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12 セーファス市 2

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 翌朝、有紗は久々に爽快に目覚めた。
 一人でのびのびと眠った事自体が久し振りだ。浮遊戦艦ヴァルトルーデのベッドはセミダブルサイズだったが、長身のディートハルトと眠るには狭かった。久々に一人で眠って、有紗の場合、人と密着することはストレスだったのだと思い知らされた。

 やる事があると言っていたディートハルトは、夕食の席で顔を合わせただけで、後はずっともう一つの寝室に篭っていた。

 すっきりとした気分のままに有紗は大きく伸びをすると、寝間着のガウンのまま寝室のカーテンと窓を開けた。

 このあたりの気候は日本でも長野や北海道といった避暑地で知られる場所に似ている。

 日中は暑くても、朝晩は涼しくて、長袖の上着が必要なくらいだ。
 肌寒いくらいのひんやりとした風が気持ちよくて、有紗は深呼吸した。

 寝室のドアがノックされた。

「アリサ、入るよ」
 返事を待たず開けてきたのはディートハルトだ。
 有紗の返事など必要ないと思っているのか、ディートハルトは時々傍若無人だ。

 つかつかと部屋の中に入ってくると、有紗の手を取ってバングルを嵌めた。

「護りの魔術を込めておいた。ヴァルトルーデの中と違って、太守の邸では周りが信用出来ないからね。『ディート様助けて』って言えば護りの魔術が発動するようになってる。試してみて」
「…………」

 なんだろう、凄く言いたくない。
 呆れと軽蔑が混ざった眼差しを向けると、ディートハルトは首輪に触れてきた。

「試してみて?」
(こいつ……)

 有紗は顔を引き攣らせ、渋々と口を開いた。

「ディートさまたすけて」

 棒読みにも関わらず、バングルがぱあっと赤く光った。光は一瞬で収束し、有紗の全身を包み込む。
 気が付いたら、有紗の身体はガラスのような材質の多面体の中にいた。五角形で構成されているので、正十二面体と言うやつだろうか。ディートハルトはその多面体をコンコンと叩いた。

「強度にも問題は無さそうだね。何かあったら使って。例え陛下の魔力でもそう簡単には破れないはずだから」
「これ……消す時はどうするんですか?」
「『解除』って言えば消えるよ」
「解除」

 有紗の言葉と共に、多面体はすうっと消えた。

「俺以外には外せないようになってるから、無理矢理誰かに取られることもないからね」
 この術式仕込むのに夜中までかかっちゃった。
 そう言ってディートハルトは笑った。

(外せないって……)

 それは半分呪いの装備品では?
 と思ったが有紗は口には出さなかった。


   ◆ ◆ ◆


 ディートハルトに洗顔代わりの浄化の魔術を掛けてもらい、部屋に運んでもらった朝食を食べてのんびりしていると、仕立て屋からドレスが届いた。

 続いてこの世界の美容師さん的な女の人がやって来て、有紗の着替えを手伝ってくれた。ディートハルトが手配したらしい。

 綺麗なドレスを着て、ヘアメイクをして貰うのは嬉しかったが、今日の予定を思うと気が重くなった。

「有紗の髪と瞳の色は服の色を選ばないからなんでも似合うね。可愛いよ」

 ディートハルトは褒めてくれるが、こちらの美女と比べると、モンゴロイドの有紗はどうしても見劣りすると思う。

 これまで出会ったこちらの人間は北欧系ぽくて、皆背が高く髪色も淡い人が多い。つまりこちらの美人はモデル体型の長身美女だ。

 有紗は心の中でため息を付き、鏡の中の自分を見つめた。
 綺麗にドレスアップし、いつもよりも大人びた雰囲気の自分が映っている。お手伝いに呼ばれた女性の腕は確かで、お姫様になった気分だ。
 しかし有紗の気持ちはどうにも晴れなかった。


   ◆ ◆ ◆


 午前中を準備に費やし、昼は片手で摘めるような軽食を出してもらったが、ドレスを着ているのが気になって、全く喉を通らなかった。

 ドレスの下に着るビスチェは布製だが、補正の為に締め付ける構造になっており、また、ドレスを汚すのが怖くて、物理的にも精神的にも食欲を奪われたのだ。

 時間は容赦なく流れ、太守の邸に向かう時間が来てしまった。
 太守の邸には、ホテルから馬車を出してもらう事になっていた。馬車の中、ディートハルトと向かい合わせに座り、有紗の緊張は否が応でも高まっていく。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。いつも通りのアリサのままで俺の傍にいればいいから」
「いつも通りでいいんですか……?」
「うん。何も話す必要すらない。俺の隣でドールみたいに座っててくれればいいよ」

 ディートハルトは何を企んでいるのか、ふふっと笑った。



 太守の官邸は、セーファス市の中心部にあった。
 有紗はディートハルトにエスコートされ、邸に足を踏み入れる。
 応接室に足を踏み入れると、そこには、太守と思われる五十前後の男性と、そのご令嬢らしい若い女性が並んで待っていた。

 物凄く綺麗な女性だった。ディートハルトのものよりも淡い金髪に、高位貴族の証である赤紫の瞳。
 すらりと背が高く、出るべきところは出ているのに、腰は驚くほど細い。
 隣の太守も凄く渋くて格好いいおじ様だった。女性と濃い血の繋がりが感じられる美形である。

「久し振りだね、イザーク」
「そうですね、こうして直にお会いするのは一年ぶりになりますでしょうか。我が娘のソレルでございます」

 太守とディートハルトはもともと面識があるようだ。
 イザークは、隣に座る女性をディートハルトに紹介した。女性は優雅な所作でディートハルトに一礼をする。

「ソレル・ディア・クライシュでございます。ディートハルト殿下にはお初にお目にかかります」
 顔を上げたソレルは、穏やかに微笑んでいたが、何故か有紗はぞくりとした。

「殿下が我が娘とお会い頂けるということで喜んだのですがね……まさか女奴隷を伴ってお出でになるとは」

 イザークはわかりやすい敵意を有紗に向けてくる。ソレルと同じ赤紫の瞳が有紗を射抜いた。

「その瞳……テラ・レイスですか。殿下が寵愛なさるのはわかりますが、このような席に伴われるなど……」
「これを得る条件がご令嬢との面会の時間を設けることだったので」

 悪びれもなく言うディートハルトに、イザークの怒気が増した。

「お父様、私は構いませんわ。殿下のたった一人の妃になれるなんて最初から思っておりませんから」

「へえ……仮に君を妃に迎え入れたとしても、俺は君を抱かないよ。それでもいいのかな?」
「殿下、何を仰られるのです。王族としてそのような事が許されるとお思いですか?」

 すかさずイザークが噛み付いた。

「子を残すのは義務だって皆言うけどね……仮に出来なかったとしても恐らく国は回るよね? だって兄上のとこに既に三人、そこそこ優秀なのが生まれたし」
「殿下!」
「お父様!」

 いきり立つイザークをソレルが抑えた。
「どうして殿下は白い結婚を、などと仰られるのでしょうか」

「子がいらないからだね。ならばわざわざ閨の事をする必要は無い。欲の発散にはこのアリサがいる訳だし……妃自体も面倒なだけだから俺としてはいらないんだけど、まぁ、いつか誰かを迎えないと周りがうるさいからなぁ……けどさ、俺の妃になる女性は辛いと思うよ。だって俺はこういう考え方だし、これ以外と寝る気もないから」

 ディートハルトはそう言うと、有紗の身体を引き寄せた。イザークからの冷たい視線が突き刺さる。

「……殿下のお気持ちはよくわかりました。この件に関しては陛下にもご報告させて頂……」
「待ってください、お父様」

 イザークの言葉をソレルが遮った。

「それでも構わない、と申し上げましたら、殿下は私を妃に迎えてくださいますか?」
「何を言い出すんだソレル!」
「お父様は黙っていてください」

 ソレルはピシャリと一喝した。

「私はずっと殿下をお慕い申し上げておりました。他にもいらっしゃる候補の中から、私を選んで会いに来て下さって本当に嬉しかったのです。ずっと憧れ続けていた殿下のお傍に侍るためなら、私どんな事でも耐えてみせます。だからお願い致します。私を妃に選んでください。側妃の一人でも構いません」

 一気に捲し立てたソレルを見るディートハルトの表情は冷ややかだった。

「ソレル嬢と俺が会うのは今日が初めてだよね? 俺の何を知ってそんな事が言えるのかな?」
「初めてではありません! 殿下が十八、私が十二の時に一度お会いしております」

(確か今ディートハルトは二十四歳だから……)
 ソレルは十八という事になる。
 目の前にいる大人びた美女が二つ下という事に、有紗はショックを受けた。

「当時、父はノルト・マルシュ県の県宰を務めておりました。その赴任に同行したため、私も県都キールに住んでおりました。六年前のキールです。何か覚えてはいらっしゃいませんか?」

 県宰は確か太守の補佐官である。県のナンバー2の役職だ。

「六年前……もしかして、魔獣の大暴走スタンピード?」
「はい。当時私は母と共に軍の駐屯地にて、微力ながらお手伝いをしておりました。その時群れからはぐれた魔獣の一団が駐屯地側にやってきて……その時颯爽と現れて魔獣を退けてくださったのが、当時キールの士官学校に在籍されていた殿下でした」

「ああ……可愛い女の子がいたのは覚えてるよ。その後行われた式典の時に花を渡してくれたよね?」

「それが私です! その時から私、ずっと殿下をお慕いして……」

「そうなんだ。その時から……嬉しいよ」

 笑みを浮かべながらのディートハルトの言葉に、ソレルはぱあっと表情を明るくした。しかし、次の言葉で表情が凍りつく。

「で?」
「え……」
「ソレル嬢が俺を好きになってくれた理由はわかったけど、だからと言って妃にしろというのは傲慢だ。だって俺は今の今まで君に会った事なんて忘れていたし、思い出しても特別な感情が浮かんだりもしていない。男として嬉しいし光栄だとは思うけどね」

(ひどい)
 ソレルの顔は凍りついたままだ。有紗は思わず同情する。

「ソレル、お前はもう下がりなさい」
 イザークがソレルの肩に手をかけた。すると、ソレルの瞳に力が戻った。

「当家は殿下のお力になれます。殿下もそうお思いになったから当家を選ばれたのでは無いのですか? ――例えば、イルクナー家への抑えとして」

(イルクナー家……?)

 ディートハルトの表情が僅かに動いたのを見て、有紗は心の中にその名を書きとめた。

「もう一度申し上げますわ。私は殿下をお慕いしております。殿下のお傍に置いていただけるなら、何でも致しますし耐えてみせます。白い結婚でも構いません。私の持つ全てを殿下に捧げ、お仕え申し上げます」

「へえ……目の前でこんな事されても平気なんだ」

 ディートハルトはおもむろに有紗の胸を鷲掴みにした。
「やっ……何す……」
 抗議の言葉は唇で塞がれる。

「……っ、ん……」
 人差し指で胸の頂点を引っかかれ、舌を絡められて有紗は微かに呻きながら身動ぎした。

(こんな人前で……)

 恥ずかしさに涙が滲む。

「ソレル、もう良いだろう? お前の気持ちはわかるが、クライシュ家としてはこの話は受けれない」

 イザークの言葉と共に唇が解放された。
 有紗ははあっと息をつく。

「話はついたね。ではそういう事で。アリサ、帰るよ」
「陛下には厳重に抗議させて頂きますよ、殿下」
「どうぞご自由に」

 有紗の腕を引き、席を立ったディートハルトに、ソレルが更に食い下がってきた。

「お待ちください殿下! 父は説得します。ですから……!」
「ソレル嬢の提案自体は割と魅力的だった。でもね、俺よりもまずイザークを納得させないとね」
「…………」

 黙り込んだソレルの肩を、イザークは労わるように包み込んだ。
 仲の良さそうな父子の姿に、有紗の心がしくりと痛んだ。

(羨ましい)

 イザークに重なるのは自分の父親の姿だ。
 有紗の父は仕事人間だったが、映画鑑賞が趣味で、進学で実家を離れるまでは、よく有紗を映画館に連れていってくれた。

 ディートハルトと共に退出する有紗の背中に、ソレルの視線が突き刺さる。

(あの人と私、入れ替われたらいいのに)

 有紗は好きで奴隷になった訳ではないし、望んでディートハルトに抱かれている訳でもない。
 そんな有紗の立場だけど、ソレルには喉から手が出るほど欲しい立場だろう。

「予定より早く終わったから辻馬車でも拾ってホテルに戻ろうか。今日もあそこに泊まるよ。軍の基地は寝台が狭いからね」

 言外に今日は抱くと言われた気がして、有紗はぞくりと身を震わせた。
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