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03 浮遊戦艦ヴァルトルーデ
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引き渡しは、金銭の支払いと引き換えに首輪の魔術に込められた主人の名前を書き換える事で完了する。
「あなたが私を抱くんですか」
警戒しながら尋ねると、バルツァーは一瞬きょとんとした後、笑いだした。
「いや、私には愛する妻も娘もいるからね。便宜上一旦私が主になったが、最終的に君の主になるのは私の上官だ。見目はいいけど性格はちょっと乱暴だから、苦労するかもしれないね」
恐怖と不安を煽ってくる答えだった。
奴隷商人の店舗を出ると外に広がっていたのは、ヨーロッパ風の煉瓦造りの市街地だった。アンナやペトラと出会った農村とは随分と様変わりした町並みである。
店舗の外にはレトロなデザインの車が停まっていて、有紗は目を見張った。
第一次世界大戦のあたりを扱った映画に出てきそうなクラッシックカーで、幌のような屋根が付いていた。
馬車が行き交う街並みも相まって、近代のヨーロッパに迷い込んだような錯覚を覚える。
「魔動四輪車を見るのは初めてかな? 八十年ほど前に隣国に落ちてきたテラ・レイスからの聞き取りを元に作られたと聞いてるんだけど」
「えっと、見た事は、あります」
昔の写真や映像で。
「動力は違うんだけどね。そちらの車はオイルを使うと聞いてるけど、こちらの車は魔力で動く。なので貴族専用の乗り物だね」
出た。魔力。
バルツァーは有紗を助手席に乗せると、ハンドルを握って車を発進させた。
車を伝えたのは外国人だったと思われる。ハンドルの位置は左側だった。
道に信号は見当たらないが、行き交う通行人や馬車の動きを見ると、右側通行が定められているようだ。
舗装なんてされていない石畳の道だが、サスペンションが効いているのかなかなか快適な乗り心地だった。
魔力を動力としているためか、エンジン音は全くしない。実家の車がハイブリッド車に変わった時を思い出した。
市街地を抜けると、草原が広がっていた。そして大きな野っ原には、飛行船が停泊している。
「あそこに行くんですか?」
「そうだよ。あれは浮遊戦艦ヴァルトルーデ。我が国、フレンスベルクが誇る最新鋭の飛行母艦だ。君にはあれに乗って、我らの主であるディートハルト殿下の閨に侍ってもらう」
「えっ……」
「光栄に思いなさい。ディートハルト殿下はこの国の第二王子で、この国で最も尊い血を持つお方。そのお相手を務めるのだからね」
バルツァーの言葉に有紗は大きく目を見開いた。
飛行船の前まで車を寄せ、地面に降り立つと、乗組員らしい軍人が駆け寄ってきた。
「バルツァー大佐、お帰りなさいませ! その女性が例の?」
「ああ」
「車はこちらでお預かりします。収容しておきますね」
「頼む」
そう言って、バルツァーは車をその軍人に託した。
王子様の夜の相手をさせられるという事には不安しかないが、飛行船に乗るという事には少しワクワクした。
船に掛けられた梯子状のタラップを昇ると、内部は木造になっていた。
外壁は金属だが、床にはウォルナットを思わせるダークブラウンの板材が張られ、重厚な雰囲気である。
「こちらへ」
バルツァーの案内に従って付いて行くと、何人かの軍人とすれ違った。
バルツァーと揃いの黒の軍服を着用しているが、バルツァーのものほど装飾は多くない。また、すれ違う度に相手が敬礼する所を見ると、かなり偉い人のようだ。
「ここが殿下の部屋だ」
辿り着いたのは、船室の中でも一際立派なドアの前だった。
よく磨きこまれた木製のドアには、女性の像を象ったノッカーが付いていて、バルツァーがそこに手を伸ばした時だった。
ドォン! という重い衝撃音が内部から聞こえてきた。
「……何やら暴れていらっしゃるようだ」
どうしよう。凄く凶暴そうな人物だ。有紗は青褪めた。
◆ ◆ ◆
室内は、執務用と思われるデスクと応接セットが置かれており、デスクにふんぞり返るようにして一人の青年が座っていた。
「殿下、物に当たるのはおやめ下さい。外まで大きな音が聞こえて参りましたよ」
バルツァーがそう声をかけた所を見ると、この青年がディートハルト王子らしい。
バルツァーから聞いていた通り、確かに美形だ。
緩やかに波打つ金髪に、鮮やかな深紅の瞳の持ち主で、華やかな印象の青年だった。バルツァーのものより装飾の多い漆黒の軍服が、憎らしいほど似合っている。
赤い瞳が人間離れしていて少し怖かったが、まるでルビーのように透き通っていて綺麗で、有紗は思わず魅入ってしまった。
「父上がまた女の硝子乾板を送り付けてきたんだよね。で、通信機で結婚しろ子供を作れってうるさくて、腹が立ったからつい」
むくれる姿は子供っぽい。
「つい、で部屋を壊されては困ります」
「またそっちで勝手に俺の部屋の結界強化しただろ。壁殴ったら反射してきたんだけど?」
そう言って、ディートハルトはぷらぷらと右手を振った。
「強化しておかないと壊すからですよ。殿下が艦を破壊したら、私も艦長にどやされるんです」
バルツァーの言葉に、ディートハルトは小さく舌打ちをした。そして、有紗の存在にようやく気付いたようで、僅かに目を見開く。
「何その子。まさか、テラ・レイス……?」
「ええ。とある筋からこの街の奴隷商の元に入荷したとの噂を聞きましてね。確認に行ったところ、確かに異世界人でしたので買い求めて参りました」
「すごいなこの目。真っ黒だ。本物?」
そう言ってディートハルトはつかつかとこちらに近付くと、有紗の顎を掴み、しげしげと目を覗き込んできた。
こちらの人は皆背が高いが、この王子様も長身である。
有紗の身長は日本人女子としては少し高めの163センチなのだが、ディートハルトの背は頭一つ分以上高い。185は超えていると思われた。その為、前に立たれるとかなりの圧迫感がある。
「確かに本物っぽいね。全然魔力を感じない上にこっちの魔力も通らない。だからいきなり進路変更したいなんて言い出したのか」
「はい。たまたまこの艦の進路上にこの街がありましたので。他所に取られる前に確保できたのは幸運でした。天の配剤という奴かもしれません」
「……なるほど。これは俺に献上するという事でいいのかな?」
ディートハルトはそう言うと、くいっと有紗の首輪に下から指をかけた。
「お譲りするにあたっては条件がございます」
「条件?」
「ええ、陛下が送ってこられた硝子乾板の女性、お一人でいいので選んでお会い下さい」
「えー、嫌だ。貴族の女は面倒くさい」
ディートハルトは盛大に顔を顰めた。
「どうか陛下の親心もお察しください。殿下に良き伴侶ができる事を望んでいらっしゃるのですから」
「伴侶なんていらないよ。子供は手出した娼婦に運が良ければ出来るんじゃないかな」
「またそういう事を……」
ディートハルトの軽薄な発言にバルツァーは頭を抑えた。
なかなか苦労していそうなおじ様である。
白髪の半分くらいはこいつが原因なんじゃ、と有紗は思った。
「硝子乾板の女性に会う事、これが飲めないのでしたら所有者変更は致しません」
重ねてバルツァーが告げると、ディートハルトは乱暴に髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
「まずは使い心地を確かめないとね……」
(使い心地って何)
有紗は不穏な言葉に身を竦ませた。
「かしこまりました。では私は退出致します。あまり無体な事はなされませんよう」
「待ってください! バルツァーさん!」
部屋を出ていこうとするバルツァーを、慌てて有紗は引き止めた。すると、バルツァーは顔だけをこちらに向ける。
「アリサ、殿下に全てをお任せし、よくお仕えするように」
それだけを言い置き、バルツァーは部屋を出て行った。
「ふぅん、お前、アリサって言うんだ。ほら、行こうか。寝台はこっちだよ」
「やっ……」
ぐい、と腕を引っ張られ、有紗は反射的に抵抗した。
その瞬間、首輪がぐっと締まり、有紗は目を見開く。
「あ、ぐ……」
首を抑え苦しみだした有紗に、ディートハルトは冷たい眼差しを向けてきた。
「馬鹿だなぁ。隷属の首輪をつけている状態でバルツァーの意向に背けばそうなるに決まってるのに……」
今の有紗の主人はバルツァー、そのバルツァーがディートハルトに有紗を差し出したから、抵抗は許されない、という事か。
『殿下に身を任せ、よくお仕えするように』
バルツァーの出ていく直前の台詞が頭の中でリフレインする。
悔しい。ほんの少しの抵抗も許されないなんて。
屈辱に涙が滲んだ。
「っ、ぅっく……」
酸欠で目の前がくらくらする。
有紗の意識はそのまま暗闇に飲み込まれていった。
「あなたが私を抱くんですか」
警戒しながら尋ねると、バルツァーは一瞬きょとんとした後、笑いだした。
「いや、私には愛する妻も娘もいるからね。便宜上一旦私が主になったが、最終的に君の主になるのは私の上官だ。見目はいいけど性格はちょっと乱暴だから、苦労するかもしれないね」
恐怖と不安を煽ってくる答えだった。
奴隷商人の店舗を出ると外に広がっていたのは、ヨーロッパ風の煉瓦造りの市街地だった。アンナやペトラと出会った農村とは随分と様変わりした町並みである。
店舗の外にはレトロなデザインの車が停まっていて、有紗は目を見張った。
第一次世界大戦のあたりを扱った映画に出てきそうなクラッシックカーで、幌のような屋根が付いていた。
馬車が行き交う街並みも相まって、近代のヨーロッパに迷い込んだような錯覚を覚える。
「魔動四輪車を見るのは初めてかな? 八十年ほど前に隣国に落ちてきたテラ・レイスからの聞き取りを元に作られたと聞いてるんだけど」
「えっと、見た事は、あります」
昔の写真や映像で。
「動力は違うんだけどね。そちらの車はオイルを使うと聞いてるけど、こちらの車は魔力で動く。なので貴族専用の乗り物だね」
出た。魔力。
バルツァーは有紗を助手席に乗せると、ハンドルを握って車を発進させた。
車を伝えたのは外国人だったと思われる。ハンドルの位置は左側だった。
道に信号は見当たらないが、行き交う通行人や馬車の動きを見ると、右側通行が定められているようだ。
舗装なんてされていない石畳の道だが、サスペンションが効いているのかなかなか快適な乗り心地だった。
魔力を動力としているためか、エンジン音は全くしない。実家の車がハイブリッド車に変わった時を思い出した。
市街地を抜けると、草原が広がっていた。そして大きな野っ原には、飛行船が停泊している。
「あそこに行くんですか?」
「そうだよ。あれは浮遊戦艦ヴァルトルーデ。我が国、フレンスベルクが誇る最新鋭の飛行母艦だ。君にはあれに乗って、我らの主であるディートハルト殿下の閨に侍ってもらう」
「えっ……」
「光栄に思いなさい。ディートハルト殿下はこの国の第二王子で、この国で最も尊い血を持つお方。そのお相手を務めるのだからね」
バルツァーの言葉に有紗は大きく目を見開いた。
飛行船の前まで車を寄せ、地面に降り立つと、乗組員らしい軍人が駆け寄ってきた。
「バルツァー大佐、お帰りなさいませ! その女性が例の?」
「ああ」
「車はこちらでお預かりします。収容しておきますね」
「頼む」
そう言って、バルツァーは車をその軍人に託した。
王子様の夜の相手をさせられるという事には不安しかないが、飛行船に乗るという事には少しワクワクした。
船に掛けられた梯子状のタラップを昇ると、内部は木造になっていた。
外壁は金属だが、床にはウォルナットを思わせるダークブラウンの板材が張られ、重厚な雰囲気である。
「こちらへ」
バルツァーの案内に従って付いて行くと、何人かの軍人とすれ違った。
バルツァーと揃いの黒の軍服を着用しているが、バルツァーのものほど装飾は多くない。また、すれ違う度に相手が敬礼する所を見ると、かなり偉い人のようだ。
「ここが殿下の部屋だ」
辿り着いたのは、船室の中でも一際立派なドアの前だった。
よく磨きこまれた木製のドアには、女性の像を象ったノッカーが付いていて、バルツァーがそこに手を伸ばした時だった。
ドォン! という重い衝撃音が内部から聞こえてきた。
「……何やら暴れていらっしゃるようだ」
どうしよう。凄く凶暴そうな人物だ。有紗は青褪めた。
◆ ◆ ◆
室内は、執務用と思われるデスクと応接セットが置かれており、デスクにふんぞり返るようにして一人の青年が座っていた。
「殿下、物に当たるのはおやめ下さい。外まで大きな音が聞こえて参りましたよ」
バルツァーがそう声をかけた所を見ると、この青年がディートハルト王子らしい。
バルツァーから聞いていた通り、確かに美形だ。
緩やかに波打つ金髪に、鮮やかな深紅の瞳の持ち主で、華やかな印象の青年だった。バルツァーのものより装飾の多い漆黒の軍服が、憎らしいほど似合っている。
赤い瞳が人間離れしていて少し怖かったが、まるでルビーのように透き通っていて綺麗で、有紗は思わず魅入ってしまった。
「父上がまた女の硝子乾板を送り付けてきたんだよね。で、通信機で結婚しろ子供を作れってうるさくて、腹が立ったからつい」
むくれる姿は子供っぽい。
「つい、で部屋を壊されては困ります」
「またそっちで勝手に俺の部屋の結界強化しただろ。壁殴ったら反射してきたんだけど?」
そう言って、ディートハルトはぷらぷらと右手を振った。
「強化しておかないと壊すからですよ。殿下が艦を破壊したら、私も艦長にどやされるんです」
バルツァーの言葉に、ディートハルトは小さく舌打ちをした。そして、有紗の存在にようやく気付いたようで、僅かに目を見開く。
「何その子。まさか、テラ・レイス……?」
「ええ。とある筋からこの街の奴隷商の元に入荷したとの噂を聞きましてね。確認に行ったところ、確かに異世界人でしたので買い求めて参りました」
「すごいなこの目。真っ黒だ。本物?」
そう言ってディートハルトはつかつかとこちらに近付くと、有紗の顎を掴み、しげしげと目を覗き込んできた。
こちらの人は皆背が高いが、この王子様も長身である。
有紗の身長は日本人女子としては少し高めの163センチなのだが、ディートハルトの背は頭一つ分以上高い。185は超えていると思われた。その為、前に立たれるとかなりの圧迫感がある。
「確かに本物っぽいね。全然魔力を感じない上にこっちの魔力も通らない。だからいきなり進路変更したいなんて言い出したのか」
「はい。たまたまこの艦の進路上にこの街がありましたので。他所に取られる前に確保できたのは幸運でした。天の配剤という奴かもしれません」
「……なるほど。これは俺に献上するという事でいいのかな?」
ディートハルトはそう言うと、くいっと有紗の首輪に下から指をかけた。
「お譲りするにあたっては条件がございます」
「条件?」
「ええ、陛下が送ってこられた硝子乾板の女性、お一人でいいので選んでお会い下さい」
「えー、嫌だ。貴族の女は面倒くさい」
ディートハルトは盛大に顔を顰めた。
「どうか陛下の親心もお察しください。殿下に良き伴侶ができる事を望んでいらっしゃるのですから」
「伴侶なんていらないよ。子供は手出した娼婦に運が良ければ出来るんじゃないかな」
「またそういう事を……」
ディートハルトの軽薄な発言にバルツァーは頭を抑えた。
なかなか苦労していそうなおじ様である。
白髪の半分くらいはこいつが原因なんじゃ、と有紗は思った。
「硝子乾板の女性に会う事、これが飲めないのでしたら所有者変更は致しません」
重ねてバルツァーが告げると、ディートハルトは乱暴に髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。
「まずは使い心地を確かめないとね……」
(使い心地って何)
有紗は不穏な言葉に身を竦ませた。
「かしこまりました。では私は退出致します。あまり無体な事はなされませんよう」
「待ってください! バルツァーさん!」
部屋を出ていこうとするバルツァーを、慌てて有紗は引き止めた。すると、バルツァーは顔だけをこちらに向ける。
「アリサ、殿下に全てをお任せし、よくお仕えするように」
それだけを言い置き、バルツァーは部屋を出て行った。
「ふぅん、お前、アリサって言うんだ。ほら、行こうか。寝台はこっちだよ」
「やっ……」
ぐい、と腕を引っ張られ、有紗は反射的に抵抗した。
その瞬間、首輪がぐっと締まり、有紗は目を見開く。
「あ、ぐ……」
首を抑え苦しみだした有紗に、ディートハルトは冷たい眼差しを向けてきた。
「馬鹿だなぁ。隷属の首輪をつけている状態でバルツァーの意向に背けばそうなるに決まってるのに……」
今の有紗の主人はバルツァー、そのバルツァーがディートハルトに有紗を差し出したから、抵抗は許されない、という事か。
『殿下に身を任せ、よくお仕えするように』
バルツァーの出ていく直前の台詞が頭の中でリフレインする。
悔しい。ほんの少しの抵抗も許されないなんて。
屈辱に涙が滲んだ。
「っ、ぅっく……」
酸欠で目の前がくらくらする。
有紗の意識はそのまま暗闇に飲み込まれていった。
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