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 金曜日、テスト終了後にマーシャは冒険者用の装備に身を包み、ダンジョン前広場へとやって来た。
 すでにサラとその兄、王太子と護衛騎士、そしてマーシャの二十階ボス討伐の監視に来ていた、忌々しいAランク冒険者の三名が来ており、マーシャ一行を見て顔を見合わせた。
「お待たせ致しました」
 王太子に向かって優雅にカーテシーをしてみせるが、王太子は頷いただけで答えなかった。かわりにAランク冒険者のリーダー格の男が、ため息混じりに呟く。
「王太子殿下を三十分も待たせる侯爵令嬢なんて聞いたことねぇな」
「王太子殿下がいらっしゃることを知っていたら、時間通りに参りましたわ」
「…はっ、やべぇ、もう何も言えねぇわ」
「そうですの。では黙ってらして」
 男は両手を挙げて肩を竦め、王太子殿下に一礼してメンバーの元へと下がる。
 マーシャは王太子へと話しかけた。
「殿下がいらっしゃるのでしたら、先に教えておいて下さればよろしかったのに。わたくし、準備に時間がかかるものですから…お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」
 後ろにはいつも通り、メイドと護衛が控えている。
 数日前に父からサラの不正を暴くという話を聞き、冒険者ギルドから同行するようにとの通知を受け取り、マーシャは楽しみにしていたのだった。
 間違ってもサラに見劣りしないよう、装備を新調した。
 ドレスのように裾の長いコートは虹布をふんだんに使用し、ふわりと風をはらんで膨らむ。きらきらと虹色の光沢を放ちながらひらめく美しい一着となった。
 飾りは金と銀、ボタンはホワイトドラゴンの鱗を使用し、不可思議に輝く。
 コートの下は濃いめのピンクのワンピースで、コートの邪魔をしないよう、体型に沿った膝丈にし、ベルトは黒、膝までの黒のブーツと合わせてある。
 髪はポニーテールだが、メイド達が細かくサイドを編み込んで、複雑に結い上げてくれていた。茶会や夜会につけていくような派手さはないが、ふんだんに宝石を使った銀細工の髪飾りや、花を模したピアスなど、今日の装備に合わせて作らせた特注品であった。
 日数が足りないと言われたが金を積み、納品がギリギリ今日になったのだった。
 学園から戻り、急ぎ着替えてやって来たのだったが、王太子がいたのは予想外だった。
 王太子がいることを知っていれば、時間に遅れたりしなかった。
 だが、王太子に自分の可愛く着飾った姿を見せることができるのは嬉しいことだ。
「殿下、今日は装備を新しく致しましたの。似合っておりますでしょうか」
 上目遣いで見やるが、王太子はすでにマーシャを見ていなかった。
「予定時刻より遅れたが、問題はないか、サラ嬢」
 サラを気遣うような王太子の言葉に、マーシャの顔は引きつった。
「はい、問題ありません殿下」
「良かった。ではさっそく出発しよう。三十一階から四十階まで駆け抜けて、ボスまで倒す。野営の予定はない。今日中に終了する為にはのんびりやっている暇はない」
「はい」
 サラとクリスが頷く。後ろで、Aランク冒険者三名も頷いていた。
「侯爵家の面々でついて来るのは誰か」
 王太子がこちらを向いて問いかける。
 アンナが一歩、前に出た。
「ここにいる者全員参ります」
「…そうか。では転移の特別許可証を出す。本日一回限り有効、明日以降もしくは転移後ただの紙屑と化す。ついて来る者はクリスから受け取るように」
 一人ずつ前に出て、クリスから許可証を受け取った。
 転移装置へ移動し、三十一階へと飛んだ。
 飛んだ直後にマーシャ達が持っていた許可証は跡形もなく消え去り、驚いたメイドや護衛が声を上げるが、王太子一行は誰も振り返らなかった。
 大所帯であったが、王太子は気にする様子もなく、サラとクリスと並んで一番前を進み、背後に護衛騎士、その次にはAランク冒険者が続き、マーシャ一行は最後に続いた。
 三十一階へと踏み入る手前で王太子は立ち止まり、皆に聞こえるように話しかけた。
「今回はサラ嬢の実力を証明する為の攻略である。ゆえに、サラ嬢は皆に実力を示さねばならない。これから四十階まで、サラ嬢は一人で敵を倒す。我々は背後から付き従う」
「…え?」
 マーシャの呟きは、誰にも拾われることはなかった。
「戦利品の回収はクリスが行う為、我々は一切手出し無用である。もう一度言う。進路の敵はサラ嬢が倒し、我々はその後ろを走る。不必要に敵に絡まれたり、敵を挑発するような行為は厳に慎め。そのような行為を発見しても、手助けの必要はない。自らで処理せよ。二言はない。良いな」
「御意」
 マーシャ一行以外のメンバーが声を揃えて首肯した。
「ではサラ嬢、先行してくれ」
 王太子が優しくサラに話しかけ、サラは頷き剣を抜いた。
 目にも鮮やかな蒼い刀身は、ブルードラゴンの牙を削りだした芯の部分であった。
 そこに魔力を宿し、魔法剣として、サラは一礼した後は真っ直ぐ三十一階を走り始めた。
 サラが走り抜けた先には、魔法の残滓と、敵の死骸の山があった。
 範囲魔法で打ち漏らした敵を剣で切り捨てて行くのだが、足を止めることなく駆け抜けて行く。
 王太子一行はぴたりとサラの背後につけ、クリスは素早く死骸を回収していく。
 クリスが死骸に触れて持ち上げるような仕草をした瞬間、消えていくのであった。
 まるでゲームでヒロインが持つ鞄のようだとマーシャは思ったが、思考する暇もなく、ひたすらに走らねばならなかった。
 マーシャの後ろについているメイド達があっという間に遅れ始め、マーシャも走ってはいるが、王太子一行との距離は広がるばかりであった。
 追いつけない。
 何より、メイド達がぜいぜいと苦しそうな息を吐き、足が止まって歩くことすら困難になりつつあった。
 アンナだけは肩で息をしながらも辛うじてマーシャについて来ていたが、とてもではないがこんなペースで進めるはずがなかった。
 三十一階を五分程度で駆け抜けた王太子一行は、三十二階へと降りようとしていた。
 マーシャは声を張り上げ、必死に止めた。
「お、お待ちになって!!待って下さい!!」
 必死な声音に王太子一行は足を止めて振り返ったが、その顔にあるのは不快であった。
「…何か」
 王太子の声が、聞いたこともない程冷たかった。
 マーシャは一瞬息を呑んだが、背後を振り返って休憩を願い出た。
「め、メイド達が追いつけません。もっとゆっくり、進行して頂けませんか?歩くことすら辛そうなメイドもいるのです。どうかしばらくの休憩を」
「は?」
 懇願は、無慈悲な一言で切り捨てられた。
 まだ階層間の通路に辿り着けず、三十一階を移動している大多数のメイドを、マーシャの護衛が引っ張るようにして歩いて来ている途中であった。
「殿下、メイド達は戦闘訓練を受けていないのです。どうか、お慈悲を」
 さらに願えば、リーダー格の男が呆れ返ったと言わんばかりの表情で呟いた。
「すげぇ、ここまで来ると感動するぜ。侯爵家のメイドは、王太子殿下の足を止めさせるほどに偉いんだな。知らなかった」
「私も初めて知った。貴重な経験と言わざるを得ないな」
「この国の侯爵家ってすごいんですね。ああいや、そこの侯爵家がすごいのかな」
 男の皮肉に、王太子は笑って見せた。
「本当に、私も驚く。…ああ、サラ嬢。すまないが、少しだけ待っていてもらえるだろうか。クリスと休憩していて構わないよ」
 進行方向から引き返し、王太子に並んだサラとクリスに、王太子は微笑んだ。
「…殿下、私は構いませんが」
 サラが遠慮がちに言うが、王太子は首を振る。
「今日中に終わらせるという約束だったろう?先のことを考えると、ここで何とかしないといけない。…クリス」
 声をかければ、クリスはサラの背を押し、少し距離を取る。
 テーブルとイスを出し、サラを座らせていた。
 クリスは王太子の元へと戻ってきて、新たなテーブルとイスを出した。
「殿下もどうぞ。そちらのメンバーの方々も。もうしばらくかかりそうですよ」
「すまないな」
 礼を言って王太子はイスに腰掛け、リーダー格の男も喜んだ。
「やぁ、これはありがたい」
 メンバー二人も呼び寄せて、王太子と同じテーブルを囲んで座った。
 王太子の護衛騎士は王太子の背後に控え、クリスは「私はサラといますね」と断ってからサラの元へと戻って行った。
 マーシャに座るよう勧めてくれる者はいなかった。
 マーシャの背後で息を乱し、必死に呼吸を整えているアンナの姿は見る影もない。
 髪を振り乱し、お仕着せのメイド服は皺が寄り、靴は泥や草で汚れていた。
 ティータイムの為に、荷物持ちとして連れて来ている下男達もまだ三十一階の途中であり、アンナの他に辿り着いたメイドはまだいない。
 テントもテーブルもイスもなく、マーシャは突っ立っていなければならないことに屈辱を感じていた。
 
 レイノルド殿下は何故座るよう勧めてくれないのか。
 自分は侯爵令嬢であるのに。

 何故冒険者がレイノルド殿下と同じテーブルに着くことが許されて、自分は許されないのか。
 ひたすらに理不尽を感じ、離れた所にいるサラとクリスを見れば苛立ちはさらに募った。
 あの男が勧めてくれれば良かったのだ。
 レイノルド殿下のテーブルが畏れ多いというのなら、サラと同じテーブルでも構わなかったのに。
 勝手に押し掛けて座る、というのは貴族令嬢としてありえない不作法であり、許されない。
 そもそも、相手が先に勧めてくるべきであって、マーシャが座っても良いか、と声をかけるものではないのだった。
 おまけに、と、思う。
 王太子とサラはずいぶんと親しそうに見えた。
 サラは自宅に招いた時、畏れ多くて近づけない、というようなことを言っていたくせに、嘘をついていたのだった。
 許せない、と思う。
 怒りに身を震わせている間に、少しずつメイドがやって来たが、立ってもいられないようで、通路に座り込んでしまう者が続出していた。
 普段の攻略では走ったりすることはない。
 メイド達が小走りになることはあっても、全力疾走などしたことはなかった。
 服装も、靴も、走る為のものではない。
 荷物を担いだ下男達も、走ったりできようはずもなかった。
 サラ達が五分で駆け抜けた階層を、メイド達が全員抜けたのはさらに十分後だった。
 普段よりは早いが、へばってしまっては意味がない。
 マーシャはメイド達に声をかけ、励ましたが、返事をするにも苦しそうな様子に心が痛んだ。
 通路に蹲るメイド達の周りを、マーシャとアンナと、護衛達が囲む形になっていたが、そこへ王太子と、Aランク冒険者三名がやってきた。
「物見遊山の観光客は不要だ。ついて来られないならば帰還せよ」
「な…っ」
 この哀れなメイド達を見て、よくそんな冷たいことが言えるな、と、さすがのマーシャも思った。
「殿下、彼女達は頑張ってくれています。そんな言い方はいけませんわ」
 窘めれば、王太子は眉を顰め、瞳を細めた。
 ひどく不快げな表情だった。
「何を勘違いしているのか。そもそも何故ここにいるか、理解していないのか。そなたがサラ嬢を陥れようとし、潔白は明らかであるのにそなたの父が難癖をつけてきたから、このようなことになっているのだ。サラ嬢と我々は被害者であり、加害者はそなた達である」
「…で、殿下…?陥れようだなんて、わたくしそんな、そんなことは…」
 ゲームのスチルですら見たことのない恐ろしい表情に、マーシャは身体が無意識に震え出すのを感じた。
「加害者であるそなた達が二度と愚かなことを言わぬよう、サラ嬢の実力を確認する証人として呼ばれているというのに、全く煩わしい。時間の無駄だ。私の時間を無駄にして良いと思っているのか?」
「い、いいえ…とんでも、ございませ…」
「十階層を駆け抜ける体力もない者がダンジョンにいる、ということ自体は別に構わぬ。好きにせよ。だが今回のこれは王命であり冒険者ギルドの依頼である。ついて来られない者は邪魔である。二度も同じことを言わせる己が愚を恥じよ。三度目はない」
「……」
「私の言うことが理解できたのならば、即時行動せよ。出発するぞ。次からは待たぬ。二度は言わぬ。理解できたのか」
「か、かしこまり、ました…」
 マーシャは俯き、震えた。
 穏やかで、微笑みを絶やさぬ王太子はそこにはいなかった。
 前世から合わせても、誰かに怒られた記憶などなかった。
 ぞっとするほど冷たい瞳で見下ろされ、己が愚かだと怒られる。
 経験がなかった。
 なかったからこそ、とてつもなく恐ろしいと同時に、怒りがこみ上げた。
 そんな風に言わなくてもいいじゃない。
 優しく言ってくれたら理解できるんだから、怒らなくてもいいじゃない。
 王太子はさっさと踵を返して、テーブルとイスを片づけているクリスとサラの元へと歩み寄り、何かを話しかけていた。
 そこにあるのはいつもの穏やかな王太子であり、理不尽を感じた。
「お嬢様…」
 気遣うようなアンナの言葉に、振り返る。
 とにかく、命令されたからには従わなければならなかった。
「どうやらティータイムを楽しむ時間はなさそうね。メイドの皆と、下男は帰還してちょうだい。護衛の皆はついて来てくれるわね?」
「もちろんです、お嬢様」
「わたくしも参ります、お嬢様」
「アンナ…でも、無理よ。一階を走るだけで、とても辛そうだったじゃない」
「ですが、お嬢様をお一人にはできません!」
「アンナ…」
「護衛に順番に背負ってもらってはいかがでしょう。…皆、わたくしを順番に背負って走るのは大変でしょうか」
「…いえ、順番に背負って走るくらいでしたら、大丈夫かと」
「お嬢様、お願い致します」
 アンナの懇願に、マーシャは折れた。
 涙ぐみ、感謝を伝える。
「ありがとう、アンナ。とても心強いわ。…護衛の皆も、ありがとう。本当に感謝します」
「お嬢様…」
「さあ、では皆は帰還の呪符を使ってちょうだいね」
「皆、お嬢様のお帰りを、外で待っていなさい」
「はい。お嬢様、お気をつけて」
「お嬢様、申し訳ございません」
「お待ちしております、お嬢様」
「ええ、外で待っていてね」
 笑顔で答え、メイド達が去っていくのを見送った。
 出発の準備が済み、待っている王太子一行に歩み寄り、マーシャは頭を下げた。
「お待たせ致しました」
「では行こう。サラ嬢、もう止まる必要はない。よろしく頼むよ」
「はい」
 サラは再び剣を抜いて、先導して走り出す。
 許せない。マーシャは思う。
 許せない。
 サラは自分の実力を隠していたのだった。
 同じDランクだと思っていたのに。
 マーシャに付き合いながら、内心嘲笑っていたに違いない。
 許せない。
 王太子殿下と仲が良さそうなのに、黙っていた。
 殿下を取られたくないから。
 兄を、取られたくないから。
 卑怯者だと思う。
 サラのことはうっとうしく、警戒すべき存在として気をつけてはいたが、ここに来て憎しみと嫌悪が沸いた。
 嫌いだ。
 友達になってもいいと思っていたのに。
 自分だけ、いい思いをして。
 遠くに見えるサラの背中に、呟いた。

「死ねばいいのに」

 口の中で消えた言葉に、納得した。
 サラが死ねば万事解決するのだった。
 マーシャと、父が加害者扱いされたけれど、それもサラがいるからだった。
 いなければ、筆頭侯爵家の我が家が邪険にされる云われもないのだから。
 排除しなければ、という思いだけが強くなる。
 ぎりりと唇を噛み締めた。
 負けない。
 絶対に、負けない。
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