を聞いた後」
「……聞いてくれたんだ」
「………変な所優しいな」
「案外楽しんでいたのかも?」
『…………』

「『あんまり自分の筋肉に興味はないんだ。ごめんね』と帰されてしまったんだ。そしてその話を帰宅後両親に話したら二人は顔を真っ青にして意識を失ってしまった」
「だろうね」
「あまりにも各上の存在だからな」
「僕ですら会ったら緊張せずには話せないし」
『…………』

「両親は目を覚ました後、こう言った。『もう、解った。お前がそこまでするほど筋肉を愛しているのなら、それでいい。私は何も言わない。だが、巳華院の家に生まれた人間として責務を果たして貰う。一つは跡を継ぎになりえる嫁か養子を取る事、もしくは私が死んだ後に巳華院家の面倒を見てくれる人間を作る事。二つ目に、出来うる限り人脈を繋ぐ為にエイト学園に進学し権力を持っていそうな人に出会って置く事。いざと言う時の為だ。三つ目にエイト学園で優秀な成績を残す事。以上が出来なければ無理矢理にでも嫁をとらせる。だがそれが出来たのなら筋肉を愛でるだけの毎日を過ごす事を許そう』と」
「諦めたんだね…」
「いや、頑張った方だろ」
「僕、優しいご両親に涙が出そうになってきた…」
「私のダディもマミィも優しい。そして私はエイト学園に進学し、愛すべき筋肉と両親の為に、学校で一番権威を持っていそうな樹総帥と白鳥総帥と懇意になる為にお勧めのプロテインを配っていたのだ」
『…………』

ふっ。全て語った今ならば、樹総帥は私と懇意になってくれるはずだ。そして一緒に筋肉を愛でる筋肉仲間として…。
「取りあえず、だ。巳華院」
「なんでしょう?」
「俺はお前と懇意になりたくない」
「なにゆえにっ!?」
「きっと美鈴も同じ事を言うだろう。いや、美鈴はもっと嫌がるだろうな」
「WHYッ!?」
何たる衝撃、何たる事実っ!!
「美鈴ちゃんは嫌がるというより、もう視界の端にも入れてくれないんじゃない?」
「確かに。友達を襲おうとした男を男性恐怖症のアイツが許してくれるはずもない」
「そして、それを知った棗先輩達が近づくのを許可する訳がないから」
『完全に詰んだな』
「ショーックッ!!」
何という事だっ!?
私と筋肉の愛すべき日々にヒビがッ!!
ショックのあまりに椅子から転げ落ちる。だが、愛すべき筋肉が私を支えてくれた。
「わ、私はただ筋肉と共にありたいだけなのに…。白鳥総帥が男性恐怖症なのであれば私は最高の相手だ。何故なら私はあの人を襲うつもりはないのだから」
「いや。僕達から見たら、君は最低の相手だよ」
「だな。名前だけの結婚をしいて、権力を奪い取り、全く自分を見ない男に利用される訳だからな」
「そんな奴に白鳥さんをやる訳には行かない。…って言うかこれ以上ライバルはいらない。本気じゃねーんなら消えろ」
「……猪塚先輩。さっきから思ってたんですけど。所々口が悪くなってますよ?小学生の頃のヤンキー口調に戻ってます」
「優兎。今こいつに関しては猪塚の口調は正しいだろ。見逃してやれ」
などと話しつつ彼らは立ち上がると、美術室を去っていく。
その去り際に樹総帥は振り返ると、
「今の所お前の目標は何一つ出来ちゃいない。諦めるんだな」
そう言い残して出て行ってしまった。
今の所何一つも出来ちゃいない…。その通りだ。
私は筋肉を愛で暮らす為に努力が足りないのだっ!
愛すべき筋肉の為にっ!!
そうと決まれば、ダディが提示した条件をこなしていかなければ。
三つめは今度の体育祭でどうにかなるな。体育祭でこの美しき筋肉を魅せつければいい。
となると残るは二つ。
跡継ぎと人脈だ。
人脈……ふむ。なりたくないと言われたが。やはりこの学校で仲良くなるべきは樹総帥だろう。生徒会長で権力者。…プロテインの何がダメだったのだろうか?…味か?そうだ。そうに違いないっ!明日からは別の味を用意しよう。
うむ。人脈はこれでいい。残るは。
「くぉらぁーっ!!綺麗ーっ!!」
叫びと同時に何かが美術室に転がりこんできた。
「うむ?犬太ではないか。どうした、そんなに急いで。筋肉談議をしに来たのか?」
「そうじゃねぇよっ!!お前、円に何したんだっ!?」
「ふむ?」
「円泣いてたぞっ!!何したんだよっ!!白状しろっ!!白状しねぇと、お前の大事な鏡全部壊してプロテインを全部捨ててやるっ!!」
「何だとっ!?そんなことさせてなるものかっ!!私と筋肉の為にっ!!」
「じゃあ、円に何したか言えよっ!!」
「何もしていない。ただ筋肉を確かめただけだ。円君の事は昔から気に入っていた。だから彼女の筋肉が中学の間に成長しているようであれば、私と婚約して貰おうと思ったのだ。だが、円君は筋肉も足りず権力もない。さっき見た限りでは筋肉の成長はなかった。やはり私の婚約者としては」
「……綺麗。お前が何言ってるかさっぱり分かんねぇ。分かんねぇけど、円を泣かせたって事だけは間違いないんだよな?」
「人聞きの悪い事を。ただ、上半身の筋肉を見ただけだろう」
「……円は胴着を着る時下にインナーをつけないって言ってた。ブラ一枚だって…。って事は…綺麗っ!お前円の下着を無理矢理見たって事かっ!?」
「下着?…あぁ、そう言えば筋肉が見やすかった気もするな」
「うっわ、信じらんねぇっ!んな事されたら円だって泣くに決まってるっ!円は女の子なんだぞっ!?」
「私は筋肉以外見ていないが?」
「そう言う問題じゃねぇよ、馬鹿っ!」
け、犬太に…馬鹿と言われた…?
「オレが先に見たかったのにっ!…いや、そうじゃないっ!とにかく円に謝れっ!」
「何を?」
「下着姿を見た事に決まってるだろっ!」
下着姿…?
先程の姿を思い出そうとするが、…腹筋しか思い出せない。
ならば、謝る必要はないのではないだろうか?
「ていっ!」
ガシャンッ。
何の音だ?
振り返るとそこには割れた私の可愛い鏡と転がっているプロテインのボトルがっ!?
「うおおおおおおんっ!?けけけけけんたっ!?おおおおまえ、ななななんてことをっ!?」
大丈夫かっ!?愛しき鏡達よっ!!
駆け寄るが、鏡の一つは見るも無残な姿に変わり果てていた。
「あぁっ…。私の可愛いミラー…」
「絶対謝れよっ!絶対絶対だからなっ!!円はか弱い女の子なんだから男は守ってやらなきゃいけないのにっ!男が苛めてどうすんだっ!!馬鹿っ!!」
また馬鹿と言われた。
だが私の脳裏はバカと言われた事より、目の前の愛しき鏡の姿にのみ囚われていたのだった…。

愛しき鏡の修復に二週間かかったが、ようやく元の姿を取り戻し、いつものように美術室へと連れて行った翌日。
いつの間にか体育祭当日となっていた。
犬太に鏡を壊された所為で時間は食ったが。今日は一日一回の筋肉鑑賞も終わり万全な状態だ。
ここで優秀な成績を残せば一つはクリアだ。
私が出るのは…全員リレーと綱引き、だったな。
昔のエイト学園は四つのグループに割ったらしいが、今は学年別になったようだ。
む?あれは円君ではないか。
鏡を修理していた二週間。毎日の様に円に謝れと犬太から催促のメールが届き続けた。
これ以上メールが届くのも面倒だし、これを無視してまた鏡を壊されたらたまらない。
謝る必要性を感じはしないが、形だけでも謝罪をしておくべきだろう。
足を円君へと向けると、円君は犬太と楽しそうに会話をしている最中だった。
「円君」
「……巳華院?」
振り返った彼女は昔に比べて女性らしい顔つきをしている。…犬太。君が円君に謝罪しろと言うから来たと言うのに、何故私と円君の間に入り唸っている?そして身長が足りていない所為で盾になりきれていないぞ。
「夢子から円を守れって言われてるんだっ。お前、そこから近寄るなっ!」
「それは別に構わないが。あぁ、円君。この間は悪かったね」
「……随分とまぁ軽い謝罪だね。アンタの事だ。これっぽっちも悪いなんて思ってないんだろ?」
その通り。
大きく頷くと、円君は何故か大きいため息をついた。
「巳華院。そもそも何で婚約者でアタシを選んだんだい?アタシの服を剥いで筋肉を確かめたって事は、アタシなら婚約者として見る事も出来たって事だろう?」
「あぁ。私は君の事を気に入っていたんだよ。これでも。君が筋肉をつけてさえいたら…」
「…そもそも何でアンタはそこまで筋肉に心奪われたんだ。昔はただただ強さを求めていただけだったろうに。まぁ、多少自分の顔を好き過ぎるきらいはあったとしても」
「……確かに私は強さを求めた。強くありたかった。それだけを願い体を鍛え続け努力した結果がこの筋肉だ。これを自分が愛さずに誰が愛してくれると言うのだ」
「強さ、か。昔はアンタに勝ちたくて私も強さを求めたよ。アンタに認めて欲しかったから。でも今はただ体を鍛えるだけが強さだとは思えないし、思わない」
「馬鹿な。体を鍛えなければ筋肉を得なければ何も守る事など出来ない」
だから、私が小学生の時に起きた誘拐騒ぎで私は何も出来なかったのだ。
あの時、筋肉量が少なかった癖に私は調子にのっていた。自分は強いと。どんな奴でも倒せると驕っていたのだ。だが、結果はマミィに抱かれるように守られ、誘拐犯から逃れられたもののマミィの肩は犯人に斬りつけられて、もう二度と消える事のない傷をつけられてしまった。今でもマミィは一定の高さより上に腕を上げる事が出来ない。
今度こそ私がマミィを守るのだ。
「この、筋・肉・でっ!!」
ムキッと腕に筋肉を作りだす。…美しい。
「………いきなり筋肉を主張されても良く解らないよ。でもアンタがこうなったのはきっと小学校の時の誘拐未遂事件がネックになってるんだろうね」
私は肯定も否定もしなかった。
ただじっとマッスルポーズのまま円君を見つめる。
「アタシは、王子と会って強さの本質を知った気がする。正直王子の強さを目にしたら巳華院の強さなんて強さとは言えないよ」
「…それは一体どう言う意味だ」
私は強くないと、そう言いたいのか?
「強さってのは一つじゃないって言いたいだけ」
一つじゃない?
「まさか、心の強さとかふざけた事を言うのか?」
馬鹿らしい。心でマミィを救えたか?救える訳がない。
「ふざけた事、か…。アタシはアンタに敵わないって知った時、王子がくれたその心の強さに救われたんだけどね…」
救われた?そんなのは弱いからだっ!そんな簡単な事も分からないのかっ?
「それは君が弱いからだっ!救われなければならない程、誰かに手を差し伸べて貰わなければいけないほどに弱いからだっ!」
「……そうだよ。アタシは弱いさ。だからなにっ?」
ギッと円君が私を睨み付ける。こんな目で彼女に見られたのは初めてだ。
「言っとくけどね、巳華院っ!アタシが弱いのならアンタも弱いんだよっ!そうやって自分の考えが間違ってると指摘されると切れてアタシに突っかかって来てるのが良い証拠じゃないかっ!周りを認める強さがないから自分しか信じられないんだっ!自分の筋肉や顔に酔いしれるしか出来ないんだっ!」
「うるさいっ!君に何が分かるっ!?」
「分からないよっ!アンタを分かろうとずっとずっと努力して来たけど全然分からないっ!!結局分からないままさっ!!アンタがアタシに心を少しも開いてくれなかったからっ!!」
「何を…」
「アンタは弱いよっ!!王子達の足下にも及ばないっ!!いっそ思い知ればいいんだっ!!今日の体育祭でっ!!どれだけ親に守られて来たかっ!!どれだけ自分が坊ちゃんなのかっ!!どれだけ弱いのかっ!!」
「私は強いっ!!」
「うるさいっ!!自分の顔や筋肉に両親の影を見ているような男が強い訳がないっ!!」
「なっ!?」
私がいつ筋肉に親の影を見ていると言ったのだっ!?
そう、言い返してやろうと息を吸いこんだ、その時。
「はい。そこまでー」
今までの空気を破るような、軽い口調で誰かが乱入して来た。
一体誰だっ?
邪魔をされたことに苛立ち視線を向けると、円君以上に冷えた、それでも怒りに燃えるような相反するアイスブルーが私を睨み付けた。
「円、風間くん、それに巳華院くん。体育祭始まるよ?それぞれ最初の段取りの位置に付いて。特に円は二年の方でしょ?早く行かないと。風間くん、円を二年の待機場所まで送ってってくれる?」
「おうっ。任せろっ。行くぞ、円」
犬太が円君を連れて行き交う生徒の中に紛れて消えた。
そして残ったのは私と白鳥総帥だ。
「巳華院くん。本当に最低だね」
「…どこがだ。私は間違った事を言った覚えはない」
「覚えがないだけでしょう?貴方は自分が強いと思ってるようだけど。勘違いも甚だしいわ」
「…君も私が弱いとでもいう気かっ?」
「そうだね。強くはない。だって強い人間は自分より弱いものを追い詰めたり、自分と同じ強さを求めたりはしないもの」
「そ、れは…」
「貴方は人に求めてばかり。自分から誰かに手を差し伸べる事も出来ない弱者」
何故だ…。
何故私は一歩も動けない。
目の前にいるのは総帥とは言え同い年の女子だ。
なのにあまりの威圧感に私の体は竦んでしまう。
「…美鈴、あんまり追い詰めてやるなって」
「……樹先輩?」
「あんまり遅いから、アイツらと手分けして探しに来たんだ」
樹総帥が目の前に立つ。まるで私から白鳥総帥を庇うように。
「どうして、樹先輩は巳華院くんを庇うの?」
「庇ってるつもりはないが、お前の本気の怒りは結構やばいんだよ。下手すると巳華院の両親がお前のとこに菓子折り持って現れて玄関で土下座しかねないぞ」
「………それは、なくはない、かな?」
「巳華院。お前は気付いていないだけで、完全に親の庇護下にあるんだ。それをまず自覚すべきだな」
庇護下に?
「お前が筋肉筋肉騒いでいられるのは、この学校で自由に振る舞えるのは誰のおかげだ?親の庇護下にいる人間が強い?それは何の笑い話だ?」
「…ぐっ」
「良く考えてみるんだな。自分の今までの行いを」
「………樹先輩は巳華院くんの事言えないでしょー」
「……良い度胸だな、美鈴。今、ここでキスしてやっても良いんだぞ?」
「ふみっ!?うわーんっ、葵お兄ちゃんに言いつけてやるんだからーっ!」
「あ、こらっ、待てっ、美鈴っ」
さっきまでの威圧感がまるで嘘の様に軽やかに駆けて行く白鳥総帥を樹総帥が追い掛けて行った。
私が親に甘えている?
親の庇護下にある?
私が弱い?
そんなはずはないっ!
私は剣道で全国一位をとったんだっ!
その私が弱い筈もないっ!

『いっそ思い知ればいいんだっ!!今日の体育祭でっ!!どれだけ親に守られて来たかっ!!どれだけ自分が坊ちゃんなのかっ!!どれだけ弱いのかっ!!』

円君の言葉が脳裏を過る。
否っ!私は強いっ!!
証明してみせるっ!!この体育祭でっ!!
意気込んだ私にその後突きつけられたのは『現実』の二文字だった。

私が出るのはリレーと綱引き。
綱引きは今年の体育祭の花形競技。
女子クラスが出来た事により、女子と男子が競う唯一の競技である。
そもそも女子クラスは一学年にあるGクラスのみ。だから体育祭ではGクラスの生徒を3つに分けて各学年に振り分けている。くじ引きで決めたそうだが不正があるかどうかは定かではない。
そんな中で綱引きのみがGクラスがまとまって綱引きに挑む。
学年から選抜された男子6名とGクラスの三分の一が勝負する。Gクラスは40名程だと聞いているから13人位、か?
とは言え私が女子に負ける訳がない。ましてや私の他にも男がいる。これでは勝負は解り切っている。
だからこその花形なのだろう。顔が良い人間が揃えられてるのもそれがきっと理由だ。
午後一の競技がその綱引き。
まずはPTA参加型の一回戦。

男性教師+保護者VS女性教師+保護者

の勝負だ。
男チームは…白鳥先生と天川先生、嵯峨子先生に丑而摩養護教諭、更に…あれは白鳥誠か?その後ろにいる丑而摩養護教諭似の男性二人は誰だ?
女チームは…丑而摩養護教諭と嵯峨子先生似の女性二人、それから金色の髪の女性…白鳥総帥に似ている?後は…樹総帥似の女性と、…他にも何人かいるが後は良く見えない。女性教員もちらほら混ざってるのは確かだが。

「ちょおっ!?姉達が参加する何て聞いてないでっ!?」
「ふふふ。ぶちのめしてあげるから楽しみにしてなさい、奏輔」
「そう簡単に負けへんでー、奏輔」
「…七海。覚悟しろよ」
「はんっ、こっちのセリフよ、透馬っ」
「親父。…佳織母さんが生き生きしてるんだが…」
「可愛いから良くないか?」
「良くはないだろ。…女性チームが最強過ぎて俺は勝てる気がしない」
「勝ったとしても後が怖いな」

等々会話が繰り広げられているが、ちっとも意味が分からない。まぁ、私が分かる必要がない会話なのだろう。
ロープを持っての声がかかり皆がロープを持ちあげ、審判がピストルを上に向けて。
パァンッと音が鳴り響くと同時に両チームが同時に引き合いを始めた、かと思っていたら。

―――バツンッ!!

ロープが切れたっ!?
教師達が後方へ倒れ込む。
生徒たちが慌てて怪我人がいないか確かめるが、どうやら怪我した人は一人もおらず、むしろ笑っていた。
無事な事が分かると笑いは伝染し、会場中に笑いが起こる。
「一番頑丈と言われてるロープなのに、切れるって…」
「優兎。今更だろ。白鳥の両親がいる限りそれは愚問だ」
「それもそうか…」
「次は先輩達だな」
「勝負にならないよ、きっと」
隣の方で花島と…Sクラスの逢坂?だったか?が話している。
樹総帥を先頭に白鳥の双子、他三人に対するは顔も名前も知らない女子達。
確かにこれでは勝負にならない。
ピストルが鳴ったと同時にあっという間に引っ張られて女子達の負け。
「兄達だと僕達ですら敵わないって」
「だな」
「次は猪塚先輩が率いる二年生か」
「そろそろ俺達も準備しようぜ。未と近江呼んでくるわ」
「了解。僕達はここで待ってるから」
「おうっ」
駆けて行った逢坂とやら。二年生の勝負が終わる頃に未と近江を連れて戻って来た。なんとタイミングの良い…。
私達は六人で配置へ向かった。グラウンド中心のロープの横である。
そして反対側には女子達がいる。
「う…。美鈴ちゃんに華菜ちゃん、それに四聖の皆がいる」
「これ本気で行かないとまずいんじゃないか?」
「何を馬鹿な。向こうは女子だぞ。何をビビる必要がある」
花島と逢坂の言葉に思わず反論してしまったが、間違ってはいないだろう。
「だが、お嬢がいる班と本気で戦うなぞ無理でござる」
「ここで負ける方が恥ずかしいぞっ!」
「…………………どうでもいい」
本当にどうでも良さそうだ、未は。
しかし私は負ける訳にはいかない。本気でやらせて貰う。瞬殺だっ。
「さ、てと。優兎くん。お手柔らかにね?」
「それはこっちのセリフだよ、美鈴ちゃん。僕はてっきりGクラスは割り振られた学年の通りだと思ったから、美鈴ちゃんは兄達と戦うと思ってた」
「嫌だなぁ、優兎くん。そんな事したら女子が全て負けちゃうじゃない。…そんなのつまらないでしょう?」
「おい、華菜。白鳥の背後に冷気が見えるんだが…」
「素敵だよねっ!流石美鈴ちゃんっ!」
「あー…駄目だ、こりゃ」
「犬太っ!絶対負けないわよっ!」
「オレだって負けねーっ!」
「………………虎太郎?」
「(ガタガタブルブル…)」
「……未がこんな競技に出るとは思わなかったわ」
「私だって、出る気はなかった」
「………あっそ」
思い思いに会話を繰り広げている。そんな会話など興味もなかったのだが。
「絶対に負かせてやる。アンタの筋肉がお飾りだって証明してやるよ」
投げつけられた円君の言葉には納得が出来ず。
「私は強いっ!負けるはずはないっ!」
啖呵を切って勝負へと挑んだ。
審判がロープを持つように指示を出し、それに従いロープを持つ。ロープの中央は審判がまだ踏んだままだ。
よーい、と声がかかり、パァンとピストルが鳴らした合図と同時に引き合いが始まる。
正直楽勝だと私は思っていた。
だが、いざ勝負が始まるとどうだ。
人数差があるとしても女子と男子で力の差も歴然で。平等、もしくは私達の勝利だと思っていた私の予想は見事に覆された。
微動だにしないのだ。
これだけ全力で引いているのにびくともしない。
思わず視線を上げて引きあっている相手チームを見ると、苦しそうな顔をしながらも、白鳥総帥が不敵に笑った。そして…。
「行くよっ!皆っ!!」
『オッケーッ!!』
「せー、のっ!!」
白鳥総帥の掛け声で、一気に力の均衡が崩れた。
私達が少しずつ少しずつ引っ張られているのだ。

嘘だ。

そんな訳ない。

これだけ毎日強さを求め、筋肉を磨いた私が…女子に負ける?

同じ筋肉を持った男でなく、女子に負けるのかっ!?

私の中の焦る感情が、ロープを握る手に力を与えている。
なのに、私の体はどんどん前方へ引っ張られる。
そして、無情にもあたりに音が鳴り響く。……勝負終了のピストルの音だった。
負けた…。完敗だ…。
何故、負けた…?
勝てる勝負だった筈だ。
私一人でも勝てる勝負だった筈だ。
なのに、なのに、だ。
男六人で挑んでも負けたのだっ!
何故だっ!?
…分からない。解らない…。
会場内は何やら盛り上がっているようだ。だが私の耳には一切その言葉は入ってこなかった。

競技が終わりふらふらと私は歩いていたらしい。
気付けば校舎裏に来ていた。
ぼんやりと何故負けたのか、考え続けているのに答えは出ない。
いや、出したくない。
私が弱いなど認めたくないのだ。
私は強い。強いんだ。…だが…。
校舎の壁に体を預け、ずるずると座りこむ。
「……巳華院様?大丈夫ですか?」
唐突に声をかけられて、私はのろのろと顔を上げる。
すると、目の前には心配そうにこちらを見る黒髪の女生徒の姿があった。
「具合でも悪いのでしょうか?」
「……いや。貴女には関係ない事だ。放っておいてくれ」
「そうですか…」
納得してくれたと思って、また俯こうとしたら、その女生徒は何故か私の前で膝を折って座りこんだ。
「…まだ、何か?」
「はい。巳華院様にお願いがございまして」
「私に?」
「はい。巳華院様。私と婚約をして頂けませんか?」
回らない頭なれど、言われた事は理解出来た。
だが、声が出ない。
「私は綾小路桃と申します」
綾小路…。あぁ、没落仕掛けていると言う、私の実家と同じく有名旧家の。桃と言えば跡取りの娘の名前だ。
「……何の冗談だ?」
「冗談ではございません。本気で申しております」
真っ直ぐこちらを見てくる瞳を見返す。冗談を言っている様な瞳には見えない。
見えないが…。
さっき弱いと実証されたこの私に婚約を求めてくる理由が解らない。
相手の意図が読めない。
何か訝し気ているのが分かるのか、目の前の女生徒は真剣な眼差しそのままに言った。
「はっきり申し上げまして、私は巳華院様の財力を欲しております」
「我が家の?」
「はい。失礼ですが、巳華院様の現在の状況を優兎さんからお聞きしました。巳華院は筋肉と添い遂げたいとか?」
「…そうだ」
「私はそれで構いません。子供も巳華院様が望まれない限り求めたりも致しません。もとより私はそれ程体が丈夫な方ではないのです。結婚したとしてもきっと巳華院様より早くいなくなるでしょう」
淡々と語るその姿と言葉の内容のギャップが激しい。
「巳華院様は私の事を気にせずに筋肉を求め、強さだけを求め続けることが出来るのです。如何でしょうか?私の家名ならばご両親も納得いただけると思うのですが」
「……確かに、私としては最高過ぎる条件だ。だが、それで君はいいのか?君に利点がない」
私に良い条件ばかりだ。それは逆に言えば女生徒…いや、綾小路桃君が損しかしていない事になる。
そう思って問いかけたのだが、綾小路君は一瞬驚いたように目を丸くして、けれど直ぐに儚げに微笑んだ。
「大丈夫ですわ。巳華院様。私は最初に申し上げましたように、巳華院様の財力を欲しているのです。巳華院様はご存じでしょう?我が綾小路家が現在どう言う状況なのか、を」
ここで頷いて良いものかどうかわからないけれど、私の反応を待っているようだったので静かに頷く。
確か綾小路家は、本家の…要は彼女の両親と姉が馬鹿をやった所為で潰れかけている。詳しくは知らないが白鳥財閥と樹財閥。財閥会の両巨塔に喧嘩を売ったとか噂は流れていた。まぁ、そこは良いとして。
そんな危険な状況にある綾小路家の没落を食い止めたのが綾小路桃だ。白鳥総帥の下へ付き経営の仕方などを学び、上手く綾小路家を管理している、と。
「私は本来綾小路家を潰そうと思っていました」
「……何故だ?」
「あら?だって、自分を閉じ込め、子を成す道具のように扱う人達を好きになれますか?私の犠牲のもとに裕福に暮らす人達を許す気になれますでしょうか?」
再び言葉を失った。
まさか、そんな経験をしているとは思っても見なかったからだ。
「ですが、王子のおかげで分家が私を助けようとしてくれていた事を、私の背を押していてくれた事を知る事が出来ました。だから私は私の味方をしてくれている方々を助けようと思ったのです。綾小路家は潰したい。けれど、私には味方がいる。その味方を守りつつ綾小路家を潰すにはどうしたらいいと考えて」
「その結果が私か?それには我が巳華院家の財力が必要だと?」
「はい。綾小路本家の人間が散財したお金を取り戻す必要があります。名声も。しかしそれを綾小路の名前で残したくはない。ならば綾小路家の本家、最後の一人である私が同じ旧家に嫁に行けば、綾小路本家はなくなれど巳華院家へ嫁に行った娘がいると財力も名声も取り戻せるのです。あとは…分家の皆様がきちんとあとを引き継いでくれるでしょう」
「明らかに政略結婚だ。君はそれでいいのか?」
「勿論ですわ。巳華院様。これは私がご提案しているのです。巳華院様は自由にして下さって構わないのです。巳華院様がお許しになるのでしたら、巳華院家が行っている仕事も全て私が引き継ぎますわ。旅に出たいと仰るのであれば、喜んでご準備いたしますし」
最高の相手だ。それは間違いない。
ここで綾小路桃を嫁に貰えば、条件を二つクリア出来る。跡継ぎと人脈を確保出来た。あとはエイト学園で優秀な成績を残すだけ。
「………本当に、いいのか?」
「はい」
だが、これで本当に良いのか?
こんな儚げな子を利用して自分だけが自由な道を得ていいのだろうか?
……一度冷静に考える必要がある。私も、彼女も。
「返事はもう少し待って貰えるか?君が嫌な訳じゃない。正直私も跡を継いでくれるような女性であれば誰でも良いんだ。だが…」
「構いませんわ。急いで結果を出さなくても。私達はまだ高校一年生なんですから。ゆっくりお待ちします」
「そうか。ありがとう」
「いいえ。…その、話は急に変わってしまいますが。巳華院様は何かに悩んでいるご様子。私で宜しければ話をお聞きしますよ?」
儚げに微笑む綾小路君。さっきは関係ないと言ったが…。堂々巡りで何も解決案が出ないよりは彼女に話した方が何か変わるかもしれない。
私はゆっくりとさっき起きた出来事を話した。すると、彼女は小首を傾げて頬に手をあて何か考え込むような仕草をする。
「そうですわね…。私は巳華院様を弱いとは思えませんけれど。何故そのように言われ、先程の綱引きで負けたのかは解る気が致しますわ」
「解るのか?教えてくれ。…私は本当に弱いのか?」
「巳華院様?巳華院様は強くなりたかった。そう仰いましたね?」
「うむ」
「そう感じたのは『心』ではありませんか?」
「?」
「人は行動を起こす時必ず『心』がそれに伴います。巳華院様は体だけを鍛えて精神を鍛えて来なかったんですわ」
「そんな訳はない。私は剣道をやっていたんだ。精神統一だって」
「そうではございません。…そうですね。巳華院様は決して弱くはありません。むしろ強いとも言えるでしょう。けれど、それは巳華院様お一人の強さです。一人の強さなど上限は決められているようなもの。巳華院様の強さを上げるには精神を鍛える必要があります。ですが、精神と言うのは一人で鍛えられるものではないのです」
「一人で強く出来ない?」
「そうです。確かに剣道では精神統一を出来るでしょう。ですが考えてみて下さいませ。巳華院様は心を許し合える人がいなかった。複数ない精神を統一する意味はありますか?精神と心は表裏一体であり同位体でもあるんです」
「精神とは心…」
「先程の綱引きで私達が勝ったのは皆の『心』を合わせて挑んだから。巳華院様は自分が認めがたかった『心』の強さに負けたのです」
体だけ強くなっても駄目。体だけ強くなって、それが目に見えて解る筋肉が好きで堪らなくなって。昔から私は自分の実力を過信して。それは今も変わってないって事か…。
「……桃ー……桃ーっ…あれー?一体何処まで探しに行ったんだろー?」
「まぁ。王子が私を探してますわ。巳華院様。申し訳ありませんがこれで失礼致しますね。またお会いましょう」
綺麗に立ち上がり、優雅に礼をして綾小路君は去っていった。
「そう言えば円君も言っていたな。『心の強さに救われた』と。心はそんなに強いものなのか…?」
謎が解決したようで解決しておらず。胸の中がモヤモヤして私は頭を抱えた。
そんなもやもやを抱えたまま体育祭が終わり。勿論その後の勉強に身も入らず。
翌翌週に控えた期末テストで散々な結果をもたらした。
結局体育祭で実績を上げる事も出来ず、期末テストも優秀な成績を残す事が出来なかった。

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