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73.

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 公爵令嬢ディアナは、以前茶会で宣言したことを実行していた。
 曰く、「自分から行動する」である。
 王太子殿下の親友であり側近でもある名誉騎士の嫡男は、学園では常に王太子目当ての令嬢に囲まれていた。
 彼女達は王太子に挨拶をし、一言二言会話ができれば満足して離れていく。
 嫡男に声をかけるのはいつも王太子の後であり、社交辞令でしかなかった。
 中には彼自身に興味を持つ令嬢もいたのだが、社交辞令だと思い込んでいる嫡男の心が動くことはなく、話しかけられても言葉少なに会釈をして終了するのが常であった。
 ディアナは知っている。
 虎視眈々と機会を狙っている令嬢が多くいることを。
 王太子がそばにいる為、近づきたくても近づけないのだ。
 立場上、王太子を無視して話しかけることは許されない。
 王太子に話しかければ、嫡男は王太子に用があるのだと思うから、その後に話しかけても本気に取ってもらえない。
 そうやって何人もの令嬢が撃沈していったのを知っている。
 最終学年になるまでには、令嬢は婚約相手を決めるのが未だこの国では一般的であった。
 男爵家の嫡男は人気はあったが、やはり男爵家となると家格が下がる。
 名誉騎士の家とはいえ、難色を示す親は多かった。
 マッケンジー公爵家もまた、いい顔をしない親がいた。
 だがディアナには兄がいて、弟がいた。
 ならばディアナがどこに嫁いだとしても構わないだろう。
 学園に入学してから、親が婚約相手を宛がおうと薦めてくるたびに喧嘩をした。
 自分は好きな人と結ばれたいのだと。
 嫡男と話したことは数える程しかなかった。
 それでも、好きなのだ。
 最高学年になり、妹であるサラと知り合い、兄妹の人柄を知った。
 絶対に、嫁ぎたい。
 その為には、待っているだけではダメなのだ。
 嫡男に挨拶をする為に、仕方なく王太子に挨拶をしていることに、王太子は気づいているようだった。
 王太子の気遣いなのかは定かではないが、たまに嫡男が一人で行動する所を見かければ、用がなくとも声をかけるようになった。
 まだまだ王太子に向けるような自然な笑顔は見られないが、それでも返事をしてもらえればディアナは嬉しかった。
 まずは存在を認識してもらうこと。
 卒業までには、意識してもらえるようになっていたい。
 今日も声をかけることができた。
 林間学校で一年にサラがいるから、絶対にクリストファー様は一年の見守り役に立候補するだろうと踏んでいた。
 大正解であった。
 茶会で定期的にサラに会うようになり、サラの人柄を知るたびに、絶対に姉と呼んでもらいたいと思うようになっていた。
 サラもさりげなく、クリストファー様にディアナのことをアピールしてくれていると知ってからはなおさらだった。
 わたくし、頑張りますわ。
 親しい友人にはすでに知られており、応援してもらっている。
 今日も共にいる子爵令嬢は幼なじみであった。
 後ろを振り返れば、その令嬢が「ディアナ様ったら、いつになったら普通にお話できるようになるんですか」と呆れたように笑っている。
 置いてきてしまったのだが、走って追いついたようだった。
「…だって、クリストファー様とっても素敵だったのだもの」
「それはわかりますけども、そろそろ挨拶くらいは普通にできるようになって下さいまし」
「努力はしているのよ…」
「そういう所が可愛い、と、思って下さる方であれば良いのですが」
「…そ、そんな、わたくしは普通にしたいの。本当はこんな情けない姿、見せたくはないのよ」
「頑張りましょうね、ディアナ様!」
「ええ、頑張るわ!」
 互いにランプを持ちながら、テントを目指して歩く。
 三年のテントは、担当クラスのテントの近くにはあったが、少し離れている。
 夜道を令嬢二人で歩くなど普段であればありえないが、見回りの三年男子生徒や騎士団、魔術師団のランプがいくつも見えるので、心配はしていなかった。
 一年Sクラス女子のテントの横を通り過ぎ、テント一つ分ほど離れた場所に設置された自分達のテントへと歩く。
 もう少し、というところで、遠くに男性の悲鳴が聞こえた。
 立ち止まり、二人は声がした方向、闇に閉ざされた森を見た。
「…ディアナ様、今なにか…」
 子爵令嬢は続きを言うことができなかった。
 何かがディアナの横をものすごいスピードで通り過ぎて起きた風を感じるのと、ガッ、という何かがぶつかる音がしたのは同時だった。
「…え?」
 すぐそばで、音がした。
 隣を見れば、いるはずの令嬢の姿がなかった。
 そのまま後ろへと振り返り、ディアナは悲鳴を上げたのだった。
 子爵令嬢が持っていたランプは地面に落ちて割れていた。
 ランプの破片が散らばる先に足が見え、身体は真っ黒いモノにのしかかられていてよくわからなかった。
 闇に飲まれたのかと疑う程に、ソレは黒一色である。
 だがその黒一色の生き物には四足があり、尻尾とおぼしきものが揺れていた。
 息を呑めば、ソレの息づかいが聞こえ、下で横たわる令嬢はぴくりとも動かなかった。
「な…」
 魔獣であろう、ということは瞬時に悟った。
 だが何故ここに魔獣がいるのか、という部分が頭のどこかに引っかかり、ディアナは身体が動かなくなった。
 ここは貴族街にある、国立の森林公園である。
 魔獣などいるはずがない。
 何かの間違いだ、と思う心と、今すぐ対処しないと、と焦る心が瞬時にせめぎ合う。
 あちこちから悲鳴が上がっていた。
 子爵令嬢の身体を跨いで立っていた魔獣が、こちらを向いた。
 赤く光る瞳がこちらを見たので、振り向いたのだということを理解した。
 両足が震えるのを自覚し、前にも後ろにも動けないことを自覚した。
 二年前まで、冒険者として活動してきたはずだった。
 魔獣を倒し、レベルを上げてきたのだった。
 目の前にいる敵は、領地の森に行けばいくらでも見かけるEランク程度の弱い犬型の敵である。
 魔法の一撃も喰らわせれば倒せる敵なのだった。
 なのに、動けない。
 ディアナは呼吸をすることも忘れて、魔獣と見つめ合った。
 子爵令嬢の身体を踏みつけるようにして魔獣が動く。
 くるりと全身をディアナへ向けたのがわかった。
 殺気を感じ、全身が総毛立つ。
 すぐに死ぬことはない。
 けれど痛みを覚悟した。
 犬型の敵は唸り声を上げながら身をかがめ、飛びかかる姿勢を取る。
 ディアナは両腕を交差させ、衝撃に備えて目を閉じた。
「ディアナ様!」
 名を呼ばれ、次の瞬間犬の断末魔の悲鳴が響きわたる。
 どさりと物が落ちるような音がして目を開ければ、すぐ目の前の地面に魔獣の死骸が落ちていた。
「……っ」
 悲鳴を飲み込み、深呼吸をする。
 周囲を見渡せば、一年の女生徒が子爵令嬢の傍らにしゃがみ込み、回復魔法を使っていた。
「…あ、あの…」
 声をかけ、振り返った姿に涙が出そうになるのを慌てて振り払い、駆け寄る。
「サラ様!」
「ディアナ様、お怪我はございませんか?」
「ええ、…ええ、ありがとう、ありがとう…!彼女の治療まで…!」
 ディアナもまたしゃがみ込み、サラの手を取り感謝した。
 サラはにこりと微笑み、瞬時に表情を引き締める。
「ここに魔獣はいないはずですよね」
「ええ、そうなの。でもあちこちで悲鳴が聞こえるし、どうして…」
「サラ!!」
 サラの名を呼ぶ声に反射的にディアナは振り返る。
 王太子とクリストファーが、駆けてきていた。
「殿下、お兄様」
 サラとディアナは立ち上がって二人を迎えた。
 緊急事態であったので礼は省いたが、咎める者はいなかった。
「魔獣が大量に出現し、生徒達を襲っているようだ。騎士団と魔術師団が対処に当たっているが、弱い敵だが数が多い」
 王太子の説明に、サラとディアナは顔を見合わせる。
 何故、という疑問ばかりが頭をよぎった。
「そちらの令嬢は?」
 地面に倒れている女子生徒を見下ろしながらのクリストファーの言葉に、ディアナが我に返ったように向き直る。
「子爵令嬢でございます。魔獣に襲われ、サラ様に回復魔法をかけて頂きました。今は気を失っております」
 大好きなクリストファー様の前とは言え、今は非常事態である。ディアナは緊張感を持って振る舞った。
「そうですか。回復の済んだ生徒は教師達のテントへ。教師と騎士団員、魔術師団員を警護に置いていますので、安全です。目の覚めた生徒で戦える者は外へ、回復できる者は救護用テントに待機を。怪我人を全てそこに運ぶよう指示しています」
「わ、わかりました」
 ディアナのメイドと、子爵令嬢のメイドが共にこちらへとやって来るのが見えた。
 王太子はサラを見、「魔獣を片づけたい。手伝ってくれるかい?」と声をかけていた。
 サラはしっかりと頷き、ディアナを見た。
「ディアナ様、落ち着かれましたか?」
「…醜態を晒してしまったわ。ごめんなさい、サラ様」
「とんでもございません。子爵令嬢様はお願い致します。救護テントでの指示も、ディアナ様にお願いしてもよろしいですか?」
「サラ様が女生徒の中で一番高ランクで、戦闘にも長けていらっしゃるわ。指示を出すなら、サラ様が適任ではなくて?」
 不安を隠しきれないディアナに、サラは優しく微笑んだ。
「私は魔獣退治に参加します。ディアナ様が女生徒の中で一番上位の貴族令嬢でいらっしゃって、そして指示することに長けていらっしゃいます。怪我人はどんどん増えますわ。回復魔法を使える方に、一人でも多く待機していて頂きたいのです」
 意図する所を察したディアナは、頷いた。
「わたくしが浅はかでしたわ。サラ様は戦う力をお持ちなのだから、戦わねばならない。わたくし達は回復をすることで最大の戦力となるんだわ。…そういうことですのね?」
「はい。お願い致します」
 メイド二人は子爵令嬢を教員テントへ連れて行く為の男子生徒を確保しており、子爵令嬢はすでに背負われていた。
 ディアナは王太子達に礼をして、踵を返す。
 そして凛とした声を張り上げた。
「回復魔法を使える女子生徒は救護用テントへ!怪我人を癒します。皆様、これは授業ではございません!ここが今、最前線ですのよ!ご協力お願い致します!」
 メイド達を連れ、足早に救護用テントへと向かうディアナの後ろ姿を、王太子達は感心したように見送った。
「なかなかしっかりしている」
「ディアナ様は素敵な方ですから」
「よし、行くぞ!」
「はい!」
 足の速い犬型の魔獣はキャンプ場を縦横に走り回っているが、その他の魔獣は人間のいるテントへと向かって来ている所だった。
 王太子達三人は通りすがりに魔獣を倒しながら、戦闘している者に片っ端から声をかけていく。
「教員テント前まで下がれ!分散して戦闘する愚を犯すな!陣形を作り魔獣を誘き寄せろ!」
「御意!」
 冒険者として活動している男子生徒は積極的に武器を持って戦っていた。
 その中でもジャン、リチャード、ジャックの三人の活躍は目を瞠る物があった。
 三人一緒に行動し、襲い来る魔獣をものともせずに倒していた。
「ほう、なかなか見所があるな」
 王太子の呟きに、サラは嬉しくなる。
「クラスメートです。Bランクを目指して頑張ってるんですよ」
「ほう?…ああ、前にクリスが言っていた、サラ嬢が引率したというメンバーか」
「そんなことまで兄は話してるんですか?」
「君のことはなんでも聞いておかないと」
「…恥ずかしいです」
「はいそこー、勝手に雰囲気作るのはやめなさーい」
「…お兄様…」
「チッ」
 王太子の舌打ちに驚いているサラにごまかすように笑顔を向けて、王太子はクラスメートの三名にもテントまで退くよう声をかけた。
「はい!」
 元気良く返事をし、素直に教員テントまで走る。
「今の所弱い魔獣ばかりですが…」
 兄が言い、王太子は頷く。
「これは何なのだ?魔獣が湧く瘴気でも突然現れたのか?」
「森から来ているようなので、もしかすると…」
「もっと強い魔獣が森にいるかもしれない、と?」
 サラの問いに、二人は難しい顔をした。
「確認はしておいたほうが良かろう。二人にも一緒に来てもらおう。あとは騎士団員と魔術師団員を」
 護衛騎士を振り返り、「それで文句なかろう?」と言っているので、護衛騎士の立場としては止めるべきなのだろうな、と兄妹は察した。
「教員テントまで下がって先に数を減らしてからですね」
 兄の提案に、その場にいた全員が頷く。
 すでに教員テントと救護用テントを囲むように陣取った面々と、襲いかかっている魔獣が戦っていた。
 そこら中に光球が浮かび、昼のような明るさである。
 救護用テントは奥にあり、キャンプ場にいる人間のほぼ全員がここに集結したことになる。回復した者は次々と戦線復帰し、怪我をした者は下がる。
 戦場と後方支援の場所の距離が近くなったこともあり、テントから出てきて回復魔法を直接かけている女生徒達も存在していた。
 上手く回っているようでサラ達は安堵しながら、魔獣の背後から迫る形で蹴散らしていく。
 魔獣はEランクが最高の、雑魚と呼ぶべきものばかりであったので、サラ達が戦闘に参加してすぐに魔獣の数は激減していき、気づけば動いている魔獣の姿はなくなっていた。
 騎士団員と魔術師団員が周辺を確認し、王太子に報告をする。
 王太子は頷いて、その場にいる者達を労った。
「よく戦ってくれた!襲って来る魔獣は殲滅された!怪我をした者は回復を受けるように。後方を支えてくれた生徒達にも感謝する!」
「王国万歳!」
「やったー!!勝ったぞー!!」
 大歓声がわき起こり、女生徒達も喜んでいた。
 しばし歓声が起こるに任せ、場が落ち着いてきた所で再び王太子は語りかけた。
「先生方は騎士団員、魔術師団員とこの後について相談を。破壊されたテントがあれば交換を。死者がいなかったことは僥倖であった。今日はゆっくり休んで欲しい」
「御意!」
 一斉に頭を垂れる一同を見渡し、王太子は頷いた。
「では解散!」
「お疲れ様でした!」
 クリスとサラをそばに控えさせ、騎士団員と魔術師団員に指示を出してしばらく、Cランクとなったクラスメート三名が呼ばれた。
「お呼びと伺い、参上致しました」
 代表してジャンが挨拶をし、三人は頭を下げた。
「ああ、頭を上げてくれ。君達はCランクと聞いたが」
「はい」
「ではこれも経験になるだろう。魔獣は森から来ていた。少し確認しに行こうと思うので付き従うように」
「御意!」
 三名は頷き、そしてサラを見た。
「サラ嬢も、行くのかい?」
 ジャンの問いに、サラは頷く。
「Aランク冒険者として、見過ごすことはできませんので」
「Aランク…そうか、貴族令嬢としてよりも、そちらが優先されるんだね」
「サラ嬢は我々のパーティーメンバーだ。同行するのは当然である」
 王太子の一言に、ジャンは納得したように頷いた。
「では、我々にももう一人、メンバーがおります。彼女も同行させてよろしいでしょうか」
「…彼女?」
「はい。そこで待たせております」
「そうか。その令嬢が望むのならば同行を許す」
「ありがとうございます」
 すぐにやって来たのは、エリザベスであった。
「同行の許可を頂きまして、ありがとうございます、殿下」
 頭を下げる彼女に、王太子は頷いた。
「構わぬ。侯爵令嬢であるあなたがCランクとは」
「畏れ入ります」
「危険が伴うかもしれぬが、良いか」
「はい、承知しております」
「ならば何も言うまい。好きにせよ」
「ありがとうございます」
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