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Bonus track 幕間
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王都に到着した有紗は、ヴァルトルーデを降りると同時にすぐ身柄をディートハルトの邸に移された。
今回の飛行は、修道院からヴァルトルーデに連れ込まれて、ディートハルト以外の誰とも関わらないままに終わった。わずかに降りる時ちらりと他の乗員達の姿を見ただけで、魔動四輪車に押し込まれた。
ディートハルトの邸は、きっと大きいんだろうな、と思っていたら、予想通りの大きさだった。
門から建物までが遠い。歩きだと五分くらいはかかりそうだ。
邸は、貴族の邸宅が立ち並ぶ一角にあった。
一体何部屋あるのか、探検するだけで一日が終わりそうな規模である。
「大きいですね」
「妃を何人か迎える前提で作られてるから。無駄に広いんだよ」
有紗の質問に、ディートハルトは物憂げな息をついた。
邸の玄関に入ると、使用人と思しき人たちが、ずらりと整列をして待機している。
「お帰りなさいませ、殿下」
こちらに向かって挨拶をしてきたのは、先頭にいた男の人だ。三十代と思しき怜悧な印象の男性である。
「紹介しておくよ。家令のアデルだ。この邸の管理を任せている」
「お話はお伺いしております、寵姫様。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
物腰は丁寧だが、無表情でとっつきにくい印象の人だ。
「この人数が残ったのか?」
「はい。欠員補充の為のリストは後ほどお持ちいたします」
「そうか。ご苦労」
(欠員補充?)
何の事だろう。首を傾げる有紗をよそに、ディートハルトは見知った名を呼んだ。
「ビアンカ、パレアナ、前へ」
呼ばれて進み出てきた二名の女性に、有紗は目を見張った。
使用人のお仕着せを着た、ビアンカ・ドレッセルと修道院で知り合ったパレアナ侍祭だった。
「ビアンカとパレアナ侍祭……? どうして……?」
「知った顔がいる方がアリサが心強いかと思って引き抜いたんだ」
「私もパレアナもアリサ様付きの侍女となりました。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
ビアンカとパレアナに口々に挨拶と一礼をされ、有紗は喜びよりも先に困惑した。
◆ ◆ ◆
邸の中の奥まった一室、そこが有紗に与えられた部屋だった。
ディートハルトが去ってから、パレアナが飛びついてきた。
「もうっ! 完全に騙されましたよアリーセ様! テラ・レイスで殿下の寵姫って! 教えてもらった時は超びっくりしたんですからね!」
「ご、ごめんなさい」
「パレアナ、これからアリサ様はあなたの主になるんですよ」
「あっ、そうでした」
ビアンカに叱られたパレアナは、はっと身を引いた。
「本当の名前はアリサ様って仰るんですよね。よろしくお願いします、アリサ様!」
パレアナは明るい。彼女が傍にいてくれるのなら、有紗のここでの生活はきっと楽しいものになるだろう。物静かで頼りになるビアンカが居てくれるのも心強い。でも、
「どうして二人ともここに……」
「私は殿下が実家と縁を切るのを手伝ってくれたからですね」
即答したのはパレアナだ。
確か彼女は、早くに母親を亡くし、後からやってきた継母との折り合いが悪く、変な結婚を押し付けられそうになって修道院に逃げてきたと聞いた。
「私も同じようなものですよ。実家とは折り合いが悪くて軍に入ったので」
「そうだったんですか?」
「ええ」
静かに微笑むビアンカに、有紗は目を瞬かせた。
◆ ◆ ◆
「私は誰も愛せないんです」
ビアンカの事情を有紗が知ったのは、それから少し経ってからの事だった。
パレアナが席を外し、二人きりになった時に尋ねたら、ぽつりぽつりと話してくれたのだ。
「私はたぶんどこかが欠落した人間なんです。男も女も、誰も好きになれないし、その先にあることを想像できないししたくもない。だから軍に逃げました」
「アセクシャル……って事ですか?」
「アセク……? 何ですか?」
「えっと、性的マイノリティーの一つで……確か凄く数は少ないんですけど、誰とも恋愛的な行動をしたいと思えない人の事です。抱きしめたりとか、手を握ったりとか……私の世界ではそういう人たちの心の動きなんかの研究が進んでいました」
そう話すと、ビアンカはわずかに目を見開いた。
「……アリサ様の仰る通りです。私には姉が居るんですが、結婚適齢期が近付くと同時に沢山の釣書を両親が持ってきて、それが自分に、と想像した時に、とても受け入れられないと思いました。我慢すれば出来ると思うんですが、その我慢をすることを考えるととても違和感が湧いてしまって」
淡々と語るビアンカの目はとても静かだった。
「こんな冷たくて欠けた人間である私を、アリサ様は慕ってくださった。だから殿下からお話を頂いた時、私はここに来ると決めました」
有紗は目を見開いた。
LGBTのどれでもないアセクシャル……無性愛者は、心の無い人間のように思われて傷付きやすいと聞いた事がある。
「ビアンカは冷たくも欠けた人でもないと思います。ただ恋愛的なことができないだけで、例えば家族やお友達に対する感情が無い訳じゃないですよね……?」
「そう……ですね。姉の事は好きです。アリサ様の事も、僭越ながら時々妹のように思える事があります。居場所を与えてくださった殿下には感謝をしております」
「なら、ビアンカは欠けてなんかないと思います」
ビアンカはわずかに目を見開いた。
「……そんな風に仰ってくださったのはアリサ様が初めてです。両親は何故婚姻を拒むのかと怒るだけで……」
困惑の表情を浮かべるビアンカの顔は、何故か迷い子のように見えた。
今回の飛行は、修道院からヴァルトルーデに連れ込まれて、ディートハルト以外の誰とも関わらないままに終わった。わずかに降りる時ちらりと他の乗員達の姿を見ただけで、魔動四輪車に押し込まれた。
ディートハルトの邸は、きっと大きいんだろうな、と思っていたら、予想通りの大きさだった。
門から建物までが遠い。歩きだと五分くらいはかかりそうだ。
邸は、貴族の邸宅が立ち並ぶ一角にあった。
一体何部屋あるのか、探検するだけで一日が終わりそうな規模である。
「大きいですね」
「妃を何人か迎える前提で作られてるから。無駄に広いんだよ」
有紗の質問に、ディートハルトは物憂げな息をついた。
邸の玄関に入ると、使用人と思しき人たちが、ずらりと整列をして待機している。
「お帰りなさいませ、殿下」
こちらに向かって挨拶をしてきたのは、先頭にいた男の人だ。三十代と思しき怜悧な印象の男性である。
「紹介しておくよ。家令のアデルだ。この邸の管理を任せている」
「お話はお伺いしております、寵姫様。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
物腰は丁寧だが、無表情でとっつきにくい印象の人だ。
「この人数が残ったのか?」
「はい。欠員補充の為のリストは後ほどお持ちいたします」
「そうか。ご苦労」
(欠員補充?)
何の事だろう。首を傾げる有紗をよそに、ディートハルトは見知った名を呼んだ。
「ビアンカ、パレアナ、前へ」
呼ばれて進み出てきた二名の女性に、有紗は目を見張った。
使用人のお仕着せを着た、ビアンカ・ドレッセルと修道院で知り合ったパレアナ侍祭だった。
「ビアンカとパレアナ侍祭……? どうして……?」
「知った顔がいる方がアリサが心強いかと思って引き抜いたんだ」
「私もパレアナもアリサ様付きの侍女となりました。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
ビアンカとパレアナに口々に挨拶と一礼をされ、有紗は喜びよりも先に困惑した。
◆ ◆ ◆
邸の中の奥まった一室、そこが有紗に与えられた部屋だった。
ディートハルトが去ってから、パレアナが飛びついてきた。
「もうっ! 完全に騙されましたよアリーセ様! テラ・レイスで殿下の寵姫って! 教えてもらった時は超びっくりしたんですからね!」
「ご、ごめんなさい」
「パレアナ、これからアリサ様はあなたの主になるんですよ」
「あっ、そうでした」
ビアンカに叱られたパレアナは、はっと身を引いた。
「本当の名前はアリサ様って仰るんですよね。よろしくお願いします、アリサ様!」
パレアナは明るい。彼女が傍にいてくれるのなら、有紗のここでの生活はきっと楽しいものになるだろう。物静かで頼りになるビアンカが居てくれるのも心強い。でも、
「どうして二人ともここに……」
「私は殿下が実家と縁を切るのを手伝ってくれたからですね」
即答したのはパレアナだ。
確か彼女は、早くに母親を亡くし、後からやってきた継母との折り合いが悪く、変な結婚を押し付けられそうになって修道院に逃げてきたと聞いた。
「私も同じようなものですよ。実家とは折り合いが悪くて軍に入ったので」
「そうだったんですか?」
「ええ」
静かに微笑むビアンカに、有紗は目を瞬かせた。
◆ ◆ ◆
「私は誰も愛せないんです」
ビアンカの事情を有紗が知ったのは、それから少し経ってからの事だった。
パレアナが席を外し、二人きりになった時に尋ねたら、ぽつりぽつりと話してくれたのだ。
「私はたぶんどこかが欠落した人間なんです。男も女も、誰も好きになれないし、その先にあることを想像できないししたくもない。だから軍に逃げました」
「アセクシャル……って事ですか?」
「アセク……? 何ですか?」
「えっと、性的マイノリティーの一つで……確か凄く数は少ないんですけど、誰とも恋愛的な行動をしたいと思えない人の事です。抱きしめたりとか、手を握ったりとか……私の世界ではそういう人たちの心の動きなんかの研究が進んでいました」
そう話すと、ビアンカはわずかに目を見開いた。
「……アリサ様の仰る通りです。私には姉が居るんですが、結婚適齢期が近付くと同時に沢山の釣書を両親が持ってきて、それが自分に、と想像した時に、とても受け入れられないと思いました。我慢すれば出来ると思うんですが、その我慢をすることを考えるととても違和感が湧いてしまって」
淡々と語るビアンカの目はとても静かだった。
「こんな冷たくて欠けた人間である私を、アリサ様は慕ってくださった。だから殿下からお話を頂いた時、私はここに来ると決めました」
有紗は目を見開いた。
LGBTのどれでもないアセクシャル……無性愛者は、心の無い人間のように思われて傷付きやすいと聞いた事がある。
「ビアンカは冷たくも欠けた人でもないと思います。ただ恋愛的なことができないだけで、例えば家族やお友達に対する感情が無い訳じゃないですよね……?」
「そう……ですね。姉の事は好きです。アリサ様の事も、僭越ながら時々妹のように思える事があります。居場所を与えてくださった殿下には感謝をしております」
「なら、ビアンカは欠けてなんかないと思います」
ビアンカはわずかに目を見開いた。
「……そんな風に仰ってくださったのはアリサ様が初めてです。両親は何故婚姻を拒むのかと怒るだけで……」
困惑の表情を浮かべるビアンカの顔は、何故か迷い子のように見えた。
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