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02 奴隷生活のはじまり

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(なんでこんな事になっちゃったのかな……)

 有紗の目から、ぽろりと涙が零れた。

 かえりたい。
 一人暮らしをするワンルームマンションに。
 気の合う友達が沢山いる大学に。
 京都の史跡だってまだ全然回れていない。そろそろ奈良にも足を伸ばしてみたいと思ってたのに。

(お父さん、お母さん……)

 有紗は実家の方針でアルバイトをしていない。
 学生の間は学業に専念しなさい、と言われていて、友人の紹介で単発のアルバイトを少しやった事があるくらいだ。

 そして大学は、高校までと違い自主性が重んじられている。つまり、少々授業に顔を出さなかったくらいで、親まで連絡が行く事はない。

 さすがに冬休みになれば親から帰省しなさいという連絡が入ると思うが、下手したら、それまで誰も有紗の不在に気付かない可能性が高い。

 もし戻る方法があるのならそれまでには戻りたい。でも、戻る方法がもしなかったら――

 気付いた時の親の心痛を思うと心が締め付けられた。

 これから自分はどうなってしまうのだろう。

 牢の中で静かに泣いていると、鉄格子の向こうにある入口が開き、汚らしい男が二人入ってきた。

「お、いたいた。異世界人だ」
「へえ、なかなか可愛らしい顔してるじゃないか。すげーな、ホントに目が黒い」

 男達は下卑た笑みを浮かべながら、有紗の全身を舐めまわす様に見つめてきた。

「ちょっと味見してみてぇな。すげー具合がいいんだろ?」
「馬鹿、姐さんにどやされっぞ。それにな、具合がいいってのはお貴族様にとってだって聞いたぞ」
「あぁ、魔力が多すぎると思う存分好きにできないって奴か? 確かに俺らみたいな庶民には関係ねーや」

 そう言って男達はぎゃはははは、と下品な笑い声を立てた。
 その時である。外から厳しい一喝が飛んだ。

「お前ら、何やってんだい!」
 男達を叱り飛ばしたのは、化粧が濃く、ピンクベースの派手なドレスを身に着けた中年女だった。
「出て行きな! そいつらは大事な商品だよ!」
 女は男達を追い出すと、牢の鉄格子の鍵を開けた。

「アリサって言ったか。そこの異世界人。出な」

 反射的に従いたくないと思った。すると、首輪がぎゅっと締まり、息が出来なくなった。

「…………!」
(くるし……)

 首輪を外そうと手を首元にやると、すっと首輪が緩む。

「かはっ……」

 酸素を求め喘鳴する有紗に、女は冷ややかな視線を投げかけてきた。

「お前、今アタシに逆らおうとしたね。ダメだよ。隷属の首輪が嵌ってるんだから。生かさず殺さずの苦痛がお前を苛む事になるよ。つまり、あんたはアタシの言う事に絶対服従するしかないんだ。わかったら出な」

 悔しい。
 怒りに震えながらも有紗はしぶしぶと女に従った。
 ちらりと後ろを振り返ると、無気力な眼差しでこちらを見るウルスラと目が合った。

 まるで飼い慣らされた家畜みたいだな、と思った。


   ◆ ◆ ◆


 女が有紗を連れて行ったのは風呂だった。そして冒頭の場面に至るのである。
 有紗を磨く下働きの女も奴隷のようで、右手の甲に文様が刻まれている。
 彼女は黙々と自分の仕事をこなすだけなので、話しかけてくるのはもっぱら化粧の濃い中年女だった。

「異世界人ってのは肌が綺麗だね。歯も真珠みたいに美しいし、手だって。労働なんて知らない手だ。まるで貴族みたいな生活をしてたんだろうねぇ」

 女は磨かれていく有紗を眺めてげしげと呟いた。
 アンナたちの生活レベルから考えると、現代日本の生活は、こちらではかなり上級の生活に相当するのだろう。アフリカのとある部族の少女を扱ったドキュメンタリーで、水汲みは一番きつい労働だと言っているのを見たことがある。

 煮炊きするのは薪を入れたかまどだった。水を汲み、薪を割り――当然洗濯は手洗いになるのだろう。昭和の三種の神器と呼ばれた家電の中で、最も主婦を家事の重労働から解放したのは洗濯機だと言われている。

 そんな生活を送っていれば、当然手は荒れる。歯や爪は栄養状態のバロメーターで、ぼろぼろなのは健康状態が良くない証だと聞いたことがある。

 アンナ、ダルトン、ペトラ、ウルスラ――こちらで出会った農村の人々の顔を思い出し、有紗はその貧しさを実感して身を震わせた。

「……私をここに売ったのはアンナさんたちですか?」
「アンナ? ゲルト村の連中の事かね? ホントはペトラとか言う娘を売るって話だったんだけどね。あんた、あいつらの畑に急に現れたんだってね。連中にとっては幸運だったね。それはアタシにとってもだけどさ」

 そう言って女はくくっと笑った。

「異世界人ってだけでも価値があるのに、身体も顔もあんたの方が格段に上だからね。田舎臭くて小汚い小娘なんて、仕入れても二束三文にしかなりゃしない。労働奴隷として買われていくか、場末の娼館か……」

(私は、あの人たちにとってネギ背負って現れた鴨だったって訳ね……)

 お腹の奥がすうっと冷えていく。ふつふつと湧き上がるのは理不尽に対する怒りだ。
 あの人達にも事情はあっとしても、どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか。
 ウルスラやこの女の口ぶりから推測するに、有紗に待っているのは、たぶん性奴隷としての未来だ。それはウルスラよりもずっといいものなのかもしれないけれど。

(さいあく)

 悔しさと屈辱にぽろりと涙が零れた。
 まだ誰とも付き合った事はおろか、恋愛経験すらないのに。
 処女を取っておいたのは、こんな得体の知れない世界で、誰とも知れない男に散らされる為ではない。

「私は帰れるんでしょうか」
「さあ……異世界人が帰ったなんて話は聞いたことがないね。貴族なら何か知ってるかもね。連中はアタシらとは比較にならないほどの魔力を持ってるし博識だ。あんたを買うのは間違いなく貴族だろうから、主人が決まったら聞いてみるといい」

 女の言葉に有紗は顔を上げた。しかし、次の台詞に突き落とされる。

「仮に帰る方法があったとしても、大枚叩いてあんたを買った奴が、そう簡単に手放すとは思えないがね」

 女の言葉に有紗はぎり、と歯ぎしりした。

(馬鹿にして)
 むかつく。むかつく。

「隷属の首輪ってのは便利なもんさ。主人の意図に逆らえば、首がきゅっと締まるんだからね。そいつがある限り、例え逃げ出したとしても無駄だ。主人が気付いた瞬間あんたは窒息死だ。覚えとくんだね」

 にやにやと笑われて、苛立ちは増していく。

 身体を洗い上げ、拭き上げが終わると、次は全身にオイルを塗りたくられた。
 ラベンダーのような香りのするオイルを全身に刷り込まれると、元々着ていたシャツワンピとカーディガンを渡された。ご丁寧に下着も一緒だ。

「この服……あなた方が持ってたんですか」
「そうだよ。農村の連中が隠し持ってたのを買い取って綺麗にしたのさ。異世界人なら異世界の装いをさせたほうが箔が付くだろ? ああ、でもちょっと丈が短いね。こいつを重ねな」

 そう言って、女はレース生地のスカートを渡してきて、ワンピースの下に着るよう命じた。脹脛丈のワンピースと重ね着すると、誂えたようにピッタリだった。

「こっちで女が足をさらすのは寝台の上だけだ。時間の問題だろうけどね」
 女は満足気に頷いた後、くくっと下品に笑う。

「化粧は紅を刺すくらいでよさそうだね。ああ、それじゃなくてそこの淡い色の奴を使いな」
 女の指示の元、うっすらと化粧を施され、髪は編み込んでまとめられた。

「さあ、行くよアリサ」
 身支度が完成すると、女はそう言って有紗に付いてくる様に促した。
「どこに行くんですか」
「あんたを買いたいっていうお大尽の所さ。凄いね異世界人ってのは。入荷の噂を流したら、軍のお偉いさんが食いついてきたよ」
(軍……)

 その単語から連想したのはガチムチマッチョのおじさんだった。
 嫌な予感しかしない。有紗の背筋に冷たいものが流れた。


   ◆ ◆ ◆


 有紗が連れて行かれたのは、女の格好と同じく悪趣味な応接室だった。
 色の濃淡の差こそあれど、壁もカーテンも全てピンクで構成されている。

 壁際には謎の人物像が設置され、あちこちに貼られたお札のようなものが悪趣味に拍車をかけていた。

 応接室のこれまたピンクのソファには、黒い軍服を着た初老の男性が座っていた。
 白髪交じりの茶色い髪は綺麗になでつけられ、ピンと伸びた背筋も相俟って、硬質な印象を受ける。
 瞳の色は赤紫だ。赤味が随分強いという事は、『お貴族様』という事になるのだろうか。
 そんな紳士然とした男性が、ピンクに溢れた空間に居るのには酷く違和感があった。

「お待たせいたしました、バルツァー閣下。彼女がお問い合わせいただきました異世界人のアリサ・タナカです」
「これは……確かに見事な黒だね。魔力も全くない。これでどうして生きているのか不思議だ……」

 バルツァー、と呼ばれた男は立ち上がり、有紗の全身を前から後ろから検分した。
 そして、おもむろに顎を掴むと、唇の中に手をねじ込んできた。

 有紗は大きく目を見開いた。
 噛み付いてやろうかと思ったが、自重したのは、首輪に首を締められる苦しさを思い出したからだ。

 バルツァーが向けてくるのは、まるで物を値踏みするような眼差しだった。
 歯を、そして続いて手を検分するのは、奴隷商人の女がそうしたように、健康状態を確認しているのだろう。

「ふむ……元はいい所のご令嬢だったのかな?」
「答えなアリサ。閣下のご質問だよ」

 女に促され、有紗は渋々と口を開いた。

「……特にそういう事はないです。私が住んでいた国は先進国で裕福だったので……」
「ほう、興味深いね。私が二十年ほど前に見たテラ・レイスは、戦争中の国から来たと言っていた」
「テラ・レイス?」
「そちらの世界の人間を表す言葉だよ。大昔こちらにやって来た異世界人は自分でそう名乗ったと聞いている」

 テラ……確かラテン語で『地球』を表す言葉だ。レイスは英語の『民族』だろうか。

(アース・レイスじゃ語呂が悪いからテラ・レイスって名乗ったのかな)

「そう言えばそのテラ・レイスと君は随分見た目が違うね。その人は髪も目も肌も黒く、随分と大柄な男性だった」
「その人は今どこに……?」
「残念ながら亡くなったよ。こちらに来た時には、既に大怪我を負っていてね……手を尽くしたんだが助けられなかった」

(戦争中……黒人……)

 同じ地球人だとすれば、アフリカのどこかの国の人だったのだろうか。確かアフリカでは、あちこちの地域で内戦やら紛争やらが起こっていると遠いニュースで報じていた気がする。
 しかし、亡くなっているのなら確かめようがない。

「テラ・レイスは、男であろうと女であろうと魔力の豊富な高位貴族にとってはとても価値のある存在だからね。非常に残念だったよ」

 その言葉には言外に『性奴として』という但し書きがつくのだろう。有紗はおぞましさに震えた。

「さて、店主、この子はいくらだ。言い値を出そう」
「……五千アルムでいかがでしょう」
「ふっかけるね」
「この子は生娘ですし、競りに出せばもっと高騰しますよ。軍との今後のお付き合いを考えてのこの価格設定です」
「なるほどね」

 バルツァーは意味深に笑ってから頷いた。

「わかった。払おう。テラ・レイスにはそれだけの価値がある」
「ありがとうございます」

 商談は成立し、有紗の身柄はこの軍人の元に引き渡されることになった。
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